森歩きと守護虫
翌朝、アーロは寝不足だった。
というのも、先日の夜に自分用の天幕を設営する羽目になったからだ。
野良猫商会の天幕は一人用といえど、風や雨に負けないしっかりとした作りであった。防水はもちろんのこと、燃えにくい布地を使用しており熱にも強く、頑丈だ。有事の際には腕に幾重にも巻き付ければなまくらな刃は通さないのではないか、という良品である。
こういった設備や備品にまで手を抜かないあたり、野良猫商会の仕事の丁寧さがうかがえた。
ただ、いかんせん丈夫さを重視した作りであり、暗がりのなか一人で設営をするのは骨が折れた。苦労して組み立てた後、天幕の布地に描かれた猫のマークにかすかないらだちを覚え、就寝したのが夜も遅くであった。
長耳族は日の入りと共に寝て朝日と共に起き出す生活様式だ。日が昇れば皆が起き出し宴会の後片付けを始めていた。
そのざわめきで目が覚めたアーロはすぐに朝飯を作る気力もなく、長耳族たちが掃除や片づけをするさまを眺めながら、持ち込んだ干し肉をかじっていた。
辺りを通りすがる長耳たちは挨拶とともに果物や木の実などを分けてくれており、みずみずしいそれらを食べ、さらにパサパサした干し肉を口にする。
分けられた果実はどれも美味く、甘かったりとろみがあったりと味も豊かである。そして野良猫商会が用立ててくれた干し肉もなかなかに上等な品のようで、水気は無いが噛めば噛むほど塩気と肉の味が染み出す。
あ、この組み合わせ無限に食えるわ。と果実と干し肉を交互に口にしていたアーロの元に、エリーがやって来た。
寝不足のアーロと同じく、エリーもまた眼の下にくまを作っており、やや元気がなさそうだった。眼に眩しい緑色の髪もどことなく艶が無く、長耳はしんなりとしおれているように見えた。
今日は普段着なのか、宴の時のような白く飾りの多いゆったりした服ではない。こざっぱりした服の上から獣の革を使ったらしき革鎧を身に着けている。
「よう。元気がなさそうだな」
アーロが声をかけると、エリーは昨日に見せた花が咲くような笑顔とは程遠い、ぎこちない笑みを浮かべる。
「あぁ。うん、そうだな。私にだって夜、思い悩むことはあるさ……。飯は食べたか?」
今食ってる、と言って両手の干し肉と果実を見せるアーロ。
食うか? とまだまだ余っている干し肉を掲げると、困ったような顔をして首を横に振るエリー。
その反応を見て、肉が好みだということに同意していたが、それほどではないのかもしれないな、とアーロは思った。
「さて、腹を満たしたら身支度を整えてくれ。今日から森を案内しよう」
「おぉ。やっと仕事だな。らしくなってきたな」
干し肉や果物を胃に詰め込み、よろしくとばかりに手を差し出すアーロ。
特に意味はない。相手がどんな反応をするかを見たかっただけの行為だ。
だがエリーの方は昨日の出来事を思い出したのか、長耳をほんのりと赤くさせながら、おずおずとその手を握り、握手をする。
「あ、あぁ。よろしくな?」
きゅ、と軽く握られ、手が離れる。
ただそれだけで、エリーは顔からぎこちない笑みは消え、彼女の特徴とも言える花のような笑顔を浮かべる。長耳もシャキッと立ち、今日も元気に動いている。
それを見て、アーロは寝不足からくる若干のだるさを吹き飛ばされ、今日を生きる活力が沸いてきていた。
朝から見るエルフ耳って、いいよね。と。
◆◆◆◆◆
「今から森に入るぞ! いいか、はぐれないようにしっかりとついて来るんだぞ。丸耳族は森に迷うからな」
張り切って声を上げるエリーは、身支度を整える間の雑談のおかげか、はたまた朝からのスキンシップのおかげか、元気の無さそうな様子は綺麗さっぱり消え、いつもの調子が戻っていた。
会話にも慣れたのか目を見て話すようにもなったし、受け答えに無駄に張り切ることもなくなった。
元気そうで大変よろしい、とアーロは顔を綻ばせる。
そんなエリーの背中には植物のつる葉で編んだ籠のようなものが背負われており、手には槍のように先端を尖らせた長い木の枝を持っていた。
「おう。森歩きは楽しいが、迷子は御免だな」
返事をするアーロも、背負った籠は変わらない。
服装は自前の革鎧に旅装用の外套、森には危険な生物もいると聞き、念のため腕には人造闘装[鉛の腕甲]を装着している。この闘装は装着者の戦闘意思に反応して効果を発揮する武具で、平時の今はただの布でできた手袋と腕覆いである。
そして、二人が背負っている籠の中身は宴会の後片付けを行った際に出た、いわゆる生ゴミである。
果実の芯などの食べれない部分や、皮、殻、などが主で、持ち運ぶのがつると葉で作られた籠のため、水気の多いものはさすがにない。
どれも昨日の宴会で出たものなので腐りだしたりはしていないが、長耳族はこんなゴミすらも森の恵みを得るために活用をするらしい。
二人してずっしりとした荷物を背負い、集落を離れて森の中へ分け入っていく。空を仰げば、集落の中心にある《王樹》の枝葉は既になく、ごく普通の木が青々と茂っていた。
しかし振り返れば必ず視界に入る巨大な《王樹》があれば、そうそう森に迷うこともないだろうにと思うアーロだが、油断は禁物だ。何かしら不思議な力が作用したかのように、初日は森に迷ってしまった。
念のため腰荷として水筒の魔術具を持ち歩くようにしているので、迷ったところで渇死は避けられるだろうが、そう何度も迷子を探しに来られるのは恰好がつかなかった。
加えて、長耳族は森に迷うので交流は難しい、などと判断されてはたまったものではない。
「む、この実は水でこすと染料になるぞ。いい赤色が出る。この果実は小さいが甘くておいしい。採っていこう」
そんなアーロの気を知ってか知らずか、エリーは上機嫌で道中に生えている植物の説明を行っている。軽く説明を交えつつ植物の実や種、果実を採取して背の籠とは別に持ってきた革袋へ放り込んでいく。
ただ歩いていくだけで数多くの植物を目にし、さらには食料や生活に活かせるものを採取することができる。なんと恵まれた森だろうとアーロは舌を巻いた。
さらに、おとなしくついていくことで背後から見る長耳のなんとよい眺めだろうか。
「森が豊かなんだな。俺の知ってる森は草と樹ばっかりで、食べられたりするものは少なかったな」
思わずそう漏らすと、異世界の森の生態に興味があるのか、エリーがくるりと振り向いてしゃべりながら歩き出す。
獣道と言ってもよい程には下草が茂っているが、後ろ歩きでも足を取られたりせず普通に歩いている。
やはり森の民は違うな、と再度アーロは感心した。
「アーロのいた世界の森か。どんな感じなんだ?」
「どんな、と言われると、普通の森なんだが。そうだな……」
アーロは歩きながら周りを見回し、やがて樹に張り付いてじっとしている巨大な芋虫を見つけて指を指す。
「とりあえずあんなにでかい虫はいないな」
やや離れてはいるが芋虫の巨大さは眼につく。体長は長身のアーロと同程度である。
もしも虫が苦手な人ならば絶叫しながら逃げ出すか、怒りに任せて襲い掛かるだろう。アーロのいた世界ではありえないほどの大きさだった。
だがその巨大芋虫を見たエリーは、可笑しそうに笑った。
「あはは。あれは特別だ。《守護虫》だよ」
守護虫。聞き慣れない単語である。
アーロが疑問を顔に浮かべると、心得たとばかりにエリーは説明を行う。
「あの樹を見てみろ、他の樹とは違うだろう?」
「確かに、芋虫もでかいが樹もでかいな」
巨大芋虫が張り付いている樹もまた同じく巨大だ。集落の《王樹》には遠く及ばないが、巨大芋虫が張り付いていても違和感が少ない程度には大きな樹である。
「あの樹は若い《王樹》なんだ。《王樹》はその性質として、自分を守ってくれる者を近くに住まわせる。私たち長耳族もその一つに過ぎなくて、獣や虫が選ばれることもある。そんな動物は個体として大きく、強いものが選ばれるし、《王樹》の恵みを受け取ってさらに大きく、強くなるんだ」
「なるほど、《王樹》を守るから守護虫、か」
しばし足を止めての説明に、アーロは相槌を打つ。確か《王樹》は意思疎通可能な知的生命体と聞いた。今眺めている樹も《王樹》ならば、種や実は万病に効くというし、若葉などは栄養満点かもしれない。
アーロは自らが初日に森に入った際に目にした巨大な甲虫も守護虫なのかもしれない、と思った。
「自分を守ってもらう報酬として、何かしらの恵みを与えるのか。やってることは集落の長耳族と同じだな」
「《王樹》はそういった取引が好きな種族、らしい。私たちの集落になるような樹齢の高い《王樹》はそうそういないが、若木なら比較的たくさん生息しているぞ」
やはりこの森には共生関係が根付いている。とアーロは感じる。
生きるために助け合い、支え合う。虫だろうが樹だろうが、それは同じだ。自然の形として美しい。
「ちなみに、今向かっている目的地も、《王樹》と守護虫だぞ」
「へぇ。それはどんな虫なんだ?」
アーロが小さな子供だった頃は、同年代の子供たちと共にちょっとした藪に分け入って虫を捕まえては遊んでいた。
なので虫に対する忌避感はないし、冒険者時代には虫を食料として食べたことも数えきれないくらいある。
己より大きいカブトやクワガタなどの力強い虫だろうか、それとも極彩色の蝶のような美しい虫だろうか。
年甲斐もなく、虫と聞いてアーロの期待は膨らんでいた。
そんなアーロに対し、エリーは悪戯をするように片眼を瞑って笑う。
「内緒だ。お前の驚く顔が見たい」
そう言った後に、何だか恥ずかしい台詞かもしれないと思い、一人で勝手に赤くなるエリー。
アーロも何か言いたくなったが、こらえた。自分を睨み付けてくる真っ赤になった長耳がいたからだ。
「コホン。さぁ、進むぞ!」
そう宣言してさっさと歩き出してしまったエリーを追いかける形で、二人は森をさらに進んでいった。
◆◆◆◆◆
「これは、驚いたな」
アーロは巨大な蜘蛛の巣を見上げ、驚きの声を上げた。
上を向いているせいか、口をぽかんと開けている。
目的の守護虫とは、これまた巨大な蜘蛛だった。
体高はアーロと同程度だろうか。平べったい形をしていて、体を支える八本の脚の太さはそれぞれがアーロの胴ほどもある。
木々に対しての保護色なのだろうか、黒く茶色がかった体色。八本脚や胴体には細かい体毛がびっしりと生え揃い、頭部にはそこだけ青い複数の眼が不思議な艶を放っている。
そんな巨大な蜘蛛が、巨大な蜘蛛の巣をつくり張り付いていた。おそらくは《王樹》である樹も、枝葉の部分や木と木の間は蜘蛛の巣に覆われている。
巨大蜘蛛の巨体から出されるであろう糸は太く、人の手首ほどはありそうだ。
「どうだ、かっこいいだろう?」
巨大な蜘蛛を見上げつつ自慢気に胸を張るエリー。
彼女は虫をかっこいいと思う系女子であった。自然に慣れ親しんだ長耳族のほとんどはそうであるが。
「ここは集落から近い《王樹》の一つ。守護虫は見ての通り、大蜘蛛だ」
「大って名前につくなら、やっぱ小さい蜘蛛もいるのか?」
「もちろんだとも。私の指先程度の蜘蛛なぞ、この森には数え切れないくらい種類がいるぞ。この大きさは守護虫ならではだな」
それを聞き、アーロは安堵した。
こんな巨大蜘蛛がたくさんいて、そこらじゅうが巨大な蜘蛛の巣だらけならば森を歩く際に注意が必要なところだった。
蜘蛛というのは自らよりも大きな獲物であっても頑丈な糸に絡めとり、捕食してしまう。それがこの巨大さである。人が巣に絡まれば逃げることは難しいだろう。
「長耳族が巣に引っかかったりしないのか? 集落からはそこそこ近いだろう」
「間の抜けた者が引っかかってしまうこともあるが、長耳族ならば仮に捕まっても開放してもらえるな」
「してもらえる、ってのはどういうことだ」
「守護虫には知性がある。妖精を介するが意思疎通が可能だ。そこで、自らよりも多くの食料を渡すから見逃してくれ、と交渉するのだ」
時たまに捕まる間抜けのために、集落の者らは総出で果物などをかき集め、時には《王樹》の種や実を差し出すのだという。
そしてエリーは巣を見回し、団子状に糸がぐるぐる巻きになっているものを見つけて指を指す。
「あのように捕らえられるのは、主に鳥だな。やつらは妖精を持たないし、妖精も味方はしないので樹や蜘蛛との意思疎通ができないんだ」
木々の合間を縫って飛翔するうち、張り巡らされた蜘蛛の巣に捕まってしまうのだろう。
頭上の蜘蛛に気を取られていたが、よくよく見れば、足元には鳥類のものと思われる細かい骨が転がっていた。
「鳥は《王樹》にとっての敵であり、身を守るべき相手だ。蜘蛛としては樹に生る種や実は鳥を引き寄せる餌にもなる、か。なるほど、興味深い」
「蜘蛛の食べ残しは地に落ちて養分にもなるぞ。《王樹》は取引が大好きな生き物なのだ。そして、これから私たちが行うのも取引だぞ」
背負ってきたゴミ満載の籠を下ろし、虚空に指をかざすエリー。
アーロも同じく籠を下ろし、何が始まるのかとその様子を見つめる。
やがて明滅する光の玉が森のどこからか現れ、エリーの指先にとまった。妖精である。
妖精はしばらくエリーの指にとまり、離れる。ふよふよと飛びながら《王樹》の幹に近づき、そこでチカチカと激しく明滅した。
そして再びエリーの前に戻り、一度強く光る。すると光の玉だった妖精が、強く光ったのちには羽の生えた人型に転じたのだ。アーロは思わず、おぉと声を漏らしてしまった。
この世界に来た時に出会った妖精三匹組と比べると小さいが、それでも可愛らしい妖精であった。
エリーはありがとう、と声を発し、自らの腰に下げた革袋から果実を1つ、妖精へ手渡す。
妖精は、小さな体にとっては一抱えもあるその果実を受け取り、笑い声を上げて蝶のような羽をはためかせて森の奥へと飛んで行った。
「今のが、妖精による意思疎通か?」
不可思議な光景を興味津々で眺めていたアーロが、一仕事終えたエリーに声をかける。
「そうだ。妖精を介して《王樹》と取引を行った。あの実は妖精への報酬だな」
エリーはなんでもないように言い、ゴミが詰まった籠を担ぎ上げて、中身を辺りにぶちまける。
そしてアーロにも同じくゴミをぶちまけろと視線で促す。やってもいいのか、と視線で返すと大きく頷かれる。
取引と言ったので何かしらの意味があるのだろうと、アーロも籠を持ち上げて地面にぶちまけた。
「生ゴミを散らかして、悪いことしてる気分だ」
「問題ない。私たちには食べられないゴミでも、土にかえれば《王樹》の養分になるからな」
なるほど、こちらの取引材料は未来の養分か、とアーロは納得した。
それとほぼ同時に、巣でじっとしていた大蜘蛛がするすると地面に降りて来る。
近くに来るとやはり大きさから脅威を感じる。アーロは思わず拳を固め、いつでも動けるように腰を落としていた。
しかし身構えるアーロをよそに大蜘蛛はくるりと頭部を返し、腹部を晒す。
そして──尻の先から糸をひり出した。
正確に言うならば、腹部の先についている糸いぼと呼ばれる器官から糸を出したのであるが、よく知らない者からすれば尻から糸が出たと見えても仕方がない。
太さは人の手首ほどもある糸がむりゅむりゅと止まることなく出され、地面に積もり小山のようになっていく。
呆気に取られてその放出を眺めるアーロ。その後ろではエリーがうむうむと満足そうに頷いていた。
やがて極太な蜘蛛糸の放出は終わり、大蜘蛛は何事もなかったかのように自らの巣に戻って動きを止めた。
アーロは身構えたままだった体から力を抜き、エリーを軽く睨む。
「せめて何か起こる前に説明してくれないか? 長耳族にとっては普通でも、俺にとっては初めてのことだ」
「う……。すまない。どういう反応するのかが見たくてな……。つい」
エリーは気まずそうに視線を逸らす。だがアーロもそれ以上責めたりはしない。
アーロの世界でも、辺境と呼ばれる田舎から大都市に出てきた者に未知のものを見せ、反応を楽しむということは往々にしてある。一種の悪戯である。
それが異世界に場面が変わっても、同じような悪戯心というのは当然あるのだろう。
長耳族からの客人がアガレアに来たら、必ず同じようなことで仕返ししてやろうと心に誓うアーロであった。
「まぁ、いい。それより、次はどうするんだ? この極太シルクが目的か?」
「うむ。《王樹》に養分を与えるかわりに、大蜘蛛から糸を分けてもらう取引をしたのだ。これを持ち帰るぞ」
そう言われ、アーロは目の前に小山になった蜘蛛の糸をつんつんと突っついてみた。
真っ白な糸は柔らかく弾力があるが、べたつきはしない。
「私も詳しくは知らないが、蜘蛛の糸は粘り気のある糸とそうでない糸を分けて出せるらしい。大蜘蛛の糸は粘り気のある方はくっつくとなかなか離れない強力な糸、粘り気が無い糸は頑丈で、ちぎれにくいぞ。今回出して貰ったのは粘り気がない方だ」
ふーん、と相槌を打ち、それならばと人造闘装[鉛の腕甲]を外し、素手で極太の糸をむんずと掴むアーロ。
もっちりとしていて弾力があるが、手触りはさらさらである。これで丈夫ともあれば、なかなか良い素材である。先ほど大蜘蛛の尻の先からひり出されたという点を除けば、だが。
「おぉ、なかなかやるな! 大蜘蛛の糸はかぶれることがあるから、私たちでも水で洗うまではなかなか素手では触れないのに。念のため革の手袋を持ってきたが、無駄になってしまったな!」
「うぉぉいっ! だからそういうことを先に言えっての!」
アーロは叫びながら極太シルクを放り投げ、地面に手を擦りつけた。
◆◆◆◆◆
「さて、蜘蛛の糸も手に入ったので、集落に帰るぞ!」
エリーは蜘蛛の糸が詰まった背負い籠を担ぎ直し、元気よく宣言した。
生ゴミに触れていた籠の中の大きな葉っぱをその辺の植物の葉に取り換え、革手袋を装着して蜘蛛の糸を採集し終わったのである。
こんもりと小山のように積まれた糸は、二人の背負ってきた籠になんとか収まった。
その採集の最中に軽くお説教を食らったエリーは、これからは何かある度に内容を宣言すると約束した。アーロが蜘蛛の糸の一件でがやや不機嫌になったので、これ以上からかうと怒られるのでは、と思ったのかもしれない。
「帰り道は行きとは違う道を通るぞ。途中に果物や役に立つ植物があれば採集していくからな」
はぐれないようにちゃんとついて来るんだぞ、と再度世話を焼くエリーに、アーロもおうと答える。
朝方から今いる大蜘蛛と《王樹》までを一緒に歩いてみて、エリーの森歩きの精度には驚かされた。目的地の位置を把握し、見失わずにたどり着くこと。さらに今度は別の道を辿って帰還するという。
森歩きには慣れているアーロでも、おそらくは大事を取って来た道を引き返すだろう。通ったことのある道は目印なども記憶に新しく、安心感があるからだ。
さすがは森と共に生きる種族。しかもエリーが特別というわけでもなく、全員が熟練の狩人の如き感覚を持っているのだろう。
そしてアーロは気になっていたが、狩人といえば。
「長耳族って、弓は使わないんだな」
アーロの勝手な先入観であるが、エルフっぽい耳を持つ長耳族は弓を使用する、と思っていた。
だがしかし、エリーが今手にしているのは木の枝を削った槍である。そして今までも、長耳族が弓を持っている姿を目にしていない。
「ユミか。アーロもあのウェインと同じことを言うんだな」
エリーは歩きながら、ふむ、と腕を組んで考え込む。
「ウェインにそのユミとやらを見せてもらったことがあるが、あれは動物を狩る道具だろう?」
「まぁ、用途としては狩りに使うな」
「そうだろう。ならば、我らには必要ない。そういう技術が生まれなかったのも仕方ないだろう」
必要ない。エリーはそうきっぱりと言い切って見せた。
てっきり「あんなもの、投げ槍と同じだろう?」などの戦闘部族のような答えを予想していたアーロは驚いた。
「必要ないのか? あれば便利だと思うが」
「我ら長耳族は、森の恵みを貰って生きている。食料を探したり対価を払えば分けてもらえるのに、わざわざ獣の命を奪う必要がないだろう?」
その言葉から、長耳族は根っからの採集社会なのだとアーロは思い至った。狩猟採集農耕畜産社会としての歴史を持つアガレアの人とは、根元からの考えが違うのだ。
森の恵みで生活できるから、十分。他の生き物をわざわざ傷つけなくてもよく、反撃されて自らが傷を負う危険もない。
足るを知る、というやつだ。ひとえに豊かな森があるからこそなせるものだろう。
しかも、植物から得られる食料を主食とすることは、多くは命を奪うことではない。
種を遠くに運ぶため、鳥に食べられる実をつける植物がいる。それが鳥から人に置き換わっただけだ。
二人が先ほど《王樹》の周りにぶちまけてきたゴミは、そういった種が数多く入っている部分である。いくらかは腐り土に還るが、いくらかは根付き成長するだろう。しかも場所は《王樹》の傍である。庇護のおこぼれを貰い長く生存できるかもしれない。
エリーの口ぶりからは、当然のことだろう? という含みがある。だがそこに、採集もすれば農耕もして、なおかつ狩りで肉を得るアーロたちの世界、丸耳族の生活様式を非難する響きは全くなかった。
「初日から思ってたが、この世界の生き物はよく出来ているな。争いを避けた助け合いの生き方。素敵じゃないか」
褒められたことを喜び、エリーは機嫌を良くする。それを現す長耳がピコピコと元気に揺れている。
「マガ長老も宴で言っていただろう? 森のように受け入れるんだ。だから我らは友好には友好で返す」
なるほどなぁ、と得心したように頷くアーロに笑い、だがな、とエリーは続ける。
「我らとて生き物だ。敵に襲われても受け入れるわけにはいかない。だから、敵意には敵意をもって返す。鳥とはまさにそんな関係だな」
そう言って手に持った木の枝の槍を構え、回し、突き出す。
アーロから見ると頼りなさげに見える枝だったが、案外に硬質な素材らしい。ひゅんひゅんと小気味よい音を立てて振り回される。
平和思考な長耳族だが、鳥という天敵がいるので自衛のために槍という道具は発達したのだろう。頭上から襲い来るという鳥に対して突きつければ手傷を与えられ、離れても投げて突き刺すことができる。弱い者でも集団で固まって針鼠のように突き出せばおいそれと手は出せない。
「その木の枝ってやっぱ武器だったんだな」
「うん? なんだと思ってたんだ?」
「いや、森を歩く時って木の棒とか拾いたくなるだろ? それかと思った」
「む、失礼な! 気持ちは分からなくもないが! これは《王樹》の枝を削って作られたものだぞ! そこらの木の枝と一緒にするな!」
さきほどより長耳をいっそう激しく動かしながら、ぷんすかと怒り出すエリー。
アーロとしては先ほど蜘蛛の糸の一件でからかわれたお返しのつもりだった。少々怒り出すくらいでは全く気にしない。
むしろエリー本人と、長耳の動きの両方の反応がいいので楽しくなってきた。
「いや、すまんすまん。最初にそう思っただけだ。でも大蜘蛛を見た時にはそうじゃないと思ったよ」
「本当か?」
「ああ、ほら、蜘蛛の巣を見ると枝とかで巻き付けたくなるだろ? それ用の棒かと思った」
「だからー! 槍! これは槍なの! 私の手作り! ば、馬鹿にするなぁ!」
怒りのあまり涙目になって叫び出すエリー。守衛の一族の者が、お手製の槍をからかわれるのは我慢ならないのだろう。
そしていつものお堅い口調が崩れ、見た目相応の可愛らしい話し方になっている。
やはり普段は意識してあの勝気そうな口調を作っているのかもしれない。これはぜひとも確かめなければ。と、アーロは使命感のようなものに駆られて集落への道中、ことある毎にエリーをからかい続けた。
大蜘蛛と《王樹》までは往復で三時間ほど、蜘蛛の巣の採集や休憩合わせて一時間ほどだ。
朝方に出て昼過ぎには帰って来た二人だったが、怒ったエリーはその日の午後、アーロと一切口をきかなかった。
〈エリーとお出かけ〉イベントをこなしました。
好感度が2上がりました。
大蜘蛛の糸をたくさん手に入れました。
《守護虫》
長耳族の古い言葉では《守護虫》。
《王樹》との相互補助共生関係を結んだ森の中でも強い生き物。知能が高い。
樹を守り時に樹に助けられる。
虫とあるが、これは昆虫が守護者として選ばれただけであり、獣ならば《守護獣》、魚ならば《守護魚》となる。
長耳族も一種の《守護者》と言える。