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NORNIR:未来の糸  作者: renten
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Chapter 05 ─First Part

静まり返る夜空を、二つの巨大な影が静かに滑っていく。

夜明け前の薄闇のなか、遥か下方では雲の群れが淡い月光を反射し、銀色の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。


そのころ、〈メイン・ド・フェール〉艦内──


突如として、格納庫に警報が鳴り響いた。鋭く、執拗に、金属壁の隅々まで反響する。


「全員、ステーション3および4へ急行! 接近中の機体あり、方位ゼロ・ワン・ファイブ、ETA10秒! 備品の固定を急げ!」


通信ヘッドセット越しに、乗員の一人が怒鳴る。


次の瞬間、格納庫が爆発的な動きに包まれた。


『警告:格納庫の減圧作業を開始します。ハッチ開放準備。全員、即座に定位置を確保せよ!』


作業員たちは一斉に動き出す。

数名は壁沿いのレールに安全ハーネスを急いで装着し、

他は機材ラックや安全ラインを握りしめながら艦内奥へと駆け込んでいく。


赤い警告灯がエリア全体を染め、不安の影をその表情に落とす。


重々しい機械音と共に、格納庫の巨大なハッチがわずかに開かれ──

急激な減圧により空気が勢いよく排出され、ケーブルや作業服が一斉に風を受けてはためいた。

装備品の軋み、飛散しそうなクレートの揺れ、

轟音が全てを包み込んだ。


外の闇のなかから、二機の〈BOX〉ユニットが静かに姿を現した。

背部のエアリアルモジュールが滑らかに折り畳まれ、翼が装甲フレームにぴたりと収まる。

足元の姿勢制御スラスターが一瞬だけ光を放ち、

ユニットは完璧なバランスを保ったまま、空中に静止した。


〈BOX〉が完全に格納庫へ入ると、ハッチが重々しい音を立てて閉鎖される。

気圧は即座に安定し、先ほどまでの轟音は、機器の電子音と金属の足音に置き換わった。


乗員たちは待ったなしで作業を再開した。

整備器具や診断装置を積んだカートが次々と押し出され、

二機の〈BOX〉へ向けて進路が確保される。


油圧式のリフトや整備用の足場が次々と展開され、

〈BOXステーション〉と呼ばれる各機のドッキングベイに接続されていく。


二機の〈BOX〉はそれぞれ、落ち着いた動きで指定されたステーションへと向かう。

床を震わせる重い足音が、金属板に深く刻まれる。


その巨体は、およそ十八メートル。

威圧感と存在感が、見る者すべての意識を支配した。


背部にはエアリアルモジュールが装着されており、

細かな推進ノズルが並ぶ滑らかな翼面が印象的だ。

脚部の補助スラスターには、直前の飛行を示すかのように残熱が揺れていた。


それぞれの〈BOX〉が所定の位置に到着すると、

ステーションから金属製の固定アームがせり出し、

「カチッ」と重いクリック音とともに〈BOX〉をしっかりと固定する。


足場が〈BOX〉の周囲に展開され──

コクピットと各整備ハッチへのアクセスが開かれる。


整備班が一斉に動き出し、診断を開始。

燃料ラインの接続、モジュールの外装チェック、各種パネルの状態確認が手際よく行われた。


次の瞬間、短い「プシュッ」という音とともに、

一機のコクピットハッチが開放された。


空気圧が調整され、開口部から淡い霧が立ちのぼる。


そこから現れたのは──ジューン。

ヘルメットを外したその顔はやや緊張していたが、

彼女は整備士の手を借りて静かにタラップを降り、

小さく、しかし確かに感謝の意を込めて頷いた。


「案内、ありがとうございました」


ジューンは小さな声で呟きながら、視線を一瞬だけ床に落とした。


整備士はにこやかに笑った。


「なんの、気にすんなよジューン。あんたの飛びっぷり、なかなかだったぜ」


もう一機の〈BOX〉からは、エイプリルが軽快に降りてきた。

長身のその体に金髪が揺れ、整備プラットフォームに軽やかに飛び降りる。


彼女はヘルメットを軽く放り、近くの整備士が難なくそれをキャッチした。


「スラスター三番、またちょっと反応鈍いかも」

エイプリルは何気なくそう言いながら、大きく腕を伸ばしてストレッチをした。

「念のため、チェックしといてくれる?」


整備士は素早く親指を立て、すでに端末にメモを入力していた。


パイロットたちは、整備員の間を通り抜けてブリーフィングエリアへ向かって歩く。


一方その頃──


厚いガラスで仕切られた格納庫の観察ラウンジでは、レナールとメイがパイロットスーツ姿で待機していた。


レナールは手すりに身を預け、下で動く整備班の様子をじっと見つめている。

その横で、メイは落ち着きなくストレッチを繰り返し、身体のあちこちを伸ばしていた。


やがてラウンジの自動扉が音もなく開き、エイプリルとジューンが入室する。

メイは即座に姿勢を正し、にやりと笑った。


「おかえり〜!」


「……ただいま」

ジューンは静かに応じると、すぐさま冷蔵庫のもとへ歩いていく。

冷えたドリンクボトルを二本取り出し、うち一本をエイプリルに軽く放った。


エイプリルはそれを難なくキャッチしつつ、視線をレナールに向ける。


「……ねえ少尉、まだその体勢で固まってんの?」


レナールはちらりと彼女を見て、わずかに微笑んだ。


「ここから整備班の動きを眺めてると、落ち着くんです」


その隣に立ったジューンが、観察窓の外を見下ろしながら呟く。


「──他人を見下ろすのって、気持ちいいもんね……?」


レナールは言葉に詰まり、返答を考える間もなく口を開いたまま黙り込む。


そのままジューンは、目を細めたまま囁いた。


「……もし今、あの格納庫のドアが開いて、みんな空に吸い出されたら……『きゃああっ! 助けてー!』って……面白いと思わない?」


レナールはわずかに顔を強張らせ、明らかに動揺を隠そうと視線を逸らす。

無理やり話題を変えるように、彼はエイプリルへと向き直った。


「エイプリ。メイが言ってたんですが……僕たちの中では、あなたが一番この艦に長く乗ってるんですよね?

その……この艦の建造経緯って、何かご存じですか?」


エイプリルはキャップを開けながら頷いた。


「まぁ、最初っからいたわけじゃないけどね。でも、ある程度は」


レナールの表情が引き締まる。


「公式記録では、〈メイン・ド・フェール〉はアストレア級強襲型モバイル空母──建造はインターコンチネンタル・ディベロップメント・リーグ成立前のフランス。けれど、艦体構造や内部レイアウトに違和感がある。BOXステーションの数が少なく、居住区や格納庫の規模が異常に拡張されている」


「そのとおり」

エイプリルが頷く。


「もともとの武装のほとんどが撤去されてるの。第四・九条の外交運用条項によって、一定条件下で武装艦も外交船として運用できることになったけど……火力制限、航路申請、識別信号の常時発信とか、いろいろ義務があるの」


レナールは納得したように目を細めた。


「なるほど。だから今は“外交船”扱いなんですね」


そのとき、窓際に立つジューンがふっと不気味に笑った。


「外交、ね……ふふ」


メイが身を乗り出し、好奇心に輝く目で話に割り込む。


「でもさー、変じゃない? この艦、乗ってけっこう経つのに、まだ立ち入り禁止のエリアがいっぱいあるんだよ?

あたし、前にちょっと探検してみたの。廊下の奥まで行ったら──ヴェレナに監視カメラで見つかって、即インターホンで怒鳴られた」


エイプリルはドリンクをひと口すすりながら、わずかに目を細めた。


「でもさ、この艦の“ボス”見てれば、そんなの不思議でもなんでもないでしょ?」


会話が途切れる。

下層から響く金属音や整備音が、かすかに空気を満たす。


やがて、エイプリルがふと視線を格納庫へ向けたまま呟いた。


「そういえば──ユン司令も、最初からこの艦の担当じゃなかったよ」


レナールが驚いたように彼女を見る。


「ユン・ミンジ司令は、〈メイン・ド・フェール〉の初代指揮官じゃないんですか?」


「ちがうよ」

エイプリルは肩をすくめる。


「火星植民地の統合戦──IDL時代の話だけど、当時ユンは別の艦で活躍してた。英雄扱いだったんだよ。外交任務への配置転換はその後ってわけ。だから、この艦の記録って実際よりかなりシンプルに書かれてる」


レナールは顎に手を当てる。


「じゃあ、この艦の過去について詳しい人間は……?」


「正規将校や、エンバーみたいな専門系スタッフ? それはないね」

エイプリルが苦笑まじりに答える。

「でも、整備班や技術クルーたちはちがう。是正者(コレクター)が“88”って呼ばれるより前から乗ってる人もいる。もし裏の事情を知ってる人がいるなら、間違いなくあの人たちだよ」


レナールは黙ってその言葉を受け取った。

エイプリルの口ぶりから察するに──そのクルーたちも、簡単に口を開く相手ではなさそうだった。


そのとき、軽い電子音が鳴り、観察ラウンジのインターホンが明瞭な音声を響かせる。


『全員待機。ストライク2およびストライク5、発進準備完了。該当パイロットは至急配置に着いてください』


「よっしゃあ!」

メイが指を鳴らし、瞳をぎらつかせる。

「ついに本番だね!」


レナールが立ち上がりかけたその瞬間、すぐ隣にジューンが並ぶ。

彼女の声は、どこかためらいを帯びていた。


「……少尉。あなた、本格的な任務はこれが初めてなんでしょ?」


レナールは歩調を緩め、ジューンの目を真っすぐに見つめる。

「正式な任務としては、そうですね」


ジューンは眉をひそめ、じっと彼の表情をうかがった。


「……妙に落ち着いてるよね。不安とかないの?」


レナールは短く答える。


「訓練してきましたから」


ジューンは、それでも納得いかないようだった。

彼女の声がさらに落ち着き、わずかに心配の色を滲ませる。


「……動じる様子もなかった。さっきからずっと」


レナールは最初、黙っていた。

だが数秒後、わずかに笑みを浮かべて答える。


「──シミュレーションで学んだんです。パニックになっても、何も良くならないって」


ジューンは言葉を失いかけたが、ぽつりと、心の奥にあるものをそっと口にする。


「……任務の後でも、そのまま落ち着いていられるといいけどね。

ボス、たぶん本気であなたに負荷かけてくる……少なくとも、ルビーが戻るまでは」


レナールは再び彼女を一瞥し──もう振り返らずに、小さく頷いた。

その顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。


──言葉はない。


だが、たしかに「大丈夫」と伝えていた。


そのまま、彼は一歩も立ち止まらず、無言で前へと歩き去っていった。


◇◇◇

◇◇


コクピットハッチが「シューッ」と音を立てて閉まり、レナールは外界から完全に隔絶された。

インパネの照明が一斉に点灯し、淡い冷光が彼の表情を照らす。


彼はゆっくりと息を吐き、指先で慣れた操作盤をなぞる。

兵士として、何千回と繰り返してきた動作だった。


「ストライク5、事前チェック完了。リアクター起動、兵装安全、安定装置オールグリーン」


数秒後、通信から明瞭な音声が返る。


『ストライク5、確認。発進許可──カウント待機』


続けて、もうひとつの声が入る。


「ストライク2、全系統グリーン。さっさと終わらせようぜ」


メイの鋭い声。

いつものせっかちな口調に、かろうじて抑制がかかっているのが分かる。


『ストライク2、確認。発進許可──カウント待機』


BOXステーション下部のデッキが、低く唸り始めた。

隠された油圧機構が一斉に作動する。


固定クランプが重々しく開放され、磁気ロックが「ゴウン」と響きを残して引き抜かれる。

ケーブルと支持フレームが順次格納され、金属が軋む音があちこちで連鎖する。


最後に、気圧変化を知らせる鋭い「プシュー」という音。


『ストライク5、ストライク2──ドロップシーケンス開始。

3、2、1、投下』


レナールの指が、操縦桿をぎゅっと握りしめた。


〈BOX〉の足元が、左右に分かれるようにして開く。


──そして、躊躇のない発射。


双発の油圧ピストンがBOXを下方へと強制射出する。

重力に引かれるまま、〈BOX〉は空へと突っ込んでいった。

装甲を叩くように風が唸り、落下中のBOXを大気が切り裂く。


視界が揺れ、重力が全身を引きずり下ろす。

レナールの腹が浮き、脳裏に黒が広がる。


メイの〈BOX〉も発進。

2機のBOXが、ほぼ同時に空を裂いた。


空中モジュールが展開され、翼が左右に広がる。

〈BOX〉の安定装置が青白く輝き、飛行軌道を自動で補正する。


両機はすぐに水平姿勢へと移行し、前方への推進力へと切り替えられる。


「ストライク5、離脱成功。空中進行中」


レナールの声が戦術回線に響く。

落ち着いた口調。揺らぎはない。


「ストライク2、飛行中。東側ベクトルへ移動。グリッド・デルタをカバーする」


メイの通信も鋭く、すでに音速を超えた加速音が回線にかすかに混ざっている。


〈BOX〉は左右に分かれ、異なる軌道を描いて飛行していく──


静かに、鋭く。

夜明け前の空へと、その影を消していった。


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