便器の独白
汚い話にはなりませんが、お食事中の方はご注意ください。
身体が焼けるように熱い。
いや、実際に焼けている。
俺は便器、メイドイン・ジャパンの陶器製の便器だ。
今現在、炉で焼かれている真っ最中である。
焼き上がれば、茶色く日焼けする人間とは違い、真っ白で透き通るような、滑らかな肌になる。思わず頬ずりしたくなること請け負いだ。
あまりの美しさに、ショールームなる場所に飾られるやも知れんな。
しかし、俺は便器なのだ。
便器たるもの、使われてなんぼ。
飾られて悦に浸るような愚かな生は送りたくない。
かと言って、清掃もしないような人間に使われるのも御免だけどな。
最近は自分自身で掃除をしたりする奴がいるらしいが、それはどうなのかと思う。
俺は誇り高き便器、出来ることが増え、どんどん高機能になっていくのは素晴らしい事だ。しかし、掃除とはコミュニケーションだと俺は思っている。
人間の汚物を一身に受け止め、場を清潔に保つ役目を担っている俺を清潔に保つのは、人間であるべきだ。
誇りを捨て、人間に媚びへつらうだけの存在になってはいけない。
あくまで、人間とは対等であるべきだ。
対等であるべき、とは言ったが、一つだけ考慮してもらいたい事がる。
それは、俺が自分の意志で動けないということだ。
人間の汚物を受け止めるのは、俺の唯一の仕事にして誇りでもある。
出来れば全うしたい。
しかし、動けないのだ。
しっかり狙いを定める。外さないように近づくなど、協力しもらいたい。
近づいてうっかり触れてしまうと汚れる?
馬鹿な、最近の俺は抗菌仕様だ。
それに、先程も言ったようにしっかりとコミュニケーションを果たせれいればなにも問題はない。
例え汚れたとしても、手洗い場が併設されているのだから、そこで洗えばいい。
そもそも、人間が俺の仕事に協力して全うさせてくれれば、人間が触れるような場所が汚れることなどないのだ。
おっと、そろそろ時間のようだな。
何処かで俺に出会った時、俺が仕事に誇りを持っていることを思い出して欲しい。
感謝しろとは言わないが、人間が清潔に暮らせるのは俺のおかげで、俺が清潔でいられるのも人間次第だということを覚えていてくれると、俺としても嬉しい。
炉を出た瞬間から、俺の肌のように輝かしい未来が始まる。
そう思うとワクワクしてくる。
しっかり、仕事を果たし、充実した生をおくれることを願うばかりだ。
「あー、ここビビ割れてるな。これ不良品だから廃棄しといて」
なんだと!?