たびだち 5
焚き火で温めた干し肉をかじって夕食をすませ、焚き火を囲んで少し話をしたあとは、その日は休むことになった。
見張りの番をつくらずに全員で休むという申し出に、カリュが驚いてたずねた。
「モンスターとか、危ないんじゃ」
三人とも寝てしまったら、火の番もできない。
平然とディーネはこたえた。
「心配いらん。この辺には魔物除けを張っておく」
「それって、マテルの――無駄遣いにはならないんですか?」
ジニィがたずねる。
「使い手次第じゃな。マテルを如何に効率よく消費するかは、式による。わしならまあ、一晩で火の玉一発程度かのう。ようは力の掛け具合じゃ」
「シキ、をちゃんとすれば。強い魔法が使えるようになりますか」
ジニィは世間話とはおもえないくらい真剣な表情だった。
「魔法を修めたいのか」
カリュはジニィを見た。目をそらしたジニィが焚き火の炎を見つめてうなずく。それにカリュが口をひらきかけたところに、ディーネがいった。
「無理じゃな」
「……練習しても、ですか?」
「ぬし、はじめて魔法が使えるようになったときになにか練習したか? しとらんだろ。ぬしらにとっての魔法はそういうもの。使えるか使えないかに過ぎん」
「そうじゃない人もいるの?」
カリュが口をはさんだ。ジニィが魔法をおぼえるのはともかく、ついてくるのは反対だったが、なんとなく気になる言い方だった。
「そういう輩もおる」
こたえながら口元にうかべた表情が意味ありげで、カリュはさらに質問しようとしたが、それをかわすように魔法使いがいった。
「さて、そろそろ寝る支度にかかれ。子どもは早く寝んといかん」
立ち上がり、歩き出す途中でぽんぽんとジニィの頭をなでていく。
「そうがっかりするな。本当にぬしにとって必要なときには、自然と使えるようになる。そういうもんじゃ」
焚き火のまわりの地面になにかをかきはじめたディーネから目をはなし、カリュは布袋からうすっぺらい毛布をとりだす。
ジニィをみると、まだしょんぼりしていた。
なんだよ、とカリュはおもう。魔法なんて使えるだけいいじゃないか。
声をかけるかわり、カリュは近くにあった水桶にわざと毛布を落として、すっとんきょうな声をあげた。
「あー!」
びっくりしたジニィが顔をあげる。
「ジニィ。魔法でこれ、乾かしてよ」
ジニィが眉をひそめた。
「……焚き火つかえばいいのに」
「いいから」
カリュはぶっきらぼうに毛布をおしつけた。
「やってよ。ふぁいあーでさ」
カリュを見上げたジニィが、少ししてからくすりと笑った。
「しょうがないなぁ」
毛布をうけとり、毛布の水に濡れた部分に手をかざす。ふぁいあ、とささやいた手のひらに火の玉が生まれて、弱々しい炎がゆらゆらとゆれる。
「……焦がさないでよ。絶対だからね」
「わかってるわよ、もう。集中するから邪魔しないでっ」
怒りながら嬉しそうな幼なじみの様子にため息をついて、カリュは少しはなれたディーネの様子をうかがった。魔法使いはしらんぷりをしてくれている。
それでかえって、自分のやったことがわざとらしすぎるようにおもえて、カリュは恥ずかしさをかくすために手元の石を小さく蹴りつけた。
結局、寝るまでの短い時間のあいだにカリュの毛布はかわききらなかった。
カリュは水にぬれた毛布に我慢してくるまり、寝ることになる。
それでも、焚き火でかわかすのも、ディーネに乾かしてもらうことも少年はたのまなかった。
火の元を追加してくべなかった焚き火がゆっくりと灯りをよわめていく。
徐々に暗闇がつよまっていく視界で、カリュは目をとじずにじっとしていた。
大木の屋根にはばまれて、空に星はみえない。森のなかはまっくらやみになりかけていた。
ときどき、獣の雄たけびが聞こえる。モンスターの叫びかもしれない。
森で眠ることはこわい。家のように壁があるわけじゃない。柵と掘りにまもられた村のなかではないから、いつモンスターにおそわれるかわからない。
ディーネは結界をはるといっていたけれど、そんなものが本当に効果があるのだろうか。すごい魔法使いだと知ってはいるが、不安はあった。
不安と緊張がカリュから眠気をうばっている。それを好都合だとカリュはおもっていた。少年はこのまま眠るつもりなどなかった。彼はチャンスをまっていた。
近くでは幼なじみの寝息が聞こえる。添い寝するようにカリュと毛布を丸めたジニィもしばらく寝つけないようだったが、ようやく眠ったらしい。
「……ジニィ、寝た?」
返事はない。
もう一度、相手の眠っているのを確認してから、カリュは幼なじみから身体をはなした。
物音をたてないよう、慎重に身をずらしていく。背中が小石のとがっている部分をふんづけてしまい、悲鳴がでそうになった。
あわてて口を閉じて声をころし、上半身をおこす。
焚き火はすっかり鎮火してしまい、くすぶった火後がわずかに赤かった。
あたりはほとんどまっくらでなにも見えない。焚き火の向こう側に眠っているはずのもう一人の寝息はなかった。
毛布にくるまったままたちあがりかけて、カリュは自分の毛布の一部がジニィの身体に巻き込まれているのに気づいた。顔をしかめて毛布を手放す。ジニィの身体にそっとかぶせた。
闇になれても、ほとんどあたりは見えないほど暗闇が濃い。
カリュは手探りで目の前の地面の起伏をたしかめながら、すすんだ。
唯一、目印になってくれている焚き火のまわりを四つんばいに這う。そろそろのはずだけど、と思ったところで手がなにか柔らかいものにぶつかった。
あわててひっこめる。
呼吸をとめ、相手の様子をうかがった。反応はない。眠っているのかもしれない。
そう思った瞬間、目の前の影が動いた。
「膝枕だけでは満足できんかったんか?」
からかうような声。カリュはあわてて相手の口をふさいだ。
遠くのジニィの寝息を確認する。
しばらく待っても、幼なじみに起きた気配はなかった。
「もうっ。静かにしてよ、ディーネ」
「女の寝込みを襲っておいて、その言い草かよ」
カリュの手からのがれ、楽しそうにディーネがいった。一応、声をひそめてくれてはいる。
「……聞きたいことがあるんだ」
「ほう」
いいながら、ディーネはなにもかもわかったような気配だった。まるで驚いていない。
そりゃそうだ。だって心だって読めるんだから、なにを企んでてもばればれだろうさ。相手に読まれていることを承知でカリュは毒づき、続けた。
「ジニィがいるから昼間は聞けないし。ナオミのこととか、それに――うわっ」
カリュの言葉は途中で切れた。腕をつかんだディーネに、毛布のなかにひきずりこまれる。
「な、なにをぅ」
「内緒話なんじゃろ。それに、こうでもせんとぬしゃ風邪をひくぞ」
ディーネがいった。
カリュはあばれたが、あまりの温かさとそれからやけに柔らかな感触に、すぐに抵抗をやめてしまう。たしかに毛布なしで森の夜はさむかった。
いい匂いがする。眠気をさそう心地に、あわててカリュは首をふって意識を覚醒させた。
「ぬし、冷えとるぞ。ほら、ちゃんとくっつけい」
どきどきする。鼓動をおさえつけて、カリュは平静をとりつくろった。
「……話がしたいんだけど」
「なんじゃ」
息がかかるほど近くでは、やけに話しづらい。目の前に相手の胸があった。ディーネの息が頭にかかってこそばゆい。
こんなんじゃ無理だ! カリュは身じろぎして無理やり相手に背をむけた。
「女に背を向けるとは、つれないわっぱじゃな」
あきらかにからかっている相手の言葉は無視して、カリュはたずねた。
「どうして、ジニィを連れてきたの」
「どうしてもなにも、止めたいならぬしが止めろといったぞ」
「そうじゃなくて――ぼくには、村を出るのはすごい覚悟がいるとかいってたのに」
「そりゃな。ぬし、村を出るのははじめてじゃろ」
カリュはうなずいた。
「あの者は違う。父親のおつきで行ったことがある。もともと、隣町までが行動範囲になっておるからの。ぬしとは違う」
――まただ。
相手の言葉に言いようもない違和感をおぼえて、カリュは口の中でつぶやいた。コードウハンイ。行動はんい?
「村から出たことがあるから、連れてきたの」
「連れてきたのはわしではない。ぬしよ。まあ、間接的に関わっているのは確かかの」
細かい言い回しの意味はわからない。気にせず、カリュはつづけた。
「村をでたとき、すごく嫌な感じがしたのは、そのせい?」
「少し違う」
カリュの頭にあごを乗せたディーネが低めた声音でつげる。
「ぬしはあの村をでることがなかったのではない。これから先も村をでるはずはなかった」
カリュは眉をひそめた。
「これからもって」
「のう、カリュよ。ぬしが空を飛べないのは何故かわかるか」
突然、会話がかわったことに戸惑いながらこたえる。
「だって、ぼくは翼なんてもってないし」
「なら、翼がないのは何故じゃ」
「……そんなの、そう生まれてきたんだからしょうがないよ」
「そういうことじゃ」
ディーネがいった。
「そういう風に生まれてきた。故にぬしは魔法を使えんし、空も飛べん。それと同じ理由で、ぬしは生まれた村の外に出ることはなかった。これまでも、これからもな」
ふと、カリュはこのあいだの夜のことを思い出していた。急にはじきとばされて、いくら頑張っても小屋に近づけなくなったあの現象を、ナオミは魔法じゃないといった。
いくら頑張ったって空を飛べない、絶対的な決め事。
「それが、セッテイ? そんなの、ぼくのこれからがそんなのに、決められるって……」
信じられない。
「それも違う。設定とは未来を決定づけるのではない。あくまで設定にそって、ぬしは行動するだけよ。その後に生まれる結果が未来と呼ばれる」
「でも。だって、ぼくはこうして村の外に出てきて――」
ぞっとした心地でカリュは気づいた。
今まで、確かに村から外にでることなんて考えたこともなかった。カリュがそう思ったのは、ドラゴンとナオミのことがあったから。ディーネと出会ったからだ。
生まれついて空を飛べないセッテイ。村を出ないのがそれなら、自分がそれをできたのはなぜだ。セッテイというのが絶対的なものではないのか、それとも。
「――あなたは、なに?」
相手を振り返らないまま、カリュはいった。全身が強張っている。今、自分を後ろから抱く相手の得体の知れなさにはじめて気づいていた。
すごい魔法使いだという、それだけじゃない。この女の人はきっと、ナオミとおんなじなんだ。
少年を抱く魔法使いがくすりと笑った。
「わしはわしじゃ。見えているとおり。触れているとおり」
ごまかしだ、とかさねて聞く勇気がない。いまや身体を動かすことさえカリュは躊躇していた。そんなことをすれば、相手に噛みつかれて、そのまま一呑みに食べられてしまうような恐怖を感じていた。
「カリュよ、ぬしはこれから多くのことを知る。知らんといかんくなってしもうた」
少年の内心に気づいていないふうに、ディーネがささやいた。
「ゆっくりでいい。いずれ急かなければならんのだから、今だけはな。もう休め。ぬしの世界は今日、途方もなく広がった。ただの歩き疲れでなく、頭が疲労しきっているはずじゃ。だから休め。いずれぬしの知りたいことはわかる。嫌でもそうなる」
そんなことをいわれても、カリュの頭はさえきっていた。
不安と、確信と、恐怖がぐるぐるに全身をしばってまるで眠気がやってくる気配がない。一晩中だって眠れそうになかった。聞きたいこともまだまだある。けれど、聞いてしまうこともおそろしかった。
少年の気分をほぐすようにディーネが子守唄をうたいはじめる。
聞いたことのある歌だった。
世界をつくった五匹の竜のお話。
それを聞きながら、嫌でもカリュは思い出してしまう。
森で見つけた小さなドラゴンと、その傷。ナオミのこと。
身体中を緊張させたまま、自分の首にゆるく巻きつくディーネの腕を見下ろす。
――もしこの腕に噛みついたら、そこから流れる血はもしかして青いのではないか。
そんな試せるはずのないことをカリュは思いついていた。