帰還する者と密入国者
白亜の宮殿の主、エールバニアの言った通り、帰り道は迷うことなく転移門へとたどり着くことができた。
がさがさと木立をかき分けて広場へ出れば、寝っ転がってぼんやりと空を眺めていたウェインが気が付き顔を上げた。
「あれ、意外とはやいねアーロっち。って、すごい荷物」
パンパンに膨れたアーロの背負い鞄を見て驚きの声を上げるウェイン。
そして以外とはやいとは、どういうことだろうかとアーロは首を傾げる。
茶を飲みゆったりと庭園を巡ったためそれなりの時間が経過したと思われたが、それほど時間が経っていないようであった。
「ウェイン。俺が離れてからどれくらい時間が経ってる?」
「うーん。十分くらいかな。妖精と木陰でしっぽりしてるのかと思ったら、木の実でも拾ってたの?」
「誰がするか。ちょっとばかし、神と会っていてな」
かみ? と今度はウェインが首を傾げる。
「いや、後で話そう。転移門は準備できてるか?」
「うん。ばっちりだよ。あとは繋げるだけ」
「おう。じゃあ頼む」
「あいよー」
ウェインが転移門の側面に備え付けられた操作盤のボタンを押せば、門が音もなくゆっくりと開く。やがて開ききると門自体が薄く発光し、薄く透明な膜が張っていく。
不安定に揺らいでいた膜がしっかりと形成されると、チーンと間の抜けた音が森に響いた。
「毎度思うが、この間抜けな音はなんだ」
「さぁ……? 製作者の趣味かな」
「誰だよ。誰に改善提案を出せばいいんだ」
「知らないよー。馬鹿な事言ってないで行くよ」
ウェインは自らの荷物をしっかりと確認すると、門へと向かう。
そして一度立ち止まり、アーロを振り返ってにかっと笑った。
「アーロっち、楽しかったね!」
「あぁ。そうだな。大変だったが楽しかったな」
楽しかった。
腕が燃えたり腕が斬られたり、挙句の果てには神と会ったりといろいろなことがあったが、楽しかったことは確かだ。
異世界の文化に触れ、友ができ、想い人ができた。最終的には五体満足で、かけがえのない経験を得た。
「また、一緒に冒険できるといいね」
「そうだな。その時はよろしく頼むぜ、相棒」
今回の異世界調査に行ってよかったとアーロは素直に答えるであろうし、また別の世界へと行く機会があれば名乗りを上げるだろう。
できればその時は、またウェインと一緒に冒険がしたいと思った。
気の合う同僚であり、夜通し語り会える友であり、そこそこ腕の立つ男だ。相棒と呼んでも差し支えないだろう。
「相棒、か。照れるね」
「茶化すなよ。嘘じゃない」
「分かってるって! へへ」
ウェインは嬉しそうに笑い、右の拳を突き出した。
「それじゃ、相棒。僕らの異世界調査の無事の帰還を祈願して」
アーロも微笑み、差し出された拳にゴツリと己の拳を合わせた。
「おう。いろいろありがとうな」
そうして二人は笑い合った。
先に行くね、とウェインが門をくぐり、その背が見えなくなったことを確認してから、アーロはふと森を、集落がある方向を振り返りぽつりとつぶやく。
「またな、エリー」
そよ風が頬を撫で、ぼんやりと首もとが熱を発し、エリーの笑い声が聞こえた気がした。
そうしてアーロも門をくぐる。
視界が光に包まれた。
◆◆◆◆◆
無事に転移門を抜けると、そこは薄暗い地下だった。
いや、今まで陽光がさんさんと降り注ぐ大自然の中にいたため、その明暗の差が余計に暗く感じられているのだろう。
石造りの大広に、天井には光を放つ巨大な蛍石。振り返れば広間の中央には今も微細な光を放つ転移門があり、隅には小屋が建てられている。十数日間の異世界出張だったが、内容が濃かったためこの場所がとても懐かしく感じるアーロであった。
先に転移門をくぐっていたウェインはアーロが門から出てくるのを確認すると安心したように頷き、小屋に向かって大声を張り上げる。
「ボルザっちー! 戻ったよー!」
石造りの壁にその声はよく反響し、響き渡ったことだろう。
小屋の中からは何やら蹴り倒すような物音と、「あぁっ! 書類がっ!」という悲痛な叫び声。やがてバァン! と勢いよく小屋の扉が開かれ、筋骨隆々のハゲ頭が現れた。
「ウェイン! アーロも! 無事に戻ったかぁ!」
「ただいまー! ボルザっち!」
「おう! 久しぶりだな!」
アーロとウェインは荷物を担ぎ直して歩きながら、ボルザも巨体を揺らして近づいていく。
こうして知り合いの顔を見れば、帰ってきた、という想いが否応なく高まる。
「よぅし! 二人ともそこで止まれ! 動くんじゃあねぇぜ?」
「え?」
「お?」
しかし、少しの距離を開けたところでボルザは立ち止まり、制止の声をかけてきた。その腰に下げていた細剣こそ抜き放たれてはいないが、柄は握られている。
再会を祝って挨拶でもしようかと考えていたアーロとウェインをよそに、ボルザは鬼のような笑みを浮かべて続ける。
「おい、荷物を降ろした後に手を上げろ。怪我したくなかったら大人しくしてな。俺様も手荒い真似はしたくねぇ」
口上は完全に山賊か盗賊か悪漢のものである。ボルザの強面も相まって二人は脅されているような状況であり、なぜボルザがそんなことを言うのかを分かりかねていた。
しかし眼前のハゲ頭からは冗談の響きが感じられない。仕事モードのボルザである。二人は言われるがままに足を止め、とりあえず荷物を降ろして手を上げた。
「ねぇ。ボルザっちってこんなキャラだっけ?」
「ついに筋肉が脳に達して敵味方の区別がつかなくなったか? いや、降ろすと上げるを使いこなせているからそれはないな」
「僕らが知らない間に、何かが入れ替わってるとか?」
「そんなこと考えられるか? ボルザに成り代わるよりもっと乗っ取って嬉しい奴がいるだろ」
「あは、正論」
「てめぇら聞こえてっぞ! 誰が脳筋だ。あと俺には超絶可愛い嫁ちゃんがいるから成り代わったら人生ウハウハだ」
もしや自分達の知る世界とは少しだけずれた異世界へ迷い込んでしまったか、と勘ぐる二人が今の状況に陥った原因を小声でこそこそと相談しあうが、ボルザにも聞こえていたようだ。
なんでこんなことを? と二人が目線で問えば、筋骨隆々のハゲ頭は腕を組んで仁王立ちした。
「ばっきゃろう。決まってんだろ! 検品と検疫すんだよ!」
「検品?」
「検疫?」
「そうだ! ここは異世界との玄関口。基本だろ?」
ボルザが語るには、異世界から危険な物品や未知の病などを持ち込まないように、異世界からの帰還者には検品と検疫が定められているらしい。
慌てて飛び出したためついつい乱暴な口調になってしまったことを詫びられたので、二人はとりあえず溜飲を下げた。
どうやらこのボルザは本物で、ちゃんと元の世界へ帰還することが出来たようである。アーロとウェインはおとなしく身体検査などを受けることになったのだ。
「あー、っと。熱はあるか?」
「ない」
「熱は無し、と。手足に痺れや、眩暈はないか? 動悸は正常か? 不意に気分が落ち込むことはないか? 誰かをぶち殺したくなったりはしないか? 心が邪悪な存在に蝕まれてたりは?」
「ない。ボルザ、真面目にやってるのか?」
「あったりめぇよ。異世界からやばい病気持ち込まれたら困るだろ」
「今の質問ってむしろ精神の病じゃないの?」
ボルザが問診をしながら語るには、異世界へ様子見で行った際に新たな趣味趣向に目覚めたり、新しい神を見つけたとかで変な宗教を始めるものが少なからずいたらしい。
実害はないが、調査警戒が必要として調査団では確認を行うよう定められているのだとか。
ふざけているとしか思えない問診を終えれば、続いて検品という名の検疫へ移る。
「よーし。鞄の中身、ポケットの中身から持ち物全部出せや。隠しても無駄だぜ」
「顔と台詞が似合いすぎる」
「完全に悪党の役だよね。もしかして経験者?」
「こちとら仕事でやってんだよぉい! 文句言うんじゃねぇよ」
「あ、これアレだ。冒険者とか傭兵が食えなくなって野党に仕方なく成り下がったやつだ」
「わぁー迫真の演技」
「てめぇら上司に向かってずいぶんな口をきくじゃねぇか……」
さすがにからかいすぎて額に青筋を浮かべたボルザに従い、二人は鞄の中身を出す次第となる。
持ち込む物品は目録を着けるとして、逐一指さし確認である。まずは荷物の多いウェインからとなった。
「あのー、僕って収納鞄なんだけど。全部出すの?」
「あぁ。正直にな。隠すとためにならんぞ。危ないブツを持ってたら没収な」
「えぇー。どうしよっかなぁ」
「お前さんが持ち込みたいのはどうせ研究用の薬草や素材だろ。安全と分かったら返却するし、有用な薬草なんかを見つけたら教会で買い取る。悪いようにはしねぇよ」
「うぅーん。しょうがないな」
一応は納得したウェインは、それから自らの収納鞄から山のように物品を取り出して並べていく。
「天幕ばらしたときの骨組み。拾った綺麗な石。蝉っぽい生き物の抜け殻。いい感じの樹の棒。でっかい虫の甲殻。美味しかった木の実の種。あ、これアーロっちに貼った湿布の薬草の使いさし。火噴き鳥の尾羽と爪。あとはよく分かんない種類の植物とか茸とか。これはめちゃ美味しい蜂蜜。ぜったいあげないから。あと、書き溜めた報告書は別で提出するね。それから──」
「……ほとんどがガラクタじゃねぇか。植物や茸はいったん検疫通すぞ」
「ひどいっ。僕にとっては宝物なのに。植物と茸は一応全部食べても大丈夫だって確認してるよ」
収納鞄の種類は不明だが、ウェインの持ち込んだ雑多な品物が出てくる出てくる。結果、荷物の六割ほどはガラクタであったが、残る植物の種や効能のある薬草は一応の検疫に回され、茸類は厳重に梱包され回収となった。
ボルザはそれらの物品を目録に書き記し、許可、と書かれた判をポンポンと押していく。仕事モードの彼は几帳面で丁寧なようであった。
続いてはアーロの荷物である。しかし、量はあるが種類がそれほど多いわけではない。
「俺はほとんどが野良猫商会の品を持ち込んで、身の着のまま向かったからなぁ。ウェインと同じように蜂蜜と、火噴き鳥の爪を加工した火打石いくつか。このスカーフもそうかあとは苗木を貰った、詳しいことは後で報告書にまとめるぞ」
「くくっ。スカーフね。上手くやったみてぇだな。また聞かせろよ。お前さんには報告義務があると思うぞ。苗木も念のため検疫通すが、何事も無ければ返すぜ」
「……。あとは、《王樹の実》を鞄にいっぱい貰ったぞ。これは国や教会じゃなくボルザ、お前を男と見込んで託す」
アーロが背負い鞄の口を開けて一杯に詰まった《王樹の実》を見せて効能の説明を行えば、ボルザはいつになく真剣な顔をして唸った。
「癒しの力を持つ木の実、か。分かった。こちらでいったんすべて買い取るぞ。いくらかは研究用に回すことになるが、無駄にはしない。金持ち貴族や死に損ないの老人どものためにだけは使わないと約束しよう」
「ありがとな。頼む。できれば恵まれない子供たちのために使ってやってほしい」
「任せとけ。いい知り合いがいるから頼ってみよう。しかし、これ何個あるんだよ?」
「鞄にいっぱいだからな。五、六十個くらいか」
「よし、数えるぞ。ウェインと三人で手分けしてやろう」
「えぇー?」
「ばっかやろう。数をきちんと書いとかないとどっかでちょろまかす奴が出るだろ」
「それもそうか。悪いな。二人とも」
この件に関してはボルザの言う通りである。傷を癒し病を治す果実という魅力的な物には、どこかで必ず不届き者が手を出すだろう。それを防ぐためには数の把握は必要不可欠である。
しかし、拳大とは言えアーロの背負い袋一杯に詰まっていると予想されるそれを数えるのは少々手間かと思われた。
「三人で数えればすぐだろ。いったん全部出すか、ほれ、布を敷くからざぁっとやれ」
「おう。ざぁっとな」
アーロが背負い袋を傾ければ、ごろごろと《王樹の実》が零れ落ちるように転がり出てくる。
徐々に傾けつつ、袋の中身が減ってこれば逆さにしてぶんぶんと振るう。
ぼとぼとと果実が落ちきったその上に――。
「ぐぇっ」
「きゃっ」
「わっ」
――何故かリリ、ララ、ルルの妖精三匹組が落ちてきた。
「ふぅー。苦しかった」
「いたた。誰よ鞄に隠れようって言ったの」
「みんなで相談して決めただろう」
どうやら、大きな背負い鞄の中に潜んでいたらしい。妖精たちの手には木製の板のようなものが握られており、これを鞄の中で掲げて底を偽装し、《王樹の実》を詰めることで隠れたようだ。
圧迫されていたのだろうか。解放されて一息ついた様子の妖精たちは自分達を見下ろす三人に気が付き、慌てたようにぎこちない笑顔を浮かべた。
「あはは……。ごきげんよう?」
「異世界にもひょっこり参上なの」
「お兄さんを追いかけて来た私たちは――」
『妖精旅団!』
なぜか森林世界から荷物に紛れ込んでやってきた妖精三匹組。
いつもの前口上を述べて、ばばーん、と三匹はポーズを決めるが、後ろめたいからかずいぶんと控えめな声量と演出であった。
「……密入国じゃん」
「……アーロ」
ウェインは何やってんのと頭を抱え、ボルザは顎を撫でながらしばし悩み、ポンと手を打つ。
「うちでは飼えません。返してきなさい」
「おう」
アーロも即答であった。
「ちょ、ちょっと待ってよー!」
「人道に乗っ取って丁重に扱うことを進言するのっ」
「そうだそうだ!」
速攻で返してくることに同意したアーロに、妖精たちは抗議するかのように声を上げた。
彼女たちは記念すべき、異世界間の調査関係者以外の移動。密入国者第一号から第三号である。
雑感
アガレア側もまずは調査団関係者と、相手側の世界からの使節団の受け入れは定めていましたが、それ以外の人員の移動については予想外でした。
国交を結んでいない国同士へ観光に行くことは出来ませんよね。
この辺の整備はまだまだ整っていません。




