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たびだち 6

 カリュが起きると、目の前で真っ赤なほっぺたがふくらんでいた。

 日が明けている。森まで投下する光はすくなくて、ひんやりと静かだった。


 寒い? いや、寒くない。

 なんだかあったかくて、いい匂いがする。


 少しぼんやりとしてから、目の前にあるほっぺたがジニィのものだと気づく。じょじょに意識がはっきりしてきた。

 ジニィのほっぺたはやわらかい。さわればふにふにして、お母さんのオムレツみたい。


 今日の朝ごはんははオムレツが食べたいなあ。

 そうだ。早く起きて、卵をとりにいかないと――そんなことを思いながらむくりと起きて――起きようとして、がくんとカリュの身体がつっかえた。


 目をおとす。なにかがからまっていた。


 艶やかな褐色の、細くて長い腕。

 薄く伸びた爪が、丁寧に磨かれていてとてもきれいだった。


 左右からかかえるようにした二本の腕はそれぞれ下のほうに続いて、一人の女性につながっている。


「……ん。朝か」


 色っぽい吐息が耳に触れる。


 カリュは飛び起きた。

 身体に巻きついた両腕をあわててはがそうとして、はがしたはずなのにするりとまた身体にからみついてくる。乱れた銀色の髪に隠れた口元に、いじわるそうな笑みが浮かんでいた。


「ディーネ! ちょっと、はなしてっ」


 狼狽しながら、はっとカリュは気づく。

 顔をあげた。

 ふるふると、幼なじみが全身で震えていた。


 手が振りあがる。

 とてもゆったりとしたスピードだった。

 振り下ろされるのはもっとゆっくりで、だけどカリュは見いれられたように身動きがとれない。


 ばしん!


 小気味のいい音に、森から何羽かの鳥が飛び立った。



 ほっぺたにきれいな手形をくっつけたカリュが、ぶすっと頬をふくらませて歩いている。


 カリュの隣にはフードをかぶった魔法使いがいて、その向こう側にはこちらも頬をふくらませたジニィが並んでいた。


「……なんで殴られなきゃいけないんだ」


 不平をききつけたジニィが、きっとカリュをにらみつけた。


「バカリュ!」

「なんだよ、意味わかんない!」

「意味わかんないなんて、バカよりもっとバカ!」

「バカバカいうな、アホジニィ!」


 二人の子どもが言い合うのをみぎひだりに聞き流しながら、ディーネはあごをもちあげて上をみあげていた。


「だってバカじゃない! ディーネさんの毛布にもぐりこむなんて、子どもみたい!」

「仕方ないじゃないか。だって、……寒かったし!」

「寒いからって他人の毛布にもぐりこんでいいわけないでしょ! ちょっとは迷惑とかも考えなさいよ!」

「う、うるさいな! そんなことジニィに言われたくないよ! いいじゃないか、ジニィの毛布にもぐりこんだわけじゃないんだから!」

「そういう問題じゃないわよ、あたしが恥ずかしいって言ってるの!」

「関係ないだろ!」

「関係あるわよ!」

「まあまあ、そう怒るな」


 二人の頭にぽんぽんと手をおいて、魔法使いが仲裁にはいる。


「確かに昨日は寒かった。旅先では人肌が恋しくなることもある」 

「でも……!」

「わかっておる。今度は三人でくっついて寝ようぞ。それならジニィ、ぬしも寂しくあるまい」


 からかうような視線を受けて、ジニィは真っ赤になってそっぽをむく。


「あ、あたしは別に、寂しいとか、そんなんじゃ!」

「なあんだ。ジニィ、仲間はずれにされたのがいやだったんだ」


 ふふん、とカリュが笑った。


「だったら最初っからそういえばいいのに――あいたっ」


 おでこをぺしんと叩かれて右手でおさえる。


「女に恥をかかすな」


 ディーネがきびしい表情でいった。


「言い訳をする男も、わしは好かん。子どもではないというのなら、自分の行動には責任をとれ」


 カリュは押し黙る。

 仕方ないじゃないか――頭のなかで言い訳が首をもたげた。


 だって、ナオミのこと、ジニィには内緒なんだから。他に話すチャンスなんて、そりゃ、寝入っちゃったのは失敗だったけど。

 のどから出てきそうなそれらをぐっとのみこんで、唇をかんで、


「……ごめんなさい」

「ん」


 満足そうにデーィネは微笑んだ。 


「ほれ、ジニィ。カリュもこう言っておる。許してやれ」

「あたしは、別に、……カリュが気をつけてくれれば。それで」

「仲直りじゃな。ほれ、手。手」


 二人は強引に握手をさせられた。


「よしよし。ちゃんと今度からは三人で寝ればよかろ」

「一人でいいよ!」

「そうか? ならばわしとジニィで寝ることにしよう」


 けらけらと笑う。その向こうから、ジニィがべーっと舌をだしていた。カリュも負けじと舌を出す。


 三人が歩く街道は、徐々に整備がいきとどいてきていた。

 道幅もひろく、視界も悪くないようあちこちの木が伐採されている。このあたりまでくれば、はぐれ魔物に遭遇する危険性もほとんどなかった。

 街道を歩いてくる人とは出会わない。


 もともと、カリュたちの村と町にはあまり人の行き来がない。

 村の外は魔物の危険がある。つきあいのある行商人や、村で店をいとなむ大人たちが定期的に通う以外、わざわざ辺境の村を出ておとずれてくる人間もいない。


「町についたあとは、どうするの?」


 カリュがたずねた。


「とりあえずは、酒場じゃな。嘘も本当も、たいていの噂はそこにあつまる」

「ナオミの噂? それとも――」


 ドラゴン。

 ディーネは竜を探しているといっていた。


 でも、なんのために?

 昨晩、背中にあたたかみを感じながらふと考えたことを思い出す。


 ――もしかしたら、ディーネもドラゴンを食べたことがあるんじゃないか。

 きっと今も、ディーネはぼくの声が聞こえているはずだと、カリュはまっすぐな視線を向けた。

 銀髪の魔法使いは、薄い微笑を浮かべている。


「……ディーネ。ディーネは、どうしてぼくたちの村に来たの」

「冒険者が村に来るのがそんなに珍しいか?」

「でも、そういう人たちっていっつも何人かで来るし。――それに」


 カリュは口ごもる。ディーネのもつ雰囲気は、カリュが今まで何回か見てきたそういう相手とはなにか違っていた。


「なんじゃ。今までは、これほどの美人はおらんかったかよ」


 からかうようにディーネがいう。


 カリュはナオミのことを思い出した。

 ナオミも、美人だった。でも違う。少なくとも、村を訪れたときのナオミとは。


「最初に。ぼくを助けてくれた時。人も探してるって言ってたよね。女の人。それって、ナオミのこと? ディーネはナオミを探しにきたの?」

「いいや」


 ディーネはゆっくりと首をふる。


「わしはそのナオミという女の顔もしらん。今は、用があるのはその女じゃがな」

「それは、どうして?」

「さて。わしの探している相手を知っているのは今、その女しかおらんのだから、会ってみんことには始まらん」

「……ナオミと、戦うの」

「かもしらん。話で解決するなら、それが一等じゃろうが。相手が否といえば、はいそうかと引き下がるわけにもいかん、が」


 いたずらっぽい笑みに、小さな悪意がまじった。


「別に止めてくれてもええぞ。ぬしにそれができればな」


 あの晩、なんだかわけがわからないうちに、ナオミがどこかにいなくなってしまったことを思い出して、カリュはぎゅっと拳をにぎりこんだ。


「……ぼくは、ナオミに会いたいだけなんだ。会って話がしたい」

「わかっとる。行動を共にするのは追いつくまで、ということでよかろ。そのあと、相手に抱きつくか、殴りかかるかは勝手にせい。むろん、わしもそうさせてもらう」


 ジニィがカリュを見ている。

 その心配そうな視線に気づいて、カリュはこっくりとディーネにうなずいてみせた。


 やっぱり、ジニィの前じゃこれ以上は話せない。あとのことは、町についてからにしておこうと心に決める。

 ドラゴンや、その他たくさんのわからないことについて、聞きたいことはまだまだたくさんあった。



 一日歩き続けて、まだ夕刻には近いというあたりでその日は野営することになった。


 ディーネはなにもいわなかったが、カリュとジニィの体力を考えて早めに歩くのを切り上げたのだとわかったから、カリュはまだ平気だといいたかったけれど、一緒に歩く幼なじみがほっとした表情を見せるのを目にしては文句もいえなかった。


 それでもそのままではおさまりがつかず、


「ぼく、なにか獲ってくる!」


 とついつい自己アピールしてしまう。


「ほう。ではこちらはわしらだけで準備しておこう。夕餉は馳走じゃな」


 本気でいっているのかからかっているのかわからないディーネの隣では、ジニィが不安そうに顔をしかめていた。


「一人でだいじょうぶ? あたしも一緒に――」

「大丈夫! ジニィはやすんでおきなよっ」


 幼なじみにいって、カリュは軽やかに駆け出した。


 カリュの父親は村で猟師をしていたから、カリュも手伝いをしたことは何度もある。

 まだ重い弓はとてもひけないが、上手い罠の隠し方だって知ってるし、それに弓矢じゃなくったって獲物はとれる。


 やぶをかきわけて街道沿いの森のなかに入りながら、カリュはとりだしたスリング紐を右手に巻きつける。

 それからちょっと考えてスリング紐をなおし、今度は地面を探してつぶてより大きめの石を二つ拾った。それを懐から用意した別の紐に巻きつけていく。


 一本の紐の両端におもりがつく。軽く振ってみて重さを確認し、おもりが紐から外れないことも同時にチェックしたらそれで準備完了だった。


 森の中は暗くなるのが早い。

 獲物を探してうろついているうちに帰り道がわからなくなって、二人に呆れられるのはごめんだった。

 本当なら罠をしかけるほうが確実なんだけれど、今はそんな暇はない。


 カリュは地面に獲物の糞や足跡がないかを念入りに注視しながら森の中を進んだ。

 街道から離れ、小川の近くをまわり、盛り上がった丘の下のやぶに気をつける。


 一刻ほどもあるいて、なにも見つからないことに焦れてきたころ、視界のすみで白いものが見えた。


 ――いた。


 一羽のうさぎが木蔭のそばにうずくまっていた。

 カリュは息をひそめながら、慎重にそちらに向かっていく。


“見つかったか”


 不意に頭のなかに響いた声に、おもわず飛び上がりかけてしまった。


“ああ、ああ。落ち着け。わしはそこにおらん。念の為、遠目しとるだけじゃ”


 遠目? 遠くから、見ている?

 そういう魔法だろうか、という胸のなかのつぶやきに答えがかえってくる。


“そんなところじゃ。ほれ、そんなことをしとると獲物に逃げられるぞ。気をいれよ”


 びっくりさせたのはそっちじゃないか――声にださずに反論しながら、カリュは息をととのえて、あらためて獲物への接近を開始した。

 ちょうどおおきな木がカリュと獲物のあいだにあって、うまいぐあいに邪魔になってくれている。

 小枝なんかを踏んで音をださないよう気をつけて、一歩一歩と近づいて、充分な距離をかせいでから、もう一度深呼吸。


 おもりのついた紐の中心を持って、振り始める。


 あまりはやく回しすぎると、風切り音でばれてしまうかもしれない。

 こういう場合、必要なのは威力よりも正確な狙いだ。


 もちろん、ある程度の速度は必要ではあるけれども――ごくりとつばを呑みこんで、カリュは右目をつむった。次に左目をつむり、見え方の違いを効き目をつかって実感して距離の誤差をはかる。

 兎はカリュに気づかず、もしゃもしゃと草を食べるのに集中している。


 気づいていない、まだ気づいていない、――耳が動いた。

 まだ大丈夫、まだ。

 ――今。


 下手から投げる。

 低い弾道で放たれた紐は、石の重さと遠心力で回転しながら目標に飛び、足に直撃した。

 おもりにつられた紐が広がって、蛇のように獲物の足にからまる。


「やった!」


 すかさずカリュは物陰から飛び出して、兎に飛びかかった。

 ばたばたと暴れる兎を捕まえて、


「――ごめんね」


 力を込めた。


 すぐに静かになった兎の耳をもち、カリュはほっと息をはいた。

 大見得をきって出ていって、獲物なしなんて情けないことにはならずにすんだ。


“なかなかやるのう”


 頭に響く賞賛の声に、ほおがゆるみかけてしまう。


「へへ。まだまだいけるよ」

“いや、それだけできれば充分じゃ。そろそろ戻ってこんと暗うなるぞ。捌くのにも時間はかかる””


 顔をあげれば、木々の隙間からのぞく空の色がいっそう薄くなっている。

 日が暮れようとしていた。


「……わかった。すぐ戻る」

“道はわかるかよ”

「わかるよ。大丈夫」


 子ども扱いされたくなくて強い調子で答える。そうか、と声は続いた。


“なら、ぬしの帰る途中にいくつかきのこが生えとるから、ついでにとってきてもらえんか。食えるかわからんやつも、適当でかまわん”

「そのくらいわかるよ!」

“では頼む。今晩の分だけでええぞ”

「うん」

 声がとだえたあとも、なんとなくすぐそこにディーネがいて自分を見ている気がして、カリュはぐるりとあたりを見渡して、それからもう一度手元の兎に目を落とした。


 短い黙祷をささげる。

 それが獲物への礼儀だと、いつも同行する父親の行いからカリュは学んでいた。

 命の糧となってくれる相手への感謝をしめし、ばっと顔をあげて走り出す。


 途中できのこを頼まれていたことを思い出して、そこらに生えているなかからみつくろって適当に採り、山菜のたぐいも収穫してから二人のもとへと戻った。


 もちろん、帰り道もちゃんとおぼえていた。

 歩きながら、森はどんどん暗がりが濃さをましていく。カリュの身体がそれにすっぽりと包まれる前に、視界に赤い火が見えてきていた。

 誘われるように歩いて、ぱちぱちと勢いよく炎をはきだしている焚き火が見えて、足をとめる。


「――戻ったか」


 振り返ったディーネが言った。


「カリュ! 見て、すごいでしょ」


 焚き火の前のそれを世話しながら、ジニィが嬉しそうにいった。

 とがった棒になにか刺さっている。魚だ、とすぐにカリュはわかった。

 小川からとれた魚が、内臓をぬかれて、たくさん串にして焚き火のまえで焼かれていた。とてもたくさんの量があった。


「ディーネさんがやったの。おっきな岩をふわーって浮かしてね、川にばしゃーんって! そしたら、気絶したお魚がいっぱい浮かんできたの」

「……すごいね」


 数え切れないほどの魚の串と、自分がとってきた一羽の獲物をみくらべて、カリュはむーっと頬を膨らませる。

 気づいたジニィが、あわててとりなすように言った。


「あ。カリュもすごいねっ。兎なんて捕まえたんだ」

「……うん」


 短くうなずいて、カリュはジニィの横をとおりすぎた。


「きのこと山菜。あらってくる」


 近くに置いてあった自分の荷物をごそごそと、なかからナイフをとりだす。

 小川に向かう途中でディーネの横を通り過ぎたとき、くすりとした笑い声が耳にとどいて、カリュは精一杯の力をこめて相手をにらんだ。

 涼しげな顔でみかえして、魔法使いがいう。


「今日の主菜はぬしの兎鍋じゃ。期待しとるぞ」


 そういってもらえたことが嬉しくて、でもなんとなく悔しくもあって。

 カリュはそっぽをむいて小川へ向かう。

 ぷりぷりと怒りながら、声にださない声が相手に聞かれているのを承知で、強く思った。


 あの魔法使いはいじわるだ。

 強くて、かっこうよくて、あったかくて、いい匂いがする人だけど――本当に、いじわるだ!



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