森林世界と妖精たち (挿絵あり)
森林世界 エールバニア編
転移門をくぐれば、そこはもう異世界であった。
不意に浴びせられた陽光に、アーロは思わず眼を瞑る。
つい先ほどまで明るいとはいえ地下にいた眼には、いささか強すぎる刺激であった。
アーロが転移門を潜り抜けた先は、木々に囲まれているが開けた場所だ。どうやら、無事に異世界へと渡ることができたようである。
思わず振り返って確認すると、枯れ果てて幹と根だけになった巨大な樹木に埋もれるようにして、転移門はそこにあった。
帰り道が存在することに安堵し、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。今まで自分が育ってきた世界とは、明らかに違う空気だ。だが違和感はあるが嫌な感じはしない。濃い緑の気配はむしろ清浄にさえ感じる。
そしてわずかだが、今朝の主との誓約時に感じた神秘の気配が漂っている。ただの森、空気にさえ感じられるとは。この世界に満ちる神秘はアガレアの比ではないらしい。
さっそく背負い鞄から渡されている地図を取り出す。まさかボルザの字ではないだろうが、可愛らしい丸文字風味の筆跡で、転移門の周辺と目的地である長耳族の集落の位置が記してあった。
ボルザは集落までそう遠くはないと言っていたが、うっそうと茂る森のなかを目的地に向かって進まなければならない。
時刻は昼過ぎだ。夕方か、最悪夜までにはたどり着かなければいけないな、とアーロは思案する。備えはあるが野宿は御免だった。
しかし、向かう先へと通じる道しるべとなる構造物が地図に示されていることはアーロを安堵させている。例えば西に向かえと書かれていても、ここは異世界。太陽の動きから方角を計ったとしてもその動きがアガレアと同じとは限らない。むしろ、異世界はおとぎ話の宝庫である。自分の知る常識がまるっきり通用しない恐れだってあるのだ。
極端な話、太陽や月が二個、三個とある可能性さえあった。それを考えれば、地図に特徴のある構造物が目印として記されていることはありがたい。
「さて、まずは最初の冒険といきますか」
地図を折りたたんで仕舞い、背負い鞄を抱え直してアーロは森に向けて歩き出した。目指すは、長耳族の集落である。
転移門のあった開けた空間から少し歩けば、やがて森は密度を増して生い茂ってくる。地面には草花や藪が密集し、根が好き勝手に張り出してはい回り、時には巨大な倒木が行く手を塞いでいた。
それらをひょいひょいと跨ぎ、迂回しつつアーロは危なげなく森の中を進んでいく。
もともと、こういった自然の豊かな場所での探索活動は二流冒険者の得意分野である。一流冒険者はさらに過酷な雪山や砂漠といった場所を探索することになるが、その前段階として二流冒険者は森林や湿地などの比較的易しめな、それでも一般人からみると十分に過酷な場所で経験を積むのだ。
アーロ自身もかつて冒険者時代に培った経験があればこそなせる業である。体を動かせば熱を発し汗も出るが、息が極度に乱れることはなく、方向感覚も失わない。
そして進めば進むほど驚きと出会うこの森の光景は、進むアーロの足取りを軽くさせた。
大人ほどの大きさのある、虹色に輝く殻を持つ巨大な甲虫がこれまた巨大な樹木に張り付き樹液をすすっていた。
四本のねじくれた角を生やした鹿のような獣たちが喉を潤すためか、湧き水の回りに集まっている。
かと思えばけたたましい鳴き声が上がり、アーロの頭上を翼を広げた何かが飛び去っていく。
どこに目を向けても今まで自らがいた世界とは異なる光景に、アーロの冒険心は大いに掻き立てられた。おそらく向かう長耳族の集落でも同じような体験が待っているのだろう。出来ることなら長く滞在し自然環境や生き物の生態について調査をしたいものだ。と異世界の訪問を大いに楽しむ余裕さえ生まれている。
そうして時折集落への目印を発見し、地図を取り出して現在位置を確認しつつ、アーロは森を進んでいった。
◆◆◆◆◆
おかしい。
アーロがそう思い、流れ落ちる汗をぬぐいながら立ち止まったのは何個目かの目印を見つけ小一時間ほど先に進んだ時である。一つ前の目印までは、確かに順調に辿れていた。だが、ある時を境にぱったりとその目印を辿ることが出来なくなったのだ。
何度か確認したが、道は間違っていないはずだった。どれも『大岩を右手に見ながら進め』だの『ぶつかる小川を渡ってまっすぐ』といった簡単な目印だ。
アーロ自身も森歩きの経験は何度もあり、簡単な目印を見間違うわけはない。
地図と進み具合によれば、目指している長耳の集落とはもうそれほど離れていないはずだ。そして人が生活する以上、集落は森の奥深くとはならない。はずである。しかし周囲を見れば、今いるのは自分が当初分け入った森よりもさらに深い地点にいると推測できた。
辺りに生い茂る植物の緑が濃い。頭上に生い茂る樹木の密度も増していて、昼間なのにひどく薄暗い。森に入った際に目を奪われていた多様な生き物はその姿を消し、あたりには不思議な静けさが漂っている。
そして何より、時折視界の端々にぼんやりと明滅する光の玉のようなものが映るのだ。
「これが妖精か? あるいは木霊の類か」
おとぎ話での妖精と言えば旅人を迷わせることが定番だが、果たして本当にそうか。
単なる弱気から妖精や木霊と思い込んでおり、実際は小さな生き物かなんらかの自然現象、そして本人が道に迷っているだけ、ということもあるかもしれない。
何にせよ、進むしかない。歩き続ければどこかへはたどり着けるのだ。楽観的に結論付けて流れる汗をぬぐい、アーロは再び歩き出した。
しかしさらに三十分ほど歩き続けるが、より一層森は深みを増すばかりである。
それどころか。
「おーい」
「おーい」
「おーい」
という自分に向けて呼びかける声が、森のどこからともなく響いてくる。
これはいよいよ森に迷わされている、と身構えるアーロだった。
両腕の闘装[鉛の腕甲]をいつでも発動できるよう、神経を研ぎ澄ます。
「おーい。そこのお兄さん」
「あの~」
「おかしいな? 聞こえてないのかな?」
だがよくよく聞いてみると、その声は存外可愛らしい響きをしていた。
「……聞こえている。姿を見せてくれ」
アーロは周りに向けてそう呼びかけるが、木の上、植物の陰、ちょっとした岩の後ろなど、小さな気配はそこかしこにあった。
「あ、聞こえてた」
「リリ、行きなよー」
「そうだ、後ろは任せろ」
「えぇー。しょうがないな」
何やら相談するようなやりとりの後、生い茂る植物をガサガサとかき分けて、一人の少女が姿を現した。
いや、少女にしてはやけに小さく、その姿は異様である。
体長はアーロの頭部と同じ程度で、サイズが小さいほかは人とほぼ変わりない姿かたちであるが、やや尖がった耳、極めつけは少女の背中から羽が生えている。虫の薄羽のような半透明の羽が二対、計四枚。
そうしてその羽をパタパタとはためかせながら飛び、少女はアーロへと近づいた。
「はじめまして! お兄さん?」
そう言って幼い顔に似合う無邪気な笑みを浮かべる。
その姿はまさに。
「妖精……か?」
羽の生えた少女は何が嬉しいのかニコニコと笑い、そうよー。と答えながらアーロの周囲を旋回した。
大人の頭部程の大きさに、薄羽が四枚。繊維質を編んで作ったような衣服を身に着けるその姿は、おとぎ話に出てくる妖精そのものだった。
その妖精少女は、小さなくりくりとした眼をきらっきらさせながら、珍しい旅人の姿を観察していた。
「へんな服! 銀色の髪! あ、このお兄さん耳が尖ってない!」
「え? ほんと?」
「丸耳のお兄さんだ」
妖精少女の驚きに合わせ、木の上と岩の影からそれぞれ同じような妖精が姿を現す。
アーロを物珍しそうに見回すのは全部で三人。いや妖精なので匹と言うべきか。茶、緑、青色の髪の妖精三匹が、わーきゃーと騒ぎながらアーロの周囲を滞空する。
なんとも可愛らしいその三匹組の登場に、アーロは既に警戒を解いていた。悪い気配を感じる存在ではない。妖精だとしても、人を迷わせて行き倒れたところを取って食うようなものではないと判断したのだ。
何にせよ、異世界にきて初めての知的生命体との遭遇である。まずは丁寧に接しなければいけない。
「はじめましてだな。妖精さん」
「さっき言ったわよ!」
「はじめましてなのー」
「よろしく、丸耳のお兄さん」
「よろしくな。俺はアーロ。君たちは?」
アーロ、アーロと何が嬉しいのか何度も呼びながら周りを飛び回る妖精たちだが、やがて三匹が揃って羽をはためかせながら滞空すると、それぞれの自己紹介を始めた。
「ささやき妖精のリリよ!」と茶色の髪の妖精。
「加護妖精のララなの!」と緑色の髪の妖精。
「剣闘妖精のルルだ!」と青色の髪の妖精。
そして三匹は手を取り合って何やらポーズをとると、声をそろえて宣言する。
「私たち――妖精旅団!」
ばばーんという効果音が森に響くが、ささやき妖精のリリがこっそり口を動かしていた。ささやき妖精はその名のとおり、声を扱うことが得意なのだ。
自己紹介をポーズと共に決めた三匹に、アーロはおぉ~と感嘆しつつなんとなくの拍手を送った。
「ふ、決まったわね!」
「わーい。やった~」
「練習した甲斐があったな」
アーロの反応を見て三匹はニマニマと笑いながら、お互いを称えあった。
どうやら、彼女たち妖精にも性格などの特徴があるようだ。
茶髪のささやき妖精、リリは最初に姿を見せたことからも分かる通り、物おじせず活発そうだ。
緑髪の加護妖精、ララはのんびり屋なのか、間延びした声とふんわりとした雰囲気を持つ。
青髪の剣闘妖精、ルルはしっかり者で、三匹の中ではお姉さん的な立ち位置のようだ。
「なるほどなるほど。で、妖精旅団さんはいったい何の用だ?」
アーロがそう尋ねると、リリがその言葉を待ってました! とばかりに喜色満面で胸を張る。
「丸耳のお兄さん、何か困ってるみたいね! 私たちは今すんっごい気分がいいから助けてあげないこともないわ!」
その後ろでは「アーロさんだよ~」とララが耳打ちし、「おまえはすぐにものを忘れるんだから」とルルが呆れていた。
このやり取りだけで、三匹の関係性はなんとなく察しが付いた。トラブルメーカーと、補助役と、唯一の良心といったところだろうか。
そして、目下の課題として、アーロは道に迷っていた。その気になれば元来た道を引き返すことも不可能ではないように思えるが、何か手を貸すとこの世界の者が申し出ているのだ。その助けを借りるのも、調査の一環かと考えた。
「あぁ、実は道に迷って困ってたんだ。なんとかなるか?」
「もっちろん!」
リリはさらに反り返るように胸を張り、そのまま宙返りして、後ろにいたしっかり者の剣闘妖精に「ね! ルル!」と丸投げした。
「まったく……。実はほかの妖精たちが騒いでいたから、私たちは様子を見に来たんだ」とルル。
「森の奥に人が来た、どうしようって羽妖精さんたちが言ってたの~」とララも続ける。
「あぁ、これはやっぱり妖精なのか」
アーロは周囲に漂う小さな光の玉のようなものを指し、なるほどと頷く。
先ほどまでは光の玉はちらほらと見える程度だったのが、妖精三匹組が現れた時から徐々にその数を増している。
「そうよ! 私たちには力が遠く及ばないけど、みんな妖精なの!」
「変な人が来た~って言ってるの」
「普段は森の深くまで人が来ないから、珍しいんだろう」
妖精と言ってもひとくくりにはならず、それぞれ格や力が違うようだ。
確かに周囲の光の玉のような小さな妖精よりも、目の前にいる三匹組の方が言葉を理解し意思疎通もできるため、生命の進化の度合では断然三匹組の方が進んでいると言える。
「悪気がないならいいさ。俺もいい運動になった」とアーロはひらひらと手を振った。
先ほどまで流れ出ていた汗も、立ち止まって話す少しの休憩で既におさまっている。
「だが、長耳族の集落まで行きたくてな。いつまでも森を散歩をする訳にもいかないんだ」
「う~ん。それは困ったわね……」
自信満々に任せろといった勢いはどこへやら、うんうんと首をかしげながらリリが唸りはじめ、そのまま横にくるくると回転する。
この茶髪の妖精は、フットワークは軽いが言動も頭の中も軽そうだ。
「森を抜けるか、浅いところまで戻りたいんだが、難しいのか?」
「難しいな。そもそもこんな深い場所にはそう簡単に入り込めないはずだ」
「そうか? 普通に進んできたんだが、なぜか途中から迷ってしまってな」
「森の奥には妖精の住処があるの~。だから奥に人が向かうと自然と外に誘導するはずなの」
いまだに腕を組んで考え込むリリをよそに、ララとルルはそれぞれ興味深い意見を述べた。
妖精が惑わすというのはアーロの世界の空想の産物だが、この世界の妖精は自らの住処を守るために迷い人を導くらしい。
「この世界の妖精は善性なんだな。迷い込んだやつをからかって遊ばないのか」
ふと漏れたその言葉に、うんうんと呻っていたリリが驚いたように顔を上げた。
「はぁ? なんでそんなひどいことするのよ。困っている人を助けるのは当然でしょ?」
心底理解できない。という表情をするリリに、アーロはすまんと心から謝った。
まったく邪気というものがない。この世界の妖精は驚くほどの善性を持っているらしかった。
「しかし、まいったな。妖精が導いてくれるなら森を抜けられるんだろう? だが俺は森の深くに入り込んでいる。どうしてだ?」
そこまで言うと、リリはあ! と何かに気が付いたように声をあげた。
「お兄さん、丸耳の人でしょ? 少し前にも丸耳に人が森に入り込んで迷ったって、噂で聞いたわ!」
「丸耳の人は、長耳の人とは違って、おっちょこっちょいなのね~」
そういってくすくすと笑い合うリリとララ。
それをたしなめつつ、長耳族ならば何ともなく森を抜けられるはずなんだが、とルルが困ったように眉根を寄せる。
「俺はこの世界でいう丸耳だが、他のやつも迷うのか。異世界から来たことが何かしら作用するのか?」
「イセカイ……? ってのはよくわからないけど、とにかく目的地に着けないのは困るわね!」
例えばアーロが現在位置が分かる場所まで戻ったところで、進めばまた迷うのだという。それでは森を抜けられない。
さっそく野宿か。野営セットを持たせて貰っていてよかった。いや、むしろ迷うことは織り込み済みか? とアーロが考えるなか、ララがのんびりと挙手をする。
「そういうことなら、いい考えがあるのー」
「え!? さすがララ!」
「……リリはもう少し考えて喋ったほうがいい」
皆がララを見やるが、ララは挙手をしたまま話し出す気配がなく、アーロの方をちらちらと窺うそぶりを見せている。
なんとなく求められていることを察し、アーロはララを指名した。
「……ララ君、どうぞ」
「は~いなの。お兄さんが一人で進むのがダメなら、長耳の人に案内してもらえばいいと思うのー」
つまり、迎えを寄越してもらうのだ。
森に迷わないという長耳族に案内をして貰えれば、迷うことなく森を抜けられるはずだ、ということである。
「なるほどな。ララ君、だがどうやって知らせる?」
「それには適任がいるのー」
「はいはい! そういうことならリリに任せて!」
先ほどの真似か、元気いっぱいに手を挙げて自分の存在をアピールをすすリリ。
アーロは困ったようにルルを見やると、しっかり者の妖精は説明をしてくれた。
「リリはささやき妖精だ。その声と噂話は森中に届く。もちろん長耳族にも、な」
「なるほど……?」
よくわからないままに頷くアーロだが、当人たちができると言うならば任せよう、と決める。
ダメだったらダメだった時に対応策を考える。行き当たりばったりでも運と根性で乗り切るのが冒険者である。アーロは冒険者を引退したため元、という称号が付くが、その柔軟な対応の心は忘れていなかった。
「じゃぁ、よろしく頼む。アガレアから丸耳族が来た、と伝えてくれ」
「まっかせなさい!」
リリはむんと気合を入れて息を吸うと、小さく、だが力強く声を発する。
昼過ぎを越えて夕刻が近づき薄暗くなってきた森の中に、妖精の透き通るような声が静かに響いた。
――伝えてあげて 森のみんな。
――緑の森に 丸耳さんが迷っているわ。
――助けてあげて 森のみんな。旅人が困っているわ。
リリの口から紡がれる、小さく、耳元でそっとささやかれるような話し声。
それはまるで歌のようで、何度も何度も繰り返された。
――伝えて 教えて 助けてあげて 旅人はここよ……。
リリがそうして歌い終えた後も、木々がざわめき、周囲の光の玉から小さな声が漏れる。
――伝えて。
――みんなに教えて。
――助けてあげて。
ささやき声は四方に広がり、やがて消えた。辺りは先ほどまでのざわめきが嘘のように、静けさを取り戻す。
いつしか、数を増やしていた妖精らしき光の玉は一つ残らず姿を消していた。
「今のは……?」
「私の力よ!」
どんなもんよ!とまたもや偉そうに胸を張るリリだが、アーロは何が起こったのかすら把握できなかった。
「ささやき妖精は、森中にささやき声を広めるのー。妖精や樹が伝えてくれるのー」
「噂話は広がるのが早い。少し待てば、長耳族にも妖精を通して伝わるだろう」
どうやら、リリはただ小さな声を発しただけで、連鎖的に遠くの相手まで声を届けることができるらしい。
アーロは改めて、今自分がいる森は異世界だと実感した。おそらく周囲にたくさん集まってきていた光の玉、小さな妖精たちが話を広めていくのだろう。確かに噂話は広まりやすいし、人の口に戸は立てられないとも言うが、自分の世界では考えられない不思議な現象である。
一方でそんなにうまくいくか? とアーロは半信半疑だが、妖精三匹組は成功を疑っておらず、よかったね~、一安心だね、などと気楽に談笑を始めてしまった。
それを見てアーロもまぁいいかと気楽に構える。何より不思議な体験ができた。長耳族とはいずれ会えるだろうし、この世界に住む妖精たちと接触が出来た。世界の調査を行う一歩としては順調だろうし、報告書にもいろいろと書けそうである。
「まぁどうなるか分からんが、手助けしてくれてありがとな」
「ふふん、お礼はいらないわ!」
「ちゃんとお迎えが来るといいねー」
「そうだな。しばらくはここで待っているといい」
ルルの言う通り噂が広まるにしてもすぐに、という訳には行かず、さらに伝わったとしても今いる場所にたどり着くまでには結構な時間がかかるだろう。
時刻が夕方に近づいているせいか、周りは先ほどから徐々に暗くなってきている。もとより木々に光が遮られる森の中では、暗くなるのは一足早いようだ。
アーロそっちのけで他愛もない話に興じる妖精三匹組を尻目に、とりあえず野営の準備でも始めるかと背負い鞄を広げ荷物を取り出していく。
すると鞄の中身に興味があるのか、妖精三匹組は喋るのをやめてアーロの一挙一動に注目しだした。
「大きい鞄ね!」
「私たちが入れそうなのー」
「中には何があるんだろうな」
非常にやりにくい。
アーロは苦笑し、野営のための鍋の準備やかまど用の石段を組みながら、妖精たちへ問いかけた。
「森の中で火は使ってもいいか?」
火、という単語に妖精三匹は顔を見合わせ、ややおびえたように答える。
「使ってもいいけど……」
「危ないのー」
「火傷するなよ」
あまり強い火を使うのはまずそうだ。そう判断したアーロは、手早く周囲から乾いていて小さな木切れを集め、かまどを組み上げる。
そして野営セットのあまり質の良くない火打ち石を使い、苦労して火を起こしていく。やがて小さな炎がちろちろとかまどの中で燃え出すと、妖精三匹組はそれを見てほぉーと感嘆ともつかない声をあげた。
アーロは野営セットから鍋を取り出し、さらに取り出した水筒の魔術具[夢幻の泉]から水を生み出して鍋に注ぐ。
この水筒の魔術具[夢幻の泉]は野良猫商会におまけで付けてもらったものだ。水筒内部の底には魔術紋が刻まれ、毎日一定の量の水を引き出すことが出来る。
説明をしたボルザ曰く転移の術を転用した試作品らしいが、ぜひ実用化して一般に広めて欲しいとアーロは思った。これ一本あれば量に限りがあるとはいえ飲用に適した水を生み出せるとあって非常に便利で、渇死の危険がぐっと減るのだ。
水筒の魔術具から水を出して野営用の小型の携帯鍋へ水を張り、火にかけて湯へ変えていく。
そしてアーロは妖精三匹組に悪戯を企むような視線を向けると、荷物の中から一つの金属製の缶を取り出した。缶の蓋を外すと、中に秘められていた甘い香りが辺りに広がる。
「わぁ、いい匂い」
リリがそういって小さな鼻をひくつかせるのも無理はない。アーロは異世界へ行く身支度を整える際、ボルザが注文した紅茶缶を一つ失敬していたのだ。
当人は手間賃だのなんだのと言っていたが、払いは自分の給料から出るものだということで持ってきても何も問題はない。こうして異世界の先での交流に役立つので費用対効果としてはかなり高いだろう、とアーロは勝手に解釈していた。
ちなみに茶葉は乾燥果実や花をブレンドし、甘みを整えた着紅茶と呼ばれる種類だ。
携帯鍋の中に茶葉を入れ、くるくるとかき混ぜるだけで成分が抽出されてお湯がお茶になる。やや優雅さに欠けるやり方だが、味があればいいのである。しかもアーロ自身は紅茶よりコーヒー派だった。
「ほれ、できたぞ。乱暴な作り方だが、紅茶だ。飲んでみろ」
完成した紅茶もどきを水筒の魔術具の蓋で掬い、妖精三人組のリリに手渡す。コップ替わりの蓋は一つしかないため、一人ずつ飲んでもらうほかない。
「コウチャ? なんだが花みたいな匂いね」
熱いものは苦手なのか、手渡された湯気を立てる紅茶もどきをふーふーと冷ましてからぐいっと口に含むリリ。そこに躊躇や迷いはなく、一気だ。
そして一気に飲んだその態勢のまま固まり、やがて羽も羽ばたきを止めてふにゃふにゃと崩れるように落下した。
「あまぁぁぁい!」
仲間のただならぬ様子にララもルルも目を見開くが、リリが地面へ激突する寸前で体制を立て直し、コップ替わりの蓋をぶんぶんと振り回しながらアーロに詰め寄る姿を見てさらに驚いた。
「なにコレ! すっごい甘い! なにコレ!」
興奮した様子でまくしたてるリリに対し、そこまで美味いかと思いながらもアーロは微笑んだ。
「植物の葉や花と乾燥させた果物の成分を抽出した飲み物だ。この世界ではないのか?」
「ない! おいしい! もっとちょうだい!」
言語が乏しくなるほどにおかわりを求める妖精に対し、はいはいと紅茶もどきを鍋から継ぎ足してやるアーロ。
嬉しそうにそれを持ち、冷ましてから再度飲もうとするリリは、ふと自分を見る二匹の妖精の視線を感じた。
「じ~」
「ごくり」
「あ……あげるわよ」
決して独占したりせず、分かち合う精神を持つ彼女らは見ていて心が洗われるようだ。妖精の生態の報告書を書く際にはきちんと良い点として記そうと心に決めるアーロであった。
あ、熱いんだから気をつけなさいよね! と未練たらたらな様子で紅茶もどきを手渡すリリ。
受け取ったララも同じくふーふーと冷まし、ゆっくりと味わうように飲み干した。
「甘い! 普段食べてる木の実よりもっと甘いのー」
「むぅ、私にもはやく飲ませてくれ」
もう待ちきれないという様子のルルの分もほれ、と蓋に注いでやる。
冷ますのもそこそこにちびりと口に含むルルも、同じく感激したように相貌を崩した。
「おいしい! これなら何杯でも飲めるぞ」
「喜んでくれてよかったよ。これはお礼だ」
さっきは礼なんていらんと言ったが、いるか?とリリに問いかけると、リリは「いる! いる!」と首が折れんばかりにぶんぶんと縦に振った。
「おいしい! おいしい!」
「幸せ~」
「うっ。なんだか涙が……」
仲良く順番に紅茶もどきを飲む妖精たちを微笑ましく見ながら、アーロは即席のかまどへ木切れを放り込んだ。
「困っている人を助けてよかったわね!」
「いいことがあるのー」
「うんうん」
結局、長耳族の捜索隊兼迎えがやってくるまで、アーロは妖精三匹組とのお茶会を楽しんだ。
妖精たちと茶飲み友達になりました。
登場人物紹介
リリ
ささやき妖精
茶髪。元気。
ララ
加護妖精
緑髪。のんびり。
ルル
剣闘妖精
青髪。しっかり。
とっても可愛い妖精ズの画像は『CHARAT』のサービスを利用し作成しました。