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はじまりの日 4

 夕暮れが一足はやく森にかげりをしのばせる。

 村はずれにたったほったて小屋で、その小屋の持ち主の女はがたがたと震えていた。


 室内はほとんど夜のように暗い。

 小屋の中央、斜めにかしいだ机のかごに横たわるもの。

 そこからほのかな光がたちあがっている。


 苦しそうに腹を上下しながら、小さなドラゴンは呼吸をくりかえしていた。

 全身を発光させているのは、呼吸ごとに力をとりこんでいるからだった。


 マテルと呼ばれるこの世界にみちた力。

 どこにでもあり、いくらでもあるその源を、小さな生命体は身体の回復にあてている。

 魔法ではない。そう意識するほどのものでもない。

 彼らにとってそれを活用する術は、呼吸するのと同じくらい自然に、生まれつきそなわっているものだった。


 あたりまえだ。

 彼らはマテルそのものなのだから。


 震えながら見守るうちに、ドラゴンはますますその輝きをましてきている。

 赤色のマテルはドラゴンの属性をあらわしていた。

 火の竜。力のサラマンデル。それはこの世界をつかさどる存在だった。


 ちまたでは伝説としか噂されないが、それが実在することは冒険者たちのあいだでは常識だ。

 彼らの目的は多くがその存在にあった。

 たくさんの冒険者がそれを探し、それと戦った。


 ドラゴンに挑んだ冒険者の数はそのままそこで積み重なった死者の数にひとしい。

 彼らは叫び、悲鳴をあげ、笑いながら命を散らせていった。

 雪辱の呪いを吐き叫び、塵のようにあっさりと命を散らしていく。それが冒険者という種族だった。

 竜がそうした存在であるように、彼らもまたそういう存在だったのだ。


 女は違った。

 歯を打ち鳴らして恐怖におののくその目に過去の光景が思い浮かんでいる。


 天をさき、地をくだき、海をわるその異能。

 目の前に立つだけで魂ごと心胆をけずりとられるその圧倒的な存在。

 頭をかかえて神の慈悲をとなえ、ただ周りの仲間が事切れる断末魔だけをきく。


 気づけば女は逃げ出していた。

 恐ろしかった。ただ恐ろしかった。


 そうして流れ着いた村。

 すべてを放り出してたどりついたその逃げた先で、いま女の目の前にそれが横たわっている。

 逃げ出すことなどできないのだ。絶望の気分で女はうめく。

 そうだ、それはそうだ。

 だって、なぜなら、彼らはこの世界そのものなのだから――


 ドラゴンの視線がさまよい、彼女を見た。

 口を開く。

 ひ、と息をのみ、女はとびすさって尻餅をついた。


 ぴー。


 灼熱の炎が吹き荒れることなく、かわりにか弱々しい声がないた。

 のろのろと立ち上がり、女はかごの様子をうかがった。

 ぴー。またドラゴンがないた。はかない声だった。

 お礼をいっているようにも、助けをもとめているようにもきこえた。


 女は呆然とそれを見下ろした。

 信じられなかった。

 あのドラゴンがそんなか弱い声をだすことに、耳をうたがった。


 ドラゴンと目があう。そこにあったのは他者をみとめる視線だった。

 彼女を見下ろして蟻をふみつぶすように無機質な瞳を向けていたあの生物が、自分を見あげている。

 それは彼女のなかに凝り固まった恐怖をやわらげるのに十分だった。


 女の頬を涙がつたって落ちた。

 なぜ自分が泣いているかわからなかった。


 そっと手をのばす。ドラゴンに触れた。

 火竜の子は抵抗しようとしなかった。

 その力がなかっただけかもしれない。だが理由はどうあれ、たしかに女はその身体にふれた。


 温かい。

 鼓動がした。


 凍土の氷がとけるように、女のなかでなにかがくずれた。

 ああ、そうか。

 彼らも同じなのだ。そしてこんなにも違う。そう、違うのに、同じなのだから。

 ――なら、自分だってきっとこうなれるはずだ。


 女は笑った。

 涙をながしながら笑った。喜びと悲しみがないまぜになった表情だった。



 ――しばらくして、室内を完全な暗闇がおおいつつんだ。



 深夜、父親の手でたたきおこされたカリュは、すぐに異様な雰囲気に気づいた。

 こわばった父親になにがあったのかもたずねられず、村の外、寄り合いなどに使われる広場に向かう。

 そこにはすでに他の村人たちが集まっていた。

 空をみあげたカリュは目をみひらいた。村の周囲、あちこちの方角が明るかった。


「カリュ……」


 ジニィがそばにやってくる。寝起きだから髪がおりている。

 不安そうに服のすそを掴んでくる幼なじみの手をにぎって、カリュは大人たちの様子をうかがった。

 誰もが混乱していて、口にする言葉はどれも錯綜していた。

 カリュは村長の姿をさがした。


「みんな、聞いてくれ!」


 声を張り上げたのは村長ではなく、若い村人のリーダー各になっている男だった。


「森火事だ! どうも一箇所じゃないらしい! このままじゃ森が危ない。風の吹き方によっちゃあ、村も巻かれるかもわからん!」


 ざわざわと村人がざわめいた。


「理由はわからん! 今日、子どもたちがゴブリンを見かけたって話もある! もしかすると、モンスターの群れの襲撃があるかもしらん!」


 いっそう強いざわめき。

 大人たちがカリュとジニィを見た。

 そのなかには非難じみた眼差しもある。昼間の出来事が、この事態を招いたのではないかと思っている相手がいた。

 大人たちの視線から守るように、カリュはジニィを自分の背後にかくした。


「まだ間に合うようならだが、森をまもらんといかん! モンスターの襲撃に備える必要もだ! 男たちは二手にわかれてどっちかを頼む! 女子どもは万が一のために、家の荷をまとめて避難の準備をしてくれ。それぞれの指示は自警団がとる。警団、班分けするから集まれ!」


 大人たちが動き出す。

 心配そうなジニィにうなずきかけて手を放し、男たちのあとに続こうとしたカリュは、父親の手で頭をおさえつけられた。


「お前はあっちだ」


 父親がそうあごをしゃくったのは、女子どもが集まりだしている場所だった。


「俺、子どもじゃないよ!」


 むっとして見上げるカリュに、無愛想で評判の父親は静かにうなずいた。


「わかってる」


 頭をくしゃりとして、


「お前はジニィを守れ。母さんを頼む」


 まだ納得できない様子でいる息子に言った。


「男だろう」

「男だよ!」


 父親の大きくて重い手を頭からふりはらい、カリュは言った。

 小さく笑った父親が、ぽんぽんと頭を叩いてなでた。


「なら、頼むぞ」

「……わかった」


 不承不承、カリュは返事をして父親の背中を見送った。

 ぎゅっと拳をにぎりしめる。

 もっと背が大きければ。力が強ければ、ぼくだって――


 ぎゅっと彼の手をつつんだのはジニィだった。

 怖いだろうに、それを我慢している。必死に年上らしくあろうとしているのだった。

 カリュは大人たちと一緒にいけなかった悔しさをおさえつけて、自分が父親にされたように幼なじみの頭をなでてやった。

 気が強くてしっかり者。だけど本当は怖がりな彼の幼なじみは、泣きそうな表情で目を細めて、それをごまかすように強く手をにぎりしめた。すごく痛かった。ジニィはとても力持ちなんだ。


 ――自分のできることをしよう。

 そうカリュは自分に言い聞かせる。いつか父親のように背も伸びて、手も大きくなるんだから。

 今は隣にいるこの幼なじみの小さな手を守っていよう。

 ふと脳裏になにかがよぎって、カリュは空をみあげた。


 星がきれいな夜空。四方がうっすら赤い。

 はっとカリュは思い出した。


「ジニィ、ごめん。俺、ちょっと行ってくる」

「え? あ――」

「すぐ戻るから! 大丈夫って、母さんにいってて!」

「カリュ!」


 幼なじみに手を振りながら、カリュは村はずれに走った。



 小屋は炎に包まれていた。


 巨大な焚き火となって、轟々と火の粉をまきちらしながら燃えている。

 その手前に、立ち尽くしている人物がいた。


「ナオミ!」


 声をかけながら、カリュは自分の勘違いに気づく。

 小屋の手前、炎に照らされた濃い影のようなその相手は、立ってはいたが尽くしてはいなかった。


 笑い声がひびいていた。

 はじめて聞く、とても楽しそうな笑い声。

 それを耳にして、カリュはなんだかすごく嫌な予感をおぼえた。


「……ナオミ?」


 女が振り返った。

 輝くような笑顔だった。

 逆光のはずなのに、カリュにはそれがはっきりと見えた。


「ああ、カリュか。どうした? こんな時間に」


 はきはきとした口調にとても違和感がある。


「火事、いや、そうじゃなくて、小屋が!」

「ああ――これか。いや、いいんだ」


 爽やかな表情で彼女は言った。


「もういらないからな」

「いらないって」


 絶句して、すぐにカリュはそれどころではないことを思い出した。


「ナオミ、あいつはっ」

「あいつ?」

「今日のお昼、連れてきたドラゴンだよ! まだ中にいるのっ?」


 不思議そうな小首をかしげるのに、苛々としながら訊ねる。

 ああ、とうなずいてナオミは答えた。


「あいつならここにいる」

「そうなんだ」


 ほっとして、すぐにカリュは顔をしかめた。

 ナオミのそばのどこにも、かごも、ドラゴンの姿も見えなかった。


「……どこ?」

「だから、ここだ」


 ナオミは自分の胸に手をあてて言った。

 服のなかに隠してるんだろうか。

 おもわずまじまじとふくらみを見てしまって、そんな馬鹿なとカリュは頭をふった。


「……えっと、どういう意味?」

「察しが悪いやつだな」


 朗らかに微笑んで、ナオミは答えを口にした。


「あいつは、私が食べたよ」



「――え?」


 間の抜けた声をかえすカリュに、ナオミは手を差し出した。

 上向きのてのひらに、灯りがうまれる。赤い火だった。


「ふふ。呪文もいらない。すごいな」


 楽しげに言う彼女の口元、灯りに照らされたそこが青色にぬれていて、カリュは気が遠くなるのを感じた。腰が砕けてへたりこむ。


「どうした、大丈夫か」


 ナオミが近づいてきてカリュを立たせてくれた。

 温かくて、力強い手。

 その温かさは、いつものナオミのそれではなかった。


「本当、に。食べちゃった……の?」


 ナオミは満面の笑みでうなずいた。


「ああ。食べた」


 聞き間違いではありえない。

 ふたたび、カリュは地面にへたりこんだ。


「どうした。怪我でもしてるのか」

「怪我って――」


 怪我してたのは、あいつだ。あのドラゴンだ。

 だから連れてきた。かくまってもらおうと思って。村じゃ怒られるから、ナオミの家なら安全だと思って――


「ステータスに異常はないようだが。どうした、カリュ」

「どうしたじゃないよ!」


 カリュは声をはりあげた。


「なんで、そんな。食べたって、どういうことさ、ナオミ!」


 きょとんとして、ナオミは綺麗なまつげをまばたかせた。


「なにを怒ってるんだ?」


 不思議そうに続ける。


「ドラゴンだぞ。あれがどういう存在か、お前たちだって知ってるだろう?」

「そう、だけど。だけど、食べたって……」

「お前たちも牛や豚を食べる」

「そうじゃないよ! だって、友達なのに!」

「友達? ドラゴンが? おかしなことを言うやつだな」


 くつくつとナオミは笑った。

 とても綺麗な笑みだった。やっぱり、ナオミは美人だった。


 だからこそ、カリュはそれがとても恐ろしく思えた。


「ああ――ドラゴンだけでなくて、私もそうだと思ってくれていたのか。カリュ、お前は優しいな。そして変わってる。はじめて会うよ、お前のようなのには」


 そっと頭をなでられて、カリュは後ろにさがってそれから逃げた。

 ナオミは笑い続けている。


「でも、それは勘違いだ。お前とドラゴンは友達にはなれない。私だってそうだ」


 カリュは顔をしかめた。


「なんで、そんなこと言うんだよ」

「違うからだ」


 ナオミは言った。


「ドラゴンとお前は違う。私とお前も、違う。それなのに、友達になれるはずがないだろう。互いのことがわからないのだから」

「そんなの!」

「わからないじゃないか――か? いいや、わかる。試してみようか。指定。ララパタ村はずれの小屋。対象2」


 ナオミがなにかを口にした次の瞬間、カリュは大きな力で吹き飛ばされていた。


 悲鳴をおしころして、受身を取ろうとする。

 予想した痛みがいつまでたってもこなかった。目を開ける。


 ナオミの姿が遠くになっていた。

 いや、正しくは、カリュのほうが遠くになっていた。


 一瞬で十メートル近く飛ばされている。

 痛みも、衝撃もなにもなかった。魔法? ぞっとしながらカリュは立ち上がった。


「魔法ではないよ。設定だ。これでもうお前はそこから近づけない。できるならやってみせてくれ。もしできたら、抱きしめてあげる」


 なにをいっているのか理解できない。

 カリュは足を持ち上げて一歩を踏み出そうとして、宙でからぶって態勢をくずした。

 あわててバランスをとるが間に合わない。その場で転んだ。前のめりでなく、後ろに尻餅をついて。


「……え」


 転んだまま、足をのばす。

 そこにはなにもない。

 壁も、力もかかってないのに、足がそれ以上すすまなかった。


 まるで見えない壁があるように。

 というよりは、身体が先にいくのを拒んでいるような感じだった。もう一人の自分が、勝手に身体に命令をだしているような。


 魔法じゃない。

 理屈ではなく、カリュはそのことを理解した。


 これは、そんなものなんかじゃない。


「それがお前という存在の限界だ。カリュ・フィート。職業・村の子ども。LV3。装備・布の服。手製の投石紐。備考・わんぱくだが正義感の強い、素直な少年。父親のように立派な猟師になることを夢見ている。隣の家のジーニアスとは生まれながらの幼なじみで、なにかにつけて年上ぶる彼女を少々うっとうしく思っているが、大切にも感じている。……ふふ、可愛いな。しかし、今じゃこんなのまで見れるのか」

「な、」

「なにを。お前のステータスだよ。カリュ」


 炎を背にしてゆっくりとカリュに近づきながら、ナオミは言った。


「元々、お前たちのステータスは私たちには表示されていたが。しかし、隠されていたソースまで見れるというのは、凄いな。ちょっと膨大すぎるが。……ああ、お前は本当に私を大切に思ってくれていたのだな。嬉しいよ、カリュ」


 頭をなでた。

 カリュは動けなかった。


 前に進めないのはなにかの力がかかっているからだった。


 なら、後ろにもいけないのは?

 それは間違いなく、――目の前の相手が怖かったからだ。


 いまさらのようにカリュは気づいていた。ナオミはさっきから、ぼくが心で思っただけのことを口にしてる……!


「そう。私にはお前の全てが見える。震えているのも。その理由も。それが私とお前の違いなんだ、カリュ」


 手を離して立ち上がり、彼女は言った。


「自己の存在に悩まず、ただ与えられた役割を果たす。我々の行動に異を唱えられず、許可された場所にしか足を踏み入れることもできない。そういうものなんだ。だからお前は進めない。今さっき、私が小屋周辺への接近を禁じたからな」


 その言葉は、ひどく冷たい声に聞こえた。意味はわからずとも、あまりに容赦のないものであるように思えた。


 哀れみの表情で見下ろしている。

 それが無性にくやしくて、カリュは全身に叱咤して立ちあがった。

 ナオミに掴みかかろうとする。

 しかし、その足は根がはえたようにぴくりともその場から動かなかった。


「……怒っているな。だが、それもすぐに消える。お前達は逆らえない。怒りを持続できない。そうして生を繰り返す、かわいそうなあやつり人形なのだから」


 ナオミの伸ばした手がカリュの頬をなでた。愛しさのある仕草だった。


 手は動かないけれど口は動く。

 向こうから近づいてきたのなら、届く。


 カリュはナオミの手に噛みついた。

 広がった奇妙な味わいに口を離して――そして声をうしなった。


 噛みついた手のひら。

 その傷から青い血が流れていた。

 あの小さなドラゴンが流していた血の色だった。人の血ではなくて。

 

 痛みなどまったくないという平然な顔のまま、ナオミが優しげに言った。


「お前は優しかった。すごく優しかった。だから、お前の記憶には触れないでいくよ」


 腕が伸びる。

 やめろ、と抗うことはできなかった。

 金縛りにあったようにカリュの身体がうごかない。

 そっと額に触れるあたたかな手のひらにすくわれて、意識が闇におちた。


 絶望にも似た別れの台詞が聞こえる。


「……さよなら、優しいNPC(カリュ)



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