過去話:安息の鐘
「異世界出張しないけど超絶可愛い幼馴染に求婚されて婿になった件」
上記のようにタイトルを変えたいです。
冗談です。
特務依頼の現場は北方砦。
未開の地、秘境と呼ばれる森と山に程近い丘に建てられた石造りの砦である。
この地は長い歴史のなかでたびたび怪物の侵攻に晒されていた。それらを幾度となく防ぎ、人類の繁図を支えてきたのがこの北方砦である。
その砦の周辺は今や、地獄の様相を呈していた。
大人程もある大きな狼の群れの死体には幾本もの矢が突き刺さり転がっている。
鱗を持つ大型の猿や巨大な牙を持つ猪の胴体を、矢よりもさらに太い大弩の矢が貫いている。
離れたところでは投石機から放たれた大振りな石に潰された蜘蛛のような生物や、炎によって丸焦げになった巨大な芋虫の死骸が転がっていた。
それらの怪物の死骸に紛れるように、人の死体もちらほらと見受けられる。
大氾濫。
いかなる理由かは不明だが、秘境の生物がその生息圏である森や山から溢れ、人の住む地域へと侵攻することはそう呼ばれていた。
発生する頻度も規模もさまざまであるが、小規模なものでも辺境の集落を容易く呑み込み村や都市を襲い被害を出すような災害である。
そんな災害を食い止め、怪物の侵攻を弾き返すために、国は各所に砦を建設し、常に睨みを効かせてきた。
その砦の物見や斥候からの報告で、大氾濫の兆候あり、と報告されたのが約一ヶ月前。
国が厳重な調査を行い、警戒が必要として戦力の招集を始めたのが三週間ほど前。
収集を受けた冒険者や騎士たち、二流冒険者旅団【夜明けの鐘】が準備を整えて北方砦へとたどり着いたのが一週間ほど前のことである。
砦に集った者たちは増員された兵士や派遣された騎士団、特務依頼を受けた冒険者、一部には教会から派遣された治療術の使い手である神官の姿も見られる。
そして今日まで、侵攻は三度あった。
しかしそのどれもを北方砦の戦力は討ち果たし、怪物の群れをことごとく殲滅してきた。
「誰か! 生きている者はいないか!」
怪物の死骸と人の死体が転がる戦場。そこで銀髪の戦士はもう何度目かは分からないが、声を張り上げる。
「誰か聞こえていたら返事をしてくれ!」
だが、張り上げる声に応える者はない。しばらく耳を澄まし、銀髪の戦士は肩を落とした。
そして、眼についた人の死体に近づき、その体を泥のなかから引っ張り上げる。
騎士だったのだろうか、鉄製の鎧を纏い、近くには軍馬の死骸に盾と馬上槍が転がっていた。
砦に詰める騎士はほとんどが重装騎士であり、騎兵は珍しい。防衛戦には騎士の出番は少ないからだ。
軍馬は人相手には強力だが、人よりも大きな怪物を恐れるし、狼などの小回りが利き足の早い怪物には追い付かれる。数度の防衛戦によりもともと少ない数をさらに減らしており、いまや貴重な軍馬は引っ込められている。ここで伏したのは戦の先陣を切った猛者だろうか。
銀髪の戦士は泥に埋もれつつあった槍や盾を拾い上げ、騎士の死体の前に突き刺していく。
戦場で死亡した者は途中での回収が困難であるため、その姿が埋もれないように掘り出し、所属を表す装備品を目立つように置いておくことが通常である。
騎士の死体の周りにも兵士か従卒である者が多数倒れており、銀髪の戦士はその槍や旗を地面から拾い上げては死体の前に刺していく。
それはさながら、戦いに散った者たちの墓標のようであった。
「アーロ。どう?」
黙々と作業を続ける銀髪の戦士に、同じく銀髪の女戦士が声をかける。その顔と身に纏う鎧は泥にまみれ、怪物の血液らしき液体がこびりついていた。
アーロと呼ばれた男は静かに首を振り、手に持った槍を地面に突き立てる。
「そう……。砦に戻りましょ。たぶん、これで終わりじゃないわ」
「あぁ。大物がいない。まだ、来るだろうな」
踵を返した銀髪の女戦士、セレーナに続き、アーロも砦へと足を向ける。
周囲に散っていた【夜明けの鐘】の団員たちに声をかけつつ砦へと戻る足取りは、重い。
春を前にしているにも関わらず、北方砦周辺はまだまだ肌寒く、空には暗雲が立ち込めていた。
【夜明けの鐘】が北方砦へとたどり着いてから一週間。三度の侵攻を跳ね返すも、大氾濫はいまだ収束する様子を見せていない。
──戦力の増員はまだか。
──そろそろ抑えきれないぜ。
──国は勇者を投入するらしいぞ。
──籠れば勝ちってことか。ありがてぇ。
昼過ぎまで続いた戦闘が終わり、夕刻。北方砦へと撤収した戦士たちは夕食を取っていた。
砦のそこかしこで増援や戦局についての会話が交わされるなか、【夜明けの鐘】の団員も車座になって小さな焚き火を囲んでいた。
支給された堅パンと干し肉のほか、持ち込んだ野菜などを加えた食材で簡単なスープを作り、皆で分けているのだ。
アーロは煮立つ鍋をかき混ぜながら味を見ては整えていく。水分と栄養、そして体を暖める熱を取り入れることの出来るスープは野戦食の王樣である。
「よし。こんなもんだな」
十分に煮込み熱を通し、出汁や塩で整えて味を整える。アーロが一応は納得すれば、団員たちは歓声を上げて自らの深皿によそっていく。
そしてはふはふと熱さに苦戦しつつも胃に落とし込み、腹からじんわりと伝わる暖かさに小さな幸福と安堵を覚えていた。
「うん。美味しい。さすがね」
「毎度、副団長は飯作りが上手いですなぁ」
セレーナが褒め称えれば、団員の一人、流れの騎士グロウズが同意する。
グロウズ・グリズリー。
自称騎士であり冒険者でもある彼は、仕えるべき主を探して旅をしていた流れ者だ。
何度も雇われの傭兵という形で戦場を駆けた彼が褒め称えるほど、野戦食で美味い飯を作る者は重宝されるのだ。今も彼は大きな体に小さな皿を持ち、少しずつスープを食み、旨そうに眼を細める。
樽のように分厚い身体に対して、眼はくりくりと小さく愛らしい。しかしひとたび戦いとなれば大盾を掲げて皆を守り、戦鎚で敵を叩き潰す頼もしい武人だ。
「アーロさん、いいお嫁さんになりますね」
「婿だろ、というか既に団長のお手つきだぜ」
冗談を言って笑い合うのは、変わり者の女魔術師であるリズ・ランと流浪の野伏ガズーである。
焔術師と呼ばれる炎の魔術を扱うリズは旅団の攻撃の花形で、文字通り火力による殲滅攻撃を得意とする魔術師だ。
団の中では最年少の彼女は、アーロとセレーナの活躍を聞き付けて、面白そうだから、と辺境までついてきた変わり者である。
そのからかいに乗る青年、ガズーは辺境出身の野伏だ。辺境での任務の際にセレーナが臨時で雇った案内役の男だったが、面子が気に入ったということで無理矢理入団を宣言してから行動を共にしている。
態度は軽いが実直な男で、斥候から長弓を使った狙撃や狩り、小剣二本を用いての近接戦闘まで幅広くこなす頼れる団員である。
戦士であるアーロとセレーナ、重騎士グロウズ、焔術師リズ、野伏ガズー。
それが【夜明けの鐘】の団員である。
皆が互いを信頼し、背中を預けるに足る結束を持った団はこの北方砦での警備についてから、怪物との戦闘を都合三度経験していた。
いずれも死傷者なく乗り越えているが、終わる気配のない侵攻に気分は重い。
今のように暖かく美味い飯を食えば気分も少しは晴れるが、自然と会話は大氾濫のことになる。
「いつまで守ればいいのかしら?」
「さてな。今は持ちこたえてるが死傷者も多いし、いつまでも防げないかもな」
「ここらで増援がどんと来てくれると雰囲気が良くなるんですがなぁ」
「でもでも、勇者樣が来るってみんな噂してますよ?」
「へっ。噂だろ。いつになるやら」
繰り返されるのは、砦のそこら中で似たように話されていることだ。
北方砦に詰めた兵士や騎士に教会関係者、依頼で雇われた冒険者たちは度重なる戦闘に疲労し、さらには少なくない死傷者が出ている。
その陰鬱な空気を吹き飛ばすような明るい話題がないか、と皆が望んでいるのだ。
「はぁー。なんか盛り上がらないわね。せっかく美味しいご飯を食べたのに!」
「麗しき団長、ここには仲間を亡くしたやつらもいる。それは酷ってもんだぜ」
「う、分かってるわよ。でも、なにかみんなの慰めになるようなことってないかしら?」
「楽しく歌いますかー?」
「いいわね!」
「いやぁそれはさすがに。それらしき理由がないと反感を買いますぞ」
「それらしき理由ねぇ……。アーロ?」
セレーナの無茶ぶりがアーロを襲う。
頭の軽そうなリズが提案した歌は、なぜかこの団長の心を捉えたようだ。
何か無いかとアーロは頭を捻り、ぽん、と膝を打った。
「讃美歌と、安息の鐘だ。いや、逆の方がいいか」
「うん。うん?」
「詞だよ。祝詞。みんなが知ってるし、死んだやつの慰めにもなるだろ」
「あぁ……! いいわね! リズ!」
「歌いますよー!」
「楽器はどうしますかな?」
「涙笛ならあるぜ」
「よしそれよ!」
セレーナは即断即決の女である。案を即採用し、団員は異もなくそれに従う。
急に歌い楽器を奏でることに多少の恥ずかしさはあるが、それで雰囲気が良くなり生き残れるならば安いものだと皆が分かっているのだ。
アーロはやれやれと苦笑し、まだ余っていたスープを皿によそい、辺りで瞑想している神官に声をかけていく。
「戦士たちの慰魂のため、祝詞を歌いたい。手伝ってくれ」
【夜明けの鐘】という教会に親しい団名と、目的を告げれば彼らは喜んで賛同してくれた。飯は手間賃替わりだ。
やがて準備が整い、北方砦の広場に即席の歌隊が結成された。人員は【夜明けの鐘】の団員五名に神官が三人である。
りぃん、と。
砦の広場に、神官の鳴らす小さな鐘の音が凛と響く。
──戦士たちよ。
──戦い疲れた戦士たちよ。戦い終えた兵たちよ。
響き渡るセレーナの高音階の第一声に続き、低音階をグロウズとアーロ、中音階を神官たちとリズが朗々と歌い上げ、ガズーが吹く涙笛のもの悲しげな音が乗る。
──宵に響くこの鐘の音を聴け。
──太陽も眠る休息の時間である。
──眼を閉じて安息に身を委ねよ。
陰鬱な空気が立ち込める砦の広場に、静かな音色と歌声が響く。
気力を失くして項垂れた騎士や兵士が周囲を見回し、冒険者たちは何事かと興味深そうに歌い手を見やる。
──これは安息の鐘。
──神からの称賛であり、労をねぎらう歌声である。
──この歌と音に乗せて、隣で戦う者たちへ感謝を詠おう。
【夜明けの鐘】と神官たちが歌う声に、ポロロン、と冒険者の誰かがかき鳴らした弦楽器の音色が乗る。
更に幾人かは意図を察したのか、小声で祝詞を追唱する。セレーナが歌い引っ張る祝詞はやや変則ではあるが、基本的には誰もが聞いたことのあるものだ。アーロの目論見どおりである。
──戦士たちよ。
──戦い疲れた戦士たちよ、働き疲れた民草よ。
傷を負いぐったりと倒れ伏していた兵士が上体を起こす。
友を、戦友を亡くし悲しみに暮れる冒険者が、涙に濡れた顔をあげる。
──宵に響くこの鐘の音を聴け。
──大地も眠る休息の時間である。
──眼を閉じて安息に身を委ねよ。
砦の壁によじ登り警戒につく物見が、響く歌声に耳を澄ます。
砦の室内にある詰め所からも歌う声に誘われて幾人かが顔を出した。
りぃん、と幾度も鐘は響く。
──これは安息の鐘。
──神からの賛辞であり、諸君らの功をねぎらう歌声である。
──この歌と音に乗せて、共に戦い、共に働く者たちへ感謝を詠おう。
いつしか。
いつしか、北方砦のほとんどの者が手を止め、響く歌声に耳を傾け、広場の歌隊を眺め、また祝詞を追唱し祈りを捧げていた。
──讃えよ。
──共に戦う戦友を。共に働く同僚を。
──讃えよ!
──友を守り死した戦士を!
──敵を屠り明日を切り開いた勇者を!
『讃えよ!』
騎士が、兵士が、冒険者が、神官が、砦に詰める下働きの者までもがつられて声を発する。
『讃えよ!』
セレーナの力強い歌声に皆が合わせ、唱和するのは讚美歌の一説だ。
戦士を讃え、兵を讃え、死した勇者の魂を讃える讚美である。
──勇者を讃えよ! 戦士を讃えよ!
『我らは神の尖兵。真実の眼を賜りし戦人!』
──かざす盾は恐れを弾き。
『振るう剣は脅威を払う』
──生きる戦士は友を守り。
『死する勇者は友を導く』
──その魂は我らの主のもとにあり。
『その心は常に我らとともにある』
──勇者の瞳は真実を見通し。
『戦士たちの恥じぬ戦いを見届ける』
──戦え、戦え。勇気を盾に。
『戦え! 戦え! 勇気を剣に!』
──戦士に、勇者にこそ! 偉大なる神の聖堂は開かれる!
『偉大なる神の聖堂は開かれる!』
北方砦の皆が歌を聴き、唱和する。
官も民もない。騎士も兵士も従卒も、冒険者も聖職者も、老いも若きも男女の境なく、皆が歌を聞き、歌い、祈りを捧げる。
なかでも友を亡くした戦士たちは泣いていた。泣きながら、胸を張っていた。
友を失った悲しみに泣き、また友と戦えたことに感謝し、己を守って死んだ友を勇者として讃えた。
──鐘の音よ。
──勇者の魂を導きたまえ。
──鐘の音よ。
──我らに勇気を与えたまえ。
──我らが明日の困難へと立ち向かう勇気を与えたまえ。
りぃん、と。
最後にまた、透き通るような鐘の音が響く。
砦の皆が歌隊を、【夜明けの鐘】の団員を、【銀星】のセレーナを見ていた。
朗々と歌い終えたセレーナは少しだけ照れたようにその銀色の髪をかきあげ、広場の皆に声をかける。
「みんな! まだ戦いは終わってないわ! 今日は休んで、明日も頑張りましょう!」
『応!』と広場の皆は声を揃えて答える。
北方砦の士気は十分。
しかしまだ、大氾濫と戦いは終わる気配を見せなかった。
<第一回北方砦歌ウマ王選手権>が開催されました。
士気が3上がります。
雑感
祝詞の途中からの讃美歌。そしてまた祝詞で締め。
戦うは戦士。死するは勇者です。




