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たまには普通の幸せがあってもいいでしょう?

作者: 千秋 颯

 フィリス・ネイピア伯爵令嬢。

 それが私の肩書き。

 けれど伯爵令嬢という肩書きだけは立派なものの、家の中での私の立場は酷いものだった。


 私は幼い頃に母を病気で亡くした。

 伯爵である父は元々政略結婚の相手だった母を嫌っていたので、母の死を悲しむ事もなく、すぐに新たな妻を迎え入れた。

 その時、私と同じくらいの歳の少女――義妹も共にネイピア伯爵家へやって来た。


 幼い頃はただ新しい家族が出来るのだとしか思わなかったけれど、今ならわかる。

 父は不倫していたのだ。


 父は義妹を愛す反面、私を冷遇した。

 彼が本当に愛する義母や義妹がそれを望んだ事もあるし、私の容姿が母に似ていた事もあるのだろう。

 私は本邸を追い出され、物置小屋へ閉じ込められた。


 殺人に手を染める程の度胸はないらしく、また育児放棄で誤って殺してしまった場合のリスクも避けたいのだろう。

 いくら家族であっても殺してしまえば大きな罪に問われるのだから。


 私は逃げられないようにと古く小さなベッドの脚と自分の足首を鎖で繋がれた。

 出入口の戸に手は届くが、地面を踏むことはできない程度の長さ。

 初めの内は三度、質素で僅かな食事が戸の前に置かれ、手を伸ばしてそれを取り、小屋の中で食べる生活ばかり繰り返していた。


 けれど一年前から、食事は四度に増えた。

 これまでと同じような三食に加え、それらとは比べ物にならない程豪勢な食事が一度。

 それから、娯楽として本も定期的に手に入るようになった。


 それは新しく入った使用人だと自身を名乗った、ジェラルドという青年が現れてからの事だった。




 リズミカルなノックが五回以上。


「お~じょう!」


 それから陽気な声。

 これがジェラルドがやって来たという合図だ。


 ベッドの上、ブランケットにくるまって冬の寒さに耐えていた私は読みかけの本に栞を挟んで扉を開ける。

 外は真っ白だった。


 深い青色の髪に金色の瞳を持つ青年は雪景色を背景に笑って手を上げる。


「どもども! いやぁ、今日は寒いっすねぇ」

「こんにちは、ジェラルド。どうぞ、中に入って」

「お邪魔しまーす」


 白い息を吐きながらそう言う彼を私は小屋へ招き入れた。

 彼は大きな紙袋を抱えていた。

 普段ならばこの中に果物や豊富な種類のパン、街の屋台で買ったという味が濃く、持ち運びしやすい料理などが詰め込まれているが、今日はそうではなさそうだった。


「……って、いや部屋ん中も変わらないじゃないっすか! 風邪引きますよ」

「風はある程度凌げるし、貴方が持って来てくれたブランケットもあるから意外と平気よ」

「いやいやいや、限度ってものがあるでしょう!」


 大袈裟な反応を見せる彼が面白くて、私はくすくすと笑う。

 ジェラルドと出会ってから、笑う事が増えたような気がする。


「そういえば。貴方がくれた本、大体読み切ってしまったの」

「ああ、どうでした?」

「『婚約破棄もの』……? といったかしら。とても面白かったわ」

「最近の流行りだそうですよ。俺は字が読めないので聞き齧った程度ですが」

「じゃあ是非、私の話を聞いて頂戴」


 幼い頃は高度な教育を受けていた事が功を奏し、字の読み書きは問題なくできる。

 読み切った物語の要約と感想を、読書ができないジェラルドに話す。

 それが私の日常となっていた。


「婚約破棄なんて本来は起こり得ない事だと思うのだけれど、実際にそんな事をする方がいたらと考えると怒りを覚えるわ。それくらいわかりやすい悪人と、そして一度は人生のどん底に突き落とされる主人公という立場が冒頭で用意されているお陰で、後半の展開がより素晴らしいものになると思うの」

「うんうん」

「このお話もね、途中で本当に愛する人と出会い、彼の力添えもあって、主人公は本当の幸せを掴んでいくの。序盤との対比が素敵なのよね。あとは悪役へ対する制裁も忘れないから読後感も本当にばっちりで」

「……プッ」


 ついつい早口で捲し立ててしまえば、途中でジェラルドが吹き出す。

 そこで漸く私は我に返り、恥ずかしくなってしまった。


「ご、ごめんなさい。私ったら……」

「いえいえ。そんなに気に入って頂けるなんて、光栄ですよ」

「と、とにかくね、こういう物語だからこそ味わえる、大きな幸せが詰まったお話が好きだなと思ったの」

「大きな幸せ、ですか」

「ええ」


 お陰で最近はすっかり婚約破棄ものにハマってしまったと笑えば、ジェラルドが微笑みを返す。

 それから自身の顎を撫で、わざとらしく考え込むような素振りを見せる。


「ではお嬢は少々大袈裟なハッピーエンドに食傷気味かもしれませんねぇ」

「そ、そんな事ないわ。ちょっと、今の話聞いてたの?」

「冗談ですよ、じょーだん。……ですが」


 私がじとりと睨むと、ジェラルドは両手を軽く上げる。

 それから持って来ていた紙袋の中から一着のコートとブーツを出した。


「――たまには普通の幸せがあってもいいでしょう?」

「……わ」


 コートもブーツも明らかに女性物だ。

 彼はそれを私へ渡した。


「今日は世間では聖なる日と言いましてね。プレゼントを貰ったり、愛する人と共に過ごしたりする日だそうですよ」


 そういえば昔、母が似たような話をしながらプレゼントをくれた事があった様な気がする。

 帰らない父の席を空けて、豪勢な食事をとったものだ。


 けれどそれも、もうずっと前の話で、こうしてプレゼントをもらうのは十年ぶりくらいだった。

 思わず涙が滲んで、慌ててそれを堪える。


「あ、ありがとう」

「いえいえ。さ、薄着のままでは寒いでしょう? 是非着てみてください」

「うん」


 言われた通り、私はコートを上から着る。

 ブーツは枷のせいで履けないので、脚の前に置く。

 そうしてジェラルドを見た。


「どうかな?」

「よくお似合いですよ。うんうん、俺の目の良さはまだ健在ですねぇ」


 ジェラルドが神妙に頷いて褒めてくれる。

 それが嬉しくて、また目頭が熱くなった。


「ジェラルド……本当にありがとう。こんなの、普通なんて言葉で片付けられないわ」


 私が涙ぐんでお礼を伝えると、ジェラルドは目を丸くした。


「ちょっとちょっと。喜んでもらうのは、まだこれからですよ」


 彼はそう言いながら、ポケットから小さな鍵を出す。

 何の鍵かが分からず目を瞬かせていると、彼はベッドに近づき、脚に付けられた枷にそれを差し込んだ。

 カチリと軽い音がして枷が外れる。


「……え」

「お嬢」


 外れた枷を持って私の前に戻って来たジェラルドは不敵な笑みを私に向けてから跪いた。


「失礼しても?」


 彼が何をしようとしているのかは明白だ。

 だけれど、十年間、私の足に触れ続けたこの硬さと冷たさが消える未来が上手く思い描けず、私は恐る恐る片足を前へ出した。


 ジェラルドは私の足に丁寧に触れ、それから――枷を外した。


 金属の重さが消える。

 それに驚いていると、ジェラルドが「お嬢」ともう片方の足を出すよう促した。

 前へ出す足を入れ替えると、こちらも容易く外される。


 信じられなかった。

 私は呆然と解放された自分の足を見た。

 足首には痣が出来ている。けれど、私を捕えていた枷は足元に乱雑に転がっているだけだ。


 自由になっていいのだと言われた気がした。


 大きな安堵が襲って涙が溢れる。

 今度は耐えられなかった。


「あーあー、泣かないで、お嬢」


 ジェラルドが私の涙を服の袖で拭う。

 私はしゃくり上げながら言った。


「こ、こんな事したら、貴方が罰を受けるかも」

「平気ですよ。俺は使用人として鍵を預けられているんですから、こういう事をする許しも当然もらっているんです。だから、泣かないで? お嬢」


 私がゆるゆると首を振ると、ジェラルドは頭を撫でてくれた。




 落ち着いた頃。

 ジェラルドが枷を空の紙袋に詰める傍で、私は彼がくれたブーツを壊れかけていた靴と履き替えた。


「サイズはどうですか?」

「うん、いい感じ」


 以前、私の靴が壊れかけている事に気付いたジェラルドが「旦那様に新しいものを買っていただけるよう交渉してみる」と言って、私の靴の寸法を測った事がある。

 その時の数値を利用して用意してくれたのだろう。

 歩くのに支障を来すような事はなさそうだった。


「さ、これで準備は整いましたね」


 ジェラルドは私に手を差し出した。


「生憎と、俺は王太子サマでも公爵サマでもありませんが。……お手をどうぞ?」


 私はその手に自分の手を重ねる。

 するとしっかりと手を握られ、私はジェラルドによって外へ引っ張り出された。

 床以外の足場を踏むのは久しぶりだ。

 そして外は、室内よりも幾分か寒かった。


「さっさと行きましょう」

「行くって、どこへ?」


 ジェラルドが得意げに笑う。


「『普通の幸せ』がある場所ですよ」


 私はそれから、ジェラルドが偶然見つけたという抜け道を使って家の敷地から抜け出した。

 ジェラルドは私の手を引いて街の中を案内してくれた。


 十年ぶりの外の景色は記憶に残る物とは大きく変わっていた。


 私達は屋台で料理を食べ歩き、ケーキを買って近くのベンチで分け合って、それから――少し離れた丘へ登った。


「……綺麗」

「ですねぇ」


 人気のない丘から、星空を見上げる。

 ほんの数時間の間内に、沢山の思い出が増えた。

 それを思い返し、夢みたいだと思う。


「ジェラルド。本当にありがとう。私……間違いなく、今日が一番幸せな日だわ」

「ははっ、光栄ですね。……けどね、お嬢。これは本当に『普通』の幸せなんですよ」


 ジェラルドが優しい微笑を浮かべる。

 いつもの快活で無邪気な笑顔ではなく、慈愛とほんの少しの切なさが混じった微笑み。


「季節に合った服を着る事、外を出歩く事、誰かと飯を食べる事、めでたい日に誰かと一緒にいる事……全部、当然に許されて良い事のはずなんです。特に……貴女の様な人なら」


 ジェラルドはそういうと私の頬を優しく撫でた。


「だから俺は……少しばかり、貴女が奪われて来た『普通』を返したに過ぎません」

「それでも……その気持ちが、嬉しかったの。……ねぇ、ジェラルド」

「はい」


 私はジェラルドの手に擦り寄る。

 そして彼の冷えた手の感触を感じながら


「貴方……家の使用人ではないのよね」


 ジェラルドが小さく息を呑む。

 まさか本当に気付かれていないとでも思ったのか、と私は思わず笑ってしまった。


「流石にわかるわ。今更、お父様が私の専属の使用人を用意したり……衣服や本を与えるよう命じたりなんて、する訳がないもの」


 暫くの間、沈黙が私達を包んでいた。

 それからジェラルドが笑みを消して口を開く。

 彼は私の頬から手を離した。


「俺……盗人だったんです」


 何となく、想像していた答えだった。


「怪盗って呼ばれたりして、そこそこ腕が立つんですよ。だからお貴族サマの家にもちょくちょく出入りしたりして。そういう日々の中で次に目を付けたのが、ネイピア伯爵家でした」


 後ろめたく思っているのか、彼は視線を私から逸らす。

 そして困ったように苦く笑いながら自分の頬を掻いた。


「だから俺、お嬢に感謝されるような奴じゃないんですよ。お嬢に手を差し出したのも最初は……独りで生きて来た自分に重ねたからで。ただの自己満足だったんで」

「……今は?」

「え?」

「最初は……という事は、今は違うんでしょう?」


 ジェラルドが困惑を見せる。

 きっと、拒絶か嫌悪を示されると思っていたのだろう。


「途中から、は……貴女の無垢さや優しさに惹かれていきました。あんな境遇に立たされても尚、綺麗な心を持っている貴女が俺には眩しかったんです。……俺にはないものだったから」


 顔を曇らせているジェラルドは気付いていないのだろう。

 私の鼓動が、とくんと少し大きくなった事に。


「少しでも貴女に軽蔑されたくなくて、頑張ってみたりはしたんですけどね。盗みをやめて、いっちょ前に働いてみたりとか。けど……だーめですねぇ! 罪ってのはなかなか消えない。自分ですらそうなのだから、他人からすればもっとそうなんでしょうね」


 彼の笑顔が空元気である事はよくわかった。


 ……一年。ジェラルドと過ごしてきた中でわかるようになった事がある。


 彼の考えだ。

 彼が何を思って私を外へ連れ出したのか。

 そして……今、何を思っているのか。


 それを悟った上で私は――ジェラルドの胸へと飛び込んだ。


「――な、ぁ」

「私は、怪盗の貴方を知らないから、それについて何か言う事は出来ないけれど」


 私は片手をジェラルドの背に回し、もう片方の手で彼の手を握る。


「この手が、私を救ってくれた手だという事は変わらないわ」

「お嬢……」

「貴方がこのまま私を逃がす覚悟をしていた事も、わかっているの。だったら――最後まで一緒に逃げて欲しい」

「で、でも、お嬢が嫌なら俺なんかと一緒じゃなくても済む方法だって――」

「――貴方がいいの」


 私はジェラルドの声を遮る。

 そして、間近から彼の目を見据えた。


「……貴方がいいの、ジェラルド」


 もう一度、繰り返す。


「この一年、私を支えてくれたのも、笑わせてくれたのも貴方だった。枷のない未来を期待する事すらできなかった私を外へ連れ出してくれたのも……幸せをくれたのも貴方だった」


 彼と過ごした時間を思い出すだけで、涙が溢れて来る。


「貴方が良いの。貴方と一緒がいい。……愛してるの、ジェラルド」


 私に抱かれたまま、ジェラルドが呆然と立ち尽くす。

 それから、とても緩慢な動きで、彼は空いている手を私の背へ回した。


「……俺で、いいんですか」

「貴方が良いって言ってるでしょう」

「今の俺の稼ぎだと、多分苦労しますよ」

「これまでの生活よりずっとマシなはずよ。それに、私だって手伝うわ」

「お、お嬢が!?」

「文字の読み書きが出来れば、仕事はいくらでもあるはずよ」

「…………ははぁ、それは確かに心強すぎますね」


 私が自信満々に胸を張れば、ジェラルドは気が抜けたような呟きを漏らす。

 それから彼はプッと小さく吹き出し、肩を震わせた。


「いいんですか? 一度決めたらもう離しませんよ」

「望むところだわ。どこへだって連れて行って――私の怪盗さん?」

「ああ、もう……最後に一番の大物を盗む事になるとは」


 ジェラルドはそう言うと、私の額に口づけをし――すぐさま私を横抱きにした。


「わっ」

「わかりました! 世界にたった一つの、最も価値ある宝はこのジェラルド・スタイナーが頂きましょう!」


 驚いてしがみ付いたのも束の間、彼はその場でぐるぐると回り始める。

 止まるようお願いしようとしたけれど、すぐに聞こえた無邪気な笑い声が愛おしくて、気が付けば私も声を上げて笑っていた。


 それからジェラルドは私を抱き上げたまま丘を駆け下りていく。

 ちらちらと雪が降る夜空の下、幸福に満たされた私達の声が響き渡るのだった。



***



 その後。

 ジェラルドは私を連れて街の警ら隊の拠点へ向かう。

 それから私を拘束していた枷と、私の足首の痣を見せて事情を説明。

 国へ通報するよう依頼をした。


 警ら隊はそれに同意し、更に私達の保護を申し出たが、それを私達は断った。

 警ら隊への通報後、家族から逃げるべくすぐに発ったという事にして欲しいと説得すると、警ら隊の方々はそれを承諾してくれた。


 こうして私達はネイピア伯爵領から早々に逃げ出したのだ。


 それから数ヶ月後。

 ネイピア伯爵家に調査が入り、私への虐待の事実が浮き彫りになり、父や義家族は揃って捕まったという。

 爵位は剥奪され、ネイピア領は他の貴族が引き継ぐことになったそう。




「なんか、フツーだね」


 数年後。

 ベッドで横になる娘に物語を聞かせていた私は彼女の言葉に目を丸くする。

 娘を挟んだ向こう側では、ジェラルドも同じ様な顔をしていた。


「普通かぁ?」

「うん。前よんでくれたこんやくはき? はもっと悪者もいやな目にあってたし、たすけ方も今日のおはなしの方がおとなしい? 感じする」

「えぇ。傑作なのになぁ」


 少し寂しそうな顔をするジェラルドと、何も知らない娘のきょとんとした顔がどちらもおかしくて、私はくすくすと笑ってします。


 私は娘の頭を優しく撫でながら話す。


「でも……たまにはこういう幸せの形があってもいいでしょう?」

「んー?」


 娘はうつらうつらとしながらもゆっくりと頷き、満面の笑みを浮かべた。


「うん、わたしはすきだよ」

「だって」

「お。よくわかってるなぁ」


 静けさに包まれた夜の寝室で、私達は揃って笑い合う。

 窓の外では、あの日と同じ様に柔らかな雪が舞い降りていた。

たまには婚約破棄から始まらない幸せがあってもいいでしょう?

という事でメリークリスマスでした!!(一人でチキンを貪りながら)


-----


最後までお読みいただきありがとうございました!


もし楽しんでいただけた場合には是非とも

リアクション、ブックマーク、評価、などなど頂けますと、大変励みになります!


また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!


それでは、またご縁がありましたらどこかで!

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