たびだち 1
カリュは自分の部屋で目を覚ました。
夢だったのか。寝ぼけた視界で天井を見ながらそう考える。
左手をみる。
そこには包帯が巻かれている。にぎると、ずきんと痛んだ。
――夢じゃない。
ゴブリン。変なしゃべりかたの魔法使い。小さなドラゴン。火事。ナオミ。それから――
……自分はどうやって家に戻ってきたのだろう。
火事は? 村は、いったいどうなったのだろう。
いろんなことを頭に思いうかべながら、カリュは部屋をでた。
でたらすぐそこも部屋になっていて、三人の姿がある。
父親と母親、もう一人。母親はキッチンで朝ごはんの準備をしていて、あとの二人は暖炉前のテーブルに腰かけていた。
「おはよう」
いつものように無言の父親と、背中をむいた母親に挨拶をして、顔をあらってこようと外の井戸に向かいかけて、扉に手をかけところでカリュは違和感のしっぽをふんづけた。
振り返る。
「ずいぶん遅いお目覚めじゃな」
銀色の髪と褐色の肌をした見知らぬ誰かがそこにいた。
いや、知らない相手ではなかった。昨日、カリュを助けてくれたあの魔法使いにちがいなかった。
「な、なっ――」
「なんでここにおるかと言われてもの。招かれたから泊まっただけよ」
招かれた?
父親が立ちあがり、カリュのちかくにやってきた。げんこつをおとす。
「痛っ!」
目の前に星がとんだ。
しゃがみこんで頭をおさえるカリュに、静かに怒った声がふってきた。
「……昨日、村はずれで寝ていたお前を連れて帰ってきてくださったんだ。ちゃんとお礼をいいなさい」
「そう、なの?」
もう一発、げんこつがおちた。
「そうなんでございますか」
涙目になりながら見あげたカリュに、銀髪の魔法使いは涼しげな表情でこたえた。
「でかい火のそばで気持ち良さそうにしていたのを、たまたま見つけただけじゃがな」
「火……」
「そうだ。森の火事も、この人が魔法ですべてしずめてくださった。村を救ってくれたんだ」
魔法。
火をつけることができるなら、反対のことだって消すことだってできる。
ゴブリンをあんなに簡単に倒した魔法使いなら、たしかにそのくらいの魔法はつかえても不思議ではなかった。
尊敬の表情であおぎみるカリュに、相手は照れもない態度で、
「探しものをしていたついでよ。褒められるようなことはしとらん」
「それでも、私たちの村は救われましたから。カリュのことも。本当に、ありがとうございました」
お盆を持ってテーブルにやってきた母親が、深々と頭をさげた。
父親がカリュをにらむように見る。
母親を手つだってご飯を並べていたカリュは、あわてて頭をさげた。
「ありがとうございました」
すぐに頭をあげた。せきこむようにたずねる。
「あの! 俺がいた近くに、他に誰か――」
すっと魔法使いの切れ長の瞳がほそまった。
「他には誰もおらんかったがの」
「……そう、ですか」
カリュの脳裏に声がよみがえった。――さよなら。
いつもより豪勢な朝食がはじまった。
食事のまえのお祈りのあいだ、カリュはじっとテーブルを見るようにしていた。
それを向かいにすわった魔法使いが、醒めた眼差しで眺めている。
「――ごちそうさま」
ほとんど食べ物にてもつけず、カリュは立ちあがった。
「ちょっといってくる」
「カリュ、待ちなさい。こちらの方が、お前に聞きたいことがあるって――」
母親の声がかかるまえに、カリュは扉から飛び出していった。
はあ、とため息をついた母親が、すまなそうに客人をみていった。
「すみません。落ち着きがない子で」
「なに、子どもはあれくらい元気なほうがよかろう」
スープを美味しそうに飲みながら、魔法使いは笑った。
「昨日も、女子をまもろうと身体をはっておったよ。よいおのこじゃな」
「そうですか」
少しだけ嬉しそうにカリュの母親の口元がほころんだ。
無言で食事を続けている父親はなにも言わないが、内心でよろこんでいるようだった。
父は寡黙だが誇りだかく、母は穏やかでやさしい。
それこそがはぐくんだ性格であることは違いなかった。それが例え、そうあるべきで定められたものであるとしても。
質素だが心のこもった食事をあじわい、魔法使いは席から立った。
「馳走じゃった。さて、少しわっぱを借りてもよいか」
「それはかまいませんけれど、あの子がどこにいったのか……」
「こちらで探すのでかまわん。見当はついておる」
横がけたフードをとりながら、こともなげにいった。
家を飛びだしたカリュは村のはずれにやってきていた。
昨日までほったて小屋がたっていたその場所。今は火事のあとが痛々しく、すべてが焼け落ちてしまっている。
そこに一歩を踏み出そうとして、やはりある場所からはまるで身体が前に進まなかった。
「くそ」
どこか抜け道はないかと小屋のまわりを一周する。
そんなものはなかった。
はかったように、円状に見えない壁がたちふさがっているようだった。
「くそ!」
ふりおろす。痛みも、なにかに触れた感覚もなく、こぶしは宙で止まった。
カリュは思いつく。穴をほったらどうだろう。
モグラみたいにもぐっていけば――地面を掘り起こそうと手を伸ばしかけるカリュに、冷ややかな制止の声がとどいた。
「やめておけ。爪がはげる」
振り返ったそこに、フードをかぶった魔法使いが立っていた。
カリュは黙って、道具になりそうなものがないか探した。
スコップをとりに帰るより、石かなにかでもいいから近くに落ちてないかと見回して、魔法使いに笑われる。
「やめておけと言うとろうが。いくら掘っても無駄じゃ。禁止フィールドは目に見えるところだけではない。上からだろうが、下からだろうが、ぬしはそこから先には進めん設定よ」
カリュは動きをとめて、たたずむ魔法使いを見た。
たったいま投げかけられた、意味のわからない言葉を思いかえし、わけがわからないことをあらためて確認して、わからないまま納得した。
低い声でたずねる。
「……あなたも、ナオミと一緒なんだ」
魔法使いは首をかしげた。
「どうかの。それはちと難しい質問かもしらん」
「せっていって。なんですか」
とぼけるような相手の態度を無視して、カリュは質問をつづけた。
「えぬぴーしって、きんしって。なんで。なんでナオミがあんな――」
青い血。
ぶるりと身体をふるわせたカリュに、魔法使いがいう。
「見たとおりよ。噛みついたときにお前が感じた、それが答えじゃな」
――この人も、ぼくの心をよんでる。ナオミのように。
「そう警戒するな。少しばかりおぬしに聞きたいことがあるだけよ。かわりに、ぬしの聞きたいことにも答えてやる」
「……どうして? 心が読めるなら、わざわざそんなこと聞かなくたって」
「文字だろうが数字だろうが、羅列は羅列。そこに意味をつけるのは人。わしが読めば、それはわしの答えでしかない。最適解が正解ともかぎらん。まして人の心、たずねて聞くのがもっとも誤差がない。当然、主客をあらかじめ限ったうえでの話じゃがな」
変なしゃべり方のせいもあって、魔法使いの台詞の意味はほとんどカリュにはわからなかった。
ただ、この相手が自分と会話をしたいのだなということは理解できた。
「聡いわっぱじゃな。ほれ、こっちこい。膝枕してやろう。好きなのじゃろ」
「なっ」
突然そんなことを言われたカリュは声をうしなう。
母親に膝枕してもらうことが大好きなのは、誰にもいってない。ジニィにだって内緒だった。
顔を真っ赤にするカリュをけらけらと笑い、魔法使いは芝生に腰をおろした。
「母御のそれには叶わんじゃろうが、わしの膝もなかなかぞ。……左手の傷をみるだけよ、とって食いはせんわ」
手招きされるのに導かれてふらふらと、カリュは魔法使いのもとへ寄っていった。
やわらかそうな太股を見てためらって、覚悟をきめた。
ごろんと寝転ぶ。藁のベッドとはやわらかさもあたたかさもなにもかも違う弾力。あきれたような声がふってきた。
「なんじゃ。やっぱりしてほしかったんか」
「……ちがっ」
あわてて起き上がろうとしたのを、やわらかい弾力でおさえつけられた。
「力をぬけ。ぬしのかわいい幼なじみには黙っておいてやろう」
「……! ……っ!」
ばたばたと暴れて、それでも逃げ出せないのがわかって、カリュは陸にあげられた魚のように脱力した。
甘い匂いがした。
かぎなれた母親のものとは違う。なんだか眠たくなるような、不思議な香りだった。
持ち上げられた左手の包帯をはずされる。
「いくら低温でも、ああも強く握りしめればこれくらいにはなるか。ようもまあ、あんな無茶をしたものじゃの」
「……だって、ほかに武器が」
「褒めとる。まあ、そのあとの行動はいかんかったがな」
「…………」
魔法使いがさっと手をなでると、そこにあった傷が消えた。
言葉の通り、魔法のようだった。呪文もなかったのに。
痛みもない。さっきまで怪我をしていたということさえわからなくなっていた。
ぽかんと自分の手のひらを見上げて、カリュはそれから顔をしかめる。それを魔法使いが上からのぞきこんでいた。
「どうした? 嬉しくないかよ」
カリュは自分の手をにぎりこんだ。
「……なんか。消えちゃうみたいで」
痛みと一緒に、昨日の出来事が。
ドラゴンとの出会いも、ナオミとのお別れも、ぜんぶ嘘だったんじゃないかと思えてしまうのが、怖かった。
「忘れてしまったほうがよいこともあろう」
魔法使いの言葉はやさしかった。
「そんなことない」
カリュはこたえる。
「そんなのイヤだ。ぼくは、忘れたくなんかない」
あのドラゴンも、ナオミも。
――すぐに消える。お前達は逆らえない。怒りを持続できない。そうやって生を繰り返す。
ナオミはそういっていた。
だけど、ぼくは絶対にわすれない。そう決めた。
じわりとなにかが視界ににじんだ。
「やはりぬしは、よいおのこじゃな」
そっと目のうえに手のひらがかぶさる。
「すまん。勝手をした。よけいなことであった」
カリュはだまって頭をふった。
顔におかれた手のひらはあたたかくて、母親のものとも、幼なじみのものともちがった。――ナオミのに似ていた。
ぐっとこらえようとしたカリュに、やさしい声がうながした。
「泣いてしまえ。まだ泣いておらんのじゃろう。よいおのこはな、よう泣くものよ」
嘘だ。男は、泣いちゃいけないんだ。
そう思ったけれど、声があまりにもやさしすぎたから。
名前もしらない魔法使いのひざで、カリュは声をあげて泣いた。
「……聞きたいことって、なに」
おもいっきり泣いてから、カリュはいった。
少しはずかしくて、ぶっきらぼうな口調はその照れ隠しだった。
「うむ」
そんなカリュの気持ちなどそしらぬふうに、少年の髪の毛をいじりながら魔法使いはいった。
「昨日まで、ここの小屋に住んでおった冒険者が、身に竜をやどした。それで間違いないか」
カリュはうなずいた。
「その冒険者は一月ほど前にここに現れたそうじゃの。村人と近づこうとせず、一人でここに住んでおった」
「……うん。ナオミと話すのは、ぼく――俺くらいだった。村の大人も、近づいちゃいけないって」
ジニィも、カリュがナオミに会いにいくのをすごく怒っていた。
だからカリュはナオミに会いにいくとき、こっそりと会いにいっていた。
「ふむ。……ぬしが森で見つけたドラゴンをつれていったときのことだがな。その冒険者は震えておったようじゃの」
どうだっただろう。
あのときはドラゴンの怪我のことで頭がいっぱいで、そこまではおぼえていなかった。
「他ならぬ、ぬしの記憶に聞いたことよ。間違いない。わしが聞きたいのはそこじゃ」
一拍の間をおいて、魔法使いはいった。
「その女、どうして震えていたと思う?」
「……わかんないよ、そんなの」
「わかる。いや、ぬしにしかわからん。考えてみよ」
強い口調だった。
カリュは目を閉じて昨日のことを思いかえす。
ドラゴンを見たときのナオミの表情。いつものようにぼうっとした態度で、ふらふらと近づいてきて――ああ、確かに手当てをしているあいだ、隣でじっとドラゴンを見ていた。なにかつぶやいていた。それがなんといっていたかは、わからないけれど、
「……怖がってた」
「なにを」
「――ドラゴン?」
いや、そうじゃない。自分のつぶやきをカリュは否定した。
「……たくさん。多分、それだけじゃない」
村とかかわろうとしないで一人で村はずれにいたのも、ずっと小屋のなかにこもってたのも。
ドラゴンが理由なんじゃない。あのドラゴンは多分、その一つだ。
魔法使いが深い息をはいた。
「なるほど。だからこそ、自分がそれになることを望みおったか。無茶なことをしよる」
笑っているような、怒っているような声だった。
カリュののどをくすぐり、それをいやがって身をよじった拍子に魔法使いが立ち上がる。
「ぬしの考えで恐らく間違っとらん。わっぱ、感謝するぞ。聞きたいことはそれだけじゃ」
どこかいこうとする背中に、あわててカリュは声をかけた。
「まって! まだ、聞きたいことがあるのに!」
「……ああ、そうだったの。すまん、ありゃ嘘よ」
あっさりと魔法使いはいった。
「嘘、って――」
あまりに堂々と言われてしまい、カリュは二の句がつげない。
フードの縁からのぞく涼しげな目元を草原の風にゆらして、魔法使いは笑った。
「というのは冗談じゃが。だが、聞かんほうがええぞ。聞いたら、きっとぬしは帰ってこれんくなる」
「帰る?」
「向かうために、聞くのじゃろ」
ぎょっとしかけて、すぐに気をとりなおした。
自分の考えを読まれているなら、隠したってしょうがない。それで怯える理由もない。
「……ナオミを、探したいんだ」
「探してどうする。違う、といわれたのじゃろう」
「だから。なにがちがうのか、教えてもらって。考えて――」
「聞いたところで、事実は変わらん」
魔法使いはいった。
「諦めよ。ぬしはわしらとは違う。このまま村で大きくなれ。命と、両親と、幼なじみを大事にせい。そのほうが幸せよ」
「イヤだ!」
カリュはいった。
だだっこの態度だった。それに続いた行動がちがった。
カリュは地面に目をやって、手ごろな大きさの石をさがした。それをひろって、その鋭利なかどで左の手のひらを切り裂いた。
魔法使いが小さく目をみひらいた。
激痛がはしる。涙がにじむ。手のひらから鮮血が流れた。二回、三回、と傷のうえからさらに切り刻んで、カリュは涙目のまま、真っ赤に染まった手のひらを魔法使いにつきつけた。
「絶対に、わすれない。忘れてなんか――やるもんか!」
二人はしばらくにらみあった。
上から見下ろす静かな眼差しと、下からにらみあげる涙のたまった視線がからみあい、先に根負けしたのは魔法使いのほうだった。
「見上げた頑固者じゃ」
呆れたようにいい、空をみあげる。
思案するようにしばらくそのままの姿勢で、それからカリュに顔をむけた。
「……帰れんぞ。ぬしは今までのぜんぶを捨てることになる。村も、やさしい両親も、かわいい幼なじみも。ほんにそれでいいんじゃな」
ずきんずきんと、まるで手のひらに心臓があるみたいに痛みが脈をうっている。
その痛みを丸ごとにぎりしめて、カリュは大きくうなずいた。