よくできた娘と神との約束
とりあえず冊子は渡しておくからよく考えろ。いい返事を期待してるぜ。
そう言ってボルザは冊子を置いて、ついでに喫茶店の伝票も置いたまま先に帰っていった。
予定よりも寂しくなった懐を抱えて帰宅したアーロは、顔見知りであるボルザから仕事を持ち掛けられたことを愛娘に話した。もちろん父としての威厳を損なうような、嫁探しについての話は伏せてそれとなく、だ。
いつだって男は見栄を張る生き物なのだ。
アーロ自身は娘がさぞや反対し行かないでと駄々をこねるだろうと想像していたが、反応は予想とは全く違うものだった。
──お父さん国の武官になるの? すごいすごい!
──ボルザさんって怖い顔してるけど、いい人だもんね。
──大丈夫。家のことは私に任せて、お仕事行ってきなよ。
──お父さんがお手伝いしてた、教会の司祭様には私から言っておくから。
──ご飯とかは教会の孤児院の方で一緒に食べるようにするからね。いつもよくしてもらってるから。
万事そんな調子で、大賛成である。その語り口からは、お父さんがまともな職に就くことを心から喜んでいる節があった。
アーロは家の裏手の教会の手伝いなどをしていたが、そこはもともと娘が下働きに出ている教会であり、手伝いといってもたまに任せられる力仕事や、孤児院の子供達の世話を行う程度である。労働の対価として食事などは提供されるが給金は出ず、定職としての現金収入は娘の教会への下働きの分のみであった。
つまり、説明などの細事は自分に任せて、ちゃんと働いて来い、というわけだ。
さらに娘はアーロの冒険者時代の愛用品を引っ張り出してきて、あれやこれやと旅の支度まで始めてしまうのだった。
上機嫌で服のほつれやボタンなどを縫い直している娘の様子を見て、しっかりと強く育ったな、という誇らしさと、あっさりと家を離れることを了承されたことに一抹の寂しさを覚えるアーロであった。
そして、暗に自分がろくに働かないごくつぶしだと言われているような気がして、かなり凹んだ。
さて、アーロの冒険時代の装備といっても大したものは残っていない。鋼鉄製の剣や鎧などの金属製品や、一流冒険者を目指して充実させた質の良い道具などはほとんどを質に入れて生活費へ変えていたためだ。家に残っているのは、たいして値もつかないような擦り切れた外套や年季の入った革鎧などがせいぜいである。
しかしこのよくできた愛娘は翌日の朝、一つの木箱を持ち出してアーロへと手渡した。
──これからお仕事頑張るお父さんに、私からの贈り物!
そう言って愛娘から手渡された箱の中身を見て、アーロは愕然とした。
中に入っていたのは、かつて自分が冒険者時代に愛用していた武具《闘装》の一つであった。
《闘装》とは、戦闘機能を持った衣服や装身具、装備、いわば身に纏う武具である。
その起源は古く、この世界の神話の時代にまでさかのぼる。
この世界の神は、一級神たるアガレアを筆頭に、三柱の二級神、六柱の三級神からなる。
一級神アガレアが世界創造の際に生み出した神々は己の役目を終えた後、世界の終末に起こる戦いに備えて戦装束を身に着けて葬される、その神々の骸を包む戦装束を神骸布という。
古代の王や英雄はこれにあやかり、また自らも神の尖兵として終末戦争に馳せ参じるため、同じく戦装束を身に纏い埋葬などの葬儀を執り行った。いつしかその戦装束には神骸布の模造品としての力が宿り、不思議な力を持つ衣服や装備となったのだ。
古い時代の遺跡や墳墓から埋葬品が出土するほか、長き時を経て神骸布を模す技術は解明が進んでおり、人造された闘装も種類が豊富にある。今では軍隊や冒険者の間では当たり前に使われている装備である。
冒険者の間などでは、どれだけ質の良い闘装を揃えているか、どれだけ多くの闘装を身に着けているか、が強さにつながるため、一流と二流を隔てる壁は闘装の差であるとも言われている。また、古代文明の墳墓や神代の遺跡から出土する闘装は強い力や特殊な性質を持っているため、冒険者の醍醐味はそういった遺跡の探索と闘装の収集にあると言うものも少なくはない。
アーロ自身も冒険者時代には血眼になって性能の高い闘装を追い求めていた。
冒険者として引退後もできれば手放したくはなかったが、生活のため泣く泣く質に入れたその武具の一つを、愛しい娘は自分の僅かな給金や雀の涙ほどの小遣いを貯めて買い戻し、保管していたのだ。
──お父さんにいつか渡してびっくりさせてあげようと思って、お金貯めてたの。
──私の貰ってるお給金じゃ、安かった一個しかまだ買えてないんだけどね。えへへ。
そう言って照れくさそうに笑う愛娘にアーロは多大なる感謝を表し、異世界からはとびきりのお土産を持ってくると約束した。
愛娘より手渡されたのは人造闘装、銘を[鉛の腕甲]という。
腕に装着する闘装で、見た目は布と革で作られた手袋と腕覆いだが、着用者の意志に反応して鉛の性質を持った腕甲へと変ずる武具である。
かつての愛用品を身に着けたアーロはそのしっかりとした重みに安心感を覚え、話を受けるつもりがあるならばここを訪ねよ、と冊子に記された場所に向けて出発する。
我が家の前では愛娘が見送りに立ち、おそらくはアーロが見えなくなるまで手を振っていた。
◆◆◆◆◆
「……なんてことがあってだな」
時刻は昼前ほど。
冊子に記された場所である街の中心地にある国営の自然公園。その地下に建てられた教会の施設、荘厳な地下聖堂へ辿り着いたアーロは、中で暇そうにしていたボルザを相手に昨夜からの出来事を滔々と語っていた。
話の途中からボルザは『ふーん』と『そうか』という生返事しか返さない置物と化していたが、話がひと段落したとなるとあくびをしながら大きく伸びをした。
「ふぁ~あ、っと」
「おい、まじめに聞いてたか? 俺の娘の美談だぞ」
「……あ~。まぁよかったじゃねぇか。家を空ける許可をあっさりもらって、餞別代わりに闘装一つといやぁ、ありがてぇことだぜ。だが一言いいか? 相談とか何とか言ってたわりにあっさり次の日には顔見せるとは思ってなかったぜ。だっせぇ」
実際にはもう何度か説得が必要かと想定し、口説き文句まで考えていたのが無駄になった形のボルザだったが、話が速くて助かるとそれ以上話題に出すのは控えた。そして後々笑い話として吹聴してやろうと心に誓った。
「仕方ないだろ。ちゃんと働くっていうことにあんなに目を輝かせてる娘を見たらなぁ」
「だぁから言ったろ。一人立ちしろって。お前さん、今のままだと娘に養われてるダメ親父だぜ」
「くっ。甲斐性のないお父さんを許してくれ……」
事実を言い当てられ、先ほどの上機嫌とはうって変わってうなだれるアーロに対し、ボルザはやれやれと肩をすくめた。
「ちゃんと働いて、娘孝行するのが親の務めってもんだぜ。まぁ、教会での懺悔はあとだ」
二人が座って談笑していたのは、聖堂の礼拝堂から一つ奥まった個室である。
朝いちばんにこの地下聖堂へたどり着いたアーロだが、しばらくこの部屋で、と茶を出されて待たされていたのだ。
やがて準備が整ったのだろうか、部屋の扉を開けて老神官が顔を出した。
白髪の老神官は教会関係者ということを表す【真実を見通す眼】の刺繍が施された法衣を身に纏い、きびきびとした動作で二人の前に立つ。
それを見てボルザだけでなくアーロも居住まいを正した。白髪の老神官の服装から、教会などにいる司祭の一つ格上、司教であると判断したためだ。
「長らく待たせてしまい、すまんの。朝は信徒たちへの説法があるのじゃよ」
「いえ、私こそ連絡もなく訪ねてしまい申し訳ありません」
座っていた椅子から立ち上がり、老神官の目をまっすぐに見ながら謝罪を返すアーロ。
そんな青年を実直と見たのか、老神官はにこりと微笑みながら右手を差し出してくる。
「構わんよ。主は拙速を尊ぶと言われておる。イグナティ・アガレアじゃ。ここで司教を任されておる」
「アーロ・アマデウスと申します。司教様にお目通り出来て光栄です」
お互いに自己紹介を行い、差し出された老神官の右手をしっかりと握り返すアーロ。
教会の司教ともなれば、なかなか直に会話を交わすこと自体も珍しい。嬉しさと同時に、これから受ける仕事が国や教会からいかに期待されているかが感じられ、アーロは気を引き締めた。
「ほぅ? 神に愛されたとは良い名じゃな。おぬしは教会の関係者かの?」
「はい、教会が運営する孤児院の出身です。名づけもそこで」
「なるほどのぅ。よき縁に感謝しよう」
そう言って快活に笑う老神官に、アーロは親しみを覚えた。歳を経た聖職者に限らず組織の上に立つ者はみな、不思議な落ち着きと親しみやすさを持っている。
アーロも娘が下働きに出ている教会に世話になると聞いてひとまず心配がないのは、小さいながらも教会を治める司祭の人柄が良いことを知っているためである。
「さて、アーロ君。さっそくじゃが、仕事の話をするかの」
「大筋は話に聞いております。なんでも異世界に行くとか」
「そうじゃ。自らの知見を広げるまたとない機会じゃぞ。まぁ詳細はあとで説明をもらってくれい。ボルザ、ここから誓約書を」
どうやらこの司教は細かいことにはこだわらず、話が速い御仁のようだ、とアーロは判断した。主は拙速を尊ぶと先ほども言っていたが、己の信条にしているのかもしれない。
ボルザは手渡された鞄から二枚の羊皮紙を取り出し、どうぞ、と司教に手渡した。
「アーロ君、こちらが誓約書じゃ。これにサインをすれば、その瞬間から君は国に仕える特務武官となり、国からの命に従う義務と責任が課される」
差し出された書類はアーロも今までの人生で数度だけ目にしたことがある、国との誓約を行うための書類である。国の公式文書としての【真実を見通す眼】のマークと、署名欄があった。
了承するならば、名を書くが良い、と羽ペンとインクを渡される。
頂戴しますと受け取り、机の上で一枚、二枚目にさらさらとペンを走らせるアーロ。既に心は決まっている。ちゃんと仕事をして、娘に胸を張ってただいまを言うのだ。と。
書けました、と差し出した書類はボルザが受け取り、署名に間違いがないかの確認をしてから司教に頷いて見せた。
「うむ。まぁこれは証明のための保管用の書類じゃな。後ほど正式に受理したものの写しを手元へ送ろう。では、正式な誓約を行ってもらうかの」
そう言って司教イグナティは何事かと聖言を唱えだす。
老神官からあふれ出す聖厳な雰囲気に、思わず胸を張り背筋を伸ばして相対するアーロ。
ボルザも同様だ。いつもは粗野とも言える振る舞いを見せる男だが、上司にあたる司教の前ではまじめにやるようだった。
少しして聖言を唱え終わったとき、司教の左眼が青白い輝きを発する。地下聖堂内は風もないのに司教の法衣がはためき、その眼と同じく青白い輝きが全身を包んでいる。
国の中でも数少ない教区を受け持つ聖職者、司教。奇跡の体現者が、そこにはいた。
「アーロ君は見たことはあるかの? 主と人との誓約を記憶する【真実を見通す眼】じゃ」
「……いえ、見るのも誓約を行うというのも初めてです。主との誓約と眼、国のシンボルと同じですね。これが正式な国、主との誓約ということですか」
「そうじゃ。なかなか聡明だの。難しいことはない、ただ己の心に従えばよいのじゃ」
青白い輝きを左眼に宿した司教イグナティから発せられる声は朗々としており、どこか厳かな雰囲気をまとっていた。
相対するアーロはその雰囲気に気押されまいと、下腹に力を込めて司教を見つめる。
「では、これよりおぬしに問う。
──汝、いかなる時も真実のみを口にし、嘘や偽証を行わぬと誓うか?
──汝、いかなる時も隣人を愛し、苦難も喜びも分かち合うと誓うか?
──汝、いかなる時も己の本分を全うすることを誓うか?」
「誓います」
「ならば問う。汝は何をその命の本分とする?」
己の心に従う、その命の本分とは何か? どんな生き方をするか、その一生を賭して貫きたいものは何か?
そんなことは考えることもなく、決まっていた。
「私の本分は、冒険です。世界に溢れた未知を追い、解き明かしたいという探究の心です」
「よかろう。汝がその本分を全うする限り、主は大いなる加護と助力を約束するだろう。汝はこれより己の心に従い、その命を全うせよ!」
「は! 拝命いたします」
そう答えた後、司教の体を包んでいた青白い輝きが一筋の光となって伸び、アーロの体を包みこむ。霊厳ともみえるその青白い輝きは、予想に反して暖かく、優しい光だった。
やがてその青白い輝きが己の左眼に集まり、吸い込まれるようにしておさまった後も、しばらくアーロは動けないでいた。
「冒険か……。よい誓約であったのぅ。わしも若いころを思い出すわい」
固まっているアーロに対してに微笑みながら話しかけてきたのは、先ほどまでの厳かな雰囲気がすっかり抜け落ちた好々爺然とした司教イグナティである。
今しがた神秘を身をもって体験したばかりの青年に対し、年長者である彼は、優しく諭すように告げる。
「いかがかな? 己の心に触れるということは、己の生き方、命の使い方を再確認する行為じゃ」
「はい……。ありがとうございます。どう生きるべきか、自然と浮かんできました」
「うむ、己の心に従って生きよ。では、アーロ君。大変な仕事だが、これからよろしく頼む」
微笑みながら激励を投げかける司教に対し再度アーロは感謝を述べ、主への祈りを捧げた。
登場人物紹介
イグナティ・アガレア 63歳
司教。国でも数少ない奇跡の体現者。
総白髪。
優しそうな神官のおじいちゃん。