7歳編・第75話:放浪賢者グレア ― 世界が欲した少年
村の空気は張りつめていた。
外周警戒線のあちこちに白金騎士団が配置され、
その中央に、縄で拘束された男――
放浪賢者グレア・オルディスが静かに座っていた。
彼の周囲だけ、空気が歪んでいるように感じられる。
圧迫感ではない。
恐怖でもない。
ただ――
“世界から浮いている”ような奇妙な存在感だった。
バルター団長が剣を構え、
冷たい声で低く問いかける。
「……どういうつもりでここに来た」
「見に来ただけだよ」
グレアは笑った。
拘束されているのに、まったく抵抗の意思がない。
その目には狂気も敵意もなく、
ただ淡い好奇心だけが浮かんでいた。
「ここに、面白い子がいると聞いてね」
周囲の騎士たちが身を固くする。
バルターは声を荒げた。
「理由になっていない!
お前が動けば、それだけで国境が揺らぐんだぞ!」
「ああ、そうかもね。
でも“揺らぐ理由”を作ったのは、そっちじゃない?」
バルターは一瞬言葉を失う。
(……昨夜の光のことか!)
「さて……そろそろ来るころかな」
グレアはゆっくりと顔を上げた。
その視線の先には――
メイラに隠されるようにして歩くリオンの姿があった。
■
「リオン、来てはダメだ!」
バルターが叫ぶ。
しかしリオンは震える足で前へ出た。
(だって……ぼくのせいでこんなことになってるんだ)
隠れているだけじゃいけない。
グレアの視線がリオンを捉えた瞬間、
彼はニッと口角を上げた。
「やあ、初めまして。
“世界の外側に触れた子”」
リオンは足を止めた。
「……ぼくのこと、知ってるの?」
「知ってるさ。
いや、正確には――
“あの光”を感じた瞬間、理解したよ」
グレアは首を傾ける。
「君はまだ自覚してないだろうけど、
君の魔力はすでに“人間の枠”を越えている」
バルターが剣を構えて割り込んだ。
「ふざけるな! 何を吹き込む気だ!」
「事実を言ってるだけだよ?
昨夜のあれを『魔力』だと思ってるなら――
それは間違いだ」
「……え?」
リオンが目を丸くする。
グレアは軽く指を鳴らして言った。
「君から溢れたのは“神性波動”。
魔法理論でも魔力構造でも説明できない領域だ」
騎士たちがざわついた。
(神性……? そんなわけ……)
だがリオンの胸の奥では、
あの光の呼吸がまだ続いている。
ゆっくり、確かに。
グレアは嬉しそうに続けた。
「君の中には、“人外の核”が眠ってる。
それは人間の肉体が持てるはずのない構造だ」
バルターが叫ぶ。
「根拠を言え! ただの推測だろう!」
「推測だよ。でもね――
昨夜の光柱は、“世界樹の呼気”と同質だった」
バルターの表情が固まる。
エルネストとメイラも息を飲む。
リオンだけが理解できず、震える声を出した。
「世界樹……って、なんなの?」
グレアの瞳が少しだけ柔らいだ。
「世界を維持する根の一部さ。
普通の人間は絶対に触れられない。
その力を君は……無意識に呼び出した」
リオンが胸を押さえた。
(ぼくの体の中に……
そんなものが……?)
怖い。
でも、知りたい。
グレアは続ける。
「心配しなくていい。
今のところ、君は“ただの子ども”だ。
神の器でも怪物でもない」
リオンの目を見る。
「ただ、君には“扉”がある。
それが開けば――
君は世界の理に干渉する存在になる」
「……扉?」
「そう。君が選ぶんだ。
世界を壊すのか。
世界を守るのか。
あるいは無関心のまま流されるのか」
リオンは震えている手をぎゅっと握った。
(選ぶ……? ぼくが……?)
その時、グレアが急に真顔になった。
「さて。本題に入ろうか」
周囲の空気が重くなる。
「昨日の光を感知して――
“ある国”がすでに動いている」
バルターが歯を食いしばる。
「……どこだ」
「北大陸の魔導国家、ヴァルトア。
“始原研究部隊”がこちらに向かっている」
エルネストが顔を青ざめさせた。
「あそこは……
魔力のためなら子どもでも解体するような――!」
「そういう国だ。
だから君たちは急がなきゃいけない」
リオンは息を呑む。
(ぼくのせいで……
また誰かが狙われる……?)
グレアは微笑んだ。
「安心しな。
僕は君を連れて行くつもりはないよ。
興味はあるけど、所有欲はゼロだから」
バルターが険しい顔で尋ねる。
「では、なぜ来た。
敵にも味方にもならぬ賢者が……何のために」
グレアはゆっくりと立ち上がった。
拘束具が勝手に外れ、地面に落ちる。
「君たちは勘違いしてる。
僕は敵でも味方でもない」
そして、空に一歩踏み出した。
足元に魔法陣もないのに、彼は空に立った。
騎士団がざわめく。
「僕はただ――
“この子がどう生きるか見届けたい”
それだけだよ」
リオンは息を呑んだ。
その瞬間、グレアの姿が風のように消える。
残された言葉だけが、空間に響いていた。
「リオン。
君の“扉”が開くその日まで――
僕はまた来るよ」
静寂。
バルターは剣を下ろし、深く息を吐いた。
「……厄介な存在が、また一つ絡んできたか」
エルネストがリオンをそっと抱き寄せる。
メイラも震える声で言った。
「大丈夫よ……リオン。
何があっても、お母さんたちはあなたを守る」
その温もりを感じながら――
リオンはまだ震える胸を押さえた。
(扉……
本当に、ぼくは……そんな存在なの……?)
胸の奥の光が、微かに脈打つ。
呼ばれるように。
導かれるように。
そしてリオンは気づいていなかった。
この瞬間、彼の運命は“世界”と結びついたことに。
『世界の影 ― ヴァルトア始原部隊の影』
ついに動き出した北方魔導国家。
リオンを狙う影が、静かに国境へ迫る。
一方で村に残る不安と、リオンの中の“扉”の気配。
世界は、まだ少年が気づかぬまま動き始めていた。




