秘めた気持ちと過ち
最近、なんだか楽しい。
エリーはふと、いつものように寝付く前にそう思った。
なぜだろうか? そんな自問をすれば真っ先に浮かぶのは、異世界からやって来たという丸耳の男の顔だ。彼が集落へやって来てからというもの、騒がしい日々が続いている。
まず出会いからして強烈だった。
異世界からやって来る丸耳族の案内役に抜擢されており、へらへらと軽い笑みを浮かべるウェインという男をいつものように渋々迎えに行ったときのことだ。
天幕から、あの不思議な眼を持つ男が出てきたのだ。
しかも、君に会いたくて来た。美しく愛しい君。なんて、いきなり告白をするのだ。
初対面だというのになんて男だ。思い出すだけで恥ずかしい。
まぁ、いきなりそんなことを言われて舞い上がったことは確かだ。悔しいが、認めよう。
悔しいので、エリーは寝床の柔らかい毛皮をぼふぼふと叩いた。
しかし、それでは気持ちが収まらない。
あの男、アーロというやつは口が上手いだけではないのだ。
歓迎の宴の際、長老が掲げた美しい織物に眼を奪われていたら、なんとやつは同じように綺麗なスカーフを手渡して来た。異性からの贈り物。好意の表れだ。初めて貰った。
しかもその色ときたら! 燃えるように真っ赤なのだ。
つまり。情熱的に、完全に惚れてるぜ、ってことなのだ。
これを身に付けて、周りにいい人がいるって伝えとけってことなのだ。悪い虫が着かないように守ってやるぜ、ってことなのだ。
「~~~っ!」
エリーは声にならない声をあげて、毛皮の上をごろごろと転がった。
まったく、これでは寝付けないではないか。
明日も仕事があるというのに、全部アーロのせいだ。なんてやつだ。
「明日も、か」
明日もきっと、楽しいのだろう。
やつと一緒にいると、なにかしら話している気がする。よくもまぁあれだけ話すな、と思うくらい、喋りっぱなしなのだ。
しかも、ちょくちょくからかいを入れてきて、反応を見て楽しむのだ。
不思議なやつだ。とエリーは思う。
こんな乱暴な女と話して、楽しいのだろうか。
集落のなかで自分は取っつきにくい方だと思われているというのは、なんとなく理解している。
女だが力が強く、体格もいいので威圧感があるのだという。言葉遣いも乱暴な部類に入り、同年代の女性たちからもよく言い過ぎや言葉がきついと言われることがある。
同年代の異性の友人は、いない。顔見知り程度だ。
守衛の戦士たちは、友人というのは少し違う。互いに背中を預け合う、同僚といったところだろう。彼らもまた、必要以上に踏み込んで来ることはない。それくらいの距離感だ。
だが、あの男。アーロは違う。
初対面からぐいぐいと近づいて来た。何がそんなに彼を駆り立てるのかは分からないけど、こんな乱暴な女のことをいろいろと知りたがった。
そして森のこと、長耳族のこと、自分のことを話すのは嫌じゃなかった。
たまにからかわれすぎて、手をぎゅっと握りつぶしたくなる時もあるが、なんとか堪えているのだ。
「むぅ。なんだか寝付けないな」
ごろりと寝床で寝返りをうち、エリーはなんとなく呟く。一人言だ。
同居人で相部屋であるマヤは、最近は夜遅くまで帰って来ないことが多い。なんでも、族長の娘としていろいろと教わっているらしい。
つまり部屋には一人だ。そして、アーロのことを考えていて顔が熱くなってきた。
エリーはもぞもぞと毛皮の上で身動ぎしながら考える。
あれをやるか。どうしようか。寝床に入る前にやったじゃないか。いや、何度やってもいいんじゃないか。よし、やろう。
決心したエリーはそっと寝床を抜け出すと、暗い部屋を仄かに照らしていた白い風船のような植物、蕾灯を手に持ち、部屋にある木製の棚を開ける。そこには、大切な物が入れてあるのだ。
棚からは布で丁寧に放送された木箱を取りだし、毛皮の上にそっと置く。そしてゆっくりと箱を開け、暗闇に浮かび上がるのは真っ赤な布であった。
「……うん。綺麗」
蕾灯の仄かな光に照らされるのは、アーロから贈られた真紅のスカーフだ。
これを寝る前に飽きもせず眺めるのが、最近のエリーの日課だった。
ひとしきり眺めてその色を楽しんだ後は、そっと取り出して首もとにあてる。
首に巻いて身につけたことはない。まだ返事もしていないし、こんなものを身につけたら周りに何て言われるか分からないのだ。
エリーは言い訳のようにそこまで考えて、はて、と首をかしげる。
周りになにか言われることが、困るのだろうか。
あまり困らない。むしろ、見せびらかしたい。こんな見事な品なのだ。皆の眼につき、どうしたのだと問われるだろう。
「……アーロが、私に贈り物をくれたんだ」
思わず小声で呟けば、頬がにんまりと緩む。
なんという優越感、人に想われているという嬉しさだろうか。その証拠がこの品だ。
そんなことをつらつらと考えながら、スカーフを首にあて、毛皮にぼふりと倒れ込む。
一度膨れだした妄想は止まらなかった。
――似合ってるな。
宴の席で言われたことが、もう何度目かも分からないが、頭に浮かぶ。
それを言った男の言葉、声の質は耳に残っている。どんな言葉でも脳内で作れそうであった。
――素敵だよ。
――綺麗だな。
――美しく愛しい君。
「~~もうっ!」
またしても恥ずかしさが耐えきれなくなり、エリーは再度ばんばんと毛皮を叩き出した。
悔しいが、嬉しい。顔が赤くなり、頬が緩む。
まったく。アーロめ。私をこんな気持ちにさせるとは。なんてやつだ!
ひとしきり暴れた後、エリーはスカーフをぎゅっと抱き締めた。
なんだが胸が苦しい。暴れたせいか顔だけでなく体全体が熱い。おかげで余計に寝付けなくなってしまった。ぜんぶアーロのせいだ。
「……アーロ。私の愛しい人」
寝転がったまま首もとのスカーフを掲げ、エリーはぽつりと呟いた。
呟いてから、さらに赤くなり毛皮の上で暴れた。一人言とはいえ、恥ずかしくて顔から火が出そうであった。
「むぁー! 今のはなしだ! なし!」
恥ずかしくなり誰に向けたかも分からぬ言い訳を口にしながら、毛皮の上をごろごろごろごろと転がるエリー。
勢い余って寝床として敷いてある毛皮の上を飛び出し、樹の柔らかな床の上を転がった時だ。
どん、と背中がなにかにぶつかる。
はて、まだ壁ではないはずだが。とエリーは首を巡らす。
「楽しそうね? エリー」
「ほぁー!」
思わず変な声が出た。
暗闇のなか、部屋に入って来た場所に立ってにこにこと微笑んでいたのは、同居人の女性、マヤであった。
「ただいま」
「お、おかえり」
エリーはさっと立ち上がると、転がったり暴れたせいで乱れた髪を整えた。
マヤは笑顔のまま、それを眺めている。
先程までの様子を、見られていたのだろうか。
「早かったな! み、見たか?」
「うん、スカーフ取り出したあたりから。面白かったわぁ」
「ほぁー!」
見られた。ばっちりと。あの恥ずかしい一人言も聴かれていた。
エリーは手に持っていたカーフを抱え込み、恥ずかしさのあまりに毛皮に潜り込み、頭からかぶって身悶えた。
◆◆◆◆◆
毛皮の寝床に二人して座り、もはや恥はかき捨てだとばかりに、腹をくくったエリーはマヤに自らの気持ちをぶちまけた。
伏せてはいるしバレてもいるが、アーロのことだ。
貰った品は毎日飽きもせず眺めている。
相手のことを考えると夜も眠れない。
声が、台詞が頭から離れない。
胸が苦しい。きゅうんと締め付けられるような感じがする。
そんなことを話せば、エリーよりは歳上であるマヤはあっさりと断定した。
「うん。それは恋ね」
恋。
改めて言われると、これが恋というやつか。という不思議な納得と、どう解決すればいいのだ、という不安が生まれた。
エリーとしては色恋の経験がないので、今だって自分の気持ちが整理できず悶々とスカーフを眺めていただけなのだ。
「恋かぁ……。なぁ、マヤ。私はどうすればいい?」
エリーは早々に降参して、自分よりも経験がありそうなマヤへ助けを求める。
何事にも先輩はおり、学ぶところは学ぶべきである。ということを彼女は感覚的に理解していた。
「そうねぇ。エリーのしたいようにすればいいと思うわ」
しかし帰ってきたのは、なんとも要領を得ない解答であった。
うぅん? と首を捻るエリー。その長耳も自信なさげにくるくると揺れる。
「あなたの気持ち次第ってことよ。相手がどう思ってるかとかも、あんまり関係ないわ。好きなら好きって言う。嫌なら嫌って言う。すっきりしたほうがエリーらしいわよ」
「うむ。そういうものか?」
「人の気持ちは意外と単純なのよ。でも、自分の気持ちに正直になることね。照れたり恥ずかしくても、思ってもないことを口にしたらだめ。丸耳の人は、嘘を言うと信用されないって聞いたわ」
丸耳と聞いて、エリーはぎくりとする。なぜわかった、と言いたい気分であった。
本人は隠しているつもりでも、マヤにはしっかりバレているのだ。
「ま、丸耳は置いといてだな! 嘘はだめなのか?」
「えぇ。丸耳の人たちは嘘をつかない文化らしいの。言うことは真実だし、聞いたことも全て真実だと受け取るのよ。だから、照れ隠しでも嫌いなんて言っちゃだめよ? 嘘つきは嫌われちゃうわ」
丸耳族は誠実な種族なんだな、とエリーは見直す。
あぁ、わかった! と自信を持って返事をしようとして、ふと動きを止める。
そして、たらりと嫌な汗を流しながらぶるぶると震えだす。
「あ、やばい。どうしよう……」
「……まさか、あなた……」
エリーは眼の前が暗くなり、心がざわつく感じがした。
自らの言動を思いだし、とんでもないことをしてしまった、と顔を青ざめさせる。
「ど、どうしよう、マヤ! 私、アーロに嫌われちゃう」
「エリー! 落ち着いて!」
動悸が激しい。めまいがする。
思わずくらりと倒れこみそうになるところを、マヤが慌てて支える。
アーロに嫌われるなんて、それはいやだ。
だって、だって、毎日仕事で顔を合わせるじゃないか、異世界同士の交流をしないといけないじゃないか。森も案内しないといけないし、もっといろいろなことを話さないといけないじゃないか。
嫌われて、話ができなくなるなんで、いやだ。
そんなことが心のどこかから沸いてきて、だがどうしようもなく、エリーは長耳を下げ、眼に涙を溜めていた。
しかし、現実は無情だ。
己の発言は覆せないのである。
エリーは、肉が苦手なのだ。
登場人物紹介
エリー
アーロにメロメロ。
肉が苦手。