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8 くまのぬいぐるみを買ったなら

 最後になって感じた不安は、どうやら杞憂に終わったらしい。


 私はもとの世界にもどってきた。ただし、問題がなかったわけではない。異なる空間に滞在したせいか、あの畜生もどきの仕業なのかは不明だが、時間にズレが生じていた。私は会社を五日間無断欠勤しており、無情にも会社を解雇されていた。

 私も思案したものだ。

 不当解雇であると訴えようにも、事情を説明することができない。

 分別のある立派な大人が、闇穴に落ちて異世界に行っていました、などと言えるわけがない。

 たとえ何者かが私を装い、


「ちょっとギアナ高地に行ってくるんで、しばらく休ませてもらいますわ」


 と一方的にふざけた旅行計画を伝えていたとしてもだ。


 私は大人しく会社を去った。巧妙な嘘をついたところで、失った信用を取り戻すことはできないだろう。なんとしてでも職場に残り、新たな信用を築き上げる道はあったかもしれない。しかし、私は言い訳をしない男前であり、争うことを良しとしない紳士である。

 彼女の存在に比べれば、仕事の有無など大差はない。私が新たな職場で華々しく活躍することは疑いようもないのだ。愛と献身をモットーとするこの私が、失職したくらいで博愛精神を放棄するわけにはいかない。

 そう、愛こそがすべてだ。

 最高の復讐があるとすれば、それは素晴らしく生きてみせることだ。

 上役や同僚たちには何も言うまい。

 愛の騎士として討つべき悪は、一体のぬいぐるみで十分。

 そこに宿りし存在が、叩き潰しやすい羽虫のような姿であってほしいと願うばかりである。



 期せずして手に入れた優雅な朝、私はカーテンを開けて部屋のなかに光を取り入れる。



 彼女はいない。

 部屋のどこにも闇穴はなく、くまのぬいぐるみの姿もない。


 なんの謝罪もなく逃げ去りやがったわけだが、シティライフを捨ててギアナ高地のような秘境に行くことはないだろう。新たな住処を探してウロウロ……と見せかけて、まだこの部屋に潜んでいるのかもしれない。幻術。結界術。姿を隠して油断を誘い、私のことを観察している可能性は捨てきれない。


「……いずれ必ず成敗するとして、まずは新たな職場を探そうか」


 とは思うものの、私には安息の時間が必要だった。

 当面の目標を定めたところで、集中することも外出することもできない。いずれは彼女のことを考えないように、心を亡くすほど仕事に精を出すだろう。しかし、いまはまだ動けない。この部屋でひとり静かに過ごし、彼女への想いを大切にしたい。


「この喪失感を埋めるには、どれほどの時間を要するだろうか?」


 私にはわからない。

 いかに聡明な私でも、こればかりはわからない。

 崇高なる愛を完結させて、男はただ、感傷という悲しみもまた、幸福の余韻と知るのみである。



 生き直すために必要な時間。それがわかるとすれば経験者だが、彼女ほどの女子を失った男など私以外にいるはずもない。恋人に捨てられた惨めな男なら心当たりはあるが……などと考えていると、当の本人から電話がかかってきた。友人にも私の偽物が連絡をとっていたらしく、「おぉ、生きて日本にもどってきたか」、と爆笑しながら無事を祝ってきた。


「わかるわかる。リアルだろうが幻想だろうが、感情が揺さぶられるのは同じだからな。俺にはわかる。なにもかも忘れて、遠くの世界に旅立ちたくもなるよなぁ」


 訂正するのも面倒だった。

 立ち直りの早さだけは認めてやってもいいが、愚か者の馬鹿話に付き合ってやる心情ではない。


 私は会話を断ち切るべく主導権を奪った。ネガティブな現状報告をすれば少しは気をきかせるだろう、と思ったのだが、私の失職を知るやいなや、「じゃあ暇だな!? 今夜、空いてるよな!?」、と興奮度合を跳ね上げてきた。

 私をイラッとさせたことに気づくことなく、「合コンやるぞ!!」、と声を張りあげる友人。

 私は騒音から耳を遠ざけ、その無神経さに呆れ果てた。

 憐れみすら覚え、



「さすがに落ち込んでるだろうと思ってな。お前のために若い女の子を探しておいたんだよ」



 このまま切ってしまおうかと考えた私の耳に、そのふざけた発言は届いてしまった。感傷という、忘れがたき大切な想いに身をゆだねる男に対して、これほどの侮辱があるだろうか。友人であると思っていたエロ猿は、誠実かつ温厚な私を激怒させることに成功したのだ。

 私のため?

 若い女の子だと?

 叫び返したいところだが、紳士として怒鳴り声をあげるわけにはいかない。

 激情を制した私は、瞬時に理解していた。会って話をつけるほかに道はないと。電話越しの説教をしたところで、この小賢しきエロ・サピエンスを懲らしめることは不可能であると。





 とある焼肉店の個室にて、とりあえず相手の言い分を聞いてやる。


 これからやってくる三人の女子は、勤務するヘアーサロンの客とその友だちであるらしい。丁寧なヘアマッサージでリラックスさせ、気持ちよくさせたところで食事に誘ってはみたものの、隠しきれない性欲を見透かされ、利用され、友だち二人を追加した計三人分の食事をおごらされる結果となったようだ。


「拒めばよいものを」

「誘っておいて拒む? そんなかっこ悪い真似ができるかよ」


「ほぉ、エロ猿にもプライドがあったか」

「当たり前だ。なめられたら終わりだし、負担が増えたといってもキャバクラよりは安上がりだからな」


「一瞬とはいえ評価を高めたのは私の誤りだったな。お前が捨てられた悲しみを癒すためにどれだけの金銭をつぎ込んだのかは知らんが、安上がりというのなら食事代はすべて負担しろ。私を巻き込むな」


「まあまあ、つれないことをいうなよ。さすがに財布がヤバいんだよ」

「本音が出たな」

「いやいやいや、違うよ、なにいってんの? お前のことを気にしていたわけで、ちょうどいい機会だと思ったわけよ。好きだろ若い子。お前のために集めたようなもんだぞ」


「私のため? そんな詭弁が通じると思ったか? お前の言葉を信用するとでも思ったのか?」

「わかってるわかってる。ほかの二人も可愛いはずだ。期待してもいい」


「私が何を期待するというのだ。この私が、彼女以外の女子を求めるとでも? 彼女を失った悲しみを、この喪失感を満たすためだけに他の女子を求めるなど……侮辱だ。お前のようなエロ猿と一緒にされるなど、侮辱以外のなにものでもない」


「考えすぎなんだよ。べつに他の女を求めろとは言ってねぇぞ? 女の子と楽しくおしゃべりをして、たとえ一時でも悲しみを忘れさせてやろうって話じゃないか。気分転換だよ。気分転換。本物の恋人をつくれとか、そんな難しいことをしろとは言わねえよ」


「おい、難しいとはどういう意味だ。私には恋人がつくれないとでも言いたいのか」

「現状でいえば不可能に近いな」

「分析能力も猿レベルとは残念な男だ。いいかよく聞け。選ばれないのではない。選んでいるだけだ」


「だから無理だって言ってんだよ。世の中には外見にこだわらない女だって大勢いる。B専という言葉が存在する以上、お前がいいって言ってくれる女もいるはずだ」


「醜いものだな。男の嫉妬というやつは」

「してねぇよ! 選り好みをするなと言ってんだよ!」


「やれやれ、なんと救いようのない男だ……理想を捨ててしまったら、現実は腐るしかない」


「お前はどこの革命家だ!? 無駄にいいセリフを吐きたいなら、まず真っ先に内面を改革しろ! お前が見るべきは鏡と現実だ! そして選べ! 例えばここに二人の女がいるとしよう。ひとりは心優しくも見た目が残念な女。もうひとりはどんな男も差別しない魅力的なビッチ。お前はどちらを恋人に選ぶ? さあ、選んでみせろ! いまここで選んでみせろ!!」


「くだらんな。理想を追求する男に対して、じつにくだらない質問だ……謝罪しろ。私だけではなく、理想を求めつづけた偉人たちにも謝罪しろ。目標に向かって全力で生きるすべての人々に謝罪しろ」


「お前だからな!? 謝らなきゃいけないのお前だからな!?」



 不毛な会話に時間をとられてしまった。可愛らしい女子と知的に会話を弾ませたい、などというエロ猿の勘違いを正せないうちに女子たちが到着したようだ。


 あらわれたのは黒髪が美しい清楚な女子。

 ニコニコと明るく楽しそうな女子に、ダークな雰囲気の女子もいる。


 いまここで帰ってしまうと女子たちのプライドを傷つける恐れがある。ここはひとつ、エロ猿の思惑にのってやろうと私は決めた。


 そう、エロ猿の狙いは読めている。私を誘い出した真の理由は、金銭的負担を分散させることではない。もちろん私に女子を紹介するためでもない。こいつが私のことを心配して、出会いの機会を与えるつもりであったとしても、今回の狙いはべつにある。


 案の定、エロ猿は私を利用して、女子たちと仲良くなろうと試みていた。


 妄想の果てに失職した愉快な男と紹介された私は、否定も肯定もすることなく、紳士らしい余裕に満ちた態度で挨拶をした。

 彼女ほどではない。

 それが三人の女子たちに抱いた第一印象。

 三者三様に可愛らしいわけであり、エロ猿が狙っている黒髪女子など、もしも彼女を知らなければ、その魅力に惹きこまれていたことだろう。距離をつめるエロ猿に皿を投げつけていたところである。

 彼女と比較するなどマナー違反。

 紳士失格であるとわかってはいるのだが、しかし、私は思わずにはいられない。


 彼女こそが理想の女子であり、最高の恋人であったのだと。



 私は少しばかり感傷に浸りながら、本命女子に夢中なエロ猿の姿を見やり憐憫をおぼえた。客商売をしているだけあって話術は巧みだが、目が必死すぎる。あまりにも余裕がなさすぎて、煙たがられていることにも気づいていない。


 魅力的な笑顔に苛立ちの影が忍びより、暗いオーラを放っていた女子からは軽蔑の視線を向けられている。もうひとりはずっとニコニコしているが、目の前の肉にしか興味がないだけだ。


 どうやら友人は病んでいる。捨てられたショックから立ち直っていないのだろう。悲惨な別れ話を公開して大いに恥をかかせてやろうと企んでいたのだが、やめておこう。この男は十分に罰を受けている。私が懲らしめる必要はなく、むしろ私をネタにして救われるのならば本望とさえ思えてくる。


「おいおい、肉を食べに来たのだ。話してばかりいないで肉を焼け、肉を」


 見るに見かねてフォローに回るが、友人は邪魔をされたと感じたらしい。渋い顔をされた。私に向けられた黒髪女子の微苦笑をみるに、私の評価が上がったのは確かである。友人の反応もあながち間違ってはいないわけだが、理不尽さを感じないわけではない。これ以上のフォローをする気はないと視線で伝えておいた。


 友人が張り切って肉を焼きはじめ、仕切り直しとなったのも束の間。


「……変態」


 ダークオーラを纏う女子がぼそっと告げた。ウーロン茶しか口にしていないのに目が据わっている。女子にはエロ猿が変態にみえるのだろう。その変態を睨みつけ、ついでとばかりに私も睨まれた。


「ごめんなさい。その子、電車で痴漢の被害にあっちゃって、このところ男性不信なんですよ」


 黒髪女子が弁護にまわる。

 というより、エロ猿との会話を避けるために話題を振ってきたのだろう。

 聞き流してよい話ではなく、黒髪女子が語るところを真剣に聞いた。卑怯卑劣な犯行の一部始終を知り、義憤にかられない男は男ではない。途中からは本人も怒りを吐露しはじめ、私は大いに憤慨した。被害者女子が悔しさと怒りに震えて泣いたのは当然である。


「まさに鬼畜の所業。最低の男たちだ」


 男性不信に陥るのも至極当然。痴漢を懲らしめたいと願い、毎日画鋲を用意して電車に乗り込むのも当たり前といえる。泣き寝入りで終わる女子とは気迫が違うのだ。成果がゼロというか誰も近寄らなくなり、五寸釘や藁人形に興味を持ちはじめたとしても仕方のない話だ。


「そう、最低。男なんてみんな最低」


 ウーロン茶に口をつけながら、呪い殺さんとばかりに我々を睨みつける。


「痴漢といっしょにされるのはさすがにきついな」

「しかし、事情が事情だ。性欲=変態とみられても仕方あるまい」


 男が焼いた肉は絶対に食べない、というほど男に嫌気がさしている。

 我々を見張るのに忙しいのか、焼いてあげるよ~、と立候補したニコニコ女子にすべてを任せていた。



「ほ~ら~、人形はおいといてはやく食べようよ~」

「せっかくおごってもらうんだから、もっと楽しんで食べないとね」

「……うん」



 男が企みを抱くように、女子たちにも企みはある。今回は、被害者女子の心を解きほぐす、という一つの大きな企みがあったようだ。

 ならば、男に奢らせた食事を食べられるかどうかが鍵となる。

 簡単なようにも思えるが、絶対に許せない相手から施しを受けることは難しい。

 男=痴漢という図式を崩すための大切なステップとなるであろう。


「君たちは仲が良いのだな」

「ふたりとも、私の大切な仲間です」


 黒髪女子の笑顔によって背中を押されたようだ。


「どんどん焼いちゃうよ~」


 ニコニコ女子が景気のよく声を弾ませる。

 不思議なほどに胸がざわつく、心に迫る美声であった。



 おいしい、という感想こそ口にしなかったが、その食べっぷりを見るかぎり味に問題はないだろう。いや、じつに見事な食べっぷりである。ヤケ食いのようにも見えて心配になるが……その笑みはなんだ? なにを企んでいる?

 ……まさか、復讐? 男の財布にダメージを与えることで復讐を果たすつもりなのか? 事実、大皿が空くごとに暗い笑みが深まっている……しかし、なんというハイペース。焼き係に回っている、ニコニコ女子の食べっぷりが半端ない。


「おかわり~」


 間違いない。フードファイターが参戦していることは疑いようもなく、この状況は女子たちの計画に沿ったものと考えるのが妥当。ひとりが胃袋を幸福で満たし、それにより、ひとりは心を解きほぐす。こんな素敵な復讐計画を発案したのは、ここにきて一番魅力的な笑顔をみせている黒髪女子だろう。エロ猿から誘われたときに思いついたのか? 計画を練っていたときにエロ猿から誘われたのか? 


「どちらにせよ知能犯ではあるな。少々、友だち想いに過ぎるが」

「あ? なんかいったか?」


 見ると、友人が屍に近づいていた。金銭的負担に怯えて性エネルギーを減退させているらしい。

 私は友の命を救うため半分以上の負担を約束した。

 神に等しき私の後光に目がくらんだのか、なんとも涙腺の弱い男であった。


「お~いし~ね~」


 男が黙って涙をこらえる。

 ニコニコ女子が肉を焼き、淡々と皿を積み上げていく。

 復讐女子がニヤリと笑みを浮かべ、黒髪女子が魅力を高めている。


「ごちそうさまです」

「……満足そうでなによりだ」

「ふふっ、ありがとうございます」


 皮肉を言ったつもりはない。

 黒髪女子も同じだろう。


「男=痴漢などと思われてはかなわんからな」

「ええ、そんな誤解は解消しないといけませんね」


 互いに本音を語っている。

 うまいものを食べると本音を語る、それが人間という生き物だ。

 私と黒髪女子は微笑をかわし、復讐女子の内心を知るためにそちらを見る。


「誤解じゃない。男はみんな変態。痴漢と痴漢予備軍しかいない」


 辛辣な本音が出たものだ。


「もう、まだそんなこといってる」

「だってそうじゃない。ここの食事代を払うのも100%下心。油断しちゃダメだよ。ちょっとでも隙をみせたら襲ってくるに決まってる」


 復讐女子が語るところを、黒髪女子が肯きながら聞いている。

 女子トークという名のカウンセリングがはじまり、私は黙って身を構えた。


 敵愾心は薄れているが、微塵も信用されていない。男性不信の解消にはまだまだ処置が必要のようだ。バッグから五寸釘を探すのは止めたいところだが、男の私がなにをいっても聞いてはもらえないだろう。ここはひとつ、友だち想いの黒髪女子にがんばってもらおうか、と考えていた矢先である。



「でもさ~、ぜんぜん相手にされないのもどうかとおもうよ~?」



 フードファイターの乱入により女子トークが止まった。

 ニコニコ女子は口に入れたものを飲み込み、悩ましい表情を浮かべてみせる。


「こっちのひとって仕事をクビになるくらい妄想がすごいんでしょ~? たしかに気持ち悪いくらいエロい気はするんだけど~、あたしたち~、あんまり相手にされてない感じじゃない?」


「えっ!?」

「……変態でしょ?」

「ん~、変態っぽいとはおもうけど~、あたしたちには興味ないとおもうよ~」


「いやらしい目でみられるのは嫌だけど~、三人で歩いてるとみんなから見られるでしょ~。ああいうふうに注目を集めるのはけっこう好きだし~、自分でもけっこう可愛いかなあ~っておもってたんだけど~」



「あたしたち~、そんなに可愛くないのかなあ~っておもっちゃうよね~」



 ニコニコ女子が笑顔で肉を焼き、復讐女子が疑り深い眼差しを向けてくる。なにかと失礼な二人はともかく、黒髪女子の様子がおかしい。ぶつぶつと何かつぶやいていると思ったら、いきなり「ホモセクシャルですか?」と尋ねられた。


 もちろん私は即座に否定した。黒髪女子は友人をみて証言の正しさを確信したらしい。動揺が激しさを増している。明らかに挙動が不審である。「相手にされてない」「興味がない」「可愛くない」それらが黒髪女子に拒絶反応をもたらしていることは想像に容易い。


 十中八九、初めての衝撃だったのだろう。自分のことを可愛いと信じて疑っていなかったことも含めて、黒髪女子ほどの美貌があれば十分納得できる。そこが可愛いと断言できる。ならばここはひとつ、嘘偽りのない本心を語り黒髪女子を安心させよう。



「ああ、勘違いしてもらっては困るが、君たちのことは可愛いと思っている」



 反応は如実にあらわれた。

 黒髪女子の大きな瞳が私だけを写している。

 どん底まで落ち込んでいたらしく、黒髪女子もまた、私の背後に後光を見出している。


 すると、友人が「かわいい」を連発しはじめた。

 私も参加し、男ふたりで女子たちを存分に褒め称える。ほんとうに可愛いので心は痛まない。


 復讐女子の警戒心は衰えをみせないが、黒髪女子は自信を回復しつつあった。取り乱したことを恥じた様子で、我々の褒め言葉をていねいに受け止めつつ、演劇や政治経済といった脈絡のない話題を振りまいていた。ふたりの女子を巻き込みながら、日常生活や趣味の方面にも話は広がる。


「ごめんなさい。私たちのことなんて興味ないですよね?」


「そんなわけないじゃない。なあ?」

「もちろんだとも。ぜひ、バンド活動も成功させてほしい」


 男ふたりで意見を一致させたわけだが、黒髪女子は微笑みつつ私を見ている。

 たしかに友人と比べれば、私の関心が薄いことは明白である。

 エロ猿並に食いついてもらたいのだろうが、紳士である私にはできない相談だ。


「……私には忘れられない相手がいる。この男とは違い、食事を奢る以外にどうこうするつもりはない。楽しい時間をありがとう。それでさよならだ」


 本心を告げねば納得はしないだろう、などと考えたのは早計であったかもしれない。


「私たちって、そんなに魅力がないですか?」

「いや、君たちに魅力を感じないわけではないのだが」



「じゃあ、私たちのなかだったら、誰がいいですか?」



 友人が迷うことなく黒髪女子を指名する。が、私に問うている黒髪女子は微笑みをもって受け流した。この誇り高き女子は、自分以上に可愛い女子が存在しないと考えている。自分が信じていることを証明したい、ということは自信がないことの裏返しであり、私が断じることによって安堵することは想像に難くない。三人のなかでは黒髪女子にもっとも魅力を感じるが、しかし、


「私には選べないな」


 私はすでに運命の女子に出会っている。

 例え話であったとしても、紳士である私に選ぶことはできない。


「どうしてですか?」

「そうだぞお前!! 選り好みをするなってレベルじゃねぇだろうが!!」


「彼女を、いや、彼女への想いを裏切るわけにはいかないのでな」


「一途なんですね」

「え~? 合コンしてる時点でアウトじゃないの~?」

「私は合コンに参加したわけじゃない。友の引き立て役を買って出ただけだ」

「嘘つけこの野郎!!」


「それでも選んでもらいたいです。ああ、おふたりのどちらかでいえば、私はあなたを選びますよ?」


「ええっ!?」

「うるさい男だ。なにをそんなに驚いている」

「当たり前だこの野郎!! 驚くに決まってるだろうが!! 人生で一番の驚きだこの野郎!!」


「やれやれ……私の魅力がどうとはいわん。ただ、エロい男は嫌われるということだ」


「あ~、それはダメだよね~」

「あぁっ!! 反論できねぇ!!」

「変態は死ねばいい」

「それで? 選んではもらえないのですか?」

「君の期待に添えないことを、すまないとは思っている」

「馬鹿かてめぇは!! 選べよ!! お前だって男だろ!? 煩悩の塊だろ!?」

「そうだよ~、選んであげなよ~」

「ねぇ、どうして他人事みたいな言い方なの?」

「え~? だって選んでもらいたいんでしょ~?」

「それはそうなんだけど、私が可哀想な女みたいになってない? あなたは選んでほしくないの?」

「うん、べつに~。むしろ選ばれたら嫌かな~?」

「はっ!? まさかてめぇ、三人まとめて手を出そうとか考えてんじゃないだろうなぁ!?」

「そうなの? なら死んで。ふたりそろって世界から消えて」

「俺も!?」



 それぞれに譲れない理念があり、我々の議論は白熱した。


 すべての争いは悪である。

 しかし、対立は調和のはじまりでもある。

 意見の乱立とおもわれていた議論も、選ぶ、選ばないの二択にまで絞られていった。


 選ばない陣営唯一の論者である私は、選ぶ陣営の将である黒髪女子に問うた。





「例えばここに二人の男がいるとしよう。ひとりは最高の変態、もうひとりは最低の変態……君はどちらかの男を恋人に選ばなければならない。さあ、選ぶというなら選んでみせろ! 最高の変態と最低の変態、君はどちらと付き合うのだ!!」





 数の劣勢に焦りを感じ、声を荒げてしまったことは紳士として恥ずかしい。しかし、黒髪女子だけではなく、選ぶ陣営の全員が二の句を継げずにいた。

 私は勝利を確信したのだが、


「……お前、最低じゃね?」


 と友人がつぶやき、復讐女子が五寸釘と藁人形を取り出した。


「変態。最低の変態」

「……」

「エミリー」

「えっ? なに?」

「ダメだよ。こんなの真剣に考えることじゃない。頭が腐るだけ」

「きみっていつもはエミリーって呼ばれてるんだ」

「入ってこないで。変態一号」

「一号!?」

「……ありがとう。痴漢やDV男が最低だと思ったんだけど、変態かどうかで悩んでしまって」

「難しく考えちゃダメ。男はみんな変態。他人を傷つける男が最低の変態。傷つけられて喜んでる男が最高の変態。それで十分でしょ?」

「あたしはね~、ロリコンが最低の変態だとおもうの~」

「そうね。私もロリコンには変態性を感じるし、その手の犯罪者には弁護の余地がないとおもう」

「なにを隠そうこの男、妄想癖のあるロリコンなんだ」

「髪の毛。所望。一本ずつ」

「なんで片言!? なんで俺もなの!?」



「あっ、どちらとも付き合いたくないので、やっぱり無理に選ばなくていいです」



 黒髪女子が断じたあとも、私が会話に参加することはなかった。

 勝者とは常に孤高の存在。

 それが真理であることを、その場の空気が物語っていた。












 いい汗をかきたいのか、騎士魂(ナイトスピリット)が新たな戦いを予期しているのか。


 私は衝動のままに夜道を駆けていた。


 邪魔するものはなにもない。明日の仕事を心配する必要はなく、私はどこまでも自由に走れる。束縛のない生活はよいものだ。人生には休息も必要だろう。全力で遊ぶのもいいだろう。いましばらくはこのままで、フリーライフを満喫するのだ。

 なに、問題はない。

 いまを全力で生きる私には、輝かしい未来が約束されているに違いない。


 帰ったらネットで検索しよう。

 明日にでも、くまのぬいぐるみを買いに行こう。


 あいつは新しいボディを求めていた。気に入りそうな新品を入手すれば、それを餌として奴をおびき出すことができるかもしれない。

 フリーライフの序章として、きっちりと文句をいってやる。

 誘い出す理由はそれだけだ。目的はたったひとつであり、「彼女に会わせろ」、などと要求するつもりは微塵もない。もっとも、くまタンがきちんと反省して、謝意の証として彼女と再会させるというのなら、大人げなく拒否するのはいかがなものかと思わないでもないのだが。

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