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はじまりの日 3

 村に帰って父親からげんこつをもらったあと、カリュは涙目でふたたび森にもどっていた。


 みんなを心配させた罰として枝拾いを命じられたのだった。ついでにジニィが落としたかごも中身ごと拾ってこいといわれている。

 一緒に怒られるべきのジニィは一言も怒られず、村で家事の手伝いをするように言われていたから、これは絶対にジニィひいきだとカリュは思うのだが、ゴブリンを二人で追いかけるようにいったのは自分だったから文句はいえなかった。


 近くにはまだはぐれモンスターがいるかもしれなかった。

 本当にあれがはぐれであったかどうかもわからない。村の大人たちは手があいたもので森に見回りにでていた。


 モンスターがふらついているかもしれない状態で森にいかされるのは、カリュ一人であればすくなくとも逃げ出すことはできるという信用であるはずだったが、当の本人はそうは思っていなかった。

 どうせ怖い目にあえばいいと思ってるんだ。ふてくされた気分で考える。


 痛みをかんじて見おろした左手には包帯がまかれていた。

 ゴブリンと対峙したとき、ジニィの放った火の玉をつかんでできた火傷は、母親の手から薬草をぬられていた。

 包帯をまきながら眉をひそめて黙っていた母親の表情を思い出し、なんともいえない罪悪感におそわれた。


 仕方ないじゃないか、とカリュは内心で言い訳をはじめる。

 ほかに武器がなかったんだ。それに、ジニィが逃げ出す時間をつくらなきゃならなかった。

 ジニィをまきこんだのはたしかに、自分だったのだから。


 だから、手でにぎりしめたくらいでは消えないとわかっている火の玉をつかって、ゴブリンの顔面にぶつけてやった。べつにつくりたくってつくった傷じゃない。必要だったから、そうしたんだよ――

 脳裏にうかんだ母親の顔は、悲しげなままなにも言わない。実物と同じだった。


 カリュの母親はいつも、彼が怪我をして帰ってきてもいつもなにも言わない。ただ黙って、自分がその怪我をして痛いような表情で治療をしてくれる。


 その顔をみるたびにカリュはもうしわけない気分になる。

 けれど怪我をしたのにはいつだって理由があったから、でもそれを口にしたって母親の表情がかわるわけではないこともわかっていて、カリュも黙って手当てをうける。

 しょうがなかったんだってば。口にできなかった言い訳を続ける。

 男なら言い訳をするなと父親からきつくいわれていたから、彼は母親の前ではそれを我慢していた。


 ――どうして逃げ出さんかった。


 無言のままカリュを非難する想像の母親にかわって、声がひびいた。

 顔もおぼえていない(ローブに隠れてほとんど見えなかった)魔法使いの言葉。

 まるで彼の母親の気持ちを代弁するように、声がいった。


 ――そんなものは勇気といわん。蛮勇というのよ。


 むずかしい言葉はよくわからなかった。

 あの時、なにか考えたわけでもなかった。火の玉をつかった奇襲が成功して、そのあと。


 たしかに逃げ出すことだってできたかもしれない。

 カリュは逃げ足には自信がある。

 ゴブリンを足止めして、そのまま村にかえって大人たちに助けをもとめることもできたかもしれないし、べつの罠のところにつれていくのでもいい。


 それをしなかったのに、理由があるわけではなかった。

 なんとなくそうするべきではないのかと思った。

 カリュの心でなにかがささやいた。

 そうとしか思えないほど自然に、身体が勝手にうごいていた。


 あの魔法使いは、まるでそれを怒っているような口ぶりだった。

 ……よくわからない。

 よくわからないし、不満もいっぱいだったが、それで母親に悲しそうな顔をさせてしまったのはそのとおりなので、そのことをカリュは反省した。


 次はうまくやろう。罠も、逃げ方も。

 ああ、ゴブリンくらい、格好よく正面から倒せるようになりたいなあ。


 ちびで非力なカリュは考える。

 カリュの腕はほそくて、弓をひくことも剣を振ることも満足にできなかった。

 子どもでもモンスターを倒せるのがスリンガーの強みだが、十分に重さと速度をのせるチャンスは早々あるわけではない。

 はやく弓を仕えるようになりたい。それか、魔法とか。


 さっき見たばかりの光景をおもいだして、カリュは全身をあわだてた。

 恐怖と興奮が一気によみがえる。


 天をつき、そのまま森を燃やし尽くさんとする炎の柱。

 それでいてゴブリンだけを正確に燃やし尽くしたあれこそが、まさに魔法の業というべきしろものだった。


 幼なじみのジニィが放ったような、手につかめる火の玉なんて比べ物にならない。

 魔法さえ使えれば、非力かどうかなんて関係ない。

 カリュは熱望してやまなかったが、どうあがいても無理な願いでもあった。

 魔法というものは生まれながらにして、素養のあるなしがはっきりしているからだ。


 どうして自分は魔法をつかえないんだろう。

 昔はそのことを怨み、悪くもない両親に泣きながら文句をいい、素養のある幼なじみをねたんだりしたこともある。

 いまでは使えないものは使えないんだからしょうがないさ、と半ばあきらめの境地にいるが、それでも実際に目の前の魔法のすごさを見せつけられてしまうと心が揺れる。


 ちょっとした場面をカリュは想像してみる。

 突如、村に迫りくるモンスターの大群。

 領主からの援軍はなく、村は大人たちが懸命にあらがうが、敵の数は視界をうめつくすほどに多い。


 誰もが絶望したそのとき、モンスターの一群が火に包まれる。

 突然のことに驚き、周囲を見渡すモンスター。

 それを見下ろして、颯爽と登場する自分――そういう子どもっぽい空想。


 八面六臂の大活躍を思うままに頭のなかにえがきながら、森をいくカリュはやがてゴブリンと遭遇したあたりにたどりついた。

 彼らが隠れていたやぶのそばに、見おぼえのあるかごが転がっている。

 その近くには、ジニィと二人で午前中に拾い集めた木の実や、染色や小物作りに使える拾得物があって、赤色のなにかがもぞもぞと動いていた。


 ぎょっと身体をすくめ、カリュは足を止める。

 赤色のそれは生き物だった。


 モンスター。

 小さい。翼が見える。

 トカゲを少し大きく、丸くしたようなその姿かたちについて、カリュは見たことはなかったが、話に聞いたことがあった。


「ドラゴン……?」


 それは神話のおとぎ話や詩人の唄にでてくる、伝説のモンスターだ。

 その羽ばたきが空をつくり、一吐きが火をうみ、こぼした涙から川がうまれたという。この世界をつくった存在と詠われる、それは想像上の生物であるはずだった。


 それが、カリュの目の前にいる。


 もちろん、それがドラゴンであるという確証はない。

 見たこともないのだからあたりまえだ。ドラゴンに子どもがいるなどという話も、聞いたことがなかった。

 カリュのつぶやきが聞こえたらしく、そのドラゴンらしき見かけの生物が振りむいた。

 威嚇するように口をひらく、その全身が細かくふるえているのにカリュは気づいた。


「怪我、してるのか……?」


 ぴぎゃー。

 応えるように鳴いた声が弱々しい。


 カリュはそっと近づいた。

 すぐ近くに見下ろしたドラゴンの腹から青い血が流れていた。

 やはり怪我をしている。それなりに深い傷に思えた。


 ドラゴンの近くには食いかけの木の実が散乱していて、傷を癒す力をたくわえるために、食べ物をとろうとしているのだとカリュはわかった。

 首をもちあげてカリュをにらむようにしていたドラゴンが、それさえもおっくうとばかりに地面に伏したのを見て、カリュは反射的に動いていた。


 かごを拾い、そのあたりの木の実や葉っぱや木の皮を集める。

 即席のベッドが作られたそのなかにドラゴンをかかえて寝かせた。

 ぴー、とドラゴンは暴れたが、すぐに大人しくなった。

 カリュはかごを揺らさないように気をつけながら、カリュは走り出した。


 向かう先は村ではない。

 ドラゴンはモンスターだ。

 ゴブリンのように人を襲うという話は聞いたことがないが、悪いドラゴンやその退治話は、子どもの頃から寝るときによく聞かされていた。


 そのドラゴンの子どもを連れ帰ったら、大人たちがどんな反応をするか。

 決して歓迎はされないだろう。もしかしたら、殺されてしまうかも。

 そんなことをさせるわけにはいかなかった。


 大人たちに見つからず、ドラゴンをかくまえる場所におぼえがあった。

 自分の命を救ってくれた冒険者。

 その去り際にかけられた言葉も頭には思いうかばず、カリュは懸命に手足をふった。 



 カリュが訪れたのは村のはずれ、ひっそりとたたずむ木小屋だった。

 一目するだけでたてつけの悪さがわかる。

 小屋はここに住む人間が誰の助けも得られず、一人で立てたものだった。


 扉を叩く。

 声をかけたが、返事はなかった。かまわずカリュは扉をひき、室内に入った。


 小屋のなかは薄暗かった。

 まだ日が落ちていないのに暗いのは、小屋の立地と設計に問題があった。採光窓も閉められている。

 その奥、部屋の片隅に小屋の持ち主が壁に背を預けて座り込んでいた。


「ナオミ、大変なんだ!」


 呼びかけられても、その相手はほとんどなんの反応も返さなかった。

 顔を持ち上げてカリュを見る瞳に輝きがないのは部屋が暗いせいではない。


 ナオミという名の茶髪の女がカリュの村を訪れたのは、一月ほど前のことだ。

 怪我をして、服装はぼろぼろで、その表情にはまるで生気がなかった。


 村の大人たちは彼女を歓迎しなかったが、金を払われては宿にとめないわけにはいかなかった。

 陰気な女は、一週間ほど宿で身体を休めた。

 そのあいだ、誰かと言葉をかわすことさえなかった。ぶつぶつとよく独り言をつぶやいていて、それがますます村の連中を不安にさせた。


 やがて、ナオミは村のはずれに住み着いた。

 小屋をたてる彼女を手伝う村の者はいなかったが、やはり文句を言う大人はいなかった。


 ナオミと話す村人はカリュだけだった。

 というより、ナオミに話しかける村人がカリュだけだった。ナオミのほうからはカリュに声をかけたことはなかった。


 カリュはナオミの秘密を知っていた。

 前に、森で助けてもらったことがあるからだった。

 今日、彼を助けてくれた冒険者のように、ゴブリンに襲われて危なかったカリュは、ナオミがモンスターを一撃でほうむりさるところを見て、その見事さに心をうばわれた。


 ナオミは冒険者だった。

 本人の口からきいたわけではないが、ゴブリンを叩ききった動きはただの素人のものではありえなかった。


 世界を股にかけて旅をする冒険者が、どうしてこんなへんぴな村にいて、一人で外れに住んでいるのか。

 聞きたいことはたくさんあったが、ナオミはほとんどなにも言わなかった。声を聞いた事も、ほんの数回くらいしかない。


 今ではカリュのほうでも、無理をして事情を聞こうとはしていなかった。

 そんなことをしなくとも、彼にとってナオミが命の恩人であることは変わらないからだ。

 友達だとも思っていた。そして、カリュがもっとも身近にあこがれる存在でもあった。


 ナオミはいつもそうしているように、部屋のなかで呆然と暗闇を眺めているような表情だった。

 かまわずカリュは続ける。


「水と、包帯あるっ? 怪我、してるんだ」


 ナオミの反応はない。


 カリュは言った。


「ドラゴンなんだ!」


 ぴくり、とナオミが震えた。


「ドラゴン――」

「そう、ドラゴン! 森で見つけて、怪我してるんだ! 水と、包帯をちょうだい!」


 ナオミがのろのろと起きあがった。

 近くの棚から布を取り出し、水入れの桶を持ってくる。


「ありがとっ」


 礼を言って、カリュは布を水にひたして、そっとドラゴンの傷をぬぐった。


 ぴぎゃー。


「ごめん、ごめん。ちょっと我慢してよ」


 ドラゴンの苦情を聞きながら、血を綺麗にぬぐって布を洗い、怪我のあたりに柔らかくおしあてる。止血の効果くらいはあるかもしれなかった。


「どうしよう。ナオミって、回復魔法とか使えたりしない?」


 カリュが手当てをする様子を黙って見つめていたナオミは、小さく首を振った。

 そっか、とカリュはため息をはく。

 ナオミが魔法を使えるとは聞いたことがなかったが、もしかしたらと思ったのだった。

 回復魔法を使えるほどの魔法使いは少ない。村には一人もいなかった。


 ふと、カリュは昼にあった魔法使いのことを思い出した。

 それと同時に、違うことも思い出す。


「竜」


 竜を見なかったかと聞かれた。

 あの人が探していたのはこのドラゴンのことなのだろうか。

 でも。近くには、他には誰もいなかったけれど。


「――竜」


 繰り返すように、ナオミが言った。

 隣の彼女をあおぎみて、カリュははじめてナオミの異常な様子に気づいた。

 それまでいつも、どんなことにも反応をかえさず、抜けがらのようだったナオミが、食いいるような形相でかごのなかのドラゴンを見つめている。


「うん。すごいよね。俺、はじめて見るよ」


 はじめて見るナオミのはっきりした反応に嬉しくなって、カリュは笑いかけた。


 ナオミは声が聞こえない様子で凝視している。

 その唇がなにかをつぶやいているが、カリュには聞き取れなかった。


「……大丈夫かなあ。こいつ、怪我が深いみたいだけど」


 伝説のモンスターといわれるドラゴンへ、どういった手当てが有効かなど知るはずがない。

 ドラゴンの体力に期待するしかなかった。食べ物は、かごのなかにある木の実でよいだろうか。


「ナオミ。こいつ、ここでかくまっててもらえない? 村だと多分、大人たちがうるさいから」


 ナオミがカリュを見た。


 あんまりにも見かけに気をつかっていないけれど、髪を切って櫛をいれて、綺麗な服を着ればナオミは絶対に美人だとカリュは思っていた。

 だってほら、すごくまつげが長い。


 少し濁ったような半透明の視線を受けて、どきりとする。返事のないままにナオミはカリュから視線を外した。

 それをカリュは了承であると受け取った。


「じゃあ、よろしくね。俺、様子を見にくるから。パンかなにかも持ってくるね」


 カリュはこれまでに度々、ナオミにそうした差し入れを持ってきていた。


 ふたたびドラゴンに視線を向けたナオミに声をかけて、カリュは扉に向かった。

 村に戻るのが遅くては心配されてしまう。

 かごはドラゴンの寝床にあてがわれているから、それをどうジニィに説明しようか考えながら、カリュはナオミを振り返った。


「それじゃ、またね! ナオミ」


 返事をたしかめず、小屋から出ていった。



 ナオミと呼ばれた女は、少年がいなくなったあとも一人、じっとドラゴンを見下ろしたまま動かなかった。


 その唇がなにかをつぶやいている。

 やがて、そこから伝播するように、女の肩や手、全身が震えだした。

 なにかをつぶやき続ける、その表情に浮かんでいるのははっきりとした恐怖の感情だった。


 

 その夜。

 カリュの村のまわりにひろがる森でおおきな火事が起きた。



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