修羅場
あらすじ
異世界へ出張して長耳族の女性といい感じになってしまったアーロ。後で知ったことだが、なんと子供までいるという。
しかし、彼には愛すべき娘がいるのだ……。
どうするアーロ!
アガラニアの首都、その市街の街角にある喫茶店にて、二人の男と一人の少女が午後のティータイムと洒落込んでいた。
男の一人は三十代中盤を過ぎた頃だろうか。肉ダルマという表現がよく似合うがっしりとした体格に濃い目の顔つき。つるりとそり上げたスキンヘッドが午後の陽光を今日も気持ちよく反射している。
もう片方の男はまだ若く二十代中盤といったところで、同じく大柄だが肉付きはよく締まっているという表現が合う。短くそろえた銀髪と鍛え上げられた長躯は威圧感があるが、蒼色のたれ目と楽しそうに緩められた口元がそれを相殺し、温和そうな印象を受ける青年だ。
さらに、その男二人と楽し気に談笑をするのは、年のころ十代中盤の少女だ。少しはねた癖っ気のある栗色の長髪と、くりくりとしたアーモンド形の緋色の瞳が活発そうな印象を与えている。
筋骨隆々の大男はボルザ。
銀髪長躯の青年はアーロ。
そして活発そうな少女はアーロの愛娘のルナだ。
三人は、アーロの帰還祝い兼初仕事の達成祝いの席としてささやかなパーティーを催しているのである。
今朝がたにアーロは上司であるボルザから呼び出しをくらい、国の特務武官としての給料と、異世界調査に赴いた際に友好を結ぶ言質を取った功績としてのボーナス、さらに持ち帰った《王樹の実》の買い取り額などが加算され、ぱんぱんに脹れあがった茶封筒を渡されたのだ。
お嬢ちゃんに旨いもの食わせてやれよ、それから飯でも行こうや、などとボルザが言うので、それならば娘も連れてどこか美味しい店へ行こう、という運びになった。
宴会の場所はしばらく前、アーロが異世界調査に行く話を持ちかけられた喫茶店だ。ここはボルザお気に入りの甘味の名店であるらしく、前回のような一般のテラス席ではなく奥まった位置にあり真っ白なテーブルクロスがかけられた上等な席に陣取った。
祝いのためのコースもあるのか、みずみずしいフルーツジュースとよい香りのする紅茶、あてのドライフルーツに小さなタルト、そして砂糖やクリームをふんだんに使用したケーキ、と甘味が目白押しである。
「おぉー」
「わぁっ。すごいね」
「へっへ。ここの店のケーキはまじで旨いからな」
そうして、顔を付き合わせるテーブルへ大きなホールケーキが置かれると、三人ともが思わず声を漏らす。
砂糖は貴重品のため、クリームに彩られた大きなホールケーキは市井の者にとって最高の贅沢である。
「それじゃ、アーロの帰還祝いと初仕事の達成祝いだ!」
「お疲れさま、お父さん!」
「ありがとう。二人とも」
「へへっ。いいってことよ」
「お父さん、異世界のお話また聴かせてよ」
そうして和やかに祝いの食事は始まる。
「おぉ。そういや俺様もまだ詳しく聴いてねぇんだ。聴かせろよ。その──」
その、とボルザが指すのはアーロの首もとに巻かれた真っ赤なスカーフである。
彼は森林世界で出会った想い人、エリーからの贈り物であるスカーフを今日も身に付けていたのだ。
「──そのスカーフをくれたのは森林世界の嫁ちゃんだろ? 馴れ初めとか、な」
「お、おいボルザ」
「あん?」
そう。今日は和やかに祝いの食事が始まる、はずであった。
「お父さん。嫁って、どういうこと?」
アーロが仕事を受けたことを我がことのように喜び、準備の際には冒険者時代の装備品を寝る間を惜しんで繕い、さらには貯金をはたいて闘装まで買い戻して手渡した娘が。
父が異世界へ出張してからは毎日欠かさず無事を祈り、帰還の際には無事を泣いて喜んだ愛娘が。
つい先程までにお出掛けに喜び、甘味にはしゃいでいたルナが、冷めきった眼差しで自らの父を見ていた。
「説明して、くれるよね?」
平坦な声音。だが怒りか呆れか、なんらかの激情を孕んだ様子に、穏やかだった店内は一気に緊迫した雰囲気へと様変わりする。
それに当てられたのか、厨房ではカシャンと皿を落とし割る音と、すみませぇんという店員の泣きが入った謝罪が響く。
たった一瞬で、喫茶店の一角は祝いの場から修羅場へと変わった。
愛する娘に嘘や誤魔化しなどできるはずもない。アーロは何一つ隠すことなく、洗いざらい吐いた。
ボルザの甘言に乗せられて異世界調査団の仕事に就いたこと。森林世界でエリーという長耳族の女性といい雰囲気になったこと。さらに後で知ったことだが、何やら子供が出来たようだ、ということ。
ルナは静かに。驚くほど静かに父の話を聞いていた。あまりに静かなその様子に、嵐の前の静けさだろうか、とアーロは内心ブルッていた。
やがて長い自白を終えると、ルナもまた長い溜息を吐いて、そして活発そうな眼を釣り上げて怒りを露わにした。
「……つまり、お父さんとしては最初は嫁探しとか何とかは関係なく仕事に行く気だったってこと?」
「そうです。はい」
「それでも仕事先で仲良くなって、いろんなことがあって、その長耳族の女の人といい感じになってたんだよね?」
「そうです。はい」
「……信じらんない。さいってー」
「なぁお嬢ちゃん。俺からも言わせてもらうが嫁探しってのは方便で──」
「ボルザさんは黙ってて。家庭の問題だから」
「はい」
ぴしゃりと言葉を遮られ、ボルザが机の上のケーキを黙々と食べる置物と化したあとも、アーロは愛娘からの厳しい尋問を受けていた。
「私に詳しく話さずに嫁探しってことに釣られて出張行ったのもそうだし! 帰ってきてからなんにも言わないってどういうつもり?」
「いや、その時はとりあえずは何もなかったと思ってたからな?」
「これから何かあるんでしょ! ていうか、こ、子供まで作って! どの口が言うの!」
「まぁそれは、きちんと確かめてから話そうとだな……」
「へぇ? 確かめてどうしようもなくなった後、実は女の人の尻を追っかけて出張に行ってました。現地妻だけじゃなくて子供まで作りましたって言うんだ?」
「おいルナ、そんな下品な言葉遣いはやめなさい」
「下品なことしてるのはお父さんでしょ!」
店の中ということで怒鳴る程ではないが、たいそうご立腹な様子のルナは強い口調で断定する。
そして気分を落ち着かせるためか、甘いケーキへとフォークをぶすりと突き刺し口に運ぶ。
アーロも手元に切り分けられたケーキを口に入れるが、甘いはずのケーキは何の味もしなかった。ように感じた。
ちらりと横目でボルザを見やれば、一瞬だけ気の毒そうな顔をするがすぐに肩をすくめる。
「まさか全く話してなかったとはな。全面的にお嬢ちゃんが正しい。不誠実はいかんぜ?」
「……そうだよな。ルナ、何も言わなくてすまなかった」
「悪いとか誠実さとか、そういうことじゃない! 私の気持ちって考えたことある?」
「……いや。すまない」
何も言うことはなく、アーロにできるのは謝罪だけだ。
どんな言葉を口にしても弁解や言い訳になるだろう。異世界への出張という仕事に乗ったのは自身の本心からであるし、出張先で長耳に心を射止められてしまったのもアーロの気持ちである。まさか子供まで出来るとは帰ってくるまで思ってもみなかったが、成長まで数年かかるとしてとりあえず時間はあるので何とかしよう、と問題を先延ばしにしているのはアーロの怠慢である。
それに、長耳のエリーとどうにかなったとしても、長耳族に結婚の文化はなく、まずはお互いの環境でやっていけるかを探るお付き合いの段階だ。その時になればなんとかなるだろう、と楽観的に考えていたこともある。
あまり先のことは考えない。その場の勢いと根性で大抵のことがなんとかなると考えているあたりが、元冒険者であるアーロの至らない点である。
「ふつう! なんか言うことあるでしょ! 家庭ほっぽり出して遠いとこ行ってて! 良心の呵責とかないの!?」
「すまん。余計に言いにくくてな。ほら、あるだろ? 言いにくいなと思っててずるずると悪い方向に行っちゃうこと」
「あー。分かる。仕事とかであるあるだな」
「さっさと言ってごめんなさいしようよ! 子供は大人から聞きだされて叱られるんだよ!」
「怒らないから言ってみて、ってやつだな。まさに今の状況じゃないか? アーロ」
「黙れボルザ」
「もう! 大人って勝手!」
「一つ大人になれたな、お嬢ちゃん」
「うるさいハゲ!」
しゅんと小さくなるボルザをよそに、父と娘はますますヒートアップして舌戦を繰り広げる。
静かな午後の喫茶店は親子喧嘩の会場と化した。
「みんなみんな自分勝手! 特にお父さんはいっつも! いっっつもそう! なんでも自分で決めて、勝手にやっちゃう!」
「ちゃんと折を見て話そうかと思ってはいた。しかも、子供がいるなんて予想外だ。何もしてないぜ?」
「おーおー。知らぬ存ぜぬってか。今の発言は超クズっぽいな」
「ボルザさんは──」
「黙ってろ!」
「はい」
「あー。とにかく! エリーとはどうにかなったらいいな、という気持ちはあったが、すぐにという訳じゃあない」
「──わかるけど! そういうことはお父さんの自由だけど! でもでも!」
「ルナ。お前のことを思ってないわけじゃないぞ」
「知ってる! 大事にしてくれてるのは分かってる! でもそれとこれとは別!」
父は愛娘のことをいつも蝶よ花よと気にかけている。それを本人も理解してはいる。だが今回の話は違う。
今回はアーロ自身の気持ちに関わること。だが家庭や色恋に繋がるという点ではルナにも関係がある。その際には何の相談もなく、何も鑑みなかったことを責めているのだ。
そんなことをびしりと言い切られ、アーロは思わず言葉に詰まってしまう。
愛娘はたいそうお怒りである。言っていることは正しいし申し開きもない。そして共犯というか幇助の疑いのあるボルザは茶々を入れることでちゃっかりと追求を逃れている。
旗色は最悪であった。
「仕事なのは分かるよ? 遠くに行くのも仕方ないかな、って最初は思ってた。でもお父さんが何日もいなくて、連絡もなくて、毎日お祈りしてて……。帰って来なかったらどうしよう。って思ったの」
「おいおい、ちゃんと帰ってきただろ?」
「そうだけどっ! でも鎧も装備もボロボロだったじゃん! 怪我したんでしょ?」
「まぁ、ちょっとだけな」
「ほらっ! お父さんは何にも言わずに危ないところに行って、勝手に女の人ひっかけて、何の相談もなくて! それで、それで! いつか私を置いて、どこか行っちゃうんだ……」
「ルナ……」
テーブルの上でぎゅっと拳を握り締めたルナの眼には、涙が浮かんでいた。
それを見てアーロはおおいに焦った。男は例外なく女の涙に弱い。それが愛する娘のものとなれば効果は抜群だ。お父さんはどう頑張っても娘には勝てないのが世の常である。
そしてまた、実直なアーロの辞書のなかに女を泣かせてしまった時の対処法はないのだ。
「ごめんな。ルナ。勝手なことをして悪かった。今度から何かあれば必ず相談する」
アーロは愛娘の手に手を重ね、その眼を真っ直ぐに見つめて宣言する。
アガラニアの民が誓いを立てるとき、嘘を言わないときの姿勢だ。
「……ほんと?」
「あぁ本当だ」
「お仕事は続けるの?」
「続けたい、と思ってる。楽しい仕事だ。稼ぎもいいしな」
「お父さんが危ない目に遭うのは嫌だけど、わかった。……その長耳族の女の人と、子供のことはどうするの?」
「そうだな。エリー達のことについてはまた考えよう。一緒に、な?」
「……うん」
「まーた先送りにしてるだけじゃね」
「黙れボルザ、家庭の問題だ」
話はなんとかまとまりかけた。修羅場を切り抜けることができたようだ。
野暮な突っ込みを入れるボルザへは、テーブルの下で強烈な蹴りをお見舞いする。痛ってぇ、と脛を押さえるボルザの様子に、アーロはざまぁみろと内心舌を出す。
ルナとしてもボルザは嫁探しを餌にして異世界出張を持ちかけた首謀者とも言える。怒るわけでも恨むわけでもないが、当然、当たりはきつかった。
「いいよ。もう怒ってない。これでおしまい。でもその女の人、一度は私に会わせて。話してみないと分からないから。聞いてる限り、変な人じゃないとは思うけど……」
「わ、わかった。機会があれば連れてこよう」
「機会があれば、じゃなくて、機会を作って」
「はい」
「あと子供も、できちゃったことは何言っても変わらないから。生まれてきたらちゃんと認知して」
「もちろんだ。だが、子供ができるとは限らないからな……」
「そうだぜお嬢ちゃん。あれは事故みたいなもんだ」
「ボルザさん。さいってー。そんなひどいこと言う人だと思わなかった」
「鬼畜だなぁボルザ」
「うぬ……」
「しかも事故でもなんでも、お父さん自身の責任でしょ。何かあってからじゃ遅いんだから、ちゃんと心構えをしておいて」
「はい」
「……お嬢ちゃんはしっかりしてるな。意外とこういうことは女性の方が肝が据わってるのかもな。あぁ、いや、アーロは愛されてるってことか」
「おい、茶化すなよ」
「ばっかやろう。真面目な話だよ」
からかうな、茶々を入れるなとボルザを睨み付けるが、以外にも彼は大真面目な顔だった。アーロはその様子を少しだけ訝しむが、今は捨て置く。この場で相手をすべきは筋肉ダルマではなく愛しい娘なのだ。
だが、ルナはうんうんと頷いて宣言する。
「そう。大真面目だよ。私、お父さんのこと大好きだから」
思わぬ言葉にアーロが愛娘を見ると、その視線はまっすぐに受け止められる。
お父さんを取られるものか。
愛娘の緋色の瞳は、そんな嫉妬の炎がめらりと燃えているような様子であった。
その後、一応は納得したと言いはしたが、それでもルナは何か思うところがあるのか顔色は晴れなかった。
結局、祝いの席である喫茶店で追加のケーキや甘未をこれでもかと注文し、さらに帰りには女性向けの商店街に立ち寄り、愛娘の機嫌を取るために望むものはなんでも買ってやるアーロであった。
<修羅のお茶会>イベントをこなしました。
ルナの好感度が3下がりました。
登場人物紹介
アーロ・アマデウス 25歳
異世界に現地妻を作った男。
銀髪長躯の蒼眼。
ルナ・アマデウス 15歳
栗色の長髪に緋色の瞳を持つ活発少女。
お父さんが大好き。
ボルザ・ボルザック 37歳
スキンヘッド。筋肉ダルマ。
思考回路がクズい。
雑感
異世界調査団の給与はいつもニコニコ現金払い。
懐かしの茶封筒で手渡しです。




