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昭和四十七年、二月

昭和四十七年、二月 


 その年の二月三日は曇天だった。

 目に入るのは曇った空と乾いた路面だけで、探し物は見つかるような気がしない。それでも君彦は灰色の世界を歩いていた。

 昼の二時過ぎだというのに気温は上がらず、吐く息は白い。今頃みんなはテレビでオリンピックを見てるんだろう。そんな時に自分だけが乾いた路面を見ている。

 君彦はバーやらキャバレーだのがある通りを避けて裏道に出た。時折目につく看板には、時計や眼鏡などの漢字とともにWATCHやGLASSという英語圏の人間に親切な横文字が並んでいる。この辺りには米軍の客が多く、子供の君彦も西洋人は見慣れていた。

 途方に暮れて地面を見る。探していたのはキーホルダーに付いていた銅色の小さな『いかり』で、なんでも欲しがる弟に仕方なく譲ったものだった。まだ四歳にもならない弟はネルソン提督の碇を嬉しそうに身につけて母親と買い物へ行き、帰ってきたかと思えば泣いている。碇が取れて金具だけになったキーホルダーを握って泣く弟に、すぐ見つかるから、と宥めて君彦は外に出るしかなかった。

 四十年ほど前の二月、札幌オリンピックでジャネット・リンが銀盤の妖精と呼ばれた年。君彦は五年生だった。

 

 見つからないなら仕方がない。代わりに欲しがってたプラモを譲ってやろう。町の外れに出るころには、そんな結論が出ていた。

 君彦は地面を睨み歩くのをやめて顔を上げると、目の前のショーウインドウに目を奪われる。

「三笠だ」

 思わず呟くと、薄暗く看板もない店のガラス窓に貼りついて目を凝らした。

 キャラメル色の木材でできた『戦艦三笠』の模型に目を見張る。錨鎖や空中線などは組紐や糸を使ってあるが、砲台や煙突、通風塔や碇などの細部は全て木で作られていた。台座も同じ素材らしく、キャラメル色の木目が優雅に光っている。

 舐めるように見ていた三笠の横に、ふと西洋人らしき女の顔が現れた。わっ、と思わず声が出る。君彦が面食らっていると顔は引っ込み、鼠色の長い巻きスカートにぶどう色のとっくりセーターを着た女性が笑いながら出てきた。

「中から見てみる?」

 美しい発音の日本語に驚く。褐色の髪と目をしたこの店の主人らしき女性が、大きなドアを開けたまま微笑んでいる。思わず肯いた君彦は、どこか甘い匂いのする店内に足を踏み入れた。

 薄暗くて外からはわからなかったが、店内にはカティサークやサンタマリアなどの帆船もある。棚には他にも彫刻や細工物が並んでいて、気味の悪いブロンズ像や繊細で愛らしい西洋人形、大きな動物の歯でできたアクセサリーや二十面もあるべっ甲飴みたいなサイコロもあった。

 奥には作業台があり、細々とした工具が置かれている。この店にあるもののほとんどは、この女主人が作ったものや、古いものを作り直したものだという。

「この三笠も?」

 窓に飾られている三笠を指さすと、女主人はにやりと笑いながら肯く。すげえ、と思わず呟いて三笠に顔を近付けた。君彦が集めている七百分の一プラモデルの『赤城』や『榛名』が子供のおもちゃに見える。そう言うと女主人は不思議そうに言った。

「でもあなたのプラモデルって、実際に子供のおもちゃじゃないの?」

「それはそうなんだけどさ、こっちの『三笠』は高級品だ」

 少しだけ悔しそうに言う君彦に、女主人は子供のように笑うと、思い出したように手を叩いた。

「ね、ちょうどリンゴのタルトが焼きあがるから一緒にどう?」

 

 知らない大人についていったり、物をもらったりしてはいけない。けれど、ここで遠慮するのも面白くない。外は寒いし、店内に漂う甘く香ばしい匂いに逆らうつもりはなかった。

 紅茶色の目をした女主人に紅茶を入れてもらい、熱々の甘酸っぱいリンゴを食べながら君彦は自分のことを話す。

 弟のキーホルダーを探していたらここで三笠を見つけたこと、作りの細かい戦車とか、収納できるライトやドアが上に開くスポーツカーの模型を持っていること。本当は、船や戦艦の模型が一番好きなこと。

 女主人もタルトを口に運びながら、君彦の模型やおもちゃの話を興味深げに聞いた。

 大人の女の人も模型作ったりするんだな、と少しにやっとしてバターの香るタルトを口に入れる。君彦の母親よりも年上っぽいが、スタイルが良くて声も若々しい。西洋的すぎない顔つきは親しみやすく優雅だった。

 お口にあったかしら、と皿を片付けながら顔を覗き込んでくる褐色の目に、すごくうまかったです、と君彦が笑って返す。女主人は嬉しそうに目を輝かせて言った。

「あらうれしい。私、おいしいとか楽しいとか、自分の好きなことに素直な子って大好きよ」

 また遊びにいらっしゃい、と女主人は君彦に向かって片目を瞑った。


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