過去話:勇者
剣刃虎を、アーロの纏う白銀の燐光が剣となって断ち斬った。
かかる負荷が大きいのか、ぎちぎちと不気味な音を立てながらも[鉛の腕甲]は耐えた。だが、おそらくあともう何度もこの負荷に耐えられはしないだろう。
「セレーナ!」
四つに断たれて血肉と内臓を撒き散らす剣刃虎にも、不穏な音を立てた愛用の装備にも脇目を振らず、アーロは地に伏したセレーナへと駆け寄る。【夜明けの鐘】の団員たちも同様だ。
「おい、冗談だろ。セレーナ!」
アーロは抱き上げたり揺らしたりはせず、頬に手を当てて容態を確認する。セレーナの顔色は青白く、ひゅうひゅうと呼気が漏れるばかりで言葉はない。
肩口から腹までをばっさりと斬り裂かれた傷からは今も血が流れだし大地を赤く染めている。
「そんな……」
「お嬢! しっかりしろ!」
「団長さん!」
追いついた【夜明けの鐘】の団員達は口々に叫び、さりとて何もできることはない。
しかし。
「大丈夫か!」
「どけ! 怪我人を見せろ!」
野戦陣地へと怒鳴り声を上げて入り込んで来たのは、武装した男たちだ。続く後ろには兵士や冒険者の姿も見える。
先頭を走る男は転がるようにしてセレーナへ駆け寄り、脇に座り込んで傷に両手をかざす。
神官の服に身を包んだ男は、先日に祝詞と讃美歌を共に歌うことになった神官であった。男のかざすその掌から柔らかな光がこぼれ、セレーナの体を包み込む。
神官が厳しい修行と信仰の研鑽の末に身につける『治癒の奇跡』。
それを扱うことのできる術師。治療術師だ。
光がセレーナを、特に傷口を包み込めば、流れ出る血は勢いを弱め、息はいくらか正常に整えられる。
「術師か! 助かるのか?!」
「傷が深すぎる! こんなのじゃ応急処置にもならん! すぐ砦へ運べ!」
アーロが詰め寄ればそれを上回る声量で怒鳴り返す神官の男。
周りでは、男に続いて駆け込んできた武装した男たちが担架を広げている。グロウズは肩を貸され、セレーナを心配して喚くガズーやリズは落ち着け安静にしろと怒鳴られて担架へと乗せられている。
「俺たちは砦から来た! 殿部隊の撤退支援だ!」
神官の男が叫べば、周囲の冒険者や兵士が武器を掲げて呼応する。
敵を引きつけて残った殿部隊、さらには剣刃虎から逃れて砦にたどり着いた者達が救出を請うた、北方砦の予備兵力や傷を押して救出に来た者たち。土壇場での助けである。
「銀髪の! お前も寝てろ!」
「俺はまだいい! セレーナを早く運んでくれ!」
「分かったよ! おい! 担架に乗せろ! ゆっくりだ!」
アーロ自身も傷ついていたが、なによりも優先すべきは重症のセレーナや【夜明けの鐘】の団員たちだ。
神官の男が指示を出し、セレーナをゆっくりと担架に乗せて担ぎ上げる。【夜明けの鐘】の面々を中心に、守るように円陣を組む冒険者や兵士、騎士たち。
「副団長……」
「大丈夫だ。早く砦に行くぞ」
冒険者に肩を貸され、心配そうに声をかけるグロウズにアーロは何でもないと返す。
それは、そうあって欲しいという己の正直な気持ちであった。
だが、いざ野戦陣地から出ようとしたとき、戦士たちの顔が緊張に強張る。
──のそり、と。
大人ほどの体長を持つ大狼が群れで姿を現し、今まさに駆け出そうとした砦への進行方向を塞がれてしまう。
思わず動きを止めた男たちの背後からは、人の怒鳴り声と破砕音が響く。丸太と杭で作られた陣地の壁を突き破り、大きな牙を生やした一頭の大猪が突っ込んできたのだ。
しかも大猪は口に腕を咥えたまま、一人の男を引きずりながら走っている。
「ふんっ!」
大猪の猛進に引きずられつつ、壁を破砕した衝撃にも耐えた男は、手にしたサーベルを大猪の目元へと突き立て、ねじる。
絶叫を上げて絶命した大猪の口からずたずたに噛み千切られた左腕を引き抜いた男は、左腕を一瞥してから痛みなど感じていないかのように大猪の頭に足をかけ、サーベルを抜いた。
血にまみれて泥だらけ、傷だらけの男は、アーロにも見覚えのある立派な士官服に身を包んでいた。
「アインズ、だったか!?」
「ん、おぉ! 銀髪の勇者か! お互い死に損なったようでなによりだ!」
からからと笑う北方砦の指揮官、アインズと名乗った男は動かない左腕の代わりに手にしたサーベルを振って見せた。
その後ろからは大猪と指揮官を追いかけてきたのか、二人の兵士と一人の騎士が走ってくる。
「負傷者たちが砦にたどり着いたようでな! 退却してきたぞ! だが、すまん! 逃げるのに精一杯でな! お客を引き連れて来てしまった!」
叫ぶアインズを守るように脇を固める生き残りの兵士と騎士。誰もが無傷ではなく、額から血を流している者、鎧がひしゃげ、腕があらぬ方向に曲がっている者もいる。
十数人いた殿部隊が、たった四人だ。その戦闘は凄まじいものだったのだろう。
そして今、抑えきれずに野戦陣地を目指して逃げて来たということだ。当然、それを追って怪物の群れがやって来ている。
足の早い狼は先回りして出口を塞ぐ。
そして突進力のある大猪が丸太の壁や杭を破壊して次々と現れ、さらに鱗を持つ猿が手足を巧みに使い、野戦陣地の壁をよじ登り高所を取った。
狼が、猪が、猿が、怪物の群れが野戦陣地を囲んでいた。
「隊長!」
「指揮官! よくぞご無事で!」
「あぁ。……だが、囲まれたな!」
担架に乗せられたセレーナたち負傷者を中心に円を組む冒険者や兵士へアインズの殿部隊が混ざり、幾人かの兵士からは喜びの声が上がる。
それでもなお、周囲を囲って様子を窺う怪物の群れには到底及ばない。
アーロはちらりと担架に横たえられて荒い息を吐くセレーナを見る。
意識ははっきりしているのか、弱々しくも首を縦に振り頷くセレーナ。
びびってんじゃないわよ。そんな言葉が表情から伝わってくるようであった。アーロはしかと頷くと拳を握り、振り返る。
その眼に映るのは敵、怪物の群れだ。
「指示を! 指揮官!」
担架を背にかばうアーロがアインズに向けて声を張り上げる。
唸る狼や猪、猿の甲高い喚き声が大きく、その数はさらに増えている。十重二十重に囲まれるのは時間の問題だろう。
「指示だと! は! 決まっているだろう!」
北方砦の指揮官、アインズは動かない左腕をだらりと下げ、しかし右手のサーベルを真っ直ぐに構える。
その先にあるのは、北方砦。
「我らの魂は既に神の御元にあり! 恐れるな! 死するは勇者ぞ!」
『応!』
兵士が槍の穂先を揃え、騎士は盾と剣を握り締め、冒険者は不敵に笑う。
アーロもまた、拳を握り腰を落とす。セレーナは瀕死。ガズーやグロウズは重症。リズは疲労困憊だ。【夜明けの鐘】の面々を守らなければならない。
「負傷者を砦へ逃がす! 斬って、斬って、斬りまくれぇ!」
『おぉぉぉっ!』
戦士たちは、雄叫びを上げて駆ける。
敵を屠らんと剣を握り、友を守らんと盾を掲げる。
相対するは秘境の怪物たち。
大狼は連なるように吠えて姿勢を低くし、大猪は地を蹴って猛り、鱗猿は甲高い喚き声を上げて飛びかからんとした。それが数十匹、前と言わず後ろと言わず全方位から襲い来る。
しかし、到底敵わない数であっても北方砦の戦士たちは諦めていなかった。ただひたすらに前へ、北方砦を目指して走り出す。
進行方向、大狼の群れへと突っ込む戦士たち。
その先陣を切るアーロが大狼とぶつかる瞬間──。
「まぁ、死に急ぐんじゃねぇ」
──閃光が、瞬く。
アーロの目の前に迫った大狼、その体が弾けとぶ。
閃光は一度ではない。二度三度と何かが強く光る度、大狼の体や頭部が弾け、戦場に血の雨が降る。
「なんだっ!」
「ッ! 止まるな! 走れ!」
一体何が起こったのか、と思わず身構えて足を止めそうになる戦士たちだが、指揮官であるアインズの激が飛ぶ。
そうしている間にも閃光は止まず、アーロの前方、大狼の群れを肉塊へと変えていく。
さらに背後から追いすがる怪物、大猪や鱗猿も閃光が瞬く度に体の一部が吹き飛び、弾け、断末魔の叫びもあげずに絶命していく。
何かがいる。アーロはそうとだけ感じた。
閃光が走る度、何者かによって怪物たちは攻撃を受けているのだ。しかし眼に捉えることも出来なければ、肌で風を感じる事もない。
その攻勢が自分達に向かない事を祈り、アーロは戦士たちの先頭を走った。もはや進行方向を塞ぐものはいない。
背後の戦場では、閃光が幾度も幾度も瞬く。そのお陰か【夜明けの鐘】の負傷者たち、冒険者や兵士たちは一度も怪物に襲いかかられ、妨害を受けることはなかった。
あれだけ唸り声と甲高い喚き声が響いていた戦場は、いつしか静かになっていた。
その中を駆け抜け、一行は北方砦の門の前へと辿り着く。
北方砦は深い堀と頑丈な壁、大きな門を持つ頑強な砦である。物見や壁の上には兵士や冒険者が陣取り、長弓を油断なく構えて彼方を睨みつけていた。砦の投石機も稼働を止め、辺りには静けさが漂っている。
先頭を走るアーロは少しだけ足を緩める。負傷者もおり一刻を争うが、視界の先、砦門の前に立つ人影を見つけたからだ。
「よぉ。命知らずの馬鹿野郎ども」
人影は、軽く手を上げて声を発した。
くすんだ灰色、鼠色とも呼べる艶のない全身鎧に、丸腰だ。
顔全体を覆う兜のせいか、その声は籠ったようにくぐもっている。
戦場にいるにも関わらず丸腰、という奇妙な出で立ちをした者は、歓迎するように両手を広げて顔を揺らした。笑ったのだろうか。
「閃光の勇者、ギルだ。助けに来てやったぜぇ」
そうして、北方砦の門が、開く。




