疑惑の古王と燃える森
つい先日、黒い火噴き鳥から逃げるためだけに全速力で駆けていた森を、アーロは再度駆けている。
だが、今回は目的が違った。
狩るのだ。火噴き鳥を。
体の調子は抜群であった。体力の最盛期であった冒険者時代に匹敵する程の力、速度、気迫が体に満ちていた。
藪を飛び越え、行く手を遮る木立を躱し、アーロはぐんぐんと森を進んでいく。
「ついて来てるか!」
どれだけ走ろうが息は切れず、大声を上げて後続の妖精三匹組を気にかける余裕すらあった。
「うひょー! 負けないよー!」
「つらい」
「ほら、頑張れ」
妖精たちもアーロに負けじと追いすがるが、飛んでいることで何とか見失わない程度には距離が開いてしまっていた。
やがていくらかの距離を進み、アーロは不意に足を止める。
「ここらで休憩するか!」
慣らしのつもりで走り出したが、思っていた以上に調子が良いため張り切り過ぎてしまった。
本命はこの後の戦いなのだ。しかし準備運動としてはちょうどよく、体は温まった。
「ふぃー。お兄さん早いわね!」
「……背負って走って欲しいの」
「むむ、ずるいぞ」
妖精たちはというと、ヘロヘロになっているララ以外はまだまだ余裕がありそうだった。
一行は少しの間立ち止まり、皆の息が整うのを待つ。
しかしただ待っているだけなのは暇なのか、まだ元気なリリがアーロの周囲を羽ばたきながら、はてと首を傾げる。
「ねぇ、お兄さん。さっきの《古王樹》様との話だけど、なんであんなこと聞いたの?」
「あんなこと? 最後のやつか」
「そうよ。あんたは神か、なんて。《古王樹》様は力はあるけど神様じゃないわ」
アーロはふむと顎をさする。神、という概念を妖精たちが知っていることが意外であったためだ。
そして、あの時になぜ《古王樹》へ神かと問うたかと言われると、単純に疑問に思ったからであった。
「なんか、上手く行き過ぎていてな。すべてあいつの手のひらかと思っただけだ」
「んん? どういうこと?」
リリは再度首を傾げ、またくるりと横回転してしまう。
その可愛らしい仕草にふっと笑いつつ、アーロは指を立てる。
「例を挙げよう。リリ、お前はある時甘くて美味しそうな果物を持っていた。嬉しいよな?」
「甘い果物! 嬉しいわ! 食べるのが楽しみね」
「だろ? だけど、ちょっとした事故があって失くしてしまう。悲しいよな?」
「えぇ……。悲しいわ」
例え話だというのに、リリは残念そうに眉根を寄せて肩を落とした。
その頭をなんとなく撫でながら、アーロは話を続ける。
「そう、果物を失くして悲しいんだが、不意にある人が現れる。失くした果物の代わりをやるから、頼みを聞いてくれって言われたら、どう思う?」
「なんていい人なのかしら!」
「……。うん、いや、そうじゃなくてな」
やったわね! と上機嫌で笑うリリに、アーロは何とも言えない気分になった。
「お兄さん、リリは単純だから、例え話は効果がないの」
「うむ。お兄さんは、《古王樹》様がわざと腕を斬り飛ばさせ、取引を持ち掛けて火噴き鳥を倒させようとしたのじゃないか、と思ってるんだな」
「えぇっ! ひどい! ほんと?」
「……。うん、いや。そうなんだが、リリ、これは例え話だ」
知らなかった! とばかりに大げさに驚くリリをアーロはやんわりとたしなめる。
その両肩を、ララとルルがぽんと優しく叩いてくれた。
妖精は優しい生き物なのだ。
「まぁ、腕が無くなったところで取引に応じれば腕が治るって言われると、話がうまく行き過ぎているからな。ちょっと疑っただけだ」
事実、あの《古王樹》と大百足からは神秘が感じられた。
その証拠として、以前にアガレアの司教イグナティと応対したときのように、主の力を宿した左眼がちりりと疼いたのだ。
接触の後のあまりにも出来過ぎた巡り合わせに、大いなる存在との関係、神の仕業かと考えるのも仕方がないだろう。
「お兄さん、気持ちは分からなくもないが、それは無いと思うぞ」
「《古王樹》様はそんなことしないの。そもそも、火噴き鳥の退治は私たちも頼まれていたことなの」
「そうよそうよ! それに、腕を斬らなくてもお願いすればいいじゃない! 助けて、って」
「あぁ、だから俺の勘違いだよ。この森の生き物はそこまで狡猾じゃない」
あっさりと考えを引っ込めたのは、この森の共生関係と助け合いの精神をずっと見てきたからだ。
あれはただの事故なのだろう。妖精たちが来なければ自分は大百足に食われていたかもしれないのだ。たまたま助けられ、慈悲をかけられただけ、と考えるのが自然だろう。
そもそもアーロ自身《古王樹》の元へたどり着くまでに全身に怪我を負っており、左腕は重症であった。大百足に斬られなくても取引には一も二もなく応じただろう。
「分かってくれて嬉しいわ!」
「そうかい。リリも俺の例え話を分かってくれると嬉しかったんだが」
「……?」
「いや。うん、なんでもない」
どういうこと? と本気で分からないのか首を捻るリリ。
やれやれと、アーロはその小さな頭を再度くしゃりと撫でた。
「もう、変なお兄さん」
「ま、世間話はおわりだ、リリ、頼む」
「はぁーい。ちょっと待ってね」
気を取り直し、アーロはリリへ本日何度目かの依頼を行った。
頼まれると、リリは耳に手を当てて耳をそばだてる仕草を取る。
ささやき妖精の力は話すことだけではなく、聞く力も備わっており、それを使って森の中の妖精たちの言葉を聞き分けようとしているのだ。
「うぅーん、あちこちから燃えてるとか、逃げようとか、みんな混乱してるわ……あっ!」
「どうした?」
「お調子者のニニが悲壮な雰囲気に乗ってネネに告白したわ!」
「そ、それは大事件なの!」
「なんだって! それで、どうなったんだ!」
「『僕は君のことを守るから、一緒に逃げよう』だってー! くっさー!」
「ううん、普段の調子と全く違って良いのかもしれないの!」
「やるなニニめ。返事はどうなる……?」
急に始まった情熱的な展開に、途端に色めき立つ妖精たち。
アーロはその様子を無表情で眺めながら、指の骨をボキリと鳴らした。
「あっさり振られたわ! ってお兄さん、その顔怖いから! ちょっとした冗談だってぇ、あはは」
特に何を咎めるわけでもなくアーロはただ見ていただけであったが、脂汗を浮かべたリリは再度耳をそばだてて集中しだした。
やがて。
「……聞こえた! あっち!」
とリリが指す方向へと走り出す。
「よし、行くぞ!」
「はぁい! 行くわよ!」
「お兄さん……あの、おんぶ」
「ララ、諦めろ」
走り出す瞬間にララがもの言いたげな視線を向けていたが、アーロは気付かないふりをした。
おふざけに真っ先に乗っかったことに対する、ちょっとしたお仕置きだ。
そんなやり取りを何度も繰り返し、森の中を駆けること数時間。徐々に辺りには煙が立ち込め、焦げ臭い匂いが鼻につくようになっていった。
やがて、アーロと妖精三匹組は一本の《王樹》の元へと辿り着いた。
「お兄さん……ここよ」
「あぁ。分かるぜ」
アーロ達が見上げているのはまだ樹齢が若いのだろう。《古王樹》や長耳族の集落になっていた《王樹》とは比べるべくもない。普通の樹よりは大きい程度の樹だ。
だがそれでも《王樹》というだけはあり周囲の普通の樹よりも太く、大きく枝葉を広げている樹、だったのだろう。
「ひどい……」
森の様子を見て妖精の誰かがつぶやく。あるいは三匹ともが漏らした言葉だったのかもしれない。
森が、《王樹》が燃えている。炎とともに、生木を燃やすために出る燻るような煙がもうもうと上がっていた。
「離れるなよ。横と後ろの警戒を頼む」
周囲は煙により視界が悪い。不意の襲来に備えつつ、アーロと妖精三匹組は固まってじりじりと樹へと近づいて行く。
そして燃え上がる巨大な幹の根元、ちらつく炎に照らされて、黒い火噴き鳥はいた。
赤い炎に照らされてもなお黒い羽はところどころが焼け焦げ、その左翼は根元からへし折れている。
右眼にはクロスボウのボルトが突き刺さっており、閉じられた右眼は二度と開くことはないだろう。
しかし残る左眼は赤く、怒りと憎悪がまぜこぜになり燃え滾っているようであった。
「よう……三度目、だな」
アーロは自然と、声をかけた。
《クコココ……》
黒い火噴き鳥は踏みつけて啄んでいた巨大な甲虫――おそらくはこの《王樹》の守護虫――の死骸から視線を外し、アーロをその左眼で捉えた。
「うまいかよ? お食事中に邪魔しちまったな」
黒い火噴き鳥はアーロから視線を外さず、それでも足元の虫を啄むことを止めなかった。
火噴き鳥も生き物である。傷を癒すためには栄養が必要だ。そして、森にあるもので傷に効く食物は何か。《王樹の実》、そして《王樹》の恩恵に預かりそれらを食べている守護虫だろう。
黒い火噴き鳥もそれを理解しており、昨日からあちこちの《王樹》を襲っては食らっていたのだ。
しばし視線は交錯し、睨み合う。
ぱちぱちと水気のある樹が熱され、爆ぜる音が森に響いていた。
相手の出方を窺うなかで、アーロは火噴き鳥を観察していた。今回の相手は手負いだ。傷の状態、視界の状況など、勝ちを手繰り寄せるための要素は見逃せなかった。
既にいくつかの《王樹》を襲い食らっているのか、黒い火噴き鳥の傷は血が固まって塞がれていた。
右眼や胸部に突き立ったボルトもそのままだが、傷口ともあり火噴き鳥も攻撃を受けることは避けようとするだろう。
黒い火噴き鳥は残った左眼でアーロを捉えているため、体は常に左半身を向けられていた。そちら側には翼はなく、無防備な腹を晒している形だ。
相手は死角があり、体も欠損している。対する自分は体調はほぼ万全、両腕も健在である。
あまりあてにはしていないが妖精三匹組もいるため、挟撃が可能であった。
悪くない、とアーロは分析した。
エリーが言うには黒い火噴き鳥は十人がかりとのことだったが、勝ちの芽はあった。
「お前ら、危なくなったら無理せず逃げろよ」
彼我の距離を計り仕掛けるタイミングを窺うなか、アーロは視線を外さずに妖精三匹組に声をかけた。
自身も、無理をするつもりはない。敵わぬと悟れば一目散に離れる心づもりであった。
「分かったわ!」
「おにいさんも、怪我しないようになの」
「気を付けるんだぞ」
各々構え、出方を窺う。
アーロとしても付け焼刃の連携を行うつもりはなかった。各自、持てる力を以って戦うだけだ。
攻勢の気配を感じたのか、黒い火噴き鳥は虫の死骸を啄むことをやめ、全身の羽を逆立てながら吠えた。
《ゴアアァァ!》
怒気も露わに叫び、力強く地面を踏みしめて黒い火噴き鳥が走り出す。
アーロは拳を握りしめ、にっと笑った。
「かかってこいや! 鶏野郎! 焼き鳥にして食ってやるぜ!」
ついに決戦です。