過去話:優しい嘘
アガラニアの市街地を歩き、アーロはとある教会へとたどり着いた。
【第三十六区教会】そして【アマデウス救済院】の看板が掲げられた門をくぐり、大きくも小さくもないごく普通の聖堂へと入っていく。
明け方を過ぎて仕事を始める時間帯のためか、聖堂を訪れて祈る人は少ない。
薄汚れた風体の男が入ってきても、敬虔な信者が顔を少し上げて微笑むだけだ。教会はいつなんどき、迷える子羊にも開かれている。
アーロは迷わず聖堂の奥に位置する【真実を見通す眼】のシンボルの前まで進み、軽く祈りを捧げた。
そのあとは聖堂の脇に寄り、今朝冒険者組合から受け取った依頼の報酬、金貨がたんまりと詰まった袋を懐から取りだした。そのまま躊躇なく鉄製の一抱えほどの箱──喜捨をいれる箱だ──へと近づき、袋を逆さにして金貨を全てぶちこんだ。
ざらざらと音を立てて箱に落ちていく金貨。袋が空になればもう一袋を取りだし、同じように流し込む。
静かに祈りを捧げる者たちが眉をひそめる程度には乱暴な喜捨が済めば、アーロは踵を返して聖堂の出口へと向かう。
その進行方向、聖堂の入り口に不意に影が射した。行く手を遮るように、一人の老人が立っていたのだ。
老人は、優しげな微笑みを浮かべてアーロへと声をかける。
「アーロ君。どこへ行くつもりですか?」
「……司祭様。どうも」
戸口に立っていたのは、アマデウス救済院の父にして第三十六区教会を治める司祭。トマスであった。
老境に入った司祭は再会に略式の祈りを捧げ、アーロを心配したように眺める。
「アーロ君。ひどい顔ですよ」
「えぇ。まぁ、そうでしょうね」
「……外で話しましょう」
「……はい」
促される司祭トマスに連れられてアーロは聖堂の外へ出て、丁寧に整えられた芝の上を歩く。遠くから子供の笑い声が聞こえる。孤児院の子だろうか。
「久しぶりですねぇ。数ヵ月ぶりでしょうか」
「ええ」
「君の届けてくれた手紙は、皆が楽しんで読んでいますよ。この院から出た兄と姉の活躍に心が踊るようです」
「それは、よかったです」
「難しいかもしれませんが、近くに来たらなるべく寄ってくださいね。ささやかなことしかできませんが、きっと皆が歓迎しますよ」
聖堂からやや離れた場所で立ち止まり、トマスは振り返る。楽しげな会話をしていたとは思えないほどに、何の感情も読み取れない、硬い表情だ。
「アーロ君。セレーナは今日も、一緒には来ていないのですね?」
「……ええ。これからも、ずっと」
アーロは背負った大剣、セレーナの愛用品を抜き放ち、地面に突き刺す。
ずん、と芝に差し込まれた大剣と、アーロの悲痛な表情を見たトマスは事情を察し、その皺の浮いた顔を歪めた。
「……親より先に逝きおって。この不孝者が……」
額と目元を手で覆い、絞り出すように声を出すトマス。
やがて彼は袖口から鈴を取りだし、ちりんと鳴らした。そのまま地面へとひざまずいて俯いたまま、長い、本当に長い祈りを捧げる。
「──安息の鐘よ。優しき者の魂を導きたまえ。鐘の音よ。彼の者に安息を与えたまえ──」
ひたすらに繰り返されるのは、トマスの想いだ。心優しき父であり育ての親である彼は、喧嘩別れのように院を飛び出した二人をいつも気にかけていた。
たまに手紙を届けにアーロが訪ねれば心配そうに、また嬉しそうに活躍を聴くことが常であった。
「──くっ。うぅっ。馬鹿もんが……」
トマスはしばらく祈りを捧げることに忙しいだろう。
それを見るアーロもまた無言のまま、唇を切れるほど噛み締めていた。
一流冒険者になったら帰るわ。と言っていたセレーナが、その約束を果たせないながらも帰還したのだ。祝い、笑顔で迎えてやらねばならない。
二人はその後、しばらく動かなかった。
やがてトマスは立ち上がり、アーロは強く握りしめていた拳を開く。
「……伝えてくれて、ありがとうございます。君も大変でしたね」
「いえ。司祭様。まだ、話さなきゃいけないやつがいます」
「もう少し後でも……。いや、同じですね。家に行きましょう」
トマスは目頭を押さえ、力なく首を振る。
そうして、アマデウス救済院の食堂へと誘われた。
セレーナのことを話さなきゃいけないやつがいる。
そう伝えればトマスも見当はついているのだろう。アマデウス救済院の食堂へと通された後、しばらく待てば、トマスに伴われて一人の少女が姿を表す。
「アーロ兄さん!」
少女はアーロの顔を見るとぱっと笑顔になり、駆けてきて抱きついた。
それを受け止めて頭をくしゃくしゃと撫でてやるアーロ。
トマスはといえば、少し離れた場所で二人を見守るように静かに立つ。
「久しぶりだな。ルナ」
「うん! 今日はどうしたの?」
「ちょっと用事があって、な」
少女の名は、ルナ。
栗毛と緋色の瞳が活発な印象を醸し出す、アマデウス救済院で生活する少女である。
セレーナからの手紙を届けたり、許可を得て連れ出して三人で何度も遊んだことがあるため、既に顔馴染みで仲が良い。
ルナはアーロを兄と慕い、またアーロは妹のように接していた。
「用事?」
「あぁ。大事な話だ。よく聞いてくれ」
まだ背の低いルナに合わせ、膝立ちになり視線を合わせるアーロ。
そして肩に手を置き、その眼をしっかりと見据える。
アーロはこれから何も知らぬ少女へと、姉の、セレーナの最期を伝えなければならない。
「セレーナの、事だ」
「お姉ちゃんの……! なに……?」
姉の話と聞き、緊張したようにルナの体が強ばる。
アマデウス救済院を姉であるセレーナが訪ねることはない。この場にいないということは別段おかしくはないが、わざわざ話すということは何だろうか。もしや、悪いことでは?
そんな疑心が生じているのか、ルナはおそるおそる尋ねる。
「セレーナは、辺境の……」
「うん……」
緊張のためか、ごくりと唾を呑むルナ。
その不安げな顏を見て、アーロも言葉に詰まる。
辺境の戦場でセレーナは死んだ。もういないんだ。
伝えるべき言葉は心には浮かぶが、喉からは出てこない。
彼は何度か口を開けては閉じ、そして──。
「セレーナは辺境で村を作ったんだ。名前はセレーナ村だぜ。ルナに真っ先に伝えようと思って会いに来たんだ」
そして、嘘をついた。
真実を、伝えられなかった。
アーロの脳裏に、どこからか厳かな言の葉が響く。
──貴様、嘘をついたな。
咎めるような、きつい声。
──あぁ、なんと愚かな子。
悲しむような、優しい声。
──己の言葉に潜む残酷さに気がつかぬ訳ではあるまい!
断罪するような、厳しい声。
──嘘つきは、いらん。
そして、怒りを孕んだ神秘的な声。
脳裏に声が響けば、アーロの体から白銀の燐光がほろほろとこぼれ落ちる。体から力が、大切な何かが抜ける感触。
これが罰か。庇護の消失か。セレーナが今際の時に感じたものか、と思い、アーロはどこか自嘲気味に小さく微笑んだ。
「アーロ君っ! 君は……!」
司祭トマスの驚愕の表情も、今は無視する。
アーロはルナの眼をまっすぐに見つめ、嘘を紡ぐ。
「あいつは村長で、まだまだ発展に手が離せなくてな。辺境は危ないから、しばらくは迎えに来れないって。安全になったら呼ぶから待っててくれよ」
「アーロ兄さん」
「少し前だが、一流冒険者に格が上がってな。すごいだろ? セレーナはいつか絵本や演劇のもとになるんだって、息巻いてるよ。それから──」
「アーロ兄さん!」
アーロの饒舌な喋りを遮り、ルナは叫ぶ。その肩は震え、眼には涙が溜められている。
ルナは、泣いていた。
泣きながら、アーロの頬を小さな両手でそっと包んだ。
「もう、いいから。分かったから」
そのまま、ルナは静かに涙を流しながら、アーロの体を抱き締める。
全身から燐光がほろほろとこぼれ落ちるまま、アーロは抱かれていた。
「ルナ……」
「うぅ。お姉ちゃん、しばらく会えないんだぁ」
「そうだ。しばらくだな」
「ひっく……。どれくらい経ったら、えっく、迎えに来てくれるかなぁ?」
「ルナが……大人になったらだな」
「……ほんと? じゃあ約束……して。私が十六歳になったら、お姉ちゃんのこと、話して……」
「分かった。セレーナのことを、話そう」
約束だよ。とルナは震える声で言う。
彼女は間違いなく、気がついているのだろう。
アーロが嘘をついていることも。愛する姉がもう、この世にいないことも。
それでも彼女は、アーロの言葉を否定せず、ただ優しく抱き締め、涙を流した。
「アーロ兄さんも……泣いてるね……」
「あぁ。変だろ?」
「変じゃないよ……。泣いて、いいんだよ」
「……そうか。く……うぅっ」
「ひっく。おね、お姉ちゃん、うぁぁぁん!」
やがてルナは大声を上げ、わんわんと泣いた。
アーロもまた、セレーナと別れてから初めて涙を流す。言葉にして伝えられなかったが、いつも一緒だった彼女はもういない。
その事実を再確認し、静かに泣いたのだ。
◆◆◆◆◆
アーロとルナはしばらく共に涙を流し、やがて気持ちが落ち着いたのだろうか、ルナは体を離した。
お祈りをしてくるね、と彼女は寂しげに告げ、聖堂へと向かって行った。
食堂にはアーロのほか、成り行きを見守っていた司祭トマスが残される。
「……司祭様。ルナは、俺が面倒を見ます」
「アーロ君。歯を食い縛りなさい」
静かに口を開けば、トマスは即座に拳を握ってアーロを殴り倒した。
歳を取ったといえども凄まじい力に、食堂の椅子を撒き散らして倒れるアーロ。
司祭はその胸ぐらを掴んで引き上げ、ぎりぎりと締め上げる。その表情は怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
「今ので嘘を吐いたことは手打ちにします。この、馬鹿者が!」
「司祭様。ルナを──」
「あの子は! ルナは気づいていましたよ。それでも君を思い、受け入れた。君も辛いでしょう。私の想像よりもずっと! だが辛いのはあの子も同じです。一思いに伝えるべきではなかったのですか!?」
「……」
「……しばらく、教会で過ごしなさい。君には休息が必要です。体も、心も、ぼろぼろでしょう。ルナの件はまた後日、きちんと話し合いましょう」
「……はい」
司祭トマスは胸ぐらを掴んでいた手を離し、アーロを立たせる。そうして肩にぽんと手を置き、小さく祈りを捧げて立ち去った。
食堂にはアーロが一人、立ち尽くしたまま取り残された。
◆◆◆◆◆
アマデウス救済院への帰還後、アーロはゆったりと過ごした。
もちろん、ただ無為に時間を過ごしていた訳ではない。
孤児院の子供達の世話をして、一緒に遊び、せがまれて冒険の武勇伝を語る。またトマスの代わりに力仕事をしたり、教会の仕事の手伝いをする。
その他の自由時間には聖堂に入り浸り、セレーナの冥福を真摯に祈った。
さらに冒険者を引退し、アガラニア市街に戸籍を取得し、根なし草の冒険者から地に根差す市民へと変わった。
親しかった冒険者仲間と連絡を取り、セレーナの弔報を伝えたりもした。
「そうか……。セレーナ嬢ちゃんが……。残念だったな」
「あぁ。看取ったし埋葬したが今でも信じられない。ある日ひょっこりと、何でもない街角から顔を出すような気がする」
「化けてもお前と一緒ってか。嬢ちゃんらしいな」
「あぁ……」
「……ま、何か困ったら連絡しろや。俺ぁこの街にいるからよ」
ボルザなどの特に交流のあった者はアーロを心配したが、そっとしておくことしか解決策はないと見守るように声をかけるだけだ。
また司祭トマスとルナを交えて、彼女を養子として引き取る件についても話をした。
冒険者を辞め、装備は質に入れるなどして資金も作り、市民として市街で生活する基盤を整えたアーロに対し、トマスは条件付きで許可を出した。
「アーロ君。君のことは小さな頃から知っています。誠実で、情に厚い。しかし、一時でも嘘を吐いた事は信用なりません。ルナを預けるに足る者なのか、見極めさせてください。私が否と判断した場合は、いつでも養子縁組の破棄が可能とします」
トマスの出した条件は、教会の管理する敷地、できる限り近場に家を構えること。養子に出すルナは下働きとしてアマデウス救済院で働かせること。ルナ個人を慈しみ、愛し、守り育てること。の三つだ。
期限は特に設けられない。アーロの誠実な態度と、トマスの心次第だろう。
「誓います」
「その言葉は信用なりませんが、取り敢えずは良しとしましょう。ルナ君。君の意見は?」
「わたし……。アーロ兄さんのことはよく知ってるし、家族として……やっていけると思います」
「……分かりました。養子縁組を許可しましょう」
「ありがとうございます。トマス司祭」
ルナの面倒を見る。
いまわのセレーナから後を頼むと言われた訳でも、あらかじめ決めていた事でもない。ただ、アーロ自身がけじめとして願ったことだ。
ルナが大人として自立した時、十六歳になればセレーナの事を話すという約束を果たすためである。
彼女はアーロの嘘に気がついてなお、姉の事を聞こうとしないのだ。
「アーロ……父さん。よろしくお願いします」
頭を下げるルナの表情はなんとも不安げである。
その頭をそっと撫で、アーロは優しく微笑む。
「よろしくな。ルナ。これからは家族だ。楽に呼んでくれていい」
「はい。……うん。お父さん」
後日、教会を通して書面にて養子縁組契約を結び、二人は正式に親子として認められた。
こうしてセレーナの妹、ルナはアーロの養子として迎えられることになったのだ。
アーロが異世界調査団として異世界出張へ赴くことになる、一年ほど前の出来事である。
アーロは嘘をつきました
アーロの神格が0になります。
神の庇護は消失し、神秘の力は取り上げられました。
過去の出来事なので、本編には関係ありません。
ルナを養子として引き取りました。
アーロとルナの関係性が[義理の親子]に変化します。
過去編時点の登場人物紹介
アーロ・アマデウス 24歳
孤児。バツイチ。
冒険者を引退後、アガラニア市民として戸籍を取得。
ルナを養子に迎える。
セレーナ・アマデウス 享年24歳
孤児。
冒険者旅団【夜明けの鐘】の団長。
北方砦での特務依頼中に死亡。
ルナ・アマデウス 14歳
孤児。
孤児院ではセレーナの妹として扱われていた。
セレーナが結婚後はアーロにとって義理の妹にあたるが、本人は知るよしもなかった。
アーロに養子として迎えられ、以降父と慕う。
雑感
冒険者時代の話はこれにて終了です。
アーロと昔馴染みにして嫁、セレーナ。そして娘のルナ。三人のお話でした。
冒険者時代編からちょろちょろと書いてはいましたが、ルナは孤児です。
またアーロとは義理の親子関係になります。
アーロがルナの裁縫の腕前などを詳しく知らなかったのも、実はまだ親子として過ごした時間が短いからなのです。
昔話を聞き、ルナがどう思ったのかはまた後程。




