幕間:エリー
「丸耳族の世界への友好使節団に私が入っていないとは! どういうことだ! 長老!」
長耳族の集落、長老の居住である《王樹》の部屋の一室で、エリーは怒気も露わに声を上げた。
いつものようにマヤについて他の長耳族の集落への挨拶回りから戻ってきた際、同じ住居で住んでいた年頃の女性たちが、揃いも揃って丸耳族の世界への友好使節団として送り出された話を耳にしたのだ。
聞き出した話によると友好使節団は数日間アガラニアの国に滞在し、国主と会談を行ったり丸耳族の文化技術を調査したり、長耳族の存在を周知することを目的にしているらしい。
そこに、自分は含まれてはいなかった。それどころか話すらなかったのだ。
これにはさすがのエリーも使節団の派遣を決めた長老へと食って掛かった。
「落ち着くのだ。エリー。人にはそれぞれ役割があるのだ」
集落の長老にして長耳族の族長の一人、マガはいつもと変わらぬ様子でエリーの怒気を受け流し、諭すように声をかける。
落ち着いた物腰は大木のようでもあり、また追及を巧みにかわす姿は柳のようにしなやかである。
「私以外に適任などいないだろう! 我らの友、丸耳族の調査団と一番触れ合ったのは私やマヤだということを知っているはずだ!」
目上の者だろうが、エリーは力強く詰め寄っていた。自らが間違ったことは何一つ言っていないという自負と、愛しき丸耳であるアーロの世界に行くという大義名分を得ることが出来なかったことの口惜しさがあった。
いつかの時とは違い、今回は完全なる私情である。
「エリー、有望なる若き戦士よ。感情に流されてはいかん。心を落ち着かせよく考えるのだ」
「む……」
「お前はよくやってくれている。先の丸耳族の案内役の件もそうであるし、今まさにマヤの手伝いをしてくれていることも重々承知しておる。そのことに関する感謝は本当じゃ」
何やら厳格な長老の様子に、詰め寄っていたエリーはとりあえず居住まいを正して続きを聞く姿勢を取る。
「それゆえに、異世界へと渡ってもらうことは避けたのだ。マヤの護衛も必要であるし、心を許す友がついてやらねばあやつの心が弱る。それに集落の守衛の中でおぬしの腕は群を抜いておる。今はまだ、この集落を離れられては困るのだ。すまんが、頼まれてくれまいか」
「それは……。しかし……」
「エリーよ。世界同士の交流は一時のものではない。これから幾度となく機会はあるだろう。その時は必ずおぬしを推薦しよう。それまで待つのだ。よいな?」
エリーはすぐさまはいと答えることが出来なかったが、最終的には渋々了承した。
言っていることの筋は通っているし、親友であるマヤの手伝いを放り出して行くこともできない。今まさに族長交代の激務をこなしているマヤ自身が長耳族の集落から離れるなどもってのほかだ。
またすぐに第二、第三の友好使節団の派遣、さらには駐在外交官を置く構想もあると聞かされ、時期を見て彼女を推薦すると言われれば、おとなしく引き下がるほかなかった。
「はぁ。分かってはいるんだ。いるんだがな……」
エリーは独り言をこぼしながら、樹の枝を削ったような槍を手に、籠を背負い森の中を歩いていた。この日はマヤの手伝いもなく、守衛の仕事も非番である。そんな日にエリーはよく森歩きをしていた。
自らが口にするための果物や染料にする素材の採集もあるが、最近は別の目的があるのだ。
「……アーロ。どうしているかな」
周囲には誰もおらず、心の中の想いは言葉になって口からもれる。愛しの丸耳族の男とは将来の再会を約束し離れたばかりだが、その想いは募るばかりである。
マヤも同じく丸耳のウェインと何やら関係があったようで、ふとした拍子にぽつりと似たようなことをこぼす。そのため幾度か愚痴めいた事を話し合ったこともある。だが、マヤは次期族長となるべく動いていることで幾らか気は紛れるようだ。
対してエリーは手伝いこそしているが、マヤの護衛としてついて行くだけで実務的なことは何もしていない。顔つなぎなどは本人が行うため、後ろで立って眺めているだけのことも多いのだ。
当然、物思いにふける時間は長くなる。
寂しい。悲しい。胸が苦しい。
恋しい。会いたい。もやもやする。
声が聴きたい。笑顔を見たい。触れ合いたい。
朝といわず夜と言わず、様々な気持ちが心中に生まれてはちくちくと胸を刺す。
そうした気持ちがどうしようもなく溜まったとき、エリーはある場所に行くのだ。集落を離れてそれなりの時間をかけて森の間を歩けば、目的の場所が見えてくる。
たどり着いたのは、しばらく前に巨大な火噴き鳥、《鳥の王》と戦い、一面焼け森になってしまった場所。さらに長耳族によって植樹がされた場所である。
いくつもの苗木が植えられた箇所のうちから迷わず目的の樹を探し出すと、小さな先客の姿が眼にとまった。
「ん。妖精か?」
エリーが足を運んだ目的である、自らとアーロが植えた苗木の近くに飛んでいたのは、一匹の妖精であった。しかし何やら見慣れぬ恰好をしているため、エリーは怪訝に思う。
白と黒を基調としたフリルのついた仕事服、いわゆるお仕着せを着た金髪の妖精が、小さな如雨露を手に苗木へと水をやっていたのだ。どちらもエリーの知識には無いもので、何やら変わった服を着た変わった妖精が植物の世話をしているように思えた。
「ふむ……。妖精水をやっているのか」
声をかけつつエリーが近づけば、金髪の妖精は驚いたように彼女を見やり。ぺこりと一礼した。
「やぁ。妖精さん、はじめまして。喋ることは出来るかな?」
変わった容姿のため力のある妖精かと思い声をかけるが、特に答えるようなことはない。
金髪の妖精は苗木に如雨露の水が空になるまでたっぷりと水を振りかけた後、再度エリーに向かって一礼し、どこかへと飛び去って行ってしまった。
「──? まぁ。いいか」
森の妖精が植物の世話をすることは普通のことだ。特に弱った植物には妖精水と呼ばれる栄養たっぷりの水を与えることで成長を助けたり枯れないようにしてくれている。
もしかすれば、エリーの目的地である苗木が弱っていたので手助けをしてくれたのかもしれない。それならばありがたい、と彼女は結論付けた。
そうして、背負ってきた籠を下ろし、苗木の近くへと腰かける。
「元気か? 少し、大きくなったようだな」
苗木に向かい優し気に声をかけるエリー。もちろん返答があるわけでもないが、それでも彼女は水滴を浮かべてそよ風に揺れる枝葉を見て満足そうに微笑む。
その後、エリーは背負ってきた籠からふかふかの土を掬い、苗木の周りへとまんべんなく振り撒いていく。
この土は腐葉土、いわゆる堆肥である。
もともと農業や園芸という文化のない長耳族は、こうした植物の生育に必要な土や養分についての詳細な知識はなかった。生ゴミなどを《王樹》に乞われて土に埋めたり地面に撒いたりといった程度で、なんとなく栄養になるのだろう、という程度の認識であったのだ。
それを変えたのは、丸耳族の知識である。彼らは森のなかで落ち葉が積み重なった天然の腐葉土を探し当て、これには植物の生育に必要な養分がたっぷり詰まっていて、植物に与えれば大変に喜ばれると力説した。
長耳族たちは半信半疑でそれらを運び、《王樹》や他の樹に与えてみた結果、最高に土が美味しくなったと妖精を介して伝えられたのだ。
その日から、長耳族の仕事に腐葉土を探しては取り過ぎない程度に採集し、他の植物へと分け与える役割が加わった。
エリーも自らの森歩きの経験から黒くてふかふかした土を探し当て、それを分けてもらって運んできた。もちろん、自らとアーロが植えた《願いの樹》に栄養のある土を分け与えるためである。
籠いっぱいに積んで苦労して運んできた堆肥をせっせと苗木の根元へと撒いていくエリー。やがて土がこんもりと盛られれば満足し、余った堆肥はウェインとマヤが植えた《願いの樹》の根元へと分けてやった。
そうして流れ出た汗をぬぐい息を吐くと、再度自らが植えた《願いの樹》の近くへと腰かける。
「大きくなるんだぞ」
そんな声をかけながら、優し気な眼で苗木を観察する。
まだまだ植えたばかりで小さい樹だが、葉に虫食いはなく艶と張りもあって元気そうだ。妖精がやって来て妖精水を与えるほどの状態ではないように思えるが、なんとなく心配だった。
「元気に育てよ。また様子を見に来るからな。……まったく、アーロがいないから、私一人で世話をしなければいけないじゃないか。あぁ。アーロというのはどうしようもないやつでな。自分勝手で無茶ばかりするやつなんだ。今も私やお前を置いてどこか違う世界を飛び回っているに違いない。はぁ。早く落ち着いてほしいものだな。ああいう奴のことを根無し草と呼ぶんだろう。だけど、優しくて、本当は頼れるやつなんだ。それから──」
一度零れだすと、言葉は止まらない。
エリーはしばらくの間、苗木の傍に腰を下ろして好き勝手に喋りながら、良いことも悪いことも織り交ぜて自らの心中を吐露していく。
森の風にそよぐ苗木の枝葉は、エリーの言葉に相槌を打つかのようにゆらゆらと揺れていた。




