表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/104

野良猫商会

「ニャアー。忙しいニャ忙しいニャ」


 次々と届く物資の移送と保管、交代要員としてやって来る人員の割り振り、現場での指示。

 その仕事のほとんどが、野良猫商会の営業役であるトラの小さな肩に乗っかっていた。

 野良猫商会が建てた大型天幕の中で机に向かい、処理しても処理しても減らない書類の山に埋もれたトラは一人言をつぶやいていた。


「てんてこ舞いだニャ。昼寝する暇もないニャ。猫の手も借りたいところだニャ。ニャンちゃって!」


 てへ! と可愛くポーズを決めたトラだったが、あまりにも虚しすぎて後悔した。

 たぶん疲れているのだろう。そうに違いない。

 共に司令塔として指示を出していたボルザは、火急の知らせを持って神眼世界へと戻っていった。そしてウェインはというと書類仕事をそっちのけで、山岳世界の岩食族となにやら大型機械を組み立ててはぶっ壊している。


 ムラクモ商会の応援として連れてきた技師や薬師も基本的には現場仕事の役どころだ。デスクワークや統括管理を行える人材は、トラをおいて他にいなかった。

 三人分の仕事が一人に降りかかっている。まさに猫の手も借りたい状況であるが、残念ながらすぐに助けは来そうになかった。

 野良猫商会の同僚たちは今まさに物資の確保や移送に心血を注いでいるだろう。続々と届く物資が働きを物語っている。トラとて弱音を吐いている暇はなかった。


「うーニャアー。仕事するニャ。やらなきゃ終わらないニャ」


 気を取り直したトラは肉球で器用に書類をめくり、物資の受領を示す判子をぽんぽんと押していく。仕事は山積みではあったが、書類の山を片付けていくトラの顔は晴れやかであった。


「アーロさん、生きていたニャ。もちろん信じてたニャ。まだ魚を仕入れる約束果たしてもらってニャいからニャ。ふふふ。待ってるニャよ。でーっかい貸しを作ってやるニャア」


 によによと笑いながら書類を処理を行うトラ。

 なによりアーロが生きているという知らせが吉報であったが、嬉しい事はそれだけではなかった。


「一日三食の糧食が九十日分ニャ? 受領、とな。ナハハ。毎度ありだニャ。飲み水はサービスしておくニャア。お、替えの服や手袋も在庫一掃で大助かりだニャ。これを機に流行りのデザインに一新した商品を仕入れれるニャ」


 異世界調査団への物資の調達や納入は、もともと営業窓口として全てトラに任されていた。それは今の状況も変わりはない。

 つまり商会としての大口の注文が次々と、大量に入るのだ。不謹慎であるがゆえに黙っていたが、今回の騒動だけでトラの野良猫商会内での営業成績はうなぎ登りであった。

 

「軍用の装甲馬車を三つも四つも用立ててきたムラクモ商店には驚いたけどニャ。どこから仕入れて置いておくんだニャ……。うちも……いや、どう考え

ても死在庫ニャア。うちは消耗品や日用品で手堅く商売するんニャよ……。おっ、おぉ大型天幕を三つもお買い上げニャーン! 売れなくて困ってたやつニャ!」


 異世界調査団とは何やらコネがあるらしく、武器や機材の類いはもっぱらムラクモ商店を通じて購入されている。質もいい。野良猫商会はというと、食料や衣料品などの消耗品、生活必需品、組立式の天幕といった設備などを主に扱っている。どちらが言い出したわけでもないが、自然と組分けが成されていた。


 同業者と仲良き事は良いことだ。三方良しどころか四方よしである。関心関心。

 トラは柔らか肉球の両手で書類を捌きつつ、しなやかな尾を器用に使ってそろばんを弾いた。この調子であれば、まだまだ儲けが出そうだと頬と髭がつり上がる。これは取らぬ狸の皮算用ではない。今回は書類を捌けば捌くほど利益が上がっていくのだ。笑いが止まらなかった。


「儲かって儲かってしょうがないニャー! アーロさん様々だニャ。思わず最高級のお弁当を自腹で買っちゃったニャ……」


 だから、早く帰ってくるニャよ。

 トラがそう小さくつぶやいた時、ちりんと鈴の鳴る音を感じ、ハッとして書類から視線を上げた。  



◆◆◆◆◆



「ほれ、紅茶と珈琲の茶袋だ。水筒と携帯炉まである、気が利くなぁ。おっ、食った事ない高級弁当があるぞ。きっと旨い。これ昼飯な」

「わぁい! 紅茶ね! どんな味かしら?」

「本当に何でも出てくるね、この鞄……」


 小物を入れればもう一杯になるかと思われる小さな鞄から次々と物品が引き出されていく様に、リリは大喜び、アビゲイルは眼を丸くして驚いた。その脇にケルクもお座りをして控え、ふわふわの尻尾が興味深げに揺れている。

 

 地下の聖域。アーロが熱に浮かされた際に床として利用した小部屋で、彼は[小鞄ボックス]からたくさんの商品を取り出して見せたのだ。

 毛布、嗜好品、食料品、保存食、携帯炉、小型のランタンに、服。地下やアーロたちの状況が分からないなりに、有用と思える物品を詰め込んだのだろう。アーロが魔晶石を小鞄ボックスへ突っ込んでから一日後、意図を汲み取ったのか、鞄の中には様々な品が入れられていた。

 彼の思惑通り、地上にいたウェインがアーロからのメッセージに気が付き、物品を采配したのだ。


 今は中身の物を取り出せばすぐに補充がなされるような状態である。地下の小部屋はあっという間に品で溢れかえり、鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツも一つ一つの品を興味深げに眺めていた。


「これは何なのダ? なにやら良い香りのする」

「茶だよ。後で飲むか。それよりも今は……」


 ひとまず数日は快適に生活できそうな程の物品を取り出した後、アーロは小鞄ボックスから手のひらほどの大きさの鈴を持ち出し、頬を緩めた。


「さすがは相棒」


 アーロは満足気に頷くと、取り出した鈴を大きく三度揺らす。ちりんちりんと音が鳴り響き、鈴が淡く光り出す。やがてその光が宙に広がり、複雑な紋様を形成し、いっそう強く発光した。


「わぁ……」

「ほう。まじないの類いか」


 すると、呪術的な雰囲気を持つ複雑な紋様が宙に広がり、やがて人の顔程の大きさに収縮した。紋は複雑に絡み、透明度を増して鏡の如く澄んでいく。

 宙に浮かび、細かく砂嵐のようなノイズが走っている窓のような楕円球。それはかつてアーロが眼にした野良猫商会と繋がる転移紋であった。先ほど鳴らしたのは紋様を作り出す不思議な呼び鈴である。


「……ふむ」


 何かを察知したのか、鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツはそっと身を引き、座り込んだ二人から、そして宙に浮かぶ窓から映らない位置へと離れる。

 その様子を見て考え込んだアーロもまた、くすんだ色合いの外套を脱ぎ、投げ渡した。 

 ケルクがわふ? と不思議そうに首を傾げる。

 

「いいのか」

「ああ。秘密だ」


 悪戯っぽく微笑むアーロに黙礼をして、鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは外套を被って座り込んだ。そうすれば、暗がりの中で視認することは難しくなる。万が一身体が見られても、毛もくじゃらの何か、ということしかわからないだろう。


 さらにアーロは[小鞄ボックス]から取り出した毛布を引き寄せ、喪失した脚を覆う。これで傍目からは両脚が無いとはわからないはずだ。

 

「アーロ……」

「いいの? 脚のこと」

「いいんだよ。聞かれなきゃ平気だ」

 

 やがて……小部屋の中に紋様の窓が出現する。

 そうすると、すぐさま覗き込むようにして一匹の虎猫が顔を見せた。


「……猫?」


 毛艶が良く愛くるしい猫の顔には、確かな知性と喜色が宿っている。場違いな猫の姿を見たアビゲイルは呆けたが、アーロは頬を緩めた。

 

「トラさん!」

「アーロさん無事だった──ニャぁぁぁ!」

「お父さん! お父さん聞こえる!?」

「アーロっち! 生きてるよね!」

「おぉい探したぞこの野郎!」


 窓に一瞬だけ顔を映したトラの顔が押し退けられ、代わりに栗毛の少女が顔を出す。その背後には喜色満面のウェイン。そして暑苦しいボルザの顔。

 アーロにとって懐かしさすら感じるその声、そして映った少女は……。


「ルナ!」

「そうだよ! 私だよ……!」

「どうしてお前が山岳世界ここに?」

「助けに来たの! 遭難したって聞いて、まだ生きてるって! 私感じたの、分かったの! よかった……よかったぁ……」

「……すまん」

「いいの、生きてたから。う、うぅあぁぁ……!」


 ルナは凄まじい剣幕で詰め寄ったと思えば、自らの身を抱き締めるようにしてへたり込み、ぼろぼろと涙をこぼす。

 えぐえぐと泣きじゃくる彼女をどうなだめるべきか、アーロが考える前に紋の映す向きが変わり、今度はもじゃもじゃの髭が窓へと映る。

 

「アビィ! 聞こえるかアビィ!」

「お……親方!」

「あぁ俺だ! 無事か! ええいこれはどうやって映すんだ!」

「重いニャ! どくニャ髭もじゃ!」

「さっさと顔を映せ! アビィはいるんだろ!」

「たぶんいるけど順番ニャよ! レディファーストニャ!」

「おいおい、子供じゃねぇんだ、落ち着けよ!」

「黙れ毛無しの毛無しが!」

「は? 言ったなこの髭野郎が!」

「二人とも! 喧嘩してる場合じゃないでしょ!」

「いいよ私は。早く代わってあげて」

 

 喧々囂々《けんけんごうごう》。

 鬼気迫る剣幕で操作に悪戦苦闘している髭もじゃは、おそらく岩食族のゲルナイルだろう。トラが苦言を呈し、ボルザとウェインが怒鳴り、ルナは空気を読んで身を引く。

 苦笑したアーロはアビゲイルを手招きし、小さな窓のような転移紋の前を譲った。


「親方……ボク……」

「アビィ! 生きていた……アビィ……!」

「な、なんで泣いてるのさ……」

「これは、これはアレだ。その……俺が泣くか!」

「誰がどう見たって泣いてるよ!」

「うるさい! 俺の勝手だろう……アビィ……!」


 アビゲイルと言葉を交わした瞬間、涙を一筋流すゲルナイル。口では少しだけ抵抗したが、溢れ出す涙は止まらなかった。そのまま拭うこともせず、おいおいと泣き出してしまう。ゲルナイル。銅鑼声の男泣きであった。


「えっと……あの……」


アビゲイルは、こんなときどうすればいいの? とばかりに助けを求める視線をアーロへ向けたが、苦笑いを返された。


「不器用だな。おやっさんは」

「……うん。ボクもだ」


 そして小声でぼそりと告げられ、同意する。

 いつかの話だ。アビゲイルはゲルナイルときちんと向き合い、腹を割って言葉を交わすことを心に決めた。だが、今はまだその時ではない。

 うぉんうぉんと風が唸るように泣き出し、顔面を涙と鼻水でぐずぐずにしたゲルナイルから視点が代わり、今度はウェインとボルザ、そしてトラの姿が映し出される。


「うニャ! もう繋いでいられないニャよ! 途切れるニャよ! アーロさん、少しの辛抱ニャ!」


 やや焦ったようなトラの言葉どおり、窓に走る砂嵐のようなノイズがひどくなっていく。

 おそらくは、もうしばらくも繋いでいられない。

 

「お父さん! お父さんお父さん! 絶対に助けるから! 約束するから! 死んじゃ駄目だから!」

「もうちょっとだけ不便かけるけど、待っててね」

「アーロぉ! 生きてろよ! 物資はいくらでも送る! そんな所でくたばるんじゃねぇぞ!」

「アビィ! 戻ってこい! お前の居場所は地下じゃない! 母さんも待ってるぞ!」

 

 途切れ途切れとなる映像と音声のなかで、皆は代わる代わる声をかけた。

アーロもアビゲイルも、おうともうんとも答える暇もない程に矢継ぎ早に言葉を浴びせられ……やがて映像はぶつりと途切れる。


 ちりん。と。

 小部屋に終わりを告げるかのように鈴の音がちりんと鳴り、一瞬だけやかましさが支配した地下に静けさが戻った。

 賑やかさが消えた地下の小部屋に、ばさりと布をはためかせる音が響く。


「助けガ来るようダな。今しバらく、ゆるりとくつろグといい」

 

 完全に沈黙し、紋が消えた事を確認した鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは外套をアーロへ返し、やや嬉しそうな声色で告げた。

 

「すまんが、もうしばらく厄介になるぜ」

「でも繋がっただけよね? どうするのかしら」

「捜索するのかな……ところでアーロ」

「ん?」

「ちょっと聞きたいんだけどさ」


 ふと、平然と、ちょっとした疑問として、何の気なしにアビゲイルから向けられた言葉だが……。

 きゃひん! と鳴き、今まで傍でくつろいでいたケルクが耳を伏せて走り、逃げ出す。

 

「お父さんって言った子、どういうこと?」


 小首を傾げて問うアビゲイルは無表情であった。

 多くを語らずしも怖気おぞけを発する彼女に、アーロは黒蛇神と対峙した時とはまた違う寒気を感じた。

 

 その後、アーロはしばらくの時を事情の説明に費やすのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

200ブックマークや1万アクセスを越えました! ありがとうございます。

これからも更新頑張ります。

小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ