過去話:結魂式
特務依頼を受けることに決めた【夜明けの鐘】の団員たちは、装備や設備を整えるために辺境からアガラニアの首都へと戻ってきていた。
任務は急を要すると言っても身の着のまま駆けつけては何の戦力にもならない。武器や防具の整備や食糧の準備、鋭気を養うための休息も必要であった。
そんなわけで、団長であるセレーナの号令の元、【夜明けの鐘】各員には準備と休暇が言い渡された。
アーロとセレーナも同様で、武器や防具の手入れをしたり、珍しい物はないかと市場を巡り、冒険者仲間たちと旧交を暖めて情報交換などをした。
そして、休暇最終日の夜のことである。
宵のとばりが落ちた街に、今日も安息の鐘が響き航る。
「セレーナ。せっかく街に来たんだから、ルナと会わないのか? しばらく会ってないだろ」
「そうだけど……。また連れ出すのもなぁ。司祭様が何て言うか」
「もうとっくの昔に許してるよ。あのじいさんも歳食って丸くなったんだよ」
「うぅーん。一流冒険者になったら堂々と帰るわ。なんか、そんな事言って飛び出して来たし」
「はぁ。まぁ、お前がそれで良いなら」
二人はいつものように相部屋を取り、他愛もない話に興じていた。部屋は清潔でベッドは二つあり、マットやシーツも高級品な上等な宿である。天井からは大きなランプが吊るされ、部屋を明るく照らしている。
話を続けるうち、セレーナはどこかそわそわとした様子でアーロへと語りかけた。
「……そういえば、アーロ。私たちの駆け出しの頃のこと、覚えてる?」
「ん。あぁ。こことは比べ物にならないくらい粗末な宿だったな」
「そうね。いろいろあって、やっとここまで来れたわ」
セレーナは感慨深そうに己の首に提げた冒険者の認識証を手に取る。だいぶんに使い込まれたそれは、己の人生の功績と言えた。
「特務依頼を終えたら一流冒険者、か。野望が叶うじゃないか」
「なに言ってるのよ。一流冒険者になるのが目的じゃないわ。一流が足を踏み入れるような秘境を冒険して、誰も見たことがない景色を見るのは野望の一歩目よ」
「……ずっと疑問に思ってたんだが、セレーナはどうしてそんなに未知の土地にこだわるんだ?」
ふと思い立ち、アーロは長年何となく気になっていたことを尋ねる。長い付き合いであるセレーナの口からはことある度に「誰も見たことがない場所に行きたい」という言葉が出る。
いざそれが手に届きそうになる際に、理由をなんとなく聞いておきたかったのだ。
「……私の存在証明のためよ。言ってなかったかしら?」
「聞いたことないな。ちゃんと理由があったのか」
「失礼ね!」
てっきり英雄譚の真似や、冒険者の姿の見本としての目標かと考えていたので、ちゃんとした理由があることにアーロは驚いた。
セレーナはそんな相方の様子に、呆れたようにため息をついて話し出す。
「はぁ。いいこと? 一流冒険者ってのは秘境の探索をするだけじゃないわ。人里から遠く離れた場所で、人の住める環境を見定めて報告するのも役目なのよ」
「知らなかったな……。未開の地で人の住めそうな場所を探すのか」
「そうよ。もっと勉強なさい」
私も知ったのは数年前だけどね、と笑うセレーナ。
それを見て、どうやら最初は予想通り英雄譚の真似や冒険者の印象から言っていただけだな、とアーロは推論づけた。
「今ある辺境の集落だって、昔の人たちが必死で開拓した土地なのよ。冒険者によって、人の生存圏はどんどんと拡げられていくのよ」
「なるほど確かにそうか。それで、セレーナの目標は人の社会への貢献か? ご立派だ。【夜明けの鐘】の出立の訓示にしようか?」
「そんなんじゃないわよ。理由はもっと個人的なもの」
セレーナは胸を張って宣言する。
口からは紡がれるのは、己の野望、人生の命題である。
「私は、セレーナ村を創るわ!」
村とは、人の住む場所、村のことである。
「辺境のさらに奥、人の手の入っていない未開の土地の支配権は誰も持ってない。その土地は開拓した人たちの物になるの。だから私は住める場所を探して、村を創って、その土地を手に入れるの!」
「……土地を手に入れる、か」
「そう。村は地図に載り、人の記憶に残るわ。人はいつか死んじゃうけど、土地や村はいつまでも残る。生まれの分からない私が成したことが世に残るの。それが私の存在証明。この世界に生きた証よ」
朗々と、歌うように告げるセレーナ。
部屋を照らすランプの明かりが、野望を語り上気した頬の赤さを浮かび上がらせる。
「村の名前はずばり、セレーナ村よ! 村長は私、副村長はアーロ! 近くに山や川があったら【夜明けの鐘】の団員の名前を着けるの。もっと規模が大きくなったら、隣にアーロ村の建設を許してあげないこともないわ。特別よ」
「あはは。いいな。夢がある」
「でしょう! ……それで、ねぇ」
セレーナは今までの興奮した様子から一転、もじもじとはにかみながら、懐から小箱を取り出す。
その箱の蓋がぱかりと開かれれば、中には白銀に煌めく指輪が二つ。
「アーロ。私とずっと一緒にいて。ずぅっと一緒に冒険しましょ。あなたには私の夢を傍で見ていて欲しいの」
そして、小箱をそっとアーロへ手渡す。紡がれた言葉と壊れ物を扱うような所作に驚き顔を見れば、セレーナは顔を真っ赤に染めていた。
どう考えてもランプのちらつく炎によるものではない。
「アーロ。あなたの事が好き。私と、結婚して欲しいの」
差し出すセレーナの腕は、少しだけ震えていた。恥ずかしさか、返事を聞くことの不安か、あるいはその両方だろう。
少しだけ驚いたが、アーロは迷わず小箱を受けとり、そのままセレーナを抱き締めた。強く。
「ありがとう。セレーナ。結婚しよう」
はぅ。と抱き締められたセレーナの口から、安堵とも恍惚とも取れるため息が漏れた。
彼女の顔からは不安が消え、ひまわりのような笑顔が浮かんだ。
「嬉しい。……アーロ。大好き」
「俺もだよ」
「知ってるわ」
そうして、二人は唇を重ねた。
ランプに照らされる影が重なり、やがてどちらともなく上半身を離し、笑う。
「なんか照れるな」
「うん! よっしゃ! やった!」
「……普通、逆だろ」
「ふふっ。アーロがのんびりしてるから、待てなかったわ。これが私たちの普通よ!」
可笑しそうに笑うセレーナの言葉に、そうかもしれないな、とアーロは思い直す。
孤児院を飛び出すのも、冒険者になるのも、それからの大冒険も、どれもセレーナが発端だった。自分はそれに引っ張られ、時に反対し、時に助けてきたのだ。
しばらくして、抱き締めていた体を離し、アーロは小箱に入った指輪を監察する。
「綺麗だな。これ、婚約指輪ってやつか?」
「違うわ。結婚指輪よ。二つあるじゃない」
「まじか。展開が早くないか?」
「お互いに子供の頃から知ってるのに何言ってるのよ?」
二人は冒険者として八年。孤児院にいた頃から数えると十数年の付き合いである。
お互いのことは深く知っているし、長い間一緒にいても離れようとする気が全く起きない程に、かちりと噛み合うことは分かっていた。
「ねぇ、はめて」
セレーナは小箱と指輪を押し付けると己の左手を差し出し、悪戯っぽく言った。
煌めく白銀の指輪。アーロはその小さい方を取りだし、差し出されたほっそりとした指へ恐る恐る納める。
「どうだ?」
「素敵ね……。自分で選んだんだけどっ。うふふ」
セレーナは自らの左手薬指にはめられた指輪をいろいろな角度から眺め、にぃーっとだらしなく相貌を崩した。
「アーロにもつけてあげるわ!」
そしてセレーナは箱から大きい方の白銀の指輪を取り出すと、同じように差し出されたアーロの指に一切の躊躇なくはめた。ここらは思いきりのいい彼女らしい所作といえる。
己の左手に大切な物が納められた感覚に、アーロは不思議な嬉しさを覚えた。
王冠は王の頭に、絵画は精巧な額に、男女の左手薬指には結びを表す指輪が納められるべきなのだ。
そして、二人はにやにやと笑いが堪えきれない様子で互いの手を見せ合う。
「素敵だよ。奥さん」
「似合ってるわよ。旦那さま」
「これ、サイズはどうしたんだ?」
「勘よ、勘。いつも手を握ってるから感覚で決めたわ」
「すげぇな」
「アーロもきっとできるわよ」
「そうかな。あ、でも指に着けてると戦えないな」
「ふふん。冒険者の夫婦はこうするのよ」
セレーナは指輪を外すと、首から提げた冒険者認識証の鎖に通してみせる。指輪は鎖と金属板である認識証とふれ合い、ちゃりちゃりと小気味よい音を立てた。
「無くしちゃだめなものはまとめるのよ。しかも指輪は白銀鋼製! 鎖や認識証くらいじゃ傷もつかないわ」
すごいでしょ? と自慢げに指輪と認識証を掲げるセレーナ。
白銀鋼とは、教会が秘匿する技術で作られた、銀と鋼鉄を特殊な配分で混ぜこんだ超硬合金である。硬度が高く頑丈で腐食に強い貴重な素材で、通常は教会の鐘や教会関係者の装身具に使われるが、一部は市井の者や信徒向けに指輪や首飾りとして提供されているのだ。
込められた言葉は輝く想い。婚約指輪や結婚指輪にぴったりの金属である。
「ふふっ。これからもよろしくね。旦那さま!」
【銀星】の異名を持つセレーナと、その首もとに煌めく白銀の指輪。そして浮かべるのはひまわりのような笑顔だ。
この瞬間を切り取り永遠に保存しておけたら、とアーロは夢想し、いやと思い直す。
まだ、始まりなのだ。冒険者として一流に上がる階段に足をかけた。いつも一緒にいた相手との想いは結ばれた。その先にある夢も聞かされた。これからもそれを守り助け、見届けるのだ。
「アーロ。あなたはセレーナを愛し、いついかなる時、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
セレーナは眼をしっかりと見つめながら、笑い、少しだけ照れながら問うた。
想い合う男女が聖堂で生涯の伴侶としての誓いを行う際の言葉だ。神を前にして交わされる誓約、夫婦の誓いは教会育ちの二人にとっては馴染み深い言葉であった。
「セレーナ。俺はあなたを妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみその身を守ることを、ここに誓います」
まさか、自分が言うことになるとは思ってもみなかったアーロだが、自然と言葉は口をついて出た。
そして二人はまた、優しく唇を重ねる。誓いの口づけだ。
「ん……。ずっと、アーロとこうなりたかった」
「いつも一緒だろ。貧しいときから、な」
「ふふ。ほんとね。……嬉しい」
唇を離したセレーナは、思わず嬉し涙を流す。
二人は抱き合いながら明日への希望を口にする。
「よろしくな。セレーナ。これからも、ずっと」
「もちろん! ずっと一緒だからね」
そうしてセレーナは悪戯っぽく笑い、鎖に繋がれた白銀の指輪を掲げて見せた。
「これであなたはもう、逃げられないでしょ?」
セレーナと想いを伝え合い、結婚しました。
アーロの称号が【銀星の婿】に変化します。
雑感
婿です。むこ。
二人は幸せな結婚をして終了。
これにて完結でもいいんじゃないでしょうか。
でも、もうちょっとだけ続くんじゃよ。




