プロローグ:藤堂亮介、消えた歯車の記録(転生前)
藤堂亮介、52歳。
誰にも頼られず、誰にも必要とされず、ただ仕事に追われ続けた中年のシステムエンジニア。
彼は数多の企業の基幹システムを陰で支えてきたが、その功績は一つも表に出ず、ブラック企業の歯車として使い潰されていた。
家族の温かさを知らず、孤独と疲労の中で「せめて誰かを救える人間でありたかった」と願う。
ある日、子供を交通事故から庇い命を落とす。
死後、神に出会い「自分が生きた証をこの世界から消してくれ」と願うが、その願いは想定外の影響を現世にもたらす。
存在が消えたことで、彼の作った無数のシステムが消失し、現世は混乱に包まれる。
そして彼は異世界で、リオン・レインフォードという名の少年として再び目を覚ます。
今度こそ――愛する家族と温かい日々を生きるために。
午前二時、都心のオフィスビルの明かりはまだ消えない。
蛍光灯の白い光が、無機質に机の列を照らしている。
藤堂亮介、五十二歳。
白髪が目立つ頭をかきながら、無音のキーボードを叩いていた。
「……また仕様変更か。昨日確定したばかりだろ……」
モニターの光が、彼の深いクマを浮かび上がらせる。
ブラック企業の一社員として、彼はシステムの影に生きていた。
表に出ることはなく、感謝の言葉を聞くこともなく、ただ納期と責任の板挟みにいるだけの日々。
「藤堂さん、こっちのバグもお願いします」
若手が声をかける。
亮介は笑顔を作ろうとするが、唇が引きつる。
「……ああ、あと三十分待ってくれ」
そんな会話をもう何年も繰り返していた。
思い返せば、彼は何十もの業界のシステムを手掛けてきた。
金融、医療、物流、行政……どれも人々の生活を支える仕組みだった。
だが、そのどれもが「誰の作品」とも記録されない。
プロジェクト名だけが残り、彼の名はどこにも刻まれない。
休日はほとんどなかった。
冷蔵庫にはコンビニ弁当、机の上には読みかけの専門書と漫画。
彼の趣味は「集めること」。
本、ツール、ガジェット、データ。
なぜ集めるのか自分でもわからない。
ただ、何かを積み上げていなければ、心が崩れてしまいそうだった。
夜明け前、ふと窓の外に視線をやる。
街は雨に濡れ、タクシーが水たまりを弾いていく。
その光景を見ながら、亮介はつぶやいた。
「……家族って、どんな感じなんだろうな」
同僚たちは家庭の愚痴をこぼしながらも、どこか幸せそうに笑っていた。
彼にはその「当たり前」がなかった。
誰かに作った料理を食べてもらうことも、
帰りを待ってくれる声を聞くことも、一度もなかった。
***
ある雨の日の夜。
亮介は帰宅途中、横断歩道の向こうで泣きじゃくる子供を見つけた。
親の姿はなく、車のライトが迫ってくる。
反射的に、彼は走り出していた。
「危ないッ!」
子供を突き飛ばす。
次の瞬間、眩しい光と衝撃。
体が宙を舞い、意識が遠のく。
気づけば、真っ白な空間にいた。
目の前には柔らかい光をまとった存在。
声は穏やかで、どこか懐かしい。
『あなたは立派に生きましたね。ひとつだけ、最後の希望を叶えましょう。』
亮介はしばらく考え、そして静かに言った。
「俺が生きていたことを、この世界から消してほしい。
……あの子に、嫌な記憶を残したくないんだ。」
『よろしい。ですが、あなたが築いたものまでも――?』
「構わない。どうせ俺なんか、いなくても困らないさ。」
光が揺れた。
神は、ほんの一瞬ためらったように見えた。
そして頷く。
『では、あなたの“存在”を完全に削除します。
すべての記録、すべての痕跡、あなたが触れた情報までも。』
その瞬間、現世の無数のサーバーで、異変が起きた。
“rion_XXX”――彼が付けた無数のシステムファイル名。
その全てが、空白に変わった。
医療ネットワークが落ち、交通システムが停止し、
企業群の根幹が、静かに崩壊していく。
誰も原因を知らない。
ただ一人の男の「願い」が、世界を狂わせていた。
そして彼は――光の中に溶けていった。
「……次は、家族のいる人生を――」
その声は、やがて風のように消えた。
***
彼の生涯は、誰にも気づかれず終わった。
だが、彼のいない世界は、確かに揺らいでいた。
そして――新たな世界で、彼は「リオン・レインフォード」として再び目を覚ます。




