7歳編・第85話:王都に広がる影霧 ― 少年を狙う“主”』
白聖院の診断室が揺れる。
天井の光紋が一瞬暗くなり、
空気そのものがひやりと冷えた。
「影霧反応――王都外縁部から侵入!」
神術官の声がこだまする。
レイティアはすぐにリオンを抱き寄せた。
「……やはり来たのね。
影核の“主”が……!」
エルミアスは震える手で杖を握りしめ、
瞳を鋭くした。
「影霧は本来、
王国結界に触れた瞬間に消滅するはず……
それが突破したということは――
“主”が直接操っている証拠だ!」
リオンの胸が疼く。
ドクン……ドクン……!
(また……来てる……
ぼくを……呼んでる……)
影の声が微かに囁く。
――器……戻レ……。
――ソノ身ハ我ノ……。
耳にまとわりつく冷たい声。
リオンの指先がわずかに震える。
■
診断室の扉が激しく叩かれる。
「レイティア殿!
外の結界区画が影霧に侵食されています!
聖騎士団は第一防衛に展開!
白聖院にも影濃度が到達します!」
レイティアは短く答えた。
「分かったわ! 全員、白聖院の第二結界を発動!」
神術官たちが一斉に動き、
床や壁の紋章が光を放つ。
白い光のカーテンが
診断室を覆い始めた――その時。
「――間に合わぬぞ」
部屋の隅の影が“揺れた”。
レイティアが反射的に剣を抜く。
「誰!?」
影は床から這い出る形で伸び、
ゆっくりと人影を形づくる。
黒い霧が集まり、
人の輪郭を作るが――
顔だけは霧のまま、
黒い仮面のように揺れている。
全員が息を呑む。
エルミアスがかすれた声で叫んだ。
「影核の……“主”……!!」
その存在は子どもほどの背丈だが、
纏う気配は大地ごと飲み込むような重圧だった。
黒い人影はゆっくりとリオンを見る。
「――器。
随分と離レタナ……
サア、戻ロウ」
声は低く、囁きのようで、
だが耳元で直接話しかけられているように響く。
リオンは半歩後ずさる。
(こいつ……
ぼくの中にいた“影”……!)
レイティアは剣を構え、
体を張ってリオンの前に立つ。
「ふざけないで。
リオンはあなたの“器”なんかじゃない!」
しかし、影の主は微動だにせず言う。
「器ノ片割レ……
何故、拒ム?」
レイティアは目を細めた。
「拒む理由なんて決まってる。
リオンは――
“誰のものでもない子ども”だからよ!」
影の主はゆっくりと顔を傾け、
空気が黒く歪んだ。
「理解……不能……。
器ニ宿ル“光”……不都合……。
排除……必要……」
影が触手のように広がる。
エルミアスが叫んだ。
「影霧の侵食が早すぎる!!
このままでは白聖院すら飲まれるぞ!」
リオンは胸を押さえながら、
影の主を見つめる。
(ぼくを……奪う気なんだ……
全部……ぼくのせいで……)
そのとき、
レイティアが振り向き、リオンの頬に手を添えた。
「リオン。
あなたは“悪くない”。
影に狙われるのは……
あなたがそれだけ“特別”だから。
でも、それは罪じゃない」
リオンの目が揺れる。
(ぼく……特別……?
罪じゃ……ない……?)
レイティアは真剣な瞳で続けた。
「あなたの“光”は――
誰かを救うためにある。
影なんかに渡さない。」
その時だった。
影の主が、一気に霧を放射した。
「排除開始――」
黒い霧が津波のように広がり、
診断室の光結界へ衝突する。
バチィィィィッ!!!
白と黒の光がぶつかり、
部屋全体が震えた。
神術官が叫ぶ。
「結界、耐えきれません!!」
エルミアスは杖を突き上げる。
「出力最大まで上げよ!
この影……古代級だ……!」
影の主は淡々と言う。
「光……ジャマ。
器……返セ……」
黒霧がさらに濃くなり、
結界が軋み始める。
その瞬間――
リオンの胸が熱くなった。
ドクン――!!
白い光が溢れ、
胸元から震えが広がる。
レイティアが驚く。
「リオン……光が……!」
エルミアスが震える声で叫んだ。
「光核が――
影に反応して覚醒を始めておる……!」
リオンは胸を押さえ、
一歩前へ出た。
全員が凍りつく。
影の主が動きを止め、
リオンを見つめる。
「……器……?」
リオンの瞳が揺れ、
だが確かに“意思”が宿っていた。
「ぼくは……
ぼくだよ……。
誰のものでもない……
ぼくの体だ……!」
影の主の霧が震える。
「器……拒絶……?
不具合……?」
レイティアは思わず微笑んだ。
(リオン……!
自分の意思を……!)
だがエルミアスは同時に悟った。
(まずい……!
光核が自我を持つと、
影核との衝突が起きる……!)
次の瞬間――
リオンの体から“光”と“影”が同時に噴き出した。
部屋中が白黒の衝撃に包まれる。
神術官が叫ぶ。
「暴走の兆候!!」
レイティアがリオンへ駆け寄ろうとする。
「リオン!!」
しかし影の主が黒霧を放ち、
レイティアとの間に壁を作った。
「器……返サナイ……!」
リオンの身体は光と影の狭間で震えている。
(やだ……
ぼく……また暴走する……?)
影の声が重なる。
――器……苦シイカ……?
――任セヨ……。
光の声も微かに響く。
――負けないで……。
――あなたは……あなた……。
リオンは叫んだ。
「どっちも……勝手に……
ぼくを……奪わないで……!!」
光と影が爆ぜ、
診断室は視界が白黒に染まる。
その中心で――
リオンは涙を浮かべながら叫んだ。
「ぼくは……
ぼくのままで……いたい……!」
影の主がわずかに動揺した。
「……意思……持ッタ……?」
レイティアは結界越しに叫ぶ。
「リオン!!! 自分を信じて!!
あなたの心は、誰にも奪えない!!」
その声が届いた瞬間、
リオンの手がわずかに光へ伸びた。
しかし同時に――
影の主が黒霧を伸ばし、リオンに触れようとする。
「サア……器……!」
光と影の手が、
少年へと迫る。
白と黒がぶつかった瞬間――
轟音が診断室を揺らした。
『光と影の衝突 ― 少年の魂が裂かれるとき』
リオンを巡る“光”と“影”の直接衝突。
影の主の真の目的がついに語られ、
王都全体が危機へと巻き込まれていく。
レイティアは少年を救えるのか――。




