はじまりの日 1
うっそうと生い茂った森の、少しひらけた場所には隙間から陽の光が差し込み、柔らかな雰囲気をかもしだしている。
かたわらには小川が流れ、何匹かの魚が泳いでいた。
川べりにはちょうど腰を下ろすのに適した岩も散らばっていて、疲れた旅人が息をつこうとしたときにいかにもよさそうな風情だった。
森を突っ切って村と街をつなぐ街道には、自然とそうした憩いの場所が生まれるものだ。
そこに集まるのはなにも旅人だけではない。
水を飲みに訪れた小型の草食動物、それを狙って現れる肉食性の動物。森の生態系の縮図そのままに様々なものが入れかわり立ちかわり姿を見せる。
そして、人もその食物連鎖に連なる一つでしかない。
今、水辺には一匹の存在があった。
背は低い。ずんぐりとした体躯に土気色の肌をしている。二足歩行だが背中を丸めた前傾姿勢で、凶悪な顔つきには理性の色が薄い。
それはゴブリンと呼ばれている、この世界でよく見られる生物だった。
その存在についてはよく知られている一方、詳しい生態には謎の部分が多い。理由ははっきりしていて、それらと出会ってのうのうと調査をしていられないからだ。
それらは人類とはっきりと敵対する関係にある。
人類が火をおこし、文字を得たそのころからすでに彼らについての記述が残っている。
それらは人に仇なす数多くの存在、そのなかでもっともポピュラーな存在とされていた。歴史上、人類がまだ種としてひ弱だったころには、それらに追われ、狩られていた時代もあるという。
文明が発達した今でもそれらが危険な存在であることに変わりはない。
一時の休息を得ていた旅人がゴブリンに襲われ、被害にあうような事件は決して珍しくなかった。
ゴブリンは獲物を探す視線で周囲を見渡している。
手に子どもの足ほどもある太さの棍棒を持って、もう一方には無骨な盾を携えていた。
身体には革をなめした胸当てを身につけている。それらが人類と同じく社会的な生き物であり、独自の文化を持っていることは広く知られていた。
鼻を利かすようにうごめかすその姿を木蔭から見つめている二対の瞳がある。
真剣なものと、それを隣で呆れるように眺めている眼差しは、どちらもまだ幼さが残っていた。
「ねえ。カリュ、ほんとにやる気?」
呆れたような視線の主が、呆れたような声で言った。
「やる」
それに短く応えた声には強い決意がこもっている。
短く応えた声には強い決意がこもっている。
声の主は少年だった。カリュという。年のころは十才ほどで、実際にはまさしくついこのあいだ十才の誕生日を迎えたばかりだ。
年相応に小柄な体つきをしていて、背丈はゴブリンとどっこいどっこいといったところ。もちろん体格では比べ物にならない。倍まではないが、ゴブリンと少年の腕のたくましさにはそれに近い差があった。
「こっそり見つからないように帰ればいいのに……」
不満そうに言うのは、栗毛の髪をサイドで結んだ少女。同じ年ごろに見えるが、上背は隣の少年よりもある。このころの男女なら生まれが同じでも女の子のほうが成長がはやいのが一般的だが、彼女はそれに加えて少年より一つ年上だった。
二人は村で隣同士の家に住んでいる同士だ。両親たちは互いに仲がよく、日々を仕事に追われる手間を少しでも軽くするために、二人は姉弟のように一緒に育てられてきていた。
「なんだよ、ジニィ。あんなやつがうろついてさ、村まで来たら危ないじゃんか」
「迷いゴブリンでしょ。来たりなんかしないわよ」
ジーニアスというのが本当の名前の、愛称で呼ばれた少女は半眼で答えた。
生まれたその日から一緒にいるこの男の子に対して、彼女は自然と姉としての気分を抱いていたから、向こうみずなカリュをいさめるのはいつも彼女の役目だった。
「そんなのわかんないだろ」
口を尖らせる弟分に彼女は言った。
「村まで来るなんていうのだって、わからないでしょ」
それに、と続ける。
「もし村に近づいてきたりしたら、その時はお父さんたちがどうにかしてくれるわ」
「どうにかってなにさ」
「追い払ってくれるってこと」
はぐれモンスターの扱いくらい、村の大人なら誰でもわきまえている。そうでなければこの世界で、村を成り立たせることなどできなかった。
「父ちゃんたちが村にいなかったらどうすんだよ。あいつがいつ村に来るなんてわからんないのに。ここで見失ったら、あいつ、応援を呼んでたくさんでやってくるかもしれないぞ」
ジニィは大きく息を吐く。
昔はあんなに素直だったのに、日に日に口ばっかり達者になるんだから。チビな背丈を少しでも伸ばしてこちらをにらみあげるカリュをにらみかえすが、強情な相手は退こうとしない。
もう一度ため息をついて、ジニィは遠ざかろうとするゴブリンの後ろ姿に視線を移した。
このままどこかに行ってくれるのならなにも問題ない。今の季節は森の実りも豊富だから、モンスターが村までやってくることはほとんどない。
ただ、もしカリュの言うとおりだったら? ――ゴブリンの向かう先は森を通る細道で、それはそのまま村まで続いている。あのゴブリンは村の様子を見に来たのかもしれない。もしかしたら、味方の襲撃に先駆けた偵察のような役目だったりするかも。
いずれにしても、村の大人に知らせる必要はある。ジニィは決断した。
「カリュ。あたしがあいつの後を追うから、あんたは森を先回りして村に――って」
彼女の言葉をきかず、少年はすでに足を踏み出している。
「こら、カリュっ!」
大声をだしてしまいそうになり、振り返ったカリュがしーっと人差し指で合図した。
あわててゴブリンの様子をうかがい、なんとか気づかれていないことを確かめて、ジニィはカリュのあとを追った。服をひっぱって押しとどめる。
「もう、勝手に一人で行こうとしないで」
「大丈夫だよ」
なにが大丈夫だ――言いかけて、相手の自信満々の表情を見たジニィはいっぺんに文句を言う気がそがれてしまう。
ほんと、馬鹿なんだから。全然よわっちいくせに。泣き虫のくせに。
「……無茶しちゃダメだからね。あたしが逃げるって言ったら、絶対逃げること」
「わかってるよ。大丈夫、俺たちならやれるって」
「はいはい。じゃあ、いつもの場所の近くまで後をつけて、仕掛けるのはそれからよ。もしこのまま村から離れるようなら、それでおしまい。無茶なし。いい? ちゃんと約束して」
「わかってるってば。いいからほら、急ごうぜ。見失っちゃうって」
「ほんとにわかってるんでしょうねぇ」
ひそめた声でやりとりを交わしながら、二人は追跡を開始した。
ゴブリンは森の街道を出たり入ったりを繰り返しながら、少しずつ彼らの村のある方角へと向かっていた。
街側ではしっかりと整備された道も、半ばを過ぎて村に近づくほどに小道といっていいほど自然にとけこんだものになる。ゴブリンと鉢合わせる誰かが現れていないことは幸運だった。
二人の追うゴブリンの動きはふらふらしていて、ジニィは相手の目的を読むことができない。やっぱりただのさまよい者のように見えるが、周囲を探索しつつ村に向かっているようにも思えて、ジニィには判断がつかなかった。
勘ぐりすぎているかもしれない。けれど、ゴブリンが村に近づいていることは確かだ。
ちらりと隣を見れば、自分の判断を誇るようにこちらを見る眼差し。むむっとしたが、そこでなにか言うのもなんとなく負けたような気がして、かわりにジニィは言葉を短く告げた。
「……しょうがない。やろう」
「やたっ」
ぱあっと満面の笑みでガッツポーズ。昔からなにも変わらない、子どもっぽい反応にジニィは口元をゆるめかけ、あわてて表情をひきしめた。
相手はゴブリン。たった一匹とはいえ、子ども二人が立ち向かうには危険な相手だ。連れが考えなしですぐ特攻してしまうような性分である分、彼女は普通以上に慎重になる必要があった。
村の近くにはモンスターの襲撃に備えて、色々と仕掛けがある。村周りの掘りや柵といった直接、相手を防ぐものに加えて、森のいたるところに張られた早期警戒のための鳴り物もそうしたものの一つだった。
なかにはもっと積極的に、相手を撃退するための仕掛けもある。彼らはそれを利用することをたくらんでいた。
「それじゃ、あたしが仕掛けるから」
「なんでだよ」
不機嫌そうにカリュが言った。
「だって、危ないじゃない」
「なんで危ないことをやるのがジニィなのさ」
「そんなの。あたしがお姉ちゃんだからに決まってるでしょ」
見上げてくる視線に向かって彼女は当然とばかりに言い切ってから、しまったと思った。彼女の目の前で、きっと相手の眉がつりあがる。
「そんなこと、知るもんかっ」
「ちょっと。大きな声ださないでよ」
「俺がやる、俺は子どもじゃないんだっ」
「わかった。わかったってば。もう、なにかあると大声だすのやめてよ、子どもみたい」
「また言った! だから、子どもじゃないって――」
「あーもう! うるさい!」
カリュ以上の大声でジニィが言い返した。
「そんなんだから子どもだっていうんでしょ! バカ! バカリュ!」
「子どもじゃない! かけっこだってもうジニィよりはやいんだからなっ」
「ふんだ、腕相撲じゃあたしより弱いくせに!」
「うるさい! 怪力おんな!」
「なんですってえ~」
がさり。
森の茂みを揺らした物音に、ぴたりと言い合いをとめる。
二人はそっと自分たちの頭上を見上げた。
そこにはいつからか影が覆っている。そして、その影をつくりだした相手が、感情のない真っ黒い瞳で二人を見下ろしていた。
近くで見ればさらに恐ろしげな顔つき。水気を失ってひび割れた皮膚の細部まで見ることのできる近さにあって、三者のあいだに不自然な沈黙が生まれた。
かちゃ、となにかが擦れる硬い音を耳にした瞬間、カリュはジニィの身体を突き飛ばしていた。
「逃げろ!」
吐いた台詞を反動に、自らも後ろに飛ぶ。
二人のあいだを轟音を立ててなにかが振り下ろされた。
重さのある、砂を噛む音。鈍色の凶器が短い草の生えた地面を叩いた。
持っていた棍棒で二人を打ちつけようとしたゴブリンが、奇襲に失敗して不服げに歯をむいた。口元からしたたったよだれが糸をひいて落ちた。
雫が地面に落ちるその様子までしっかりと目にとらえていたカリュは、その奥の光景に顔をゆがめた。彼に突き飛ばされて難をのがれたジニィが、目の前の出来事に呆然としたままでいた。
逃げろって言ったのに、馬鹿ジニィ!
彼女に気づいたゴブリンが腕を振り上げようと力を込める。それを見て取って、カリュは腰に巻いた小物袋へ手をつっこんだ。
手ごろな大きさを探り、そのまま握り締めて、思い切り投げつける。
適当に放ったつぶての幾つかが運よくゴブリンの顔面を直撃した。
目のあたりをおさえ、苦悶の声をあげて暴れるモンスターの前を身を屈めて横切り、カリュはへたり込んだままのジニィを強引に引き起こす。
「立って!」
叱責に、はっとジニィの目の色に力が戻った。
頷いて立ち上がった拍子に手にしていた木の籠を取り落とす。中に入っていた木の実が盛大に地面に散らばった。
「あっ――」
「そんなのいいから! ほら早くっ」
手のひらをしっかと握り締めて走り出した。掴んだジニィの手が湿っている。震えもあった。あるいはそれはカリュのものかもしれなかった。
「カリュ、ごめ――」
「俺が囮! ジニィは隠れて!」
謝罪の言葉にかぶせて一方的に告げたカリュの台詞に、年上の幼なじみからの反論は返ってこない。
背中に遠吠えじみた奇声を受けて、カリュは肩越しに後ろを振り返る。
怒り狂ったゴブリンが、頭から湯気をふきだしそうな形相で彼らを追いかけてきていた。恐怖に口元をひきつらせ、それを無理やりに笑みのかたちに曲げて、カリュは大きく笑った。
「わは! きた!」
真っ直ぐ走るのは危ない。直感的にそう判断して、即座に茂みに突っ込んだ。顔や腕に突き刺さる小枝を払って、さらに茂みの深い方向へと飛び込む。
街道から脇へ入り、奥へ。さらに奥へと向かう。
やがて大人でも十分に身を隠せるほど大きな茂みを見つけて、カリュはジニィの身体をそこへ押し込んだ。
「カリュ……!」
身を乗り出してなにか言いかける幼なじみの口を閉じて、しーっと合図する。遠くからかきわけて近づく物音に鋭い視線を向け、ジニィをその場に隠して一人で走り出した。
走りながら、小物袋からまたつぶてを取り出して物音のしてきた方向に投げつける。
適当な投てきが相手に当たってくれるとは思わなかったが、悲鳴と怒りの咆哮が森中に轟いた。幸運を、森の精霊さまに感謝する。
「こっちだ、こっち!」
あえて大声で自分の位置を宣伝しながら駆けるカリュには考えがある。幼なじみから注意を引きつける必要があった。囮である彼には相手が追いかけてきてもらわなければ困るのだった。
追いかけっこに興じた時間は長くはなかった。
このあたりの森のことなら、カリュはほとんど知り尽くしている。自分が走りやすい場所、相手が追いかけにくい道を選び、それでいて完全には撒いてしまわない距離感をたもったまま、目的の場所へたどりついた。
一見するだけでは、そこは他と大差ない場所だった。
伐採して生まれた小さな空間。苗床に朽ち果てた切り株に刻まれた印でこの場に間違いがないことを確かめて、微妙な立ち位置を調整しながら、懐に手を入れる。
取り出したのはつぶてではなく、紐。使い込まれ、ところどころから繊維のはみだしたそれは、カリュの母親が手ずから編みこんでくれたものだ。
紐の長さはカリュの腕ほどもある。
真ん中のやや広くふくらんだ部分に、カリュは大きめのつぶてをあてがった。
折りたたみ、紐の両端を手にもって、つぶてが落ちないように気をつけながら大きく振り始める。はじめは腕全体で、おもりにかかる力で挙動が安定してからは、手首のスナップだけで。
ひゅんひゅんと鋭く風をきりながら、先端におもりをのせた紐が少年の頭上で円を描いた。
茂みが揺れた。
唸り声をあげ、ゴブリンが姿をあらわす。モンスターが一歩を踏み出す前に、カリュは右手につかんだ紐、その片方だけを離していた。
伸びきる紐に導かれ、直接投げつけるのとは比べ物にならない速度でつぶてが飛んだ。
スリンガー。
投石器は猟師を生業とするものにとっては馴染み深い武器だ。習熟にひどく手間がかかるのが難点だが、弓を射る力のない子どもにはおあつらえ向きだった。
放たれたつぶてはゴブリンに当たらず、その横の木に弾けた。軽くない衝突音がして、幹に決して小さくない痕がのこる。
「げ」
うめいたカリュの思いを読んだように、ゴブリンがぞろりと牙を見せた。とても笑っているようには見えない歪な笑顔。
利点の多い投石器ではあるが、難点も多い。習熟の難しさに伴う命中精度の問題はご覧のとおりだが、この場合は連射が効かないという点がさらに重要だった。ようするに、近距離用の武装ではない。
少年の手から武器が失われたことを見て取ったゴブリンが一気に突進してくる。
それに対したカリュも同じく笑った。
カリュの前の地面には仕掛けが隠されている。布を張り、土と草で覆った落とし穴が大口をあけており、そこに落ちた先には、先端をとがらせた木が無数に上向いているのだった。
情けない悲鳴をあげてゴブリンの姿が消えうせる瞬間を待ち構え、しかしカリュの予想に反してゴブリンは罠の直前でぴたりとその動きを止めた。
手にした曲剣で地面をさぐる。
布がめくられた。
鼻を鳴らしたゴブリンがカリュを見る。どこか得意げなような表情だった。
「慎重なやつだなぁ」
「――――」
相手がふがふが言うが、ゴブリン語の素養のないカリュには理解できない。
会話は続かず、ゴブリンが落とし穴を迂回して迫ってくる。あわててカリュはさがり、大木の後ろへ退いた。
大人が三人で囲まなければならないほどの老木にとっかかりを見つけ、足をかける。身軽さはカリュの身上とするところだ。あれよあれよといううちに太い幹を登りつめていく。
「――!」
下からゴブリンが吠え立てるのを見下ろしながら、さてどうしたものかと思案した。
落とし穴がばれるというのは想定外だったが、こうしたときのための備えがないわけではない。具体的には、残してきたジニィの存在がそれだ。
彼女はおそらく、今ごろは村に戻っているだろう。それなら、話を聞いた大人たちがやってくるのを待つのが一番だった。
日頃、よく勘違いされてはいるが、カリュは決して自分のことを無謀だとか思っていなかった。やれることとやれないことくらいはわきまえている。
ちびの自分がモンスターに一対一で勝てるとは思わなかった。必殺の罠があっけなく見破られた以上、情けないが大人の助けを待つべきだった。
ゴブリンは木登りが得意ではないようで、うなったり手をかけてきたりはしているが、本腰をいれて登って来る気配はなかった。着込んだ鎧を脱ぎ捨てる様子がないことでそれは判断できた。
森の中で太陽の位置はわからない。日が沈むまではまだしばらくあるはずだった。
さて、それまでに助けが来るか、下のゴブリンがあきらめてくれればいいんだけれど――後者の場合、もちろんカリュはその後を追いかけて、別の罠まで案内してやるつもりでいたが。
そんな算段で、木の上に追いやられたカリュの気分は決して暗くなかった。のだが、続いて響いた悲鳴のような声に、顔面を蒼白にする。
「カリュ!」
木々のあいだからジニィがあらわれていた。
背後に大人たちの姿がない。彼女は村に戻らず、カリュたちを追いかけてきたらしかった。
「逃げろ、ジニィ!」
ジニィは動かない。
新しい獲物に振り返ったゴブリンをにらみつけて、カリュの幼なじみはそこから一歩もひこうとしなかった。
真っ青で震えているのが遠くからでもわかるが、腰が抜けているわけではない。カリュには彼女の目的がはっきりとわかった。ジニィは、自分を助けようとしているのだ――
ジニィが大きく手をかざした。なにかを受け止めるようにひろげた両手がゴブリンへと向けられる。
「ふぁいあ!」
力ある言葉に呼応して、虚空に炎が生まれた。
ジニィは魔法使いだ。生まれながらの才次第ではどんな天変事象をも可能にするような、ただの村人には珍しい才能をもっていた。
とはいえ――なんの訓練も受けてはいない、ただの見よう見まねの魔法だった。
大気に満ちた力ある物質を媒介に生み出されたものは、炎と呼ぶのもおこがましいほどのひ弱ささしかもちあわせていない。
ひょろひょろと風に流されるようにして目標に向かった火の玉以下のそれは、ゴブリンの胸当てにぶつかって、音もなくかい消えた。あとには、焦げ目ひとつつけられていない。
気まずい空気。
むしろモンスターのほうが申し訳なさそうな案配ですらあった。
「――ッ!」
場を仕切りなおすようにゴブリンが吠える。
声にあてられたジニィの腰がくだける。
カリュはすばやく周囲に目を配った。
今から木をおりていては間に合わない。
老いた木にからまった蔦を見つけて、手早く引き寄せて千切る。軽く体重をかけて丈夫さを確かめると、そのまま一気に木上から飛び出した。
目算もなにもあったものではない。やはり少年は無謀な性格だった。
しかしそんなことはどうでもよかった。
いま、カリュの頭のなかにはひとつのことしかない。
ジニィを助ける。
どうやって? ――こうやって!
蔦を手にした滑空。
斜めに弧をえがいて、少年の身体は空を泳いだ。