若奥様の真面目過ぎる侍女は正論で無双する
『王女殿下の幼馴染の女性騎士は意外とつぶしが利く』の続編です。
「おーほほほほっほほほほほ!
わたくしの侍女の実力にひれ伏すがいいわ!」
部屋に近づくと、主人であるローザンネ様と侍女頭のステファナ様の会話が聞こえてきた。
「殿下、いえ、若奥様。
いい加減にしておかれませんと、ブーメランを受け止めきれませんよ」
「ステファナ、わたくし既に、ニコールの侍女教育の時点で打ちのめされていてよ!
今更、ブーメランの一投や二投、少しも怖くないわ!」
どうやら、話題の一端を私が担っているようだ。
「ただいま、戻りました」
私が部屋に入ると、満面の笑みの主人と、呆れ顔の侍女長が迎えてくれる。
「ニコール! よくやってくれてるわ。
あなたに来てもらえて本当に良かったと思っているの」
「もったいないお言葉です」
主人に持ち上げられた理由に心当たりはなかったが、とりあえずお礼を申し述べた。
私、ニコール・クラーセンはクライエンホフ王国で、ローザンネ王女殿下の護衛騎士として仕えていた。
殿下がゼルニケ王国のボスフェルト侯爵家に嫁がれるにあたり、いろいろあって侍女にジョブチェンジしたのである。
ゼルニケ王国は狩猟と酪農が盛んな国である。
中でも侯爵家は領地に広大な山と森を持つ。
今は秋の狩猟シーズンだ。
ただでさえ毎年盛り上がる時期に、今回の王女殿下の嫁入りが拍車をかけた。
浮かれた侯爵家の騎士は、平民の狩人と獲物の数を競いあっているのだとか。
何回か行われる狩猟大会には、王女殿下が国から持ち込んだ小麦などの穀物類が賞品とされた。
祖国の農産物は、この国では宝だ。
穀物を賞品に、と提案されたのは次期侯爵のメルヒオール様。
王女殿下の夫君である。
メルヒオール様は、剣技や体術はそれなりにこなされ、鍛錬も欠かないため整った体つきをされている。
しかし幸いにも脳筋ではない。
侯爵領では執務は領主と文官、討伐や警備や力仕事は騎士団と住み分けていた。
稀に領主自ら騎士団を率いる、などという土地もなくはないが、万一の場合、執務責任者と筆頭火力を同時に失うという悲劇につながる可能性もあるのだ。
真面目に現侯爵様の執務を手伝われているメルヒオール様は、婚約中のローザンネ様との交流も疎かにされることはなかった。
隣国とはいえ簡単には会えないため、心のこもった手紙や贈り物をたびたび送ってこられていた。
「ちょっと、お邪魔してもいいかな?」
私たちがいるローザンネ様の居間に、メルヒオール様がいらした。
お忙しい方だが、執務の合間を縫って短時間でもと、奥様との交流を心掛けていらっしゃる。
「ただいまお茶をお持ちします」
ステファナ様が部屋を出ていき、私一人がお側に控えた。
「メルヒオール様、本日も何か事件がございまして?」
ローザンネ様が目を輝かせて、夫君に迫っている。
「あったとも。ニコール、毎日大活躍だね」
「……私、なにか致しましたでしょうか?」
事件? 私はお遣いで屋敷を一回りしただけで、何も特別なことはなかったと思うのだが。
「いやいや、君が医務室に行ったとき、怪我をした騎士が運ばれてきただろう?」
「はい、確かに」
そんなことは確かに起こった。
だが、騎士が怪我をするなど日常茶飯事だし、事件というほどのものではない。
運ばれて来た騎士は若く大柄であった。
筋肉はしっかりついており鍛錬も十分、こういうタイプは実力を過信しがちだ。
たまたま居合わせた都合上、仲間の騎士の説明を聞いていたが、どう考えても若気の至り、勇み足での負傷である。
不名誉の負傷と言っていい。
さっさと縫合してもらえば早く治るものを、痛みに暴れて手が付けられない状態だ。
医師の助手たちがすくんでしまったため、見るに見かねて手を出した。
「怪我人、押さえます」
そんなことを言い出す侍女に、一瞬あっけにとられた医師だが、決断は早い。
「助かります。こんなに暴れられては治療ができないので」
「確かにまずいですね。
気絶させますか? それとも拘束しますか?」
「それも悪くないが、とりあえず十秒押さえてもらえますか?」
「わかりました……その前に、綺麗なタオルはありますか?」
助手が恐る恐る渡してきたタオルを、まずは患者の口に突っ込む。
「叫ぶのは構いませんが、舌を噛んでは面倒ですから」
「ああ、よく気が付いてくれました。では押さえてください」
私はしっかりと関節を押さえる。
消毒薬をぶっかけられ、叫びかけた騎士だが口にはタオル。
縫合が始まると、十秒を待たずに失神した。
「おいおい、あの女性、関節きめてるけど……」
「絶対、急所を知ってるな」
「あ、彼女、若奥様についてきた元騎士の侍女じゃないか?」
「あれは、相当デキるな。俺、逆らわないでおく」
なんか、外野の騎士が好き勝手言っているが、暇なら彼らが手伝うべきではないか?
そう思って視線をやると、気まずそうに頭を下げられた。
別に睨んだわけではないのだが。
無事に処置が済んだ後で、医師に感謝された。
「貴女は人体をよくご存じのようだ。手伝ってもらえて助かりました」
「国にいるときは騎士をしておりましたので、訓練中の怪我も多く、いろいろ学びました」
「力が強く体の大きい騎士も、難なく押さえつける力量。
看護の手伝いをお願いできたらと思うくらいですよ」
私は少々呆れた。
「こう申しては何ですが、私は国を出るまで一騎士、一護衛官に過ぎなかったのです。
その私の力を当てになさるようでは、皆様は仕事に対してたるみきっていると申さざるを得ません」
医師はあっけにとられ、野次馬騎士たちは更に気まずそうに下を向く。
「申し訳ございません。
侍女となって日が浅く、さらにはもともと心の機微に疎いようで、キツい物言いになってしまいました。
お許しいただけますと幸いに存じます」
……というようなことはあったが、事件というほど大げさなものではなかったはずだが。
メルヒオール様は笑顔でおっしゃる。
「医師から報告を受けたよ。
あんな軽口を言って、かえって申し訳なかったと反省しているそうだ。
ニコール、君は非常にいいことを言ってくれた。
うちで働く者は皆、気のいいやつで、よくやってくれているが、上から気を引き締めろと言っても、今一つ、通じなくて困っていたんだ。
君にはこちらに来る直前で、ジョブチェンジという苦労をかけたが、それが説得力につながった。
本当にありがたいよ」
なんと返事したものか考えていると、続けてメルヒオール様が話される。
「この前の文官たちへの喝もよかった」
先週のことだ。
若奥様の予算を記した一枚の書類に、三か所も間違いがあった。
それを指摘しに文官室へ赴いた私は、こう述べた。
『もし、あなたが騎士だったとして、一人の敵に三度攻撃を失敗すれば、あなたの命はありません』
あまりにあっけにとられた文官の顔に、意味が通じなかったかと心配したが、その後、間違いのない書類が返ってきたのでたぶん通じたのだろう。
メルヒオール様のお耳にも入っているようだし。
「それから庭師の前で毒蛇退治をした件も」
ローザンネ様のお好きな花はこの地で育つのかどうか、庭師に確認に行った時の話だ。
作業中の若い庭師の一人が、ひどくだらしない格好で仕事をしていた。
シャツははだけ過ぎだし、履物はサンダルといった具合だ。
ところが、そこへ珍しくも毒蛇が闖入したのだ。
驚くのは当たり前だが、だらしない庭師は裸足同然のせいで嚙まれやしないかとパニック状態になった。
『しっかりと作業用の長靴を履いていれば、こんなもの怖くありません』
私は靴のかかとを使って蛇の自由を奪い、仕留めて見せた。
毒蛇ではあるが薬の材料になるらしく、庭師長が瓶を持ってきて回収してくれた。
「あれから庭師たちも気が引き締まったようで、キビキビ働いているよ」
自分から話を振ったのに、思いのほか侍女の話ばかりになったせいか、ローザンネ様が少し拗ねてしまわれた。
「メルヒオール様は、侍女ばかり誉めて……」
「ごめんごめん。私の可愛い奥様、機嫌を直しておくれ」
「では、わたしどもは下がります」
テーブルにお茶を出し終えたステファナ様が私に目配せし、二人で退出した。
控えの間に下がると、ステファナ様は小さく囁いた。
「男は脳筋と腹黒の二択です」
侍女になってから教えを請うために、何かと話す機会が増えたステファナ様。
雑談も大いにするようになったのである。
「脳筋と腹黒?」
「メルヒオール様は腹黒ということです」
「それは頼もしいですね。
この領地を守っていくには、真っ直ぐなだけでは困るでしょうし」
「ローザンネ様はころっと騙されておいでになって」
「お幸せそうですよ」
「確かに。僭越ながら、お似合いのお二人だとわたしも思っていますよ」
このくつろぎの時間はおそらく十五分くらい。
夕食の前に、お二人には着替えていただかねばならないのである。
控えの間で軽くストレッチなどしていると、メルヒオール様が出てこられた。
「ああ、そうだ。
執事長の補佐がね、ステファナと一度、食事がしたいらしいのだが」
ローザンネ様が若い侍女をたくさん連れて嫁入りされたので、この屋敷に仕える独身男子たちは懇意になる機会をうかがっているらしい。
侯爵家に忠実に仕える者同士の婚姻は、当然メルヒオール様も推奨なさっていて、ちょいちょい縁結びに加担しているようだ。
執事長補佐は執事長のご子息で、次期執事長である。
なかなかイケメンで気遣いもできるし、ステファナ様と年回りも合う。
ステファナ様はピクリと反応した。
「嬉しいお誘いです。ぜひとお伝えいただけますか」
「ああ、きっと彼も喜ぶよ。
ニコールにも、そのうち誰かが声をかけてくるだろう」
「いえいえ、私はどちらかといえば敬遠されるでしょうからご遠慮申し上げます」
「男は、甘いのが好きなのばかりじゃないから、きっと大丈夫だよ」
なにが大丈夫なのか、私にはわかりかねたので曖昧に微笑んでおく。
去っていくメルヒオール様の背中を見送りながら、ステファナ様がぼそりとつぶやいた。
「メルヒオール様は、良い腹黒男子のようですわね」
見事な豹変ぶりに吹き出しそうになり、私はあわててうつむいた。




