ルナ (挿絵あり)
朝焼けの空が広がる街に、荘厳な鐘の音が鳴り響く。毎朝決まった時刻に市街の全ての教会で鳴らされる、夜明けの鐘だ。
ルナは鳴り響く鐘の音を聞き、夢の世界から目を覚まして大きく伸びをした。
「ふぁーぁ。っと」
そうしてしばらく、寝起きの気だるさと鐘の音の余韻に身を預ける。
ルナは、夜明けの鐘の音が好きだった。荘厳な鐘の音は不思議な安心感を与えてくれ、さらに新しい日を迎えることができたことへの感謝が沸いてくる。
「──闇を払い命の輝きをもたらす鐘の音よ。今日も偉大なる主の威光を音に乗せて届けていただいたことに感謝いたします」
夜明けの鐘の祝詞の一部を口ずさみ、簡単な祈りを行うことがルナの日課だった。
祈祷というほどのものではないが、今日も良いことがありますように、というささやかな願いだ。
その後は手早く身だしなみを整えれば、隣の部屋でまだ寝こけている父、アーロへと声をかける。
「お父さん、教会に行ってくるね。お父さんの分も朝ご飯用意するから、起きたら来るんだよ」
父のことは好きだし尊敬もしているが、異世界への出張から帰ってきてからの一件でその好感度は駄々下がりしている。それでも口をきかなかったり眼も合わせなかったり、ご飯を用意しなかったり、といったことはない。ルナは優しい子なのである。
ん、おぉ。という寝言のような父の返事を待たず、ルナは家を出て教会へと向かう。
父娘が二人で住んでいる家は、教会の管轄する敷地内に建っている空き家を司祭トマスの好意で格安で借りているものだ。徒歩で十秒進めばすぐに目的地である。
教会の門は既に開け放たれており、聖堂のなかでは鐘を鳴らし終えた司祭トマスがシスターと共に祈りを捧げていた。
静かに挨拶をして、その祈りに混ざるルナ。捧げるのはいつも感謝の祈りと、皆の安全の祈願だ。
「おはようございます。ルナ君」
「おはようございます。司祭様。今日もよろしくお願いします」
祈りが終われば、ルナの仕事が始まる。
教会に下働きとして雇われているルナは、炊事や掃除といった家事と、孤児院の子供たちの世話を主に担当する。
まずは孤児院の子供たちを起こさなければいけない。
アマデウス救済院の宿舎で寝泊まりする子供は総勢十五名。年齢はバラバラで下は三歳前後から上は十四歳前後まで、幸いなことに手のかかる乳飲み子はいない。
まずは男女別の寝室へと向かい子供たちを起こす。そして着替えを済ませ、続いて朝食の用意が必要だ。
シスターたちと分担するが、なにしろ子供は手がかかり、しかも人数もいる。自然、毎朝目が回るほどの忙しさとなる。
だが、最近は心強い助っ人ができたのだ。
「妖精さん! 起きて起きてー。お手伝いの時間よ」
ルナは宿舎の一階、食堂の隅に作られた小鳥用の小屋を揺らし、中で寝ている妖精たちを叩き起こす。
「ふぉっ! 世界が揺れてるわ!」
「うぅー。まだ眠いの……」
「あぁ。おはよう、ルナ」
それぞれ寝起きの様子で小屋から顔を出すのは、父アーロが異世界から拾ってきた(とルナは思っている)妖精たちだ。
帰ってきてからも何かと外出が多い父アーロについて行くことは危ないからと止められ、リリ、ララ、ルルの妖精三匹組は孤児院で面倒を見ることになった。
その宿と飯の提供をする代わりに、ルナの仕事の手伝いを依頼されているのだ。
「おはよう。さっそくだけど、今日もお手伝いをよろしくね。報酬は角砂糖でいいかしら」
妖精たちは手伝うといってもリリは移り気、ララは体力がなく勝手に休みがちと、能率はよくはない。
そのため、ルナは取引をすることにした。報酬として甘味である砂糖や蜂蜜などをちらつかせられれば、妖精たちもサボるわけにはいかないのだ。
「ふふん、しょうがないわね!」
「甘味のためにがんばるの!」
「朝ご飯もよろしく頼むぞ」
手伝いを承諾した妖精たちは元気よく飛び立ち、宿舎の二階へと上がっていく。
ルナは満足そうに頷くと、朝食の準備に取りかかった。
二階から響くリリとララの歌い声、ルルの子供たちをたしなめる声を聞きながら、ルナはてきぱきと朝食の支度を整えていく。
妖精たちの手伝いは完璧とは言えないが、もともと自立が求められる孤児院の子供たちは年長者が年少者の面倒をみる習慣があるため、なんだかんだ手助けになっているようで今までも大きな問題も起きていない。
また、父アーロが異世界から持ち帰り教会へと寄付した黒い爪のような火打ち石により、煮炊きのために火を起こす時間は大幅に短縮された。
助っ人と便利な道具。ルナとしてはどちらも大助かりである。
役に立つお手伝いさんを拾ってきて、お父さんはすごいなぁと改めて感心しつつ、ルナはスープやサラダ、目玉焼きやベーコン、黒パンなどを用意した。
しばらくすれば朝食の匂いに釣られてか、子供たちが妖精たちと共にぞくぞくと食堂へ集まってくる。
さらに家から起き出してきたアーロも合流し、食堂で子供たちの様子を見つつ構い出す。
「アーロ兄ちゃん! 絵本読んで!」
「読んで読んで!」
「お兄さん!読んでー!」
「おぉ、いいぞ。それとリリは子供に混じるな。そうだな、勇者ギルの冒険譚……第八巻でいいか」
子供たちと妖精に読み聞かせを迫られたアーロが本棚から取り出すのは、アガラニアで有名な勇者ギルの冒険をまとめた絵本だ。
幾度も幾度も読まれて擦りきれたそれは、アーロが子供の頃から孤児院で読まれていたという。ルナだってお気に入りの話はそらで言えるほど読んでもらった。
アガラニアの子供たちはみな、勇者ギルの話が大好きだ。
話自体がわくわくする冒険譚であることに加え、道徳や人としてのあり方といった人間性の向上に繋がっているため、親たちはこぞって勇者ギルの絵本を読み聞かせるのだ。そのためアガラニアの男子はみな騎士や冒険者に憧れ、女子の初恋の相手はほとんどが勇者ギルであると言われるほどだった。
食堂でわいわいと賑やかに過ごすうちに朝食の準備は整う。司祭トマスやシスターを呼び、皆が揃って朝食の席に着いた。
「みなさん、おはようございます。今日というかけがえのない日をみなさんと迎えられたことを幸運に思います。我らをいつも見守ってくださる偉大なる主へ祈りを捧げ、日々の糧を与えてくださる方々に感謝を表しましょう」
司祭トマスから恒例の朝の挨拶がされ、続いて簡単な祝詞をみなで唱和する。
やんちゃ盛りの子供たちもこのときばかりは真面目な顔で祈りを捧げる。アマデウス救済院で生活する者たちにとって、信仰はその生活の根幹を成すものであった。
一緒に食卓へ着く妖精たちにも信仰という文化はあるのか、異世界の神へと祈りを捧げるようだ。
私は元気ですとか、毎日ご飯が美味しいですといった近況報告のようなものだが、そこは異世界の信仰、不思議生物の妖精である。そういうものかと誰もが納得していた。
やがて司祭トマスの合図のもと朝食が開始されれば、食堂は一気に賑やかになる。
「おいしー! ルナ! なかなかやるわね!」
「蜂蜜パン甘いのー! 砂糖も美味しいのー!」
「あっ! リリ! それは私の、ベーコン……」
小さな口にめいっぱい頬張り辺りを散らかして食べるリリは子供たちの食事作法の反面教師となるし、好きなものだけを食べるララを見れば好き嫌いはいけないなと子供たちは自然と学ぶ。
いらないなら貰うわよっと言うリリに、後に取っておいたベーコンを奪われたルルへアーロがそっと自らの肉を分け与える姿は、人の優しさを子供たちに見せつけるいい機会となるのだ。
「うん、今日も飯が旨い。ルナは料理が上手だな」
「ほんとっ? えへへ」
ルナは褒められて照れたようにはにかむ。アーロは毎日、どんな食事でも旨い旨いと言って食べるが、何度褒められても嬉しいものだ。
賑やかな朝食が終われば、司祭トマスとシスターは教会の業務へと戻る。
アーロも次の仕事の打ち合わせがあると、どこかへと出かけていった。
ルナはこれから夕方まで、子供たちの面倒をみるのが仕事だ。
食事の後片付けや歯磨きを終えると、子供たちはどこかそわそわとしだす。食堂の壁にかけられた掲示板のような板にちらちらと視線を送り、ルナの一挙一動へ注目するのだ。
待ちきれない! はやく! と眼で訴える子供たちの様子にルナは苦笑しながら、手にした紙へと羽ペンを走らせた。そして多くの枚数に文字を書き、それを壁掛けの掲示板へと鋲で張り付けていく。
その紙を、子供たちは食い入るように見つめていた。
「はい、どうぞ」
ルナがそう宣言すれば、子供たちはわっと集まり、めいめい掲示板の紙を眺めて話し出す。
まだ難しい字が読めない小さな子は、年長者が変わって読んでやる。助け合いの精神はこうした日常から育まれるのだ。
「教会の窓拭き掃除で銅貨一枚だって! みんなで分担しようか?」
「あ、庭の草むしり銭貨二十枚だ」
「ねーこれ何て読むの?」
「見せて……お裁縫の練習よ。ちょっと難しいかな?」
掲示板に張られた紙には、掃除、洗濯の手伝い、教会の仕事の手伝いや、歌や裁縫のお稽古などの内容と、銅貨や銭貨といった報酬がそれぞれ書かれていた。
掲示板の内容は見るものが見れば、冒険者組合にある依頼掲示板の形式とほぼ変わらないことが分かるだろう。
これは元冒険者であるアーロが提案した、子供たちが自発的に勉強やお手伝いを行うためのシステムである。
それぞれ設定された課題をこなした者には、お小遣いやお菓子などの報酬が与えられるのだ。
孤児院の子供たちは、普段から生活する場である院の掃除、シスターやルナの手伝いを行いなさいと言われている。
しかし、子供はやはり遊びたいもの。言いつけても中途半端で投げ出したりサボったりすることが多々あり、さらに真面目に手伝いをしている者に不満が溜まるという問題があった。
そこでアーロが考案したのが、この掲示板へと課題を張りだし、子供たち自らに選ばせる方法だ。
子供たち、特に遊び盛りでサボりがちな男の子への効果は絶大であった。
憧れの冒険者と同じとなればごっこ遊びのようにやる気が出るし、今までは義務だったお手伝いは報酬が貰えるようになった。お菓子が増えれば嬉しいし、お小遣いがあれば月に一度教会の敷地内で開かれる自由市場にて好きに買い物ができる。
自発的に勉強やお手伝いを行わせ、お金の価値や労働の尊さを学ばせ、さらに字を読み数を数える練習にもなる、と良いことづくめだった。
アマデウス救済院では試験的に導入していたが、非常に有意義な取り組みとして今後トマスを通じ他の教会と孤児院へ広められる予定である。
毎朝に課題を書き出して貼り、夕方には子供たち一人ひとりから成果を確認するという作業はあるが、ルナは苦とも思わなかった。日々の会話の種にもなるし、子供たちがちいさな成功体験を積み重ねて自信や技術を身につけていく成長を感じられるからだ。
掲示板を見てあれこれと相談しながらはしゃぐ子供たちの楽しそうな様子を見て、ルナは顔を綻ばせた。
やがて幾人かは考えがまとまったのか、依頼書を外しルナのもとへと持ってくる。子供たちが冒険者ならば、ルナは冒険者組合側の役回りである。
「今日はなにをやるかは決まったの?」
「うん! 僕は花壇と畑の水やり!」
「お歌のお稽古……です」
「お風呂の掃除だよ!」
「はーい、記録するから少し待ってね」
あとで照らし合わせて成果を確認するため、ルナは手元の手帳に子供たちそれぞれが選んだ課題を書き付けていく。課題ができなくても罰則などはないが、何ができなかったのか、なぜできなかったか、を一緒に考えて改善を行うためだ。
院内の掃除、菜園の水やり、草むしり、飼っている鶏の世話、聖歌や楽器の練習、祝詞の暗記、裁縫の練習、昼食の手伝い、字の書き取り、計算問題を解く、年少者の世話……。
毎朝ルナは思い付く限りの課題を作っている。
子供も得意不得意がさまざまで、活発な者、おとなしい者、みんなで分担してやる者、一人で黙々とやる者など、個性に合わせた課題を提案するのだ。
やがてルナが名前と課題を書き付ければ、子供たちは依頼書を手に元気よく駆けていく。
「なにか困ってるかなー?」
「あ。ルナお姉ちゃん、あのね……」
掲示板を見つつ迷っている者や、自信がなさそうな者には助言を行い、時に依頼書の内容を書き換えながらルナは子供たちへ課題を与えていく。
「行ってくるねー!」
「はーい、行ってらっしゃい」
やがて、子供たちすべてがその日の課題を手にして食堂を出ていった。
ふぅと息を吐き、ルナは肩をほぐす。
ほとんど歳が変わらないとはいえ、子供たちから見れば年上の姉だ。余裕のある振りをしなければ不安を与えてしまうし、情けないところは見せられない。
しかし、やはり子供の相手は難しく、気を使った。それでも、この課題の与え方をやらない方がいいとは全く思わない。
子供たちが自主的に何かに挑戦する姿は見ていて嬉しいし、歌や裁縫の稽古、文字や数字の勉強は後々の人生で活きるだろう。
なにより、冒険者組合の受付嬢の真似事はなんだかんだ楽しかった。
改めて、お父さんはすごいなぁと思うルナであった。
「ねぇねぇルナ! 私、この昼寝三時間ってのやっていいかな?」
「はーい虚偽や偽証は罪ですよー」
「あぁぁ! 頑張って真似したのに!」
リリが堂々と持ってきた偽造依頼書をルナは破り捨て、子供たちの様子を見るために自らも食堂を出ていった。
アマデウス救済院は今日も平和である。
<お父さんの影響>イベントが発生しました。
ルナの好感度が1上がりました。




