生者の葬式
神眼世界の首都。アガラニア。
その市街地にある大きな自然公園では、今まさにアーロ・アマデウスの告別式が催されていた。
場に集まった集団が囲むのは、一つの棺。しかしその中に遺体は納められておらず、空であった。
棺を前に沈痛な面持ちでうつむきながら拳を握り締めるのは、黒い喪服姿のルナ・アマデウス。背後には正装である司祭服を着こんだトマス・アマデウスと、泣き腫らして眼を充血させた孤児院の子供たちが控えている。
棺を挟んで対面には、あまり身なりが良いとは言えない老若男女が集っていた。
熊のように大柄な体躯を持つ大男。鷹のように目付きの鋭い男。小猫のように活発そうな女性。鎧姿の者、凄惨な傷痕を持つ者もちらほら。ならずもの、ごろつき、無頼漢。そんな者たちが孤児院の面々よりも多数。いずれも武装こそしていないが、荒事を生業にしていると一目で分かる出で立ちであった。
着ている服もばらばらで、服がそのまま簡易の儀礼にも通用する僧兵や神官風の者たちはまだしも、黒い服を用立てて着たのかサイズの合っていない者、金属鎧を塗料で黒く塗った者、果てには革鎧や布服の姿で腕や首に黒い布を巻き付けただけの者までいる。
彼らはいわゆる『冒険者』であり、アーロの突然の訃報を受けて駆けつけた、彼に所縁のある者たちであった。
「……特務武官アーロ・アマデウスは我らの良き友であり、我らの良き師じゃった。彼は常に新しい物事に眼を向けており、失敗を恐れず何事にも挑戦し、どんな困難にもめげることなく立ち向かう強い心の持ち主じゃ。そんな彼の働きに我々はいつも助けられていた。昨今、新たな友として森林世界エールバニアとの交遊を結ぶ事ができたのも、彼の輝かしい功績の一つじゃろう」
多数の人々が集まった告別式の場。その棺の横で口上を述べるのは、質素だが品のよい刺繍が施された法衣を身に纏う老人。
アーロが勤める異世界調査団。その元締めであるアガレア国教の司教。イグナティ・アガレアその人であった。
「そんな彼が、前途ある若者である彼が命を落とすことになったと聞き、わしは自分の耳を疑った。老いぼれの白昼夢か、どこぞの悪魔が戯れ言を囁いた、とな。入念に調査を命じて捜索を続けておったが、遂に判断を迫られた……」
語るべき事を全て暗記しているのか、司教イグナティは集まった皆を、そして棺を見つめながら淡々と口上を述べる。その表情は固く、悔しさが滲んでいた。
事実、アーロが山岳世界にて行方不明、そして死亡した可能性が高いという報告を受けた際にも、彼は頑なに信じようとはしなかった。
あの青年はそんな柔な輩ではない。生存を信じてもっとよく探せと指示を出し続けていた。
しかしイグナティが異世界調査団の監督者の席に収まっているとはいえ、他の者の発言権が無いわけではない。山岳世界の事故から三十日を過ぎた時点で、救出・捜索にかかる費用に対しての効果を疑問視する声や、悲観して死亡判定を早めに付け、遺族への謝罪と補助補填を進めるべきだという声に押され、遂に決断を迫られてしまった。
議論は飛び火し、やはり異世界との交流は危険が伴うのではないか。一旦は人員の募集と派遣計画を取り止め、派遣先の世界について入念に安全を確認すべきではないか。など。安全と慎重を期する他の司教達からの横槍を受け、肝心の捜索活動への援助は受理されず、助力は遅々として進まなかった。
そして異世界調査団としての公式会見と、死亡判定を下したアーロ・アマデウスの葬儀に立つ役目を、イグナティは自ら進んで引き受けた。
彼は大きな変革には何らかの犠牲が伴う事を十分に理解していた。しかし理解している事と許容できる事は、全く別の問題であるという事実を思い知る事となった。
さりとて、若者の死を惜しむ気持ちに嘘はない。イグナティは後悔と責任を負って葬儀の場に立っていた。
「本来であれば、先に冥府の腕に抱かれるのはわしのような老いぼれの役目であろう。あまりに早すぎる旅立ち。役目を代われるものならば、いつでも代わってやるつもりじゃ……。いや、言うても栓なきことじゃな。彼の者は命を燃やし、流星のように輝いて生きた。このように多くの者たちが別れの場に集まった事こそ、彼の生きた様そのものを表しておるじゃろう。真に残念じゃが、せめて涙を拭い、盛大に送り出そうではないか。剣をここに」
傍に控えた神官が豪奢な備えの長剣を持ち出し、イグナティは柄と鞘を掴み、頭より高く掲げる。
国に仕える武官の葬儀には副葬品として一振りの剣を供えることが古くからの慣わしであった。棺に入れられるのは故人の持ち物の他、有力者ならば多くの闘装を、加えて文官ならば紙と筆を。そして武官であれば剣を国より与えられる。
国に、人のために命を捧げた者の勇気を讃え、今回は儀礼用の厳かな造りの長剣が、遺体の代わりとして棺へ納められる予定であった。
最大限の礼を払った所作でイグナティは長剣を捧げ持ち、歩みを進めて棺の前へと立った。
「我らの友、アーロ・アマデウスの安息を永遠に願おう。叶えられるならば、偉大なる神の聖堂での再会を祈ろう。わしは自身の力不足と短慮を彼に詫び、終末戦争においては足となり盾となることを誓おうではないか……鐘を!」
イグナティの合図により、自然公園に葬儀用として組み立てられた鐘楼が打ち鳴らされる。
死者の安息を願う鐘の音が響き、孤児院の参列者からは一層大きな泣き声が上がり、冒険者たちも涙ぐみ、また肩を震わせた。
◆◆◆◆◆
ルナ・アマデウスは、父であり夫であるアーロの葬儀の間、怒りに拳を握り、想いを滾らせていた。まさに、心ここにあらずという様子であった。
最愛の者の死を受け入れられないのか、受け入れたくないのか。イグナティの口上を遮り、そんなのは嘘だと糾弾したい気持ちに幾度となく駆られ、ルナは唇を噛み締めて耐えた。
しかし葬儀が進み、安息を願う鐘が打ち鳴らされた際、心がざわつくのを彼女は感じた。
「違う……違う違う」
「ルナ君?」
ぼそぼそと呟くルナに気がついたトマスは怪訝そうな表情でどうしたのかと問いかけ、労うようにそっと肩へ手を置いた。
「違う。違うんです司祭様」
確かに痛ましい出来事だ。だが、違う。
ルナは顔を上げて耳を澄ました。
響く鐘の音、違う。悼む泣き声、違う。
遠くから聞こえてくる足音。息を切らして階段をかけ上がる音。
──これだ。
「そうよ。まだだよね」
「ルナ君……いったい何のことを……」
なぜ、自分はこんなにも憤っていたのか。アーロの死を述べるイグナティの言葉を遮りたくて堪らなかったのか。ルナの抱いた疑問が彼女の中で確信に変わった時。
「──その葬儀、待ったァ!」
鐘の音が響く自然公園の中央。地下聖堂へと続く扉が勢い良く開け放たれた。
転がるようにして、否。実際に足をもつれさせて転がりながら、筋肉ダルマのような大男が慌てた様子で駆け込んで来た。
「彼は……?」
トマスを初め、自然公園へ集まった者たちは皆、怪訝そうな様子で大男を眼で追う。しかし好奇の視線など全く意に介さない大男は司教イグナティの元へ駆け、滑り込むようにして膝を着いた。
「待った! まだだ。まだなんですよ司教様!」
詰め寄るような懇願に、傍に控えた神官たちが止めに入ろうとしたが、イグナティが手で制す。そして息も絶え絶えの大男、ボルザ・ボルザックの肩を優しく撫でた。
「よい知らせ、じゃな……?」
「えぇ、司教様。あの野郎は……」
続くボルザの一言を聞き、イグナティは驚愕の表情を浮かべ、続く二言目を聞き、驚きの表情は喜びへと変わった。
そして……。
「ハァーハッハッハ!」
イグナティ・アガレアは大口を開けて笑った。
先程までの厳かな様子とはあまりに駆け離れた笑い声に、集まった皆もまた呆けたように口を開けた。
「くくくっ! はっはっは! なるほどのう!」
しばらくの間、イグナティは愉快そうに声を上げた。やがて何事かとざわめく葬儀参列者に視線を向け、すまんすまんと手で示した。
「あぁ、いやぁすまんの! あまりにも上手く行き過ぎたせいで、つい笑ってしもうた。なぁ皆の衆。今日は方々からよく集まってくれた。礼を言わんとな。それで、今日は何の集まりと聞いておるかの? そこのデカいの?」
にこにこと笑みが浮かぶことを堪えきれぬイグナティは集まった皆に視線を撒き、最前列にいた熊のような大男へと問いかけた。
「え? あ、その、あっしは副だんちょ……アーロさんの葬式だって聞いたんで、早馬で慌てて駆けつけたんでさ……」
「ほう、そうかそうか。確かに言うたなぁ。異世界調査団の特務武官。アーロ・アマデウスの葬儀を執り行うと。神殿経由で縁者に広く触れ回ってもらったはずじゃ」
楽しくて仕方がないといった様子のイグナティは口角を吊り上げて笑う。
「うむうむ。よう来た。しかしのう……」
そして先ほど長剣を納めんとしていた葬儀用の棺を、思い切り蹴り上げた。
「アーロ・アマデウスが死んだなどというのは……冗談じゃ!」
ごとり、と空の棺がひっくり返り、地に転がる。
司教イグナティのたった一言で自然公園は波を打ったようにしんと静まり返った。
「……どういうことで?」
「は?」
「えぇ?」
皆の反応は似たようなものであった。顔を見合せ、何事か分からぬ様子で首を傾げる。
しかし、そんな中で一人、老人は笑い続ける。
「くくくっ! あっはっは! 大の大人が揃いも揃ってよう集まったのう! 傑作じゃ! 傑作ものの謀りじゃな! ここまで上手くいくとは、わしゃ可笑しくて笑いが止まらんぞい! ハーハッハッハ! 涙まで出てきよるわ!」
イグナティは腹を抱えて大笑い。言葉の通り、目尻に涙まで溜めている。
好き勝手に笑う老人を参列者の皆はしばらくぽかんと見つめていたが……。
「……クハッ!」
不意に、鷹のように目付きの鋭い男が息を吹き出した。
「ハハハハッ! なんだよ。驚いたぜ! 悪運の強い副団長が遂にくたばったかと思って駆けつけたのによ。とんだ大法螺だとは! こいつは一杯食わされたなぁ、おい!」
片手で頭を抱え、笑いながら肩を震わせ、隣にいた大男の肩をバシバシと叩く目付きの鋭い男。
「痛っ、痛い! なぜ叩くのですか!」
「うるせぇ! ちょうどいいところにでかい肩があるんだよ! これが叩かずにいられるかってんだ! むかつくだろ! なぁ?」
「……ん。なるほど!」
叩かれた側の熊のような大男は迷惑そうに顔をしかめたが、それを塗りつぶすように笑みが広がる。
「なるほどなるほど。分かりましたぞ! これは、我々を謀ろうとした副団長になにか一言言ってやらねばなりませんな!」
「だろ!? 会ったら一発殴ってやらねぇとな!」
「……はい! バカ野郎って叱ってやらないといけないのです!」
最前列にいた男二人の言葉に、活発そうな女性も目尻を拭い同意する。その言葉を皮切りに、葬儀と聞かされて集まった冒険者たちの間からも同様の声が次々に上がった。
どうやら葬式というのは全くのデタラメで、アーロは生きているらしい。ならば悪戯の礼に、一発くらい殴ってやらねば。そんな声が満ちる。
皆、一様に笑っていた。一杯食わされたと怒りに肩を震わせ、手の込んだ悪戯の可笑しさに涙を溜めて笑っていた。
「恐れながら司教様。こんな迷惑な事を仕出かしてくれたアーロ・アマデウスの姿が見えませんが、いったいどこで油を売っているのかお聞きしても?」
「良いとも。彼はのう……」
「待って」
イグナティと、その前で芝居がかった仕草で頭を下げた目付きの鋭い男の間に、ルナが割って入る。
そして、おやと顔を綻ばせたイグナティの手から儀礼用の長剣を引ったくった。
「あんたたち……」
ルナは長剣をずらりと引き抜き、地面に転がっていた空の棺へと深々と突き立てた。
「いつまでもヘラヘラ笑ってんじゃないわよ」
ガンッ!という鋼鉄の剣が硬い木を貫く鈍い音が響き、ざわめいていた自然公園は一瞬で静まった。
からんからん、と剣の鞘が転がる音が空しく響く。突然の行動、あまりの剣幕に、ボルザやトマス、孤児院の子供達は皆一様に呆けたように口を開けた。
「へぇ……」
「おぉ……」
「わっ」
額に青筋を立てた少女、ルナの姿を見た目付きの鋭い男、ガズーは面白そうに口を歪め、熊のような大男、グロウズ・グリズリーはつつと冷や汗を垂らし、子猫のような女性リズ・ランは瞳を輝かせた。
「お願い。アーロ……お父さんはきっと、異世界で生き埋めになってるの。力を貸して」
ルナは神妙な表情で告げ、頭を深く下げた。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか。お嬢さん」
「えぇ。微力ながら、我ら力になりますぞ」
「格安にしときますからね!」
彼女の言葉に、居揃った冒険者たちはある者は頬を吊り上げ笑い、ある者は表情を引き締め、ある者は安心させるように微笑みを浮かべた。
「若人よ、行け……」
次々に協力と、賛同の声を上げ出した冒険者たちを眺め、イグナティは厳かに頷き、眼を細めた。
◆◆◆◆◆
この騒動が終わってからしばらく後。酒の席にて当時の感想を述べる機会を得た三人はこう語った。
「あの眼つき、あの語り。お嬢ちゃんが《銀星》の妹だって、俺は一発で分かったね」
「怒った姿の剣幕が似すぎて肝が冷えましたぞ」
「昔の団長を思い出しました!」
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