たびだち 2
いなくなったナオミを探すために村をでる。
そう決意して、カリュの頭にうかんだのは両親とジニィだった。
いきなり村を出るなんていって、反対されないはずがない。
母親は心配するにきまってるし、父親はなにもいわずにげんこつを落とすだろう。どうやって説得すればいいのか悩みに悩んだカリュだったが、魔法使いはあっさりと告げた。
「問題なかろ。わしが一緒だからな」
それは、村の恩人の言葉があれば話くらいきいてくれるかもしれない。
どうしてそこまで自信があるのか不思議に思ったカリュをみて、魔法使いは口のはしをもちあげて、
「そういうものよ」
意味ありげに、それ以上なにもいわなかった。
相手のいった言葉の意味をすぐにカリュは実感した。
村にかえり、両親に魔法使いについていきたいことを告げると、二人は驚き困惑した様子だったが、反対はしなかった。父親はしかめつらで、母親は辛そうに、それぞれ深い嘆息をはいただけだった。
「――そうか」
怒鳴りつけられるとばかり思っていたカリュは、肩すかしをくらった気分で父親をみあげた。
「……いいの?」
恐る恐るたずねると、父親はためいきのような答えをかえした。
「仕方ないだろう」
その答えに、カリュは奇妙な違和感をおぼえた。
仕方ない。
それは、自分がそう決めたから? それとも、村の恩人が一緒だから?
カリュは隣にたつ魔法使いをみた。
会話をききながら、それがさも当然だという風にその人物は立っている。
――いったい、なにが当然なの?
ぞわりと鳥肌がたった。
カリュの視線にきづいた魔法使いが少年をみた。心が読めているはずなのに、その目にはなんの感情もうかんでいない。ただ見おろしていた。
なにかおかしい。なにかが変だ。
その違和感の正体がなんなのか、カリュが考えにいたらないうちにも、話はとんとん拍子ですすんでいた。
出発は明日。準備や、村のみんなへ挨拶をしてまわって、旅立ちの日をむかえる。
自分たちが大人連中に話をしてくるから、まずは身の回りの準備をしてきなさい。それから、ジニィにはちゃんと話をしておくのよ。両親の言葉をほとんどうわのそらでききながら、カリュはずっと考えていた。
変だ。変だ。ぜったいに変だ。
「だから言ったじゃろうが」
両親がいなくなって二人きりで、魔法使いがいった。
「わっぱ。ぬしはもう戻れん。なんの疑問も恐れもいだかず、幸せに生きることはできん。これから、ぬしは全て失う。全てを疑う。全てが崩れる。ぬしがこの村から外にでるということは、そういうことじゃ」
ふと、カリュの足元に目をやって眉をもちあげた。
「おい。ぬしは一体、なんの上に立っておるかよ」
え、と視線をおとしかけたカリュは、ぐにゃりと足場がくずれるのに悲鳴をあげかけた。
いつのまにか、下が泥みたいになっている。木が、土が、どろどろのぐずぐずになって身体のバランスがとれない。椅子をつかもうと、のばした手が空をきった。
転んだ。痛みにめをとじて、ひらいたときにはすべて元にもどっていた。
床も、椅子もいつものとおりにそこにあった。
カリュはすわりこんだまま、魔法使いをみあげる。
相手はさっきから一歩も動いていない。魔法なら動く必要はない。呪文だってつかわずに火傷をなおしてみせた。けど、これは、魔法じゃない。
カリュの全身にびっしりと汗がういていた。そのつめたい感触が、カリュに正しい認識をもたらした。
もしかして、おかしくなったのはぼくなんじゃないか?
「聡いのう」
魔法使いが微笑んだ。
「正常か異常かなぞはこの際どうでもよい。重要なのは、おぬしが変わったということじゃ。怖かろう。ぬしが今まであたりまえと思っていたことが、これからは全て信じられなくなる。恐ろしゅうてたまらんくなる。今なら、まだ戻れるがの」
そうしろとすすめている口調だった。
むっとたちあがり、カリュは魔法使いになにもこたえずに自分の部屋へむかった。
「頑固じゃな」
楽しそうに、カリュの後ろをついてきた魔法使いがベッドに腰をかける。
今さらおどされても、だまされるもんか。それがおどしなどではないことにカリュはほとんど気づいていたが、あえてそう思い込むことにして旅の準備をはじめた。
準備といっても用意できるものは多くない。下着と、替えの服。あとは投石につかうために、毎日拾いあつめておいたつぶて。それから、ほんの少しだけの硬貨。
村では貨幣を使う機会なんてほとんどなかったから、これはカリュが戦利品や拾いものを村の道具屋に買い取ってもらってこつこつあつめたものだった。
用意したそれを大きな布袋につめこんで、もう少し中身に余裕があった。他になにか詰めておくものはないかなと首をめぐらせていると、ベッドから声がかかる。
「無理に探さんでよい。忘れるものは忘れる。入らんものは入らん。満杯にするよりは、半分くらいで丁度ぞ。残りには別のものをつめていけ」
しなだれるように横たわって、魔法使いは妖艶な笑みをうかべていた。それよりもな、と続ける。
「外を見てみい。客じゃ」
部屋に一つだけついた窓に顔をむけたカリュはげ、と顔をひきつらせた。
そこにはおもいっきり眉をつりあげて、顔を真っ赤にしたジニィが窓の向こうからカリュをにらんでいた。
カリュはあわてて家の外にでた。ついてきてくれると思った魔法使いは同行してくれなかった。
「こればっかりはぬしの仕事であろうよ」
意地の悪い笑みをうかべるその姿は、あきらかに楽しんでいる様子にしかみえなかった。
玄関の扉をあけたそこに、仁王立ちのジニィが腰にてをあてて立っている。ぎょっと身をひきかけて、カリュはとりあえずなにか言おうと口をひらきかけた。
「バカ!」
それよりはやくジニィの怒声がとんだ。
「バカ! バカリュ!」
呼吸を忘れてるんじゃないかと思えるくらいの勢いでつづく。
「ごめ――」
「バカ! バカ! おたんこなす!」
ああ、これはだめだ。
弁解をあきらめて、カリュは口をつぐんだ。
こうなれば最後、ジニィの気がすむまで黙っているしかない。背を伸ばして目をとじて、男らしくすべてを受け入れようと心にきめるが、
「チビ!」
その一言でかっと頭に血がのぼった。
「チビじゃない!」
「チビじゃない! あたしより小さいくせに!」
「ほとんど一緒じゃないか! 髪の毛のせいだろ!」
「そんなわけないでしょ、バカリュ!」
噛みつけるほど近くで言い争って、ふとジニィの目に涙がにじんだ。
そのままわんわんと泣き出す。
カリュは途方にくれた。
あわてて頭をさげてあやまって、なだめすかして。ジニィが泣きやむまでにものすごい時間がかかった。
「……ナオミが、いなくなったんだ」
裏庭の原っぱに場所をうつして、カリュは隣にすわるジニィにいった。
さっきまで泣きじゃくっていたジニィは、まだ鼻をならしている。目が真っ赤だった。
お昼ちかくの太陽がぽかぽかとしていて、それがジニィの涙をかわかしてくれないかなあと思いながら、カリュは続けた。
「ぼくのせいなんだ。だから、探しにいかないと」
「あの、女の人と?」
「……うん」
風がふいて、草がゆれた。
二人のいる奥には村をかこむ柵があって、その向こうの林がそのまま森につながっている。そのずっと先にある燃え落ちた声を見るようにしているカリュをちらりと横目でうかがって、ジニィはぎゅっと唇をかんだ。
「……あの人、きらい」
「あの人って?」
ジニィはこたえなかった。
「ナオミもきらい。だからあんなに、あそこには行っちゃいけないっていっておいたのに――」
また、じわりと涙がうかんだ。
わたわたとして、カリュはなにもいえない。頭の中で、銀髪の魔法使いにためいきをつかれたような気がした。
ジニィがかかえた膝に顔をうずめた。
なにもいわない。嗚咽がきこえたから、涙をこらえているのかもしれなかった。
カリュは黙って、待った。
「冒険者なんて。大っきらい。たまに村にくるけど、あの人たち変だもの。偉そうで、ずうずうしくて、礼儀しらずで」
「……うん」
「意味わかんない。なんでカリュが、そんなのにならないといけないの。ナオミなんて、関係ないのに。勝手にすみついた冒険者が、勝手にいなくなっただけなのに――」
「うん」
「うんじゃないわよ、ばかぁ」
ジニィが顔をあげた。
生まれたときからの彼の幼なじみは、やっぱり泣いていた。涙をぼろぼろとながして、目と鼻があかくて、ほつれた髪がほっぺたにはりついていた。ひどい顔だった。
ジニィの泣き顔がカリュは苦手だった。そんな顔をさせたくなんかなかった。
同時に、すこし嬉しい気もしていた。
ジニィはおかしくない。両親のような変な物分りのよさがないことが、逆にカリュをほっとさせていた。
――ジニィだけはちゃんと怒ってくれる。
「――大丈夫。俺、もどってくるよ」
魔法使いからいわれた言葉を無視して、カリュはいった。
「絶対もどってくるから。約束する!」
右手をさしだす。
いやがるジニィの右手を強引につかまえて、小指どうしをからめて上下にふった。約束をかわすときに行う誓いだった。
「うっそついたらゴブリンからひゃくたったき。ゆーびきった。――ほら、ねっ」
「……しらない」
ジニィはそっぽをむいた。
すこしだけ機嫌がなおってる。ほっとして、カリュはえいやっとジニィの膝のうえにねころんだ。
「カリュ、ちょっと、なにして――」
「いいじゃん。ちょっとだけ」
あわてるジニィ。気にせず、カリュは目をとじた。
はじめてしてもらう幼なじみの膝枕はきもちよかった。
母親とも、あの魔法使いともちがう。
「……もどってくるよ」
ぽたりと、カリュのほっぺたにしずくがおちた。
「――約束だからね」
上からのぞきこんだ彼の幼なじみが、泣いていた。
「ぜったい、ぜったいだからね。待ってるんだからね」
「うん。ぜったい」
目をあけたカリュがいうと、それでようやくジニィはちょっとだけ笑った。
「……カリュ。膝枕が好きなの?」
答えに迷ったけれど、カリュは正直にいうことにきめた。
「うん。好き」
「……やっぱり子どもじゃない」
「そんなことないやい」
カリュは頭を横にして、幼なじみのおなかに顔をおしあてた。
「ちょっと。こら――」
狼狽するジニィにかまわず、臭いをかぐ。お日さまと土の香りがした。
忘れまいと思った。
この香りを、絶対にわすれない。そうすればまたこの村に戻ってこれるはずだからとカリュはそう信じた。
「もう。ほんとに、子どもなんだから」
呆れたように笑って、ふと気になったようにジニィがたずねた。
「お母さんにも、してもらったりするの?」
「……たまに。ちょこっとだけ」
「ね。お母さんのと、あたしの。どっちが気持ちいい?」
どうだろう。
かたさ、やわらかさ。弾力。あったかさ。色々な観点から考えて、
「よくわかんない」
「なによそれ」
不満そうにジニィが口をとがらせた。
「だって。うーん、ジニィのはどっちかっていうと、お姉さん寄りかなあ」
ぴくりと、ジニィの身体が震えた。
「――お姉さん?」
自分の失言にきづかず、カリュは目を閉じたままつづける。
「うん。母さんのとはちょっと違う感じ。なんだろ、弾力かなあ。別にどっちが――」
なぐられた。
不意をつかれて、そのうえおもいっきり全力でなぐられて、カリュは意識をうしないかける。
「な、なにすんだよ!」
飛び上がって、そこで動きをとめた。
カリュの目の前に、剣呑な雰囲気の幼なじみがこぶしをかためていた。
「……お姉さんが、どうしたって?」
なぜかはわからなくても、なにか自分がドラゴンを怒らせるようなことをしてしまったことには気づいて、あわててカリュはいった。
「いや、えっと、ジニィもはやくお姉さんみたいに――じゃなくて、お姉さんになってきたなあって」
「誰」
「え」
「ナオミにしてもらってたの。今まで一人で村はずれにいって、そんなことしてもらってたんだ」
なにかとんでもない誤解が生まれようとしている。
カリュはぶるぶると首をふった。
「違うよ! 相手はあの魔法使いのお姉さんで、してもらったのはさっき一回だけで」
それ以上は続かなかった。
ゴブリンだって一撃でたおせそうな拳をうけて、カリュはその場で意識をうしなった。
「バカリュ! だれが、あんたなんか待ってるもんですか!」
ずかずかと足音をふみならしながら、幼なじみは去っていった。
「たわけじゃなあ」
ベッドのうえで目をとじてその一部始終を見ていた魔法使いは、おかしそうに腹をかかえていた。