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ゲイシャの国

作者: 鶏の照焼

 日本へのホームステイを三日後に控え、メアリー・コールマンの心は期待と不安でごたまぜになっていた。学校主催のこの交換留学プログラムに自分から参加したのは事実だが、それでも当日を前にするとどうしても弱気になってしまう。

 果たして自分は本当に日本で上手くやれるのか。そもそも日本とはどのような国なのだろうか。とにかく何もかもが不安で仕方なかったのだ。


「なに行く前から弱気になってんのよ。そんなんじゃ本当に向こうでやってられなくなるわよ?」


 そんな彼女に、同じクラスの友人が話しかけてきた。メアリーは愛想良く笑みを返したが、その同性の友人はそれが空元気である事を見抜いていた。


「だから、今からそんな顔しない! あんたは笑ってる方がずっと可愛いんだから、笑いなさいって。暗いままだと、向こうで絶対馴染めないわよ?」

「う、うん。それもそうよね」

「そういうこと。いつも通り、明るく振舞うこと。そうすればきっと向こうでも上手くやれるわよ。あんた日本語も得意なんだし、絶対大丈夫だって」


 友人の言葉は、メアリーの心に深く染み込んだ。そうしてメアリーが友の助言を得て心構えを新たにしていると、唐突にその友人が尋ねてきた。


「ところでメアリー。日本の名物が何か知ってる?」

「え?」

「ホームステイするんだから、せめてその国の常識くらいは覚えておかないね。で、どう? 何かわかってる?」


 友人の問いかけに対し、メアリーは言葉に詰まった。理解していなかったからではない。日本特有の物品が多すぎて、どれを一番に挙げればいいか迷ったのだ。


「候補が多すぎて絞れないわ。何が一番有名なのかしら」

「ああ、そういうこと。まああそこは何でも作ってるからね。迷うのも仕方ないわよ。でも大丈夫」


 そこまで行って、友人は無い胸を叩いた。それから彼女はメアリーに対し、自信満々に口を開いた。


「私がとっておきを教えてあげる。これさえ知っていれば絶対安心って程の、超安牌をね」

「そんなのあるの? 教えて教えて!」

「もちろんいいわよ。それはね」


 そこまで言って、友人が人差し指を立てる。そしてウインクをしながらメアリーに告げる。


「ゲイシャよ」

「げ、ゲイシャ?」

「そう。ゲイシャ、ニンジャ、サムライ。これがニッポンの三種の神器よ」


 友人はどこまでも自信たっぷりだった。一方でメアリーは、彼女に相談したのは間違いだったのでは無いかとひっそり思い始めていた。

 ゲイシャ。ニンジャ。サムライ。それらが何なのかはメアリーも知っていた。そしてそれが「時代遅れ」の産物であることもまた、彼女は理解していたからだ。





 そんなやり取りから数日後、メアリーは遠い東の地、日本に足を着けていた。空港ではこれから二週間お世話になるステイ先の家族が、総出で自分を出迎えてくれた。

 結果から言えば、その家族も留学先の日本の学校も、共にメアリーに対して優しかった。彼らはそのどちらもがメアリーを歓迎し、友人として接してきた。

 そしてメアリーも、彼らの誠意にしっかりと答えた。明るく、笑みを絶やさず、積極的に彼らと交流を深めていった。

 互いが互いを尊重し合い、異なる文化を教えあう。彼女のホームステイは、まさに大成功であった。


「ところでアッコ、ニッポンの名物って何かわかる?」


 そして順調にホームステイを続けていたある日、メアリーはふと思い出したようにそんな事を尋ねた。ステイ先の家の一人娘で、メアリーと同じ高校に通っていた高坂秋子たかさかあきこは、その突然の問いかけに困惑した。


「え、どうしたの突然? 何かあったの?」

「大したことじゃないんだけどね。そ、その、こっちに来る前に向こうの友達と話しててさ」


 この時二人は学校から帰った後、秋子の自室にいた。そこでメアリーは簡潔に、母国での友人とのやり取りを話して教えた。もちろんゲイシャ云々のくだりも、メアリーは一から十まで話した。


「ゲイシャとかサムライとか、さすがに時代遅れもいいところよね。アッコもそう思うでしょ?」

「……ふうん」


 それに対する秋子の反応は、メアリーの予想していたよりもずっと淡泊だった。しかしそれは気分を害したが故のそれでは無かった。むしろ相手を値踏みするかのように、秋子は神妙な面持ちでじっとメアリーを見つめていた。


「ど、どうしたの?」


 それが却って、メアリーには不気味だった。怒る事も無ければ笑う事もない。ただじっとこちらを見つめるだけで何もしてこない。

 相手の心が読めない。それが怖かった。


「……」


 そんなメアリーの前で、秋子は真剣な顔を崩さなかった。そしてお互いが顔を見合わせたまま暫く時が経った後、秋子は唐突に懐から携帯電話を取り出した。


「ああ、ちょうどいいや」


 そして携帯電話を暫くいじった後、秋子はおもむろにそう呟いた。それから彼女は携帯電話をポケットにしまい、改まってメアリーに向き合った。


「知りたい?」

「えっ?」


 突然の問いかけだった。秋子は真顔だった。

 意味が分からず呆然とするメアリーに、顔色を変えずに秋子が続けて言った。


「私、ゲイシャがどこにいるか知ってるんだけど、興味無い?」

「どういうこと?」

「会ってみたい? ゲイシャに?」


 メアリーは言葉に詰まった。ゲイシャと呼ばれている人達が今もニッポンにいることは彼女も知っていたが、それらはこのトウキョウにはいないということも知っていた。


「確かゲイシャって、キョウトとかいう所に行かないと会えないんでしょ? これからキョウトに行くの?」

「京都には行かないわよ。ここにいてもゲイシャには会えるのよ」

「本当に?」

「ええもちろん。ついでにニンジャにも会えるわよ」


 そこまで言って、秋子は初めて笑みを見せた。その笑みを見てメアリーが安堵を覚えていると、再び秋子が彼女に尋ねた。


「で、どうする? 明日休みだし、会ってみる?」


 誘いに乗るべきか。乗らざるべきか。

 メアリーの心はとうに決まっていた。





 次の日、メアリーは秋子に指定された場所で彼女を待っていた。これといって特別な場所ではない。彼女は都内にある駅の一つ、そこに建てられていた犬の銅像の近くにいたのである。


「本当にここであってるのかしら」


 昨日、ゲイシャに会いたいと言ったメアリーに対し、秋子は「明日ここで待っていれば会える」と答えた。しかし実際来てみてもゲイシャの姿は見えず、それどころか秋子の姿も見当たらなかった。


「いったい何のつもりなの? どこにもそれらしい奴なんて見えないじゃない」


 今日は休日だからか、周りには自分以外にも多くの人間がいた。中には自分と同じく、明らかに

外国からやって来た者もいた。

 ふと気になってメアリーは時計を見た。午前十一時五十二分。昨日の秋子はあの後、正午になればゲイシャに会えると言っていた。

 本当に会えるのだろうか。


「まあ、待ってみましょうか」


 とは言っても、秋子が嘘をつくような人間には思えなかった。メアリーは観念して、正午まで待つことにした。

 それからの八分間は何も起こらなかった。メアリーは少し落胆しつつも、そのまま正午まで待った。この八分の間に周りの人間が心なしか増えたような気もしたが、メアリーは「気のせいだろう」とそれ以上考えなかった。

 そして目的の時刻。どこからともなく昼を告げるサイレンが鳴る。

 そこにいた人間の一人が声を上げたのは、まさにその時だった。


「来たぞ!」


 男がある方向を指さす。次の瞬間、そこにいた残り全員が一斉に同じ方向に目を向ける。

 メアリーも反射的にそちらを向く。彼女を含む全員が、遠くにある高層ビルの方へ視線を向けていた。


「どこだ?」

「どこにいるんだ?」

「あそこだ、ビルの後ろ!」


 その高層ビルの背後に何かがいる。ビルと同じくらいの高さを持った黒い影が見える。

 やがてそれがぬるりと姿を現す。真っ昼間のビル街のど真ん中、巨大なそれが白日の下に晒される。

 直後、メアリーは絶句した。


「え」


 ありえない物を前にして、メアリーの脳味噌が一瞬機能を停止した。さらに次の瞬間、姿を見せた影から高らかな声が轟いた。


「ふはははは! 愚かな日本人どもめ! 今日こそこのドクター・ミツル様が、このハナコ百三十号で貴様らを征服してくれるわ!」


 年老いた男の声だった。そしてそのしわがれた声の源、その中心にあったのは、巨大な人型ロボットだった。

 顔立ちは女らしく、髪は後ろで束ねて豪奢な髪飾りで纏め、顔面を白く塗装していた。さらに体つきは細く、着物のような角張った装甲で覆われていた。足には高下駄を履き、手には傘を持っていた。

 機械的だったが、同時にどこかで見たことのある姿だった。随分前にネットで見たような、メアリーには見覚えのあるデザインだった。


「あ、ゲイシャだ」


 ゲイシャ型ロボだ。次の瞬間、メアリーの脳は無意識の内に、そんな言葉を思いついた。

 そして同時に、そんな非常識極まりない言葉を思いついてしまった反動から、彼女の脳はまたしても機能を停止した。ゲイシャロボ。なんて馬鹿馬鹿しいワードなんだろう。


「さあひれ伏すがいい! 愚かな愚民どもよ、我が科学力の前に屈服するのだ!」


 ハナコ何とか言うゲイシャロボから声が響く。相変わらず無駄な自信に満ちていた。

 愚かな愚民って意味が被ってるだろ。メアリーは白けた顔でそんな事を考えていた。脅威も恐怖も無かった。あまりにも現実離れしていて、目の前の状況を正常に認識する事が出来なかった。

 一方で彼女の周りにいた人間達は軽いお祭り騒ぎだった。待ちに待ったそれを前にして、携帯電話で写真を撮ったり、動画サイトで生放送を始める者までいた。メアリー同様、誰もそれを恐れていなかった。


「食らえ! 我が力を!」


 ロボもロボで、先方からの返事を待たずに行動を開始した。手始めに近くにあるビルにねらいを定め、そこに勢いよくパンチを見舞った。巨大ロボの拳を食らったビルはあっという間に爆散し、瓦礫や割れた窓ガラスの雨を地上に降らせた。

 そこで初めて、メアリー達は現実に引き戻された。彼女のいたそこは一気に悲鳴の坩堝と化したが、それでも中にはその場を動かず、撮影を続ける者もいた。

 メアリーも動けない側にいた。彼女の場合は恐怖よりも驚愕が勝り、その場に釘付けになっていた形であった。


「わーっははは! どうだ、恐怖しろ! 我が力に恐れおののくがいい!」


 老人の声が高らかに響き渡る。その一方でゲイシャロボはビルを壊し、架橋を蹴飛ばし、破壊の限りを尽くす。無駄に形の整った両目からビームを発射し、車ごと道路を粉砕していく。足下では警官が必死に発砲していたが、ゲイシャロボはまとわりつく蟻を振り払うかのように足を蹴り上げる。

 足下を中心に突風と衝撃が巻き起こる。警官達はそれをまともに食らい、車や標識ごと遙か彼方へ吹き飛ばされる。


「どうだ、恐れ入ったか! これが我が実力よ!」


 辺り一帯を廃墟に変えながら、ゲイシャロボの中から勝ち誇った声が轟き渡る。メアリーはその光景を呆然と見つめていた。

 秋子が言っていたのはこのことだったのか? あまりにも予想外過ぎる光景を前に、彼女は乾いた笑いすら浮かべていた。


「どう、メアリー? すごいでしょ?」


 その時、不意に前方から声が聞こえてきた。メアリーが驚いて顔を降ろすと、すぐ目の前に見知らぬ人影が立っていた。面で口元を隠し、全身を黒ずくめの衣装で纏ったその姿は、メアリーに一つの単語を想起させた。

 ニンジャ。彼女の前にいるのは、まごうこと無きニンジャだった。


「あれがゲイシャロボ、ハナコ。今この国を襲っている巨大ロボットよ」


 しかもそのニンジャは、自分の良く知る声で話しかけてきていた。メアリーは驚きながら、それでも聞かずにはいられないとばかりにそのニンジャに問いかけた。


「もしかして、あなた、アッコ?」

「そうだけどそうじゃないわ。今の私は三日月。空を駆け、日の本を守護するシノビよ」

「は?」


 意味が分からなかった。ホームステイ先で会った友人が意味不明なコスプレをして立っている。現実味もクソも無かった。

 メアリーは苦笑混じりに言った。


「あなた、ふざけてるの? そんな変な格好してどうしたのよ?」

「まあ信じられないのも無理はないわね。でもね、これが現実なの。この国では今、ゲイシャとニンジャが国の覇権を懸けて争っているの。そして私は、ニンジャ方に属する月のシノビってわけ」

「何その痛い設定。本気なの?」

「大真面目よ」


 三日月、もとい秋子の目は真剣そのものだった。メアリーもやがて笑みを消し、真顔で秋子と向き合った。


「どういうことか、ちゃんと説明してくれるかしら?」

「もちろん。でもその前に、まずはあれを何とかしないとね」


 そこまで言って、秋子が件のゲイシャロボに目を向ける。メアリーもつられてそちらに視線を寄越す。

 次の瞬間、秋子の周りに続々と人が集まってきた。ある者は上空から降り立ち、ある者は煙と共に姿を現した。地面を砕いて地下から跳び上がって来た者までいた。

 その全員が、秋子と同じ格好をしていた。


「三日月様。全員揃いましてございます」

「うむ。準備は良いな?」

「いつでも」


 ニンジャの数人が秋子に話しかける。秋子は一気に表情を引き締め、それまでとは違う厳かな口調でそれに答える。

 見る見る内に空気が引き締まっていく。メアリーもそれを察し、無意識の内に背筋を伸ばして息をのむ。


「ではいつもの通り行くぞ。恥知らずのゲイシャ共にこの国を渡す訳にはいかぬ」

「はっ!」

「一意専心、フーリンカザン!」

「フーリンカザン!」


 秋子の号令の元、集まった忍者全員が意志を統一する。その一糸乱れぬ統率ぶりに、メアリーは思わず驚嘆した。

 その時、不意に秋子がメアリーの方に顔を向ける。そこにあったのはそれまで見せていたシノビ頭の顔ではなく、それまで交流してきたメアリーの友人の顔であった。


「ちょっと待ってて。すぐ終わらせてくるから」

「え」


 しかしメアリーが何か答える前に、シノビ達は姿を消していた。そしてその数秒後、遙か遠くにいたゲイシャロボのあちらこちらで火の手が上がる。

 メアリーはその光景を呆然と見つめていた。そして驚くだけでなく、彼女の心にはまた別の感情がわき上がっていた。


「どういうことなの……?」


 もっと知りたい。もっと秋子の事を知りたい。彼女の探求心は、今や天井知らずに膨れ上がっていっていた。

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