嫁と婿とお別れの時 (挿絵あり)
長耳族のエリー。丸耳族のアーロ。二人の気持ちは同じではあった。 しかし悲しいかな、方向性が違っていた。
方向性。すなわち、嫁と婿である。
アーロはもちろん当初からアガレアに来ないか、と嫁に誘っており、今もそれは変わらない。
だがエリーとしては自らを一目見ようと異世界までやって来て、想いが結ばれたのだ。当然長耳族の集落で一緒に暮らしてくれるものだという認識があった。
方や異世界へと旅をしたが、帰るべき家のある者。方や異世界からの来訪を受け入れた者。どちらが悪いということもない、運命の悪戯である。
二人の気持ちを伝え合ったその日、アーロは夜中まで舌戦の限りを尽くし、粘り強く交渉を行った。
おそらくは、異世界調査団の後に派遣されてくる交流の条約を取り決める文官もかくやという交渉力だったであろう。
「エリー、考え直してくれ。君にとっても悪い話じゃないはずだ。この世界は狭いって言ってただろ? 一緒にいろんな異世界を巡って冒険しようぜ」
「う……。確かに言ったし魅力的だが、マヤと約束したんだ。族長になるまで手伝うって。いま始まったばかりなのに、すぐに放り出すわけにはいかない。マヤは友達だ」
だが、相手も手ごわい。断固として己の主張を曲げないその姿勢は大木のように揺らぎがなかった。
「アーロこそ、考えてみてくれないか? 私と一緒に穏やかに森で暮らそう。長耳族はきっとアーロを歓迎するぞ」
「む……。そりゃ森の暮らしも悪くはないとは思うが、俺もこの仕事は始めたばかりなんだ。もっといろいろな世界を見て回りたい」
「むぅぅ! そうやって他の世界の女にも声をかけるつもりだろう! 丸耳は誰にでも愛を囁くと聞いてるぞ!」
「誤解だ! 文化の違いってやつだ! ちゃんと気持ちは伝えただろう? 嘘は言わないのが丸耳族だぞ」
「それは、そうだがっ! ひょっとして、私が嘘をついたことを根に持ってるのか?」
「まさか。異文化には寛容なつもりだ。考えや価値観を押し付ける気は全くない」
「どうだかな! どうせ私は肉が嫌いな長耳だ。嘘もつくぞ。アーロの世界には馴染めないかもしれん!」
「そんな悲しいことを言わないでくれよ。なぁ。本当のことを言ってくれ」
「アーロのことは好きだけど友達も大事だー!」
「お、おう」
「あと森のない世界なんて不安だ!」
お互いに譲れず、交渉は平行線を辿り、ついには実を結ぶことはなかった。
故に、妥協点を探ることとなった。お互いに譲歩できる条件をすり合わせるのは交渉の常識である。相手に主張を押し付けるだけでは成り立たないのだ。
「じゃあマヤさんが族長になったらもう一度考えてくれ。どうするかは、その時にまた話し合おう」
「わかった……。それまで、お別れか?」
「泣くなよ。門をくぐればすぐのご近所さんじゃないか」
「うっ、ぐすっ。アーロぉ!」
「おわっ!」
そうしてひと悶着あったが、最終的にはマヤが正式に族長になった時に再度決める、ということで合意が得られた。
ぐずぐずとすすり泣くエリーをなだめつつ夜を明かしたアーロだが、発端は意見の食い違いによるものであり、喧嘩や仲違いではないとお互いが考えていた。二人の気持ちは通じており、お互いの首元に掛けられたお揃いのスカーフがその証だ。
反面、いい変化もあった。エリーはその日から恥じることなく真紅のスカーフを首に巻くようになったのだ。それはアーロも同様で、ウェインにからかわれマヤに微笑ましい眼で見られようとも、いいだろう? と返す余裕を見せつるけるようになったのである。
後日、傷が癒えたアーロは長耳族の困りごとを解決するために奔走した。もしもマヤが族長になった際に他で面倒ごとなどが起きていたら、エリーまで駆り出されることになってはたまらないと考えたためだ。
その仕事にはウェインも技術屋として同行した。対鳥用の罠の設置改良や、火噴き鳥から見つからないように、また逃げ込める形の避難壕を考案するなど、長耳族にはない視点からの改善提案を行ったのである。
またウェインの知識とアーロの人力を合わせ、周辺の測量や簡単な地図の作成、長耳族にとっては未知の領域である大きな湖周辺の生態調査など、異世界調査団としての仕事も順当にこなしていく。
そのほかにも簡単な灌漑やゴミを利用した土壌改善など、生態系に影響を与えない程度に手を加えることで、長耳族の食料生産体制への助力を行ったのだ。
中でも絶賛されたのは、養蜂である。
アーロ考案ウェイン設計、若い衆総出で使っていない一軒家を改造した木製巣箱での養蜂が長耳族の注目を集めたのだ。
もともと長耳族の間では蜂蜜が大変な貴重品とされている。《女王蜂》と呼ばれる守護虫に守られた《王樹》との取引によりごく少量の蜂蜜を手に入れていた長耳族だが、需要に対しての供給量は恐ろしく偏っている。
しかし《女王蜂》の統制下にある蜂の巣から蜜を奪うことは出来ず、かといってより多く取引をしてもらうほど魅力的な対価を持つ物はないため、長い間長耳族はその取引に甘んじてきた。
だが森の中には統制を外れたはぐれの蜂がいることを妖精を介して突き止めたアーロは、《王樹》と集落の近くにある養蜂箱という安全な寝床の巣を提供する代わり、余剰生産分の蜜を譲り受ける取引を持ち掛けた。
《女王蜂》としても統制していないはぐれの眷属をどうこうするつもりもなく、むしろ生息域を拡大するならと了承を受けた。もともと取引も仲違いしないための付き合い程度ということもあり、蜂蜜の取引先が変わったところで何も問題は起きなかった。
長耳族、《女王蜂》、はぐれの蜂、三方良しの大変有意義な改革であった。
このことは長耳族から高く評価され、特に食料採集を担う部族の現族長であるマガ長老は、長年頭を悩ませてきた問題を見事に解決したとして多大なる感謝の意を示したのである。
報酬の前払いだとして、長老秘蔵の蜂蜜《女王蜂の涙》を一瓶ずつ譲り受けたアーロとウェインは、その琥珀色の美しさに心酔し、その味見をして仰天した。
「うまい……」
「やば。舌がとろける」
これまでの長耳族の生活様式に合わせた食事で甘い果実や酒に慣れた舌を狂わす強烈な甘み。口の中で広がるのは濃い花の蜜のような甘露と脳髄が痺れるような濃厚な味わい。二人が今まで口にしたなかでぶっちぎりに最高の蜂蜜である。
「あぁ……。これを巡って争いが起きるぞ。絶対に丸耳に管理させちゃいかん」
「そうだねぇ。あは、止まらないよ。なんで一瓶って言われたのに一番大きい瓶を出さなかったんだろ……」
報酬として《女王蜂の涙》を受け取る際にはウェインが収納鞄から取り出したガラス瓶に入れてもらったのだが、それは大ぶりの水筒程度の容量の瓶であった。
秘蔵の品を貰うということで遠慮し、もっと巨大な瓶を出さなかったことを後悔したウェインであった。
「ねぇアーロっち。そっちもちょっとだけ味見させて貰ってもいい? もしかしたら味が違うかもしれないから。ほんと、念のため、ね?」
「瓶を貸してもらっておいてなんだが、ぶち殺すぞ」
結局、ウェインは自らの蜂蜜を三分の一ほど味見してしまった。アーロは我が家で帰りを待つ愛娘へのお土産として断腸の思いで一口の味見に留め、以降はことある毎に蜂蜜を狙おうとするウェインから守らなければならなかった。
その他にもアーロはウェインと共に長耳族の手伝いをして丸耳族の地位向上に努めた。
その間、エリーはマヤと共に近隣の集落を訪れた族長交代のための根回しを行う。長耳族と丸耳族の友好を願う二人はいろいろと功績を吹聴して回ってもいたらしい。多数の集落が手を取り合えば、技術提供や輸入の品の対価として払う物品を多く用意できるとして積極的な情報提供を行っているのだ。
聞くところによれば、今回滞在した集落以外でも噂として丸耳族のことは広まりつつあるという。今回のような長耳族にとって有益な技術などを広めることは国交の成立を大きく前進させるだろう。
新たな世界との邂逅によって、二つの世界は手を取り合って良い関係を築き挙げていくことができたのだ。
しかし、新たな出会いがあれば別れもまた仕方のないもの。
アーロとウェインの調査期間が終了し、帰国の時がやってきた。
《女王蜂》
長耳族の古い言葉で《女王蜂》
《王樹》の樹の中や根の付近に巣を造る習性を持った巨大な蜂。
森の中に生息する蜂のほぼすべてを眷属として統制している。
蜂蜜は子供を育てる栄養源のためできるだけ譲りたくはなかったので、はぐれ蜂の巣箱の話は二つ返事で許可した。
《女王蜂の涙》
長耳族垂涎の逸品。美味い、というより旨い、が似合う蜂蜜である。
《王樹》や他の効能の高い草花から抽出された蜜を集めた極上の蜂蜜。
マガ長老の秘蔵の品で、果実酒の蜂蜜割りや蜂蜜酒を嗜むのが最高の贅沢とされている。
雑感
実は火噴き鳥編のあと、《女王蜂》を主軸にした大冒険の予定だったのですが、森林世界編が長すぎたので割愛します。
ボン・キュッ・ボンでばいんばいーんな女王蜂娘が登場するのはまたの機会にどうぞ。
挿絵については例によって『CHARAT』様のサービスを利用し作成しました。
スカーフですが、マフラーっぽいのはご愛嬌ということで。
少しでもイメージの補完になれば幸いです。




