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NORNIR:未来の糸  作者: renten
3/22

Chapter 02

オーストリア試験空域──

高度一万五千フィート。

その空は、まるで戦場アリーナのようだった。


蒼穹を裂くように、金属の影が交差する。

渦を描く飛行機雲が、青一色の空に白い軌跡を残していた。


各コックピット内、パイロットたちは骨格フレーム《エクソフレーム》に半ば吊るされるように固定されている。

腕、肩、背中には支持ブレースが巻かれ、肉体は機械と直結していた。


筋肉の微細な収縮、わずかな頭の傾き──

そのすべてが即座に“機械の優雅”へと変換される。


指先がスティックのマイクロ・コントロールを弾き、足元では複数のペダルが細かく作動していた。

手動操作が精密さを引き出し、エクソフレームが意図を拡張する。


この空域では、たった一度の誤作動──

わずかな遅れや、神経信号の乱れすら──

敗北を意味した。


エイプリルの搭乗する青いBOXボックス、ヘスティア・アサルトカスタムが雲間を駆ける。

ブースターが双彗星のように閃光を放ち、BOXを鋭く加速させた。


肩部に接続された流線型の可変翼が、彼女の直感に応じるように変形し、

空中で優雅に撓りながら、獲物を追い詰める。


その動きは、もはや機械ではなかった。

それは猛禽だった──俊敏で、残酷で、美しい。

獲物を影のように追い、空を斬り裂く。


数秒ごとに、BOXの両翼からレーザーパルスが閃光となって走る。

金属には無害だが、訓練用の高精度センサーにより命中判定される仕様だ。


この模擬戦に参加するBOXはすべて、軍用センサーネットでリンクされている。


一撃ごとに、関節がロックされ、四肢の動作が制限され、

時には強制シャットダウン処理が走る。


血は流れない。

だが──甘くはなかった。


エイプリルは通信を開き、声に笑みを滲ませた。


『……まだ安全運転? キャプテン』


『仕方ないでしょ。こっちのBOX、初めてなんだから。昔のとは全然違うわよ。』


コーネリアの声は冷静だった。

笑っていなかったが、恐れもない。


彼女のコックピットは、淡い青光に包まれていた。


そのシートは伝統的な操縦席というより、むしろリクライニングチェアに近い。

背中はスリムなエクソリグに支えられており、

エイプリル機のような補助ケーブルや強化ロッドは見当たらない。


細く成形されたプレートが、首元から脊椎、両手までを柔らかくなぞるだけだった。


身体の微細な動きは、完璧に反映された。


彼女のBOX──灰色のプロトタイプ“ハミングバード”は、空を切り裂くように飛翔する。


そのシルエットは流麗で、BOX下部に装着された長砲身のレーザー砲が、狩猟機のような印象を与えていた。


その設計は未知のものだった。

曲線を多用した外装と、異形にすら思えるプロポーション。

エイプリルの工業的なヘスティアとは対照的だった。


外付けの武装もない。

外部スラスターも見えない。

ただ静かに、そして致命的に──空を舞っていた。


「戦闘モードへ移行」


【飛行形態】→【戦闘配置】


コーネリアの声が冷徹にシステムを駆動させる。


その瞬間、ハミングバードの主翼が滑らかに折りたたまれる。

関節部が連動し、BOX構造が瞬時に再構築されていく。


格納された四肢が出現し、

人型の腕と脚が違和感なく現れる。


BOX下部の長砲身は分割され、

二挺のアサルトライフルに変形。


元は固定兵装だったはずのそれが、今は両手に収まっていた。


二挺の銃口には、長距離レーザー照準システム《Long-Range Laser System》が立ち上がり、

発光部が淡く赤く光る。


エイプリルが一瞬だけ、瞠目する。


『……マジで? あんた、可変モードまで持ち出す気?』


だが、コーネリアのBOXは何も応えなかった。


静かに、空中に直立し、

エイプリルのBOXが通過するのを待つ。


──そして。


ハミングバードのロックオンシステムが起動。

エイプリルのヘッドアップディスプレイに、警告音が一斉に鳴り響く。


翼、胴体、コア──

全てが疑似ミサイル照準に塗り潰されていく。


エイプリルは、反応を待たなかった。


ヘスティアのブースターが再点火し、BOXは強烈なバレルロールへと突入した。


スクリューを描くように急旋回しながら上昇、反転、そして再び急降下──

仮想ミサイルのロックを振り切るため、極限までBOXを捻じ曲げた。


それは野性味あふれる逃走機動だった。

即興でありながら、容赦ないほど効果的。


BOXを再び引き上げつつ、重力加速度に呼吸を奪われながら、

エイプリルはかすれた息のまま通信を開く。


だが、返ってきた声はあくまで静かだった。


『それズルいでしょ!? 推進性能をちゃんとテストすべきじゃないの!?』

エイプリルが不満げに返す。


「 ……ふぅー、カッコイイ! 空中で静止できるなんて、まるで宇宙戦みたい 」

コーネリアの声は冷静で、わずかに感嘆の色がにじんでいた。


コーネリアはくすりと笑った。

その反応に、どこか楽しんでいる気配すらあった。


『落ち着いて。まだフィールドテストなんだから。

見て、このエネルギー消費……ほとんどアイドリングよ。』


渦を巻く飛行機雲の上空、

ハミングバードは重力すら忘れたかのように静止していた。


BOX姿勢は一切乱れず、完全な静止飛行。


エイプリルのセンサーに、新たな警告表示が灯る。


『ウッソー!? たった一度の回避で、こっちのエネルギー四分の一も消えた……』


その遥か下、戦場を駆け抜ける赤い影があった。


メイのヘスティア・フレンジーが、岩場をなぎ倒す勢いで突進していた。

スラスターが断続的に閃光を上げ、動作は制御を超えて暴走気味。


コクピット内部は赤い警告で染まり、敵の攻撃ではなく、自身の操作限界によるものだった。


そして──彼女は叫ぶ。興奮に震える声で。


『スナイパー坊や、隠れてるつもり!?』


その手には巨大なコンクリート・ヒートソード。

縁部が赤熱し、まるで熔断器のような殺意を放っている。


両肩の短距離ミサイルポッドは不安定に動き続け、

センサーが微かな反応を捉えるたびに、弾を撒き散らすように撃ち出した。


その視界の向こう、岩山の稜線に──一瞬の歪み。


アルテミス・プロトタイプBOX。


屈折光に包まれ、岩陰と雲影の狭間を縫うように滑走する狙撃機。

肉眼でもレーダーでも追跡困難。


ときおり、小さな閃光と共に姿が滲む。

それはDASHシステム《Dynamic Accelerated Spatial Hyperjump》による高速瞬間移動。


ほんの数メートル単位で、地形の陰から陰へ、跳ねるように移動する。


そのたび、空間が僅かに揺らぎ、熱気のような歪みが残るが、

感知した時には、すでに次の位置へと姿を消している。


狙撃手のコクピット。


息は荒く、短い。

引き金にかけた指が微かに震え、全神経が空中のターゲットへと集中していた。


「……頼む……一発だけでいい……!」


だがその瞬間──


メイが狂ったように突進する。


ヒートソードの斬撃は空を切るが、その刃先は紙一重で脅威を与えるには十分だった。


アルテミスの狙撃手が反応する。


反射的に身を引き、溜めていたチャージが崩れる。


スナイパーライフルは未発射のままキャンセルされ、

DASHシステムが自動起動──BOXは閃光と共に横跳びする。


メイの高笑いが、通信に響き渡る。


『ダイナミック・アクセル・スペーシャル・ハイパージャンプ、ね。悪くないじゃん!』


彼女のBOXが突進する。

爆風と粉塵を背後に撒きながら。


『でもさ──地上での動きって、読みやすいのよ。』


DASHは本来、宇宙戦を想定した機能だ。

「上下」の概念が消える三次元戦闘空間でこそ、真価を発揮する。


だが地上では、移動は線的、軌道は予測可能。

跳ぶたびに動きは単調となり、緊急回避に頼るほど読まれやすくなる。


加えて、アルテミスの光学迷彩は「停止中」にしか効果を維持できなかった。


狙撃体勢を取るたびに、膨大なエネルギーを喰い、

チャージ中は光の屈折が乱れ──隠密性が下がる。


メイの攻撃は、精密さを求めていない。

速度、圧力、混乱──それだけで、スナイパーのリズムを破壊しに来ていた。


そして──


戦場の遥か外縁。

別のBOXが、ゆっくりと砲塔を旋回させていた。


ランチャーハッチが開き、次々と射出口が露出していく──

だが、実弾は発射されない。


代わりに、仮想ロングレンジミサイルが静かに空を描いた。

演算された軌道データとロックマーカーだけが、戦場全体にバラ撒かれていく。


それはあくまで訓練用。

だが、その警告アラートは──あまりにも現実的だった。


メイのセンサーが、仮想弾頭のロックを検知したのは──

すでに、少し遅かった。


低く唸り声を上げながら、メイはスラスターを急停止させた。


その瞬間、ヘスティア・フレンジーは横滑りで飛び、

彼女の頭上に仮想の爆発が咲き乱れた。


ホログラフ化された破片が空に散り、空域は一時的に炎の嵐と化す。


反射で、彼女の指がカウンターメジャーを叩いた。


両肩からフレアが一斉に噴き出す。

白熱の火花が空に散り、追跡していたロックオン信号を欺く。


『チッ……もっと本気出せっての!』


叫ぶ声は通信チャンネルに響き渡り、

その顔には狂気めいた笑みが浮かんでいた。


模擬砲撃の最中でも、メイは止まらない。


彼女のフレンジー・カスタムは、跳ね、転がり、駆け抜ける。

熱剣は無軌道に振り回され、

煙の中に向かって短距離ミサイルが手当たり次第に発射されていく。


『ご、ごめんメイ! また敵のデコイを撃っちゃった……本機がまた攻撃してきた!』

混乱した声が通信に割り込んだ。


『だったらさっさと撃破してよ、ウザいったらない!』

メイが鋭く返す。


『ご、ごめんなさいっ……!』


『うるさいジューン! 謝る暇あったらやれ!』


『ひいっ、ごめんなさ──っ!』


崖の中腹、急斜面に張り付くように構える漆黒のBOX。

それが、ジューンのヘスティア・スナイパーカスタムだった。


BOX右腕には、重火力レールガンが抱えられていた。

肩部の強化リグに接続され、さらに背部のカスタム支柱と連結されている。

これにより、模擬戦であっても発射時の反動を安定して受け止められる構造となっていた。


左腕には、緊急用のショートバレル・ショットガンが前腕にマグネット固定されている。

接近戦を想定した最後の砦。


そしてもう一方の自由な手が、崖壁に食い込んでいた。

チタン製の指が岩を抉り、BOXをその場に固定している。


足部の油圧式爪が地面を噛み、重力に逆らうように全体を支える。


遠目には、彼女のBOXはもはや人型兵器というより──

機械仕掛けの蜘蛛のように見えた。


BOX内部は、痛いほど静かだった。


聞こえるのは、レールガンのチャージ音。

そして、自身の心拍モニターが刻む、一定のリズム。


遥か下の谷底──

別の怪物が、咆哮していた。


それは、ブリッツクリーク。


砲塔というより、もはや要塞。


肩部と背部に並ぶ重ミサイルポッド。

下半身は厚みある装甲スカートに覆われ、

地面には巨大な安定スパイクが突き刺さっていた。


それはまるで、地に植えられた砲台だった。


数秒ごとに、ブリッツクリークのハッチが機械音を響かせて開き、

仮想ロングレンジミサイル《LRM》が静かに射出される。


弾体は存在しない。

だが、戦場を横断するロックマーカーだけは実在感を伴っていた。


生きた爆薬は不要だった。

──警告アラートさえ、本物のように重い。


ジューンの照準レティクルが、HUD上で揺れる。

クリアな射線が得られたかと思えば、すぐに視界が歪んだ。


煙幕が広がり、蜃気楼のような囮信号がいくつも展開されていく。


【SIGNAL DISTORTION/AUTOLOCK ERROR】


HUDが赤く染まる。


ジューンは唇を噛みしめた。

指がかすかに震えている。


「くっ……!」



一度深呼吸。

そして、指がコンソールを滑る──


慣れた動きで、オートエイムアシストを切る。


照準モードは、フルマニュアルへと移行。


──瞬間、HUDは静かになった。


予測線なし。

ロック音なし。


──あるのは、視覚のみ。

そして、自分の判断だけ。


ジューンは息を整えながら、レールガンの照準をゆっくりと煙の向こうに滑らせた。


見る。

待つ。


引き金は、まだ──


──いた。


僅かな遅れ。

他の残像とはわずかに異なる、

偽装の波紋の中に混ざった“本物”の影。


ジューンの目が鋭く細められる。


「……見つけた」


レールガンのチャージが限界まで高まり、コイルが低く唸る。


発射。


衝撃でBOXがわずかに後退し、空薬莢が排出される。

同時に、不可視の信号弾が山峡を一直線に貫いた。


煙幕と陽炎を突き抜け、

それはブリッツクリークの側面装甲へと命中する。


衝突点から火花が飛び散り、衝撃波が粉塵を巻き上げた──


だが。


重装フレームは、ダメージを受けたようには見えなかった。


シミュレーションが示したのは「表面損傷」。

あの巨体を止めるには、あまりにも足りない。


ブリッツクリークは、軽く揺れるだけでその攻撃を流し、

安定スパイクを地面から引き抜いてモビルモードへと移行する。


その巨体は信じられない速度で動き出した。


脚部に内蔵されたスラスターが一斉に噴射され、

地面を抉るような逆圧を生みながら、重装フレームを一気に加速させる。


粉塵が晴れる前には、すでに次の発射姿勢を取り終えていた。


ジューンのHUDには、淡々としたシステム報告が表示される。


【SIGNAL HIT: CONFIRMED】

【ARMOR BREACHED: 7%】


『火力が足りないぞ、お嬢ちゃん。』


ブリッツクリークの隊長が、余裕たっぷりの声で通信に割り込んだ。


ジューンは悔しさに喉を詰まらせながら、唇をかみしめる。


標的を“目視”で捉えた。

命中もさせた。

精度も完璧だった。


──けれど、それだけでは“巨人”は倒せない。


そのとき。


戦場の上空、煙と熱気に覆われた空域に──

新たな信号が割り込んだ。


全パイロットのHUDに、高速接近ベクトルが表示される。


【民間機登録】

【非戦闘フライト】

【高度──急降下中】


『……チッ、そのシグネチャ。あいつが戻ってきた。』

エイプリルの声が通信に乗った。


続けて、コーネリアの冷静な声。


『──間違いないわね。』


そして、突如通信に割り込む激しい声。


『アアアアア! 待っててボス! このゴキブリの首、土産に持ってくから!』


メイだった。


ジューンが怯えたように叫ぶ。


『や、やめてメイ……ボス、怒ったら無視してくるんだから……』


突然、全通信が強制リンクされる。


システムオーバーライド。

BOXスピーカーに鋭い声が響く。


『──何をやっているの、あなたたち!?』


ヴェレナだった。


『あら、ヴェレナ。プロトタイプのテスト中よ。』

エイプリルが軽い調子で返す。


──


軍用とは思えぬ艶やかな機内。


中央ラウンジで、レナール・カサマツはヴェレナ・デュヴァンと向かい合って座っていた。


一方、ジャン・ヴェルヴォーはコクピット寄りの独立座席に、無造作に身を預けている。


このジェット機の内装は、明らかに軍事用途にしては過剰なまでに豪奢だった。

輸送機というより、空飛ぶ応接室といった趣だった。


レナールはふと視線をずらし、ジャンを窺った。


ジャンは、近くのサブモニターに映る戦闘データを眺めていた。

スコア、加速度ログ、兵装発射記録──

各種戦術データが無音でスクロールしていく。


レナールは眉をひそめ、身を乗り出してモニターを覗き込む。


ヴェレナが指先を動かし、ホログラフィックパネルを展開する。


そこには、各パイロットのコクピット映像が投影された。


「やめなさい。すぐにメン・ド・フェールへ帰投して。」


『ボス! ボス! 聞こえてる!? せめてこの模擬戦だけは──』


『メイ……従わないなら、実弾でコックピットを撃ち抜くから』


ジューンは震える声で、まるで呟くようにメイに警告した。


コーネリアがため息をついた。

声は、彼女だけが持つ軍人としての重みを帯びていた。


『全員、終了。模擬戦を中止。隊列に戻って。』


四機のBOXを操縦しているのは、すべて女性パイロットだった。


──チームは、明らかに無秩序だった。

──ユニット構成も、混沌としていた。


だが──


ジャンは、彼女たちを直接監視しているわけではなかった。

命令も、指示も、一切出していない。


ただ静かに、戦闘データを追うだけ。

ときおり、チョコレートをひとつ放り込みながら──

まるで、天気予報でも読んでいるかのように。


──それでも。


パイロットたちは、疑うことなく、従っていた。


一瞬の躊躇すらなく。

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