7歳編・第78話:見えない敵 ― 結界侵食
結界の膜が軋むように震えていた。
“キィィィィィン……”
空気そのものが悲鳴を上げているような音が、
村の中心まで響く。
リオンは両耳を押さえながら、
胸の奥の“光”が不気味に波打つのを感じていた。
(この音……ぼくの体まで震える……!
あいつらの気配、強くなってる……
近い……すごく……近い――)
バルター団長の怒声が村に響く。
「全員、中央へ避難! 騎士団は北へ!
結界の破れた箇所があるはずだ、急げ!!」
騎士たちが盾を構えながら走る。
村人は泣き叫び、親たちは子どもを抱えて駆け出す。
その混乱の中心で、
リオンは父と母に手を引かれながらも、
森の方へと視線を向けていた。
結界が“食われて”いた。
透明な膜に黒い染みのようなものが広がり、
じわじわと穴が開いていく。
まるで酸に触れた布が溶けるように。
バルターが怒鳴った。
「攻撃だ! 結界へ魔力を流し込み、補強しろ!!」
魔法部隊が同時に詠唱を開始。
「《シールド・フォース》!」
「《魔力注入》!」
結界に光が流れ込むが――
黒い染みはそれ以上の速さで広がっていく。
「駄目です団長! 侵食が止まりません!!」
「なんだ、この速度は……!」
しかし、一番冷静なのはリオンだった。
(これは……“攻撃”じゃない。
結界そのものを噛み砕くみたいに……
存在ごと削ってる……
まるで“生きてる影”みたい……)
影そのものが意思を持って動いているかのようだった。
■
結界がついに“裂けた”。
“ベキッ”
透明な膜にひびが走り、まるでガラスが割れるような音。
そして――
黒い霧のような“影”が溢れ出した。
「出たぞ!!」
「姿が見えない!? いや、霧……? 霧なのか!?」
「武器を構えろ!!」
騎士たちが剣と盾を掲げる。
しかし霧のような“影”は形を持たず、
斬撃をすり抜けて滑るように広がっていく。
「当たらない!?」
「いや、当たってはいる……が……
手ごたえが無い……!」
バルターは目を細めた。
「これは……魔法生物か……?」
そのとき、霧の中から“音”がした。
――ギュイッ……ギィ……
人の声ではない。
動物の咆哮とも違う。
金属が擦れるような、冷たい音。
リオンの心臓が一気に跳ね上がる。
(あれ……あれは……!)
黒い霧が集まり、ゆっくりと形を作り始めた。
人型のようで、人ではない。
手足は細く、節ばった関節だけが異常に強調され、
頭部は仮面のように白く――
目の部分だけが、赤く光った。
「な、なんだ……あれ……!」
「魔獣か!? いや……見たことねぇ……!」
バルターが叫ぶ。
「全隊、構え!! 来るぞ!!」
影の人型が、まるで関節を逆に折るように不気味な動きで首を傾けた。
――キィ……キィィ……
そして。
瞬間、姿が消えた。
「消えた!?」
「どこへ――ぐあっ!!」
影は兵士の横に突如として現れ、
鋭い腕の先端で胸を貫こうとした。
兵士は盾で受け止めるが――
「お……重い!? 影の癖に……!」
「踏ん張れ!!」
だが影はひと振りで兵士を吹き飛ばした。
(強い……!
こんなの相手にしたら……みんな……死んじゃう……!)
胸の光が激しく疼く。
怖い。
怖くて、逃げたくて。
でも――
(このままじゃ……だめだ……!
ぼくが動かないと……!)
リオンは父の手をふりほどいた。
「リオン!? 危ない!!」
エルネストが叫ぶが、
リオンは一歩、前へ踏み出してしまった。
■
影の人型がリオンへ向き直る。
赤い眼光が、ギラリと細められた。
「ッ……!」
その視線だけで、足が震える。
(わかる……
あれ、ぼくを“見てる”。
狙ってる……!)
影はゆっくりと歩み寄ってきた。
バルターが剣を構える。
「リオンから離れろ!!」
しかし影はひとつも反応せず、
リオンだけにまっすぐ向かってくる。
「なんで……ぼくを……」
影が近づくたび、
リオンの胸の光が反応して、
心臓が痛いほど脈打つ。
(嫌だ……怖い……
でも……逃げちゃ……だめだ……!)
リオンは震える手を胸に当て、
目を閉じた。
(お願い……
“光”……ぼくを守って……
みんなを……守って……!)
その瞬間。
“カッ”と、胸の中心が眩く光った。
小さな身体から、
まるで脈動するように“金色の波動”が広がる。
「リオン!?」
「光……?」
影の人型が一瞬、怯んだように動きを止めた。
胸の光は、まるで扉の向こうからこじ開けられるように
自分の意志とは別に膨らんでいく。
(また……開いちゃう……!
この“扉”……開いちゃう……!)
頭の奥にノイズのような音が走る。
――――解放せよ……
――――その力は、世界を選び変える……
――――扉を、開けよ……
「や……やだ……!」
リオンは震えながら叫んだ。
「勝手に……開かないで!!
みんなを……傷つけたくない……!!」
すると光は一瞬だけ揺らぎ――
リオンの意志に応えるように収束した。
だが次の瞬間。
影がリオンへ跳びかかった。
「――来た!!」
リオンは反射的に手を前へ突き出した。
“ドン”という衝撃。
金色の光が衝撃波となり、影の人型を大きく弾き飛ばす。
地面を抉りながら十メートル以上吹き飛ばされた影は、
木に激突して霧のように崩れた。
兵士が叫んだ。
「こ、こいつ……すげぇ……!」
「なんだ今の光……!?」
リオン自身も震えた腕を見つめる。
(今の……ぼくの力……?
扉の力……じゃなくて……
ぼくの“意思”で使った……?)
影の霧は地面に散っていたが、
まるで這いよるようにまた集まり始めた。
――ギィィ……ギイ……
形を取り戻す。
バルターが剣を構えた。
「皆、構えろ!!
まだ終わっていない!!」
影はゆっくりと立ち上がり、
再び赤い眼光をリオンに向けた。
リオンも、小さく息を吸った。
(もう……逃げない……!
あいつは絶対に……村に入れない……!)
――そして、この戦いが
後に“リオン第一次接触事件”と呼ばれることになる。
まだ誰も知らない。
リオンの“意志による力の行使”が、
世界にとってどれほどの意味を持つのか――。
『影との戦闘 ― リオンの初めての決断』
収束した光を手にしたリオンは、
初めて“自分の意思で力を使う”戦いへ足を踏み入れる。
影の正体は?
なぜリオンを狙うのか?
そしてリオンが下す“ひとつの決断”が、
戦況を大きく変えていく。




