皿として
審判の日、魂となったわたしに、裁きをする存在が現れた。神かどうかは知らない。名前もなかった。ただ、そこにいた。音もなく、感情もなく、でも有無を言わせない空気を持っていた。
そいつが言った。
「あなたの行動は、マイナスのログが非常に多い」
読み上げられる。静かに、事務的に。
「2007年、路上での暴行。被害者は頭蓋骨骨折。殺人未遂。
2010年から2014年、勤務先からの不正送金。横領。被害額5,000万円。
2016年、放火未遂。アパートのドアポストに火をつけ、建物損壊寸前」
わたしは何も言えなかった。言い訳が浮かびそうで、すぐ消えた。
「しかしながら──」
声は変わらない。抑揚のないまま、つづく。
「2019年、雨の夜に仔猫を保護。2022年、道で倒れた高齢者に応急処置。通報。心肺蘇生も行っている」
思い出す。そんなこともあった。善意だったかはあやしい。だが、やったのは事実だった。
「人として、人間らしさはあり、消滅には一考の余地がある」
少しだけ期待した。が、その言葉が最後だった。
「よって、次の転生は“電子レンジのターンテーブルの皿”とする」
……は? と思った。だが、それすら無音だった。声も出ない。反論もできない。選択肢はなかった。受け入れるしかなかった。
⸻
気がつくと、工場にいた。
わたしの表面はガラス質で、ピカピカだった。ラインの上を滑るように流れていく。誰かが手袋で汚れをぬぐい、検査装置がレーザーを当てる。
合格。
誰も話さない。機械音だけが鳴っていた。わたしは滑り、持ち上げられ、発泡スチロールでくるまれ、段ボールに入れられた。
わたしは皿になったのだ。
電子レンジのターンテーブルの皿として、世に出る。それが今回の「人生」らしい。
暗闇。運ばれる感覚。ゴトゴト、トラックの音。どこへ向かっているかはわからない。けれど、時間は進んでいた。
静寂が続いた。何日か、何週間か、もっとかもしれない。
ある日、また揺れる。再び移動する気配。置かれ、また運ばれ、また置かれる。
そして——ガガッ、バリバリ。箱の外で音がした。
光が差し込んだ。まぶしい。眩暈のような明るさ。目がなくても、それとわかる。空気の匂いが違った。世界の温度が変わった。
箱が、開いた。
⸻
誰かの手に持たれ、わたしはそっと電子レンジの中に置かれた。
カチャン、と音がした。扉が閉まり、しばらくして、何かが乗せられた。温められる弁当か、コーヒーカップか、あるいは昨夜の残り物か。
わたしは、回り始めた。
⸻
かすかに、前世のことを思い出す。
あれは仕方なかった。やむを得なかった。アイツが悪い。最初に手を出したのは向こうだ。
会社の金は余っていたし、バレないようにやった。サービス残業分の埋め合わせだ。
火をつける気はなかった、マジで。ちょっと脅かすつもりだっただけだ。
言い訳が、自分の中で反響する。
だが、誰にも届かない。
やがて、その言葉たちも、熱とともにすこしずつ消えていく。
わたしは、ただの皿になっていった。
⸻
普通は——なにが“普通”なのかはもうよくわからないが——転生すると前回の記憶はリセットされる。
真っ白になって、ゼロから始まる、らしい。
だが、わたしはちがった。
記憶は、あった。朧げではあるが、意識は確かに残っていた。
夢の中で誰かと話したあとのような、あいまいで、でも消えない輪郭があった。
音は聞こえた。耳はないが、聞こえた。
目はないが、見えた。人間の感覚では説明できないが、電子レンジの中から外の世界を、感じることはできた。
わたしは、そこにいた。
回転すると、熱くなった。
1分目はまだいい。2分目もいける。3分を超えると、少し息苦しい。
5分以上となると、じわっと疲れが来る。けれど、それは「耐えられない」わけではなかった。
わたしはそのように、つくられていた。
⸻
四年が過ぎた。
電子レンジは安物だった。小さなキッチンにしっくり収まる、白くて無骨なやつ。
安物ゆえに、かえって壊れなかった。シンプル。無駄がない。ボタンは少ない。回すだけでいい。エラーも出ない。
⸻
持ち主はヒロコといった。
おそらく30代後半の女性。
昼は会社勤め、夜はだいたいコンビニ飯。たまにパスタを茹でてソースをかける日もある。冷凍ご飯もよく使う。味噌汁はインスタント。
わたしは、ヒロコの生活の下支えだった。
彼女がなにも気にせず“チン”とするたびに、わたしは静かに回った。
ヒロコは、よく独り言を言った。
「帰ってきて、あたし……何してんだろね」
「この味、なんか前のと違うくない?」
「今月、やべーなマジで」
誰に向けたものでもなかった。
でもわたしは、聞いていた。
⸻
ある夜、ヒロコが泣いていた。
声は出さず、時折嗚咽のような音が聞こえた。
座り込み、壁にもたれかかって、肩が少し震えていた。
しばらくして、ヒロコは立ち上がった。
目元をこすりながら、何かをレンジに入れる。
扉を、少し乱暴に閉め、スタートボタンを押した。
わたしは、回った。
回ることに、とくに意味はなかった。
ただそういう構造で、そういう機能だった。
トレー入りの冷凍パスタ。
オレンジ色の光に照らされ、凍りついていたミートソースがゆるみはじめる。
具のミンチから脂がにじみ、つやを帯び、柔らかさを取り戻していく麺の隙間にじわじわと入り込んでいく。
温める。一定時間、回る。音が鳴る。終わる。
チン。
ヒロコは何も言わなかった。
わたしも、何も変わらなかった。
⸻
これが、わたしの“人生”だった。
ターンテーブルの皿としての、ある断面。
たぶん、これでよかったのだと思う。
誰かの生活の一部になって、ただ黙って、ぐるぐると……。