さらば長耳と新たなる邂逅
アーロとウェインが荷物をまとめ、それぞれの鞄へと詰め込んで集落の広場へと赴くと、見送りのため大勢の長耳族の者が集まって来ていた。
十数日間という決して長いとは言えない期間だが、関わりを持った者は存外に多い。
守衛の部族の戦士たちを始め、食料採集に同行した者たち、大蜘蛛の糸を共に洗った者たち、新しい樹の住居を拡張する際に力を貸した者たち、宴で酒を注ぎ笑い合った者たち、さらには懐いた長耳族の子供たちなど、数え上げればきりがないほどである。
「アーロ。絶対に、絶対に戻ってくるんだぞ! 来なかったら承知しないからな!」
「分かってる。仕事柄期間が空くかもしれないが、何度か遊びに来るからな」
「約束だぞ……。貰ったスカーフは、ずっと着けておくからな」
「ははは。たまには洗ってやってくれ」
エリーは昨晩は夜通し泣き明かしたのか、赤く腫れた眼で見送りに立ち、再開の約束をした。
「ウェインさん、アーロさん。いろいろと勉強をさせていただきました。ありがとうございます。私、頑張って族長になりますね」
「マヤさん、頑張ってねー」
「おう。ぜひアガレアとエールバニアの友好を取り持ってくれ」
マヤは次期族長として長耳族を引っ張っていく決意を新たにしたようだ。
そして、別れの挨拶の後にはウェインと何事かを木陰で話していたが、アーロは気を使って見ないふりをした。
「さぁ、丸耳の友の出立じゃ! 恩には恩を返すのが長耳族。彼の者らから受けた恩を忘れるでないぞ。しばしの別れじゃが、またの近いうちの再会を願い、みなで見送ろう!」
めいめい別れの言葉をかけ、最後には長耳族を代表してマガ長老から感謝と今後の友好を約束する挨拶があり、大勢の者たちに見送られてアーロとウェインは長耳族の集落を後にした。
転移門への案内役は、アーロが最初に森に迷った際に捜索に来てくれた守衛の戦士の中でも若い者たちである。
エリーは案内役として最後までついて行きたがったが、マヤは多忙であり見送りの時間しか取れず、泣く泣く案内を譲ることになった。
集落からの道中はわいわいと話しながら進み、迷うことなく一行は転移門へと到着した。
若い戦士たちはアーロとしては集落へ来た当初世話になり、その後も宴会や《鳥の王》との戦いでも顔を合わせている。
口々にまた来いよ、今度はアガレアを案内してくれよ、なんてことを言いながら、彼らは去っていった。
森の中に突如として現れる転移門。
幹と根だけになった巨大な樹木に埋もれるようにして立つ門を見て、アーロはなんとも感慨深い気持ちになった。
十数日だが、とても濃い体験ができた。愛しい者ができて、友ができて、不可思議な経験ができた。
それだけで、この仕事を受けてよかったとアーロは思う。
「よーし。門を繋げるからちょっと待ってねー」
「よし任せた」
ウェインは門の隣についている操作盤のようなものをなにやら操作しだす。木漏れ日の降り注ぐ森の中、転移門と操作盤はそこだけが機械的で、奇妙な感じがしてしまう。
この操作についてはウェインに丸投げである。座標を打ち込めばあとは自動のはずだが、アーロは既に記憶の彼方へ忘れ去ってしまっていたからだ。
手持ち無沙汰になったアーロが何の気なしに周囲を眺めれば、そう遠くない樹の幹から小さな手が伸びているのが見えた。
「ん?」
目を凝らせば、少し離れた木の陰からささやき妖精のリリが手招きをしている。
樹の幹の影から顔を少しだけ出し、口元に指を一本立てて「静かに」のジェスチャーをしているのだ。
そして耳元で「お兄さん、ちょっと来て。細めのお兄さんには内緒でね」とささやくような声がした。
「ウェイン、なんかリリが呼んでるんだが」
アーロはあっさり報告した。
仕事において報告・連絡・相談は何よりも大事だからだ。
「んー。呼んでるなら行ってこれば? 僕、門の操作にしばらくかかるし」
「いいのか?」
「いいよー。あんまり遠くに行って迷子にならないようにね」
おう、と軽く返事をして、アーロは転移門から離れてリリの待つ方へ向かった。
樹へと近づけば、裏にいた妖精はなにやら腕を組んでご立腹のようだった。
「お兄さん! 内緒にしてって言ったじゃない!」
「あぁ、すまん。つい。なんの用だ?」
リリは羽ばたき空中でくるりと回転すると、腕を組んでふんぞり返った。
「ふふん、いいところに連れて行ってあげるわ! 細目のお兄さんには言っちゃダメよ!」
はぁ。とアーロは気のない返事をする。
妖精にとってはいいところでも、別の人にとってはそうではないなどということは往々にしてある。
花畑に案内し、ほら、いいところでしょ! 花の蜜がいっぱい! と言われる可能性だってあるのだ。甘い蜜は土産の蜂蜜だけで十分である。
「おーい、ウェイン。なんかリリがいいところに連れてってくれるらしい」
アーロはとりあえず大声で同僚へ報告をした。
「だからぁ! 内緒でって言ってるでしょ!」
リリも釣られて大声で叫び、全てが台無しだった。
「そっかー。いってらっしゃーい」
こちらを見もせずに間延びした返事を返すウェイン。
よし、行こうぜ、と何事もなかったかのように出立を促すアーロに、リリはため息をついて肩を落とした。
◆◆◆◆◆
「はぁ……。まぁいいわ。お兄さん一人だけが来るみたいだし」
「ちょうど暇してるからな。ちゃんと元の場所に返してくれよ」
「任せなさい。すぐに着くし、すぐに帰れるわよ。それより、いい? これから案内するのは、妖精にとってすっごく大切な場所なの。光栄に思うのよ!」
特別なんだからっ、と鼻息荒く先導するリリに対し、アーロはなんで俺を案内するんだろうな、と首を傾げていた。
大切な場所ならばこそ、異世界の住人である自分のような者からは隠すのが普通ではないだろうか。と考えたからだ。
だが『大切な場所』に着いたと思われたとき、そんな疑問は氷解した。
――白亜の宮殿。
木立を抜けて唐突に森のなかへ姿を現したのは、根元が苔むした白い柱が何本も立ち並ぶ、石造りの宮殿であった。
宮殿の先には同じく白い石作りの庭園のようなものが広がり、大規模な噴水やたわわな実を茂らせた樹木が立ち並んでいる。
「……これは、驚いたな。自慢したくなるわけだ」
先導していたリリは振り返り、ぽかんと佇むアーロの前で優雅に一礼してみせた。
「ようこそ森の宮殿へ。歓迎するわ、お兄さん?」
その顔にはしてやったり、という微笑みが浮かんでいる。
アーロはなぜだか悔しくなり、羽ばたいて宙に浮かぶリリの小さな頬を指でつねった。
もちもちの肌がみょーんと伸び、リリはじたばたと暴れた。
「痛い痛い! なにするのよ!」
「おぉ、夢か幻かと思ったが、現実みたいだな」
「私のほっぺつねっても分からないでしょ! ばか!」
ぷんすかと怒るリリにすまんと謝りながら、アーロは改めて宮殿を見渡す。
森の中にあるには不自然すぎるその荘厳な雰囲気と、苔や蔓草に覆われた柱や崩れ落ちた石垣などの退廃的な印象が絶妙に混ぜ合わさっている。
遠目に見る限り、妖精たちがちょこまかと動いている姿が確認でき、廃墟というわけでは無いようだ。
アーロとリリは、先が見通せないほどに広がる宮殿の敷地の、おそらくは入口に立っているのだ。
「リリ、説明してくれ。ここはなんだ? 森の宮殿と言っていたが」
何故宮殿がこんな森の中にあるのか、考えても分からなかったアーロは早々に回答を求めた。
だが隣をふよふよと浮かぶ妖精は、困ったように眉根を寄せる。
「ごめんなさい。お兄さん。私にできるのは連れて来て案内することだけで、説明の権限はないの」
「権限?」
「そう、権限よ。実は私もここに来るのは久しぶりなの。案内をするからついてきて」
首を捻るアーロの問いにも答えず、リリは羽ばたいて宮殿の敷地内へと飛んでいく。
権限とは妙な言い回しをする。しかも、あれほどお気楽な様子だったリリがこの宮殿に着いてからというもの、言葉の端々に理知的な雰囲気を漂わせている。
なんだか妙な感じだ、と思いつつも、アーロは小さな妖精の背を見失わないように歩き出した。
片方が崩れてもなお立派な門をくぐり、外縁部分であろう庭園を両脇に眺めながら二人は宮殿のなかを進む。
「こっちが妖精の学校よ。まだ生まれたての妖精たちが学んでいるわ。私たちもここの出身なの」
案内をするリリが指す場所を見やれば、庭園の一角には木の机が並べられ、青空の下で妖精たちがなにやら手を挙げての発言や書面への書き取りを行っている様子が見て取れた。生徒らしき者も教壇に立つ者も同じく妖精であり、小さな子供の姿をしているのが何とも奇妙だった。
そして教鞭を振るうのは、緑色の髪を持つのほほんとした雰囲気の妖精だ。丸眼鏡をかけているその姿はいかにも教師然としているが、どこか眠そうな雰囲気を拭えない。
「ララのように見えるが……」
「当たり。今は庭園の外について講義中ね。一緒に戻ってきたときに臨時講師を任されたの」
「以外だな、教える立場だとは。というかあるのか眼鏡」
「あの眼鏡は伊達よ。あれをかける妖精が教師役をやる決まりなの」
ララは道を行くリリとアーロの姿に気が付き、眼鏡をくいっと押し上げて茶目っ気たっぷりに笑った。アーロも手を振り返す。
そして、先に進むわよ、というリリに促され歩みを再開する。
「こっちは訓練所。妖精は庭園から外に出ても生きていけるように、力もつけるのよ」
学校の反対側にあるのは、大小さまざまな形の木偶人形が置かれた広場だった。
そこでは妖精たちが複数で大きな鳥のような形の木偶人形を動かし、一匹の妖精が繰り出される攻撃を飛びながら避け続けていた。
木偶人形は鳥型のほかにも大きな蜘蛛や蟻といった虫型、魚のような形や、蜥蜴のような形、中には人型のものまであった。
「いろんな形があるな」
「そうよ。妖精は宮殿から外に出ると、急激に力が落ちるからね。食べられないように戦い方や逃げ方を学ぶの」
アーロとリリが見ている前では、鳥型の木偶人形からの猛攻を避けた妖精が、その手に持った木剣を胴体、心臓部分に突き入れる姿が見えた。
「やられたー!」
「やるねー!」
「ふぅ、まだまだだな」
戦っていた妖精は木偶人形を操る妖精たちに褒められるが、謙遜してまだ力が及ばないと汗でデコに引っ付いた髪をかき上げる。
その青色の髪を持つ妖精は、リリとアーロの姿を見つけると軽く手を振ってみせた。
「ルル、か?」
「そう。一緒にこっちに戻ってきてるの。庭園にいるときは凛々しくて強気なんだけどね……。外に出るとへたれだから鍛え直すんだって」
「頑張ってるなぁ」
アーロは手を振り返し、頑張れよ、と握りこぶしを作って見せた。
ルルはそれを見て小さく頷き、訓練へと戻る。
「ほら、先に進むわよ」
「あぁ。しかしどこまで行くんだ?」
「もうすぐよ。私たち妖精は庭園までしかアクセス権限がないもの」
「あくせす?」
「……それも説明できないの。ごめんなさいね」
知らぬ単語にアーロは首を傾げる。
リリは謝罪をしつつも説明はせずに飛んでいき、その背を追うしかしかない。
「リリがさっきから賢い子に思えるんだが、ここの影響か?」
「失礼ね! と言いたいところだけど、その通りよ。たぶん、ここを出たら私はほとんどのことを覚えてないわ」
「そうか。元の残念な感じに戻るのか」
素直にもったいないなと思うアーロであった。
お気楽な調子のよさもリリの持ち味だが、お馬鹿で残念な部分が理知的で上品になるのならばより付き合いやすそうだと思えたからだ。
「残念、か。妖精なんてみんなそんなもんだけどね。外に出ると人とは意思疎通できなくなっちゃう妖精もたくさんいるし」
「あぁ、お前たちとは話せるが、集落にいたような小さな光の玉みたいな妖精は話せなかったな」
「そ。あれはあれで楽しく過ごせそうだけど。まぁ、私たちは中間管理職みたいな感じよ。辛いわね」
「またお前は妙な言葉を使うな……」
そんなことを話しつつ進むうちに、リリの目的地へと辿りついたようだ。
「ここよ」と宙で止まるリリの前には、庭園を見渡せる一段高くなったテラスとそこに繋がる階段があった。
「私に案内できるのは、ここまでよ。荷物はこちらで預かるわ」
テラスへとつながる階段の前で、リリが小さな机を指す。
アーロは己の唯一の荷物である背負い鞄を下ろし、机へと置いた。中身はほとんどなく、軽いものだった。
さらにくたびれた外套を外し、ズタボロの服と革鎧、そして首元の真新しい赤いスカーフを身に着けたのみとなる。
「この先に、俺に会わせたいやつがいるんだな?」
「気が付いてたのね……そりゃそうか。この先では、とある方がお待ちかねよ。失礼のないようにね」
「あぁ。分かった。そうだ、リリ」
案内はここまで、と飛び去ろうとするリリに対してアーロは待ったをかけた。
「なぁに?」
「案内と説明、ありがとうな。美しい宮殿だ。いいものを見物させてもらえたお礼に、紅茶をやろう」
アーロは中身の少ない背負い鞄から、こちらも残り少ない紅茶缶を取り出し、ぽんとリリへ手渡した。
人の顔程の大きさの妖精であるため、自然とリリは紅茶缶を両手で抱える形となる。
「え、いいの?」
「おう。残りも少ないからな。全部やる」
ぽかんとした表情でアーロの顔と手元の紅茶缶を交互に見るリリへそう言ってやると、いつものように明るい満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! みんなで飲むわね!」
ひゃっほー! と紅茶缶を掲げて飛び去るリリを見て満足そうに頷くアーロ。やはりリリは多少お馬鹿でも明るい方がいいと考え直した。なんだか、公園などで餌付けをした動物に懐かれた気分である。
さて、と顔を引き締め、アーロはテラスへと通じる階段を上がる。他よりも一段高い場所に作られたテラスからは、案の定庭園の様子がよく見渡せた。
そして、上品な彫刻の施された木製の机椅子と、そこへ腰かけて微笑む男が一人。
「よく来たね。アガレアの民。待っていたよ」
アーロの左眼が、ちりりと疼いた。




