7 自問自答
暗闇のなか、私は静かに瞑目する。
まず、性質が悪いとはどういうことか?
聡明なる私の頭脳は、より大きく深刻な被害をもたらすもの、無自覚の罪、という解を導き出した。
油断から生まれたチラリズムは破壊力がある。女神が自らの意志で下着をチラつかせるよりも……いや、それはそれで十二分に破壊力があるものだ。もっと適した……そう、たとえばナイフを突き立てるとしよう。痛みを知るもの、傷つける行為であると自覚するものは、よほどの激情に流されないかぎり実行できない。罪を自覚するものが、ナイフを深々と突き立てることはできない。
無自覚の罪は性質が悪い。
さらにいえば、自身の正義を信じて疑わないものは恐ろしく性質が悪い。
血に塗れた人類史において、最も残虐な行為をやってのけたのは宗教家だろう。絶対的正義を主張する狂信者は、残虐な行為をためらいなくやってのける。天国に行くためとして、嬉々としてやってのける。
どの宗教でも同じだ。キリスト教やイスラム教はもちろん、チベット仏教や日本の仏教も、過去にいろいろとやらかしている。もちろん、宗教そのものに問題があるとは考えにくい。キリストや仏陀といった指導者たちが、多くの人々を救い、この方々に導かれたいと願ったからこそ、残された人々は教えを後世に伝えようとした。宗教そのものは素晴らしいものであるはずだ。それぞれの教えに罪はなく、問題があるとすれば、そこに完璧を望むことだろうか?
いや、他者を犠牲にして利益を得よ、などという教えを聞いたことはない。
宗教は恐れるなかれと説いている。
与えるものは与えられると説いているのが宗教だ。
不安や恐怖につけこみ、宗教さえも利用して、他者から奪おうとする愚かさが問題なのだろう。
たしか悪人正機説というものがあったはずだ。自らの悪を自覚するものが救われないことはない、という意味であったと思うが、悪人であるほど救われると都合よく曲解し、悪行三昧を繰り返す輩があらわれたという。
偉大な先人が教えを説いても、無知蒙昧なる輩には伝わらない。
貧しさは罪だ。世界各地で紛争が絶えない。過酷な生活に苦しむ男たちが、理不尽さを嘆いて現実を否定し、銃や爆弾を手にしている。イスラムの教えには聖戦というものがあり、聖戦に散った戦士は天国に招かれ、美しき永遠の乙女たちと幸せに暮らすのだという。そんなことを知れば揺らぎもしよう、が、誰が好き好んで自爆までしようか。銃や爆弾がそこらへんにある状況が問題であり、根本的な原因は貧しさにあるのだ。
「奪い合えば足らぬ、分けあえば余る」
と、相田みつを先生も書しておられる。
貧困は心の貧しさから生まれ、諸悪の根源は、思いやりの精神を欠いたところにある。
紛争はなくとも、日本とて例外ではない。
刃物を握るものは少ないが、世の中には、言葉のナイフを振り回すものが多い。
他者を罵倒し侮辱する。それは罪であるはずだが、傷つけていることが想像できず、犯罪であることを自覚しない。罪の自覚なく負の感情を発散させており、さらに性質が悪いものは、自分は正しいことを主張しており、正しい自分はどれだけ罵倒してもかまわないのだと本気で考えている。立場は関係ない。自らの正義を振りかざし他者に押しつけるもの、それらは等しく性質が悪く、情け容赦なく人を傷つける。
ネット世界に蔓延する罵詈雑言もそうだが、飲食店やスーパーの店員に怒鳴り声を浴びせている人物は、目にするだけで不愉快になり、同時に、どれだけ周りがみえていないのか不思議におもう。
店側に粗相があったのかもしれない。
指摘をすることが店側のためになる、という意見には賛成もしよう。
しかし、怒鳴りつけることには賛成できない。普通に口で説明をすればいいだけのことだ。感情をむき出しにして非難することに意味などない。イラつかせたのは店員であり悪いのは店員である、と主張するかもしれないが、大声で怒鳴りつけ、ほかの客たちをイラつかせたのは店員ではない。一番迷惑なのは誰であるのか、周りの意見は一致しても、本人は決して認めないものだ。
良かれ悪しかれ、感情は伝染する。
なぜか負の感情は伝わりやすく、無自覚なものがそれを拡大、増幅させる。
ゲーテは看破した。
人間の最大の罪は不機嫌であると。
不機嫌な態度とは、あなたたちと一緒にいるのが気に入らないんです、という感情表現であり、たとえ怒鳴りつけていなくとも、周囲に喧嘩を売っているようなものだ。周りはいい気分になれず、つまりは不幸にしている。にもかかわらず、罪の自覚がないため態度をあらためない。感情のままに不幸の種をバラまき、育み、殺意の華すら咲かせるだろう。
思いやりの精神とは、不機嫌な態度をみせないこと。
思いやりの精神とは、好意と誠意を表現することにほかならない。
「つまり、愛嬌のある可愛らしい女子とは、世界に舞い降りた天使そのものである」
和顔愛語こそ最高の奉仕活動。
微笑みをたやさない紳士こそが平和の礎。
己を制し、感情を支配するためには日々の修養が必須となろう。
だから、それはいい。私が完全無欠の紳士となるのは時間の問題であり、性質が悪い、についての基本的解釈については問題ない。
暗闇に残された思考の迷宮、その後半部分はクリアしたといえよう。
問題は迷宮の前半……いや、迷宮の入り口にある。
「……最高の変態とはいかなるものか……最低の変態とはいかなるものか……」
定義がわからん。
定義がわからないなか、どうやって性質の悪さを比較しろと?
いや、そもそも定義は存在するのだろうか。定義から考えることが試練なのかもしれん。定義とは人間が決めたもの。哺乳類や爬虫類といった分類も、人間がつくった枠に過ぎない。人間が勝手に決めた枠内にぴったりはまらないからといって、カモノハシに文句をつけるのは筋違いなのだ。自然はなにも区別しない。人間が定義することで世界を定めている。
そう、定義することで世界を定める。
私も世界を渡るため、「最高の変態」と「最低の変態」を定義してみよう。
たとえば痴漢はどうだろう。弱者と定めた婦女子を狙い、逃げ場のない空間で卑猥な行為をはたらく鬼畜が、卑怯卑劣な最低の男であることは間違いない……が、これは変態だろうか? 変態といわれれば変態のような気もするが、最低の男、のほうがしっくりとくる。
そもそも変態とはなんだろうか? 変態らしい変態といえば、夜道をひとりで歩いている婦女子を狙い、下半身を露出して勝手に興奮している変質者がイメージされるわけだが……これは最低の変態だろうか? それとも最高の変態だろうか? ……たまにニュースで話題になる盗撮犯は、もう変態でいいだろう。女子トイレに隠しカメラを設置したり、靴にカメラを仕込んだりと、小賢しく最低な男であるが、中途半端な変態と断じよう。
被虐趣味はどうか? ドMだからといって周囲に迷惑をかけるわけではないだろう。夫婦や恋人の関係でどのようなプレイを楽しもうが文句をいうつもりはない。専門店でどのようなサービスを受けていようとも、それはあくまでも趣味に過ぎない。健全に社会生活をおくっておられる方々に対し、変態という蔑称をつけるのはいかがなものか? もしかして喜ばれたりするのだろうか?
よし、やめよう。
とりあえず、変態とは性欲の表れ方が特殊な方々である、と解釈しよう。
そして変質者のような、社会的に迷惑極まりない変態を最低な変態と定義してみよう。
「そうなると、最高の変態はどうなる?」
社会に迷惑をかけない変態ならば性質が悪いはずもない。定義する必要もないわけだが、しかし……専門店でしか扱えないような被虐趣味の持ち主……おそろしくディープな世界の住人なのだろう。想像を絶するというか、想像してもいけないような重度の被虐趣味を持ち合わせており……いやまて。それはあくまで重度であり、最高品質の変態ともなれば専門店ですら対処しきれないのでは?
最高レベルの変態が、社会にまったく影響を与えない?
まさか、下半身を露出して興奮している変態など、盗撮犯と大差ない中途半端な変態なのでは?
「……なんということだ」
最高が転じて最低となる。
変態という枠内において、最高と最低は等しい存在であるような気がしてならない。
「落ち着け、落ち着くのだ……わかっていたはずだ。最初に質問を聞いたときから、最高と最低の区別がつかないことは察していたではないか」
そう、察したあとに考えてもいた。
真っ先にMを思いつき、対になる存在としてSを思いつき、痛めつけることで快楽を得る鬼畜を最低の変態、それに付き合えてしまう究極生物を最高の変態と定義してもいた。
混乱が生じたのは、性質の悪さを考えたとき。
鬼畜は悪であると断じてはみたが、ドMなきドSは警察に捕まる。ドSにはドMが必要であり、逆もまた真なり。ドMがドSをつくるのか? ドSがドMをつくるのか?
困惑の果て、SとMはふたりでひとつであるという可能性にたどり着いた私は、社会的な成功を収めて威張り散らしているドSの重役が、専門のお店ではドMと化している場合が多いという話、好みの男性を前にするとMになり、きれいな女性をまえにするとSになるという女性の話を思い出す。
SとM。
ふたりでひとつどころか、ひとりでふたつの場合もある底知れぬ世界。
ノーマル紳士を自負するこの私に、性質の悪さを検討する能力があるだろうか? ああ、そういえば変態仮面という変態もいたが、あれは最高か? それとも最低か? ……などと迷走をつづけた結果、私はすべてをなかったことにして最初から考えることにした。そして遠回しに思考を巡らし、似たような結論を導き出してしまったのだ。
「……そもそもこれは私が決める私の定義。万人を納得させる必要などなく、ディープな世界を想像する必要もない。もっと自由に発想し、思考を広げて定義するのだ」
そう、オタマジャクシがカエルになるのも変態である。
さなぎから羽化してチョウとなるのも変態である。
変態という言葉には、「姿かたちを変えるもの」という意味もある。形態がまるで変ってしまう完全変態など、まさに最高の変態ではないだろうか? 幼虫から蛹となり、なにがどうなって美しいチョウに変貌するのか……不思議さに感動していた子どもたちのうち、幾人が正解を想像しただろう。
「驚愕の事実はさておき、最低の変態をどう定義するか……不完全変態を最低の変態とするには抵抗がある。どれもこれも進化の過程で最適化したのであり、いうなればすべてが最高の変態。自然界のなかで最低の変態をみつけることは不可能かもしれん」
となれば、独自のルールに縛られる人間社会のなかで探さねばなるまい。難しいことではないはずだ。形態変化する存在など、日本のサブカルチャーにあふれている。RPGにおいて、ラスボスの形態変化など当たり前といってもよい。変形と変態の区別を曖昧にするならば、ハリウッド映画にもなっている「トランスフォーマー」など変態の宝庫といえよう。
ロボットといえば、アニメやゲームだけでなく戦隊シリーズもある。
特撮ヒーローでいうなら仮面ライダーもいる。
さすがに変身と変態の区別は必要だろう。しかし、変態した、といってもよいライダーには心当たりがある……そう、あれは別格だ。どれだけ新しいライダーが誕生しようとも、RXは別格に違いない。
黒いバッタを想起させる「仮面ライダーブラック」。彼はなんらかの原理により、黒いトノサマバッタを想起させる「仮面ライダーブラック・RX」へと進化した。これもひとつの変態といえるが、しかし、こんな程度で変態という言葉を用いる気はない。
それまでのライダーたちは必殺のライダーキックで敵を葬っていた。彼もブラックのころは敵を蹴り殺していたのだが、RXとなってからは光剣を振りまして敵を屠っていた。そして、それでもピンチに陥ったのだろう。いつしか黄色いライダーに姿を変え、銃を構えるようになっていた。
黒色ライダーから黄色ライダーへ、彼はいつでも姿を変えられた。黄色ライダーこと「ロボライダー」は、遠距離攻撃が可能となったにもかかわらず、とても頑丈であったと記憶している。状況に応じて能力を使い分け、敵を圧倒していたはずの彼は、しかし、またしてもピンチに陥ったらしい。
彼は青色ライダーこと、「バイオライダー」へと姿を変えた。
彼はRXに進化したとき、環境にすばやく適応する能力を身につけていたのだろう。だから強敵と出会ったとき、新たな能力をもつライダーに変身できた……そう、バイオライダーにも特殊能力が備わっていた。私はなにも、RXが「ロボライダー」や「バイオライダー」に変身することを変態とはいわない。
進化は進化。
変身は変身。
それらを明らかに区別したうえで断じよう。
バイオライダーは変態する。
宙を飛びかって敵を翻弄する、アメーバ状の青い発光体に変態するのだ。
剣を振るい銃も撃てる万能タイプだったような気もするが、そんな些細なことはどうでもいい。アメーバ状のバイオ形態になって攻撃力を失い、敵を翻弄したうえで有利な攻撃位置に移動するという能力。その変態能力こそが「バイオライダー」のすべてなのだ。
単純は最強だとか、進化の果ては単細胞生物といった説はどうでもいい。
あのインパクトの前にはどうでもいい。
「あんな思いきった変態が他にいてたまるか!!」
「RXこそ歴代最高のライダー!!」
「RXこそが、史上最高の変態なのだ!!」
私は闇の中で声高に叫んだ。完璧な回答を叩きだすという爽快な気分を堪能したわけだが、当然ながらなにも起きない。引きつづき「最低の変態」を探してはみたが、私もまだまだ浅慮である。変身ヒーロー、変形するロボット、強敵と書いて友と呼ぶは男のロマン。最低なものがいるはずもなかった。
「最低の変態は、もう露出狂の変質者でいいだろうか?」
いやしかし、意味の異なる変態を比較するのはいかがなものか?
それはまるで、変身願望を抱いていた少年が、年月を経て変態願望を抱くことを暗示させる。
紳士である私にできることではない。
変態の意味を統一しなくてはいけない。
やはり、独特な性癖をもつ人々を比較するしかないのか?
考えなくてはならない。
もう一度はじめから考えて、今度こそ解答を導き出すのだ。
暗闇のなか、私は静かに瞑目する。
「愛嬌のある可愛らしい女子とは、世界に舞い降りた天使であり、世界を照らす光である。紳士は微笑みをたやすことなくこれを見守り、ときに騎士となって悪を追い払う。光は広がり輝きを増して、世界には平和が訪れるであろう。紳士の愛と献身によってこそ、天使は美しき女神に変貌するであろう」
真理を解することに成功した私は、微苦笑をたたえつつ吐息をもらした。
私が完全なる紳士となり、美しき女神とともに幸福な生活を営むことは不可避の未来であるが、思考の迷宮攻略はまったく進んでいない。
聡明なる私の頭脳は、あまりにも深く考えすぎてしまうのだろう。
もっと気軽に考えよう。あの畜生もどきがいっていたように、気楽に考えて気軽に答えよう。
そう、もっとライトに考えよう。
たとえばライトな漫画や小説において、変態という言葉はどのように扱われていただろう。
ラブコメ作品のヒロインたちは、男子=変態ぐらいの勢いで変態を連呼してはいないだろうか? いくら私が紳士とはいえ、性欲をもつ男子というだけで変態の烙印を押したくはない。たとえ、そこにラッキーなエロティックが介在していようともだ。
「ライトノベルにおける変態とは……マニア? フェチ?」
メガネ女子が大好きな、自称変態の半妖が思い出される。メガネが高評価アイテムであることは否定しないが、メガネがなければいかん、となれば特殊な性癖の持ち主といえるのかもしれない。
~マニア。
~フェチ。
それらをライトな変態と解してみよう。~マニアとなると読者側を指しているような気にもなり、~フェチともなると、名の知れた文豪たちがまったくライトではない変態を描いているような気もするが、ふかく考えるのはやめにしよう。
「しかし、なにが最高でなにが最低なのか……」
判断がつかない。なぜなら、私の理想は彼女である。彼女の可愛らしさを前にして、メガネの有無は関係ない。猫耳がなくとも問題はなく、巨乳でも貧乳でも差別はしない。どんな髪型にしようとも、どんな制服を着ようとも、彼女が彼女であることは変わらない。
「私は彼女を愛するだろう。たとえ彼女がどんなにマニアックな注文をしたとして…………」
想像して、私は気がついた。
迷宮の正体を理解した私は、闇の中で笑い声をあげた。
紳士らしくはなかったが、湧きあがってくる歓喜をこらえることができなかった。
まったく、なんということだろう。受け入れてしまう。たとえ彼女が「変態さん」であったとしても、私はすべからく受け入れるだろう。どんな我がままでも受け入れてしまう愚かな私は、こんな簡単な答えを見つけることができずにいたのか……。
「最高だ」
最高の称号を手にする「変態さん」がいるとすれば、彼女をおいて他にはない。
思考の迷宮が崩れていく。偉大な発見や発明は、考えに考え抜いた末にある、空白のリラックス時に訪れるというが……私は偽りの迷宮を突破しようとして無理を重ねていた。聡明すぎた頭脳を誇るのではなく、愚かであったと己を戒めよう。
「最低の変態は、彼女の対極に位置する存在……まったく可愛くない変態となれば、もう変質者でいいだろう。社会的に迷惑極まりない、変態らしい変態を最低の変態と定義する」
私個人に与える破壊力をみれば、性質が悪いのは「最高の変態」。
しかし、私は紳士である。
婦女子の敵となる「最低の変態」を軽んじるわけにもいくまい。
「聞くがいい、私の答えを!!」
性質が悪いのは最低の変態である、と、闇の中で叫び、私は光に包まれた。前回もこうだったと思い至り、こんな質問に答えることで本当にもとの世界に戻れるのか、最後になって不安を感じた。