旅路の終わりとおかえりなさい
「密入国じゃないわっ! 管理者の許可を得ているもの!」
「だぁから、その管理者ってのは、誰だよ?」
「管理者は管理者よっ! 行っていいって言われたのはちゃんと覚えてるわ!」
「そんな適当なので判断できるかっ。何が目的だ?」
「お兄さんについてきたのよっ! 異世界観光するの!」
「まだ国交も結んでねぇからな? 分かってんのか?」
転移門の広間で言い争いを続けるのは筋骨隆々の大男であるボルザと、小さな背丈と愛らしい少女の姿をした妖精のリリである。
密入国だから受け入れはできないと主張するボルザに対して、リリは管理者から許可を貰ったと反論するのだ。
どうやらリリは本人の言っていた通りあの白亜の宮殿での出来事はあまり覚えていないようだが、世界を離れることを世界の管理者、森林世界を統べる者に許可を貰っていたようである。
――いずれまたすぐに会えるだろう。
――鞄の中身ともども、よろしく面倒を見てやってくれ。
アーロが思い返せば、あの神を名乗る男はそのようなことを言っていたような気がする。
どちらも再び森林世界へ行けば会えることと、王樹の実と土産の苗木のことかと思っていたが、あの男は特に何がとは言及していない。
「ボルザ、許可を貰ったってのはおそらく本当だ、と思う。帰り際に森林世界の神と会ったんだ」
「神ぃ? おい、ちんちくりんよ。本当か?」
「誰がちんちくりんよっ! でも本当よ! 妖精の偉大なる父! 世界の管理者、神様がいいって言ったわ!」
そうそう、とリリはやっと管理者という相手を言い表せたことが嬉しそうである。
ちなみにララとルルはボルザの強面にビビッて今もアーロの背に隠れてしがみつき、一声も発していない。
ボルザはといえば、神と聞いた後は顎をさすりながら何やら思案し、やがて嫌そうな顔をして目録へ何かを書き記す。そしてリリのデコに許可、と書かれた判を押した。
「なにすんのよっ」
「……特例だ。ペットとして通そう」
「いいのか?」
「本音を言うと特例は作りたくねぇ。だが、神の思惑は俺たちじゃ図り切れんからな。特別に持ち込みを許可する」
ボルザの様子は渋々、嫌々だが仕方がなく、といった感じだ。
まだ制度が固まっていない中で特例を認めるということは本当はやりたくないのだろう。一度前例を作ってしまうと後で突っぱねることが難しくなる。お役所仕事というのはそういうものだ。
しかし、何事にも例外はある。木の実や植物、さらに付着した虫や、土の中の小さな生物、茸の菌類など、生物は通っているのだ。それを拡大解釈すれば何とでも言い逃れができそうである。
「私たちお兄さんの主従なの……」
「それはそれで……」
「ほれ。お前らもだ、許可、許可、と」
「ひゃっ」
「ひぇぇ」
アーロの背中に隠れて何やらこそこそと話しているララとルルのデコにもボルザはポンと判を押し、目録へと書き記しそちらにも許可の判を押していく。
その内容は『愛玩を目的とした生物――三匹』といったところだろうか。
「はぁ、何が目的かは分からんが、きちんと面倒を見ろよ。問題を起こしたら責任はお前さんに追及が来るぞ」
「無理を言ってすまんな。こいつらも悪いやつじゃないんだ」
「ありがとう! ごついお兄さん! あんたっていい人ね!」
「……ふん。仕事だ」
「まぁまぁ。それで、まとまった? そろそろ僕たち帰っていい?」
無邪気な妖精の心からの讃辞を受け、ボルザは軽く鼻を鳴らして答える。
そうして話はまとまったか、と暇そうにしていたウェインが声をかければ、ボルザは姿勢を正してアーロとウェインに向かい合った。
その顔は引き締められており、自然、アーロとウェインも姿勢を正す。
「検品と検疫は完了だが、まだだ。――ウェイン特務技官、帰還報告!」
「……はっ! 異世界調査団特務技官ウェイン・ムラクモ、並びに特務武官アーロ・アマデウス。十五日間の異世界調査を終えて帰還いたしました!」
「うむ。良し。ご苦労であった。仔細は後ほど報告書にまとめて提出すること!」
「はっ!」
「……とまぁ、これで締めだ。無事でよかったぜ。ゆっくり休め」
ボルザが相貌を崩して鬼のような笑みを浮かべると、妖精たちは縮み上がりアーロとウェインはほっと安堵の息を吐いた。
◆◆◆◆◆
「じゃあ、僕はこの辺で。またねー」
「おう。またな!」
「細眼のお兄さん、元気でねー」
「ばいばいなのー」
「帰り道も気を付けるんだぞ」
転移門のある広場から地下聖堂へと戻り、さらに地上へ出るとウェインは手を振りながら去っていった。
同じ調査団であるし、報告書の提出もしなければいけない。また近いうちに顔を合わすことだろう。
そしてアーロもまた、自らの家へと向かって歩き出す。中身を預けた背負い鞄は軽く、また久々に家に帰ることもあり足取りも軽い。
「ふわぁ。すっごい!」
「人がたくさんなの」
「建物もいっぱいだ」
昼前の街は活気が溢れ、人が多かった。それを目にした妖精三匹組は感嘆の声を上げる。
アガラニアの街並みは森暮らしの妖精たちには珍しいものばかりのようで、人の多さに驚き、露店や商店の陳列商品に眼を輝かせ、通りを走る馬車と馬を見つけてはしゃいでいた。
自然、その姿は通りを行く人々の眼を引く。妖精という不思議生物を目にしたことが無いアガレアの人々は何事かと道行く一行を見やり、子供たちは歓声を上げていた。
その歓声に釣られるように妖精たちはあっちへふらふら、こっちへふらふらと飛び回るので、アーロとしては気が気ではなかった。
「おいおい、はしゃぎすぎて迷子になるなよ」
「大丈夫よ! あ、これってお兄さんが森にきた時と逆ね。ふふっ」
「気をつけてくれよ。俺は迷ってるお前らを探す便利な力はないんだからな」
そう。もしもはぐれてしまっても、この広い都市から迷子の妖精を探し出せるような便利な力はなく、さらに妖精は珍しい生き物だ、捕まればどんな目に合うか分からない。
そんなことを噛み砕いて説明すれば、楽し気な様子は一転。妖精三匹は震え出してアーロの外套にしがみつき、フードへと潜り込んだ。
「見捨てないでぇ!」
「なんでもするのっ!」
「お兄さんのペットでいいから!」
「はいはい大丈夫だ。安心しろ。お前らの親分に面倒頼まれてるから」
そして、大人しくなった妖精たちを引き連れてアーロがやって来たのは、一般的な市民が住む地区にある教会の前である。
鐘楼に鐘を備えた聖堂と広い庭。数十人は生活できそうな宿舎を備えた建物の門には【第三十六区教会】と【アマデウス救済院】と書かれた看板が掛けられている。アーロの育ちの孤児院であり、今なお愛娘が世話になっている教会である。
その開け放たれた門の前に立ち、さてどうしたものかとアーロは思案していた。
「ここがお兄さんのお家?」
「まぁ、厳密に言うと違うんだが。子供のころに育った家だな」
「ふーん。入らないの?」
「入るぞ。だがその前に、お前らのことをどう説明したものかと思ってな」
「ふふ。私たちはお兄さんのペットでいいぞ」
「ちょっと誇らしそうに言うなよ。お前らみたいな見た目のやつをペット扱いしてるとか聞かれたら、ここの主に何て言われるか」
妖精たちははやく入ろうと促すが、アーロとしてはこの不思議生物のことをどう説明すればいいのかと悩んでいるのだ。
というのも、ここは教会と孤児院が併設された施設で、神の教えを広めるとともに身寄りのない子供たちを保護して面倒を見ている。
教会を任される司祭はたいそうな人格者である。幼い頃から育ててもらい、面倒をかけたこともあり、アーロは今でも頭が上がらないのだ。
そんな孤児院での子供たちの世話に力を入れる司祭だ。背に生えた羽を除けば見た目だけは少女に見える妖精たちを、事情があるとはいえ愛玩動物扱いすれば司祭は怒るか、滾々と説教されるか、単に嘆くだろう。
「そんなこと悩んでだの? 簡単じゃない!」
リリは飛び上がると、アーロの前に滞空して腕を組んで宣言した。
「私たちのことはお嫁さんって言えば問題ないわよっ!」
「問題大ありだ。いま見た目のこと話してんだろ」
アーロは頭を抱えた。そしてあの白亜の宮殿での知性溢れるリリの姿を思い出し、この時ばかりは入れ替わってくれないかと切に願った。
だが、現実は無常である。神を名乗る男に頼まれたのと、ボルザに対して安請け合いをしてしまったこともあり、このお気楽妖精たちの面倒を見ないといけないのだ。先が思いやられ、返品も視野に入れるアーロであった。
「それにな。ここに娘もいるんだから、嫁がどうのって冗談でも話すなよ」
「えっ! お兄さん子供いるのっ?!」
「言ってなかったか?」
「聞いてないわよっ! うそっ!」
おや、言っていなかったか。とアーロが首を傾げれば、妖精三匹組はいたくショックを受けたようにふらふらと降下した。
「森へ帰ろうかな……」
「私たちのことは遊びだったのっ」
「うぅむ。ということは雌しべと雄しべが……?」
「お前ら面倒くさいなもう。話が進まねぇ」
落ち込みつつもちらちらと視線を向ける妖精たち。その眼は構って、もっと話そう、と言外に語っていた。楽しく話す分には楽しいのだが、万事その調子では真面目なことをする際には役にも立たない。
諦め、妖精たちを無視して門を越えて敷地内へ踏み入れれば、聖堂とは反対側、宿舎前の庭で何やら遊んでいた子供たちがアーロの姿を目ざとく見つける。
「あーっ!」
「アーロ兄ちゃんだ!」
「久しぶりぃ!」
一人の叫び声に呼応し、わらわらと集まってくる子供たち。
異世界調査へ赴く前は教会の手伝いで力仕事を任されたり、たまに面倒をみてくれと頼まれることもあったアーロは子供たち全員と顔なじみである。
教会を治める司祭が父、神の嫁たるシスターが母だとすれば、アーロはたまにやって来ては遊んでくれる兄のように認識されていた。
「おう。みんな元気か。司祭様はいるか?」
「お家にいるよー!」
「呼んでくるね!」
孤児院で生活している子供たちの年齢は二、三歳前後から十四歳ほどまでと幅広い。特に年長の者は年下の者の面倒を見る傾向があり、今もアーロの目的を察して真っ先に司祭を呼びに行ってくれている。
「わぁ、なんかちいさいのがいるー!」
「なにこれー?」
「ちょっと、つっつかないでよ!」
そして、わらわらと集まってきた年齢の低い子供たちは、アーロの後ろを飛んでいた妖精たちを見つけ構いだす。
いきなり捕まえたりといった乱暴な者はいないが、つんつんと突っついたりまじまじと観察したりと、興味津々といった様子だ。
「そいつらは妖精だ。本物だぞ。遊んでもらえ」
「わぁー!」
「妖精さん!」
「遊ぼう!」
アーロが紹介してやると、子供たちはわっと歓声を上げて妖精三匹組に群がった。
妖精たちは「遊んでいいの?」とでも言いたげな顔つきだったので頷いてやると、三匹は嬉しそうにはにかむ。
「んー! しょうがないわね! 鬼ごっこよ!」
「私たちが鬼なの!」
「数えるぞ! いーち、にー、さん――」
妖精たちが数えだし、子供たちはわーきゃーと歓声を上げながら走りだしていく。子供たちが遊ぶのは孤児院と教会の敷地内なので、危ないことや迷子にはならないだろう。
お気楽な妖精たちは子供たちと精神年齢が近いようだ。であれば孤児院に面倒を見てもらうのもありか。などとアーロが考える中、妖精たちもきゃっきゃっとはしゃぎながら飛び出していく。
よし、うるさい奴らは引き離した。とアーロが満足げに宿舎へと向かうと、ちょうど入口の扉が開き、一人の老人が顔を出す。
白髪交じりの金髪に、質素でゆったりとしたローブを身に纏う温和そうな老人だ。その腕には【真実を見通す眼】をモチーフにしたロザリオが巻かれ、教会の関係者であることが窺える。
アーロは軒先まで歩み出てきた老人へ最大限の礼を込めた祈りの姿勢を取る。
老人はその様子をにこにこと眺めて小さく頷くとアーロの肩をポンと叩き、二人は固く抱擁を交わした。
「無事でしたか。アーロ君。おかえりなさい」
「司祭様。ただいま戻りました。この度は急なことでご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。これくらい、どうってことはないですよ」
アーロの帰りを喜ぶこの老人は、トマスという。
この【第三十六区教会】を任される司祭であり、【アマデウス救済院】の父としての顔を持つ。
孤児院で育ったアーロの育ての親であり、また現在もアーロの愛娘が世話になっている勤め先の主である。
「いつもありがとうございます。あいつは、娘は元気ですか」
「ええ。彼女は孤児院と教会の手伝いでよく働いてくれています。毎日、君の無事を祈っていましたよ」
ほら、噂をすれば来たようです。とトマスが嬉しそうに告げると、宿舎の階段をどたどたと駆け下りる音が響き、宿舎の扉から慌てた様子で少女が飛び出してくる。
「お父さんっ!」
「おう! ルナ! 元気だったか!」
宿舎の開け放たれた扉から飛び出してきたのは、歳のころ十五歳ほどの栗毛の少女である。
ルナ・アマデウス。
小柄だが活発そうな印象を受ける、緋色の瞳を持つこの少女は、アーロが異世界へ出張する間に馴染みの孤児院で面倒を見てもらっていた愛する娘である。
アーロはぶつかるように飛び込んできたルナを抱き留め、その頭をぐりぐりと撫でてやる。
「お父さん帰ってきたぁ。遅かったから心配したんだよ……」
「あぁ。ごめんな。心配かけて」
留守は任せろ、私は平気だと気丈に送り出してくれた愛娘だが、やはり一人というのは心細かったのだろう。
その心情を慮り、アーロは愛娘の小さな体をぎゅっと抱きしめ、またよくやった、と頭を撫でてやる。
ルナは髪をぐちゃぐちゃにされることを嫌とも言わず、しばらくされるがままに抱き着いていたが、やがて体を離すと、アーロの恰好をしげしげと眺めて眉根を寄せた。
「お父さんボロボロ……。大変だったんだね。でも無事でよかった」
「あはは。大冒険だったんだぞ。あとで聞かせてやろう」
「もう。無茶はしないでね。それよりお昼まだでしょ? 院で食べていきなよ。ね、司祭様、いいでしょ?」
「もちろんですよ。食卓は家族みんなで囲むものですからね」
「やったっ! そろそろ時間だし、すぐに用意するね!」
あれよあれよという間に昼食の席に同席することが決まってしまった。
馳走になっていいのかとアーロがトマス司祭を見やれば、老人はにこにこと微笑み大きく頷くのだ。
本当に人の良い司祭だ。アーロのいない間も愛娘のことを気にかけて面倒を見てくれていたのだろう、と頭が下がる想いであった。
「司祭様。いつもすみません」
「真に感謝しているのならば謝りではなく、礼を言うものですよ。さぁ、立ち話もなんですから家に入りましょう。異世界に行ったというアーロ君の土産話を聞かせてください」
良いコーヒー豆が手に入ったので、それを淹れましょう。とトマス司祭は嬉しそうに宿舎へと入っていく。
その背を追い、ルナもいそいそと室内へと入ろうとする。が、家の扉の前でふと思い出したように振り返ると、ぱっと笑みを浮かべた。
昼時の街は日光がさんさんと降り注ぎ、その光に照らされたのは、愛娘のひまわりの花のようなにこやかな笑顔だ。
「おかえりなさい! お父さん!」
娘の元に。自らのふるさとへ帰って来た。
アーロがそのことを認識すれば、心にはなにか温かな気持ちと、達成感が満ち溢れる。
「ただいま。ルナ」
青年は世界を巡り、新たな出会いを紡ぎ、また故郷へと帰る。
今日この日、アガレアと異世界を結ぶ冒険譚が一つ、幕を閉じた。
森林世界編 完。
<森林世界エールバニアとアガレアが繋がりました>
二つの世界は呼応し、アガレアに神秘が薄く広がります。
雑感
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
森林世界編が終了です。
アーロの娘、ルナとの物語についてはまた後程。




