表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NORNIR:未来の糸  作者: renten
2/22

Chapter 01

快晴の空を裂き、漆黒のプライベートジェットが軍事アカデミーの滑走路へ静かに降り立った。

最新鋭の機体は、無音に近い接地音を残して滑走路を滑る。


迷彩塗装を施された練習機が整然と並ぶ中、

その十人乗りの豪奢な機体は、ただ黒一色の威圧感で周囲を圧倒していた。


両脇に整列した訓練生たちの列から、小さな感嘆の声が漏れる。

遠巻きに控える将校たちは、司令官の暗黙の指示を守りながらも、興味深そうにその様子を見守っていた。


ゆっくりとキャビンドアが開き、

最初に降り立ったのは、ひとりの女性だった。


彼女――ヴェレナ・デュヴァインは、背筋を伸ばし、

銀縁の細身のメガネ越しに冷静な視線を落としながら、

一見軍服に見えるが、実際にはカスタムメイドの引き締まった制服に身を包んでいた。


近くで見れば、上質な生地と、軍規格にない細かな装飾が目に入る。


だが何より目を引いたのは、彼女の胸元に輝く黒いOSI記章だった。


その直後、一人の男がだらしなく姿を現す。


ジャン・ヴェルヴォー。

無造作に流された黒髪、伸びかけた無精髭。

黒いトレンチコートを羽織ったスーツ姿には、

OSI記章以外、一切の階級章も勲章もない。


彼が一歩踏み出すと、整列した将校たちに波のような動きが走った。

完璧に同期した動作で、一斉に敬礼の手が挙がる――

閲兵式さながらの精密さで、二人に向けられた。


一つ(ワン)の国家(・ネイション)!」


ヴェレナは完璧な動作で返礼した。


人類(グローリー)(・オブ)栄光(・マンカインド)


ジャンはかすかに頷くだけだった。


その士官の一人がヴェレナに歩み寄り、握手を求めた。


「ノイエ・テレジアニッシェ軍事アカデミーへようこそ、ミス・デュヴァイン」


ヴェレナは丁寧に応じた後、士官はやや緊張した面持ちでジャンに手を差し出した。


是正者コレクター、お迎えできて光栄で――」


ジャンは短く手を握ると、視線をそらしながら、近くに停められた車を指さした。


「あれ、車か?」


「は、はい、是正者コレクター。ご指定通りに準備しております!」


「ならいい。中で待ってる」


ぶっきらぼうにそう言い残し、ジャンはヴェレナを無視するように車へと歩き出した。


士官は慌てて姿勢を正し、ヴェレナに向き直った。


「ミス・デュヴァイン、追加のご指示はございますか?」


「送信済みの内容で全てです。それと──」


ヴェレナは思い出したように付け加えた。


是正者コレクター88は、卒業式を個室で観覧したいとおっしゃっています。可能でしょうか?」


士官は即答する。


「もちろんでございます。メザニンフロアに特別観覧室をご用意しております」


「ありがとうございます」


ヴェレナは微かに頷くと、ジャンの後を追って車へと乗り込んだ。


車内では、ジャンがすでにチョコレートバーを齧りながら、

タブレットに映るデータへ無造作に視線を走らせていた。


座席の上には、蓋を開けたままの小さな箱が置かれていた。

中には、いくつものチョコレートバーが無造作に詰め込まれている。

ブランドも種類も統一感はなく──

誰もジャンの好みを正確には把握していないことが、無言のうちに伝わってくる。


ジャンはその中から適当に一本を引き抜き、

味見すらせず、惰性でかじりながらタブレットに視線を落とした。


タブレットには、士官学校を首席で卒業した若い男性の記録が映し出されている。

模擬戦闘における無敗記録、戦術演習での最高評価、身体技能テストにおけるトップスコア──

冷徹に整理された数字と簡潔なコメントが、無機質にスクロールしていく。


ジャンは特に興味を示すでもなく、

ただページをめくる指を動かし続ける。

まるで、最初から結論など決まっていると言わんばかりに。


ヴェレナは何も言わず、その隣に静かに腰を下ろした。


◇◆◇


大きなガラス窓の前に、ひとり立つ男がいた。


ジャン・ヴェルヴォー。

左腕には、満杯のチョコレートピーナッツのボウル。

右手で、無造作に一粒ずつ摘みながら、じっと外を見つめている。


窓の向こうでは、士官学校の卒業式典が最高潮を迎えていた。


室内、ソファに座るヴェレナ・デュヴァンが紅茶を啜りながら、ちらりと彼を見た。


テーブルにはティーセットとケーキ皿。

ヴェレナの皿には、まだ半分残ったストロベリーショートケーキ。

対して、ジャンの皿は既に空。

ケーキの影も形もなかった。


「もう二時間も立ちっぱなしよ。そろそろ座ったら?」


ヴェレナが静かに促すが、ジャンは反応しない。

ただ、またひとつ、チョコを口に運ぶだけだった。


ヴェレナは肩をすくめ、残ったケーキにフォークを差し向ける。


式典では、中将クラスの司会官が最後の言葉を述べる声が響く。


「これをもって、解散とする。――ワン・ネイション!」


即座に、整列した卒業生たちが声を合わせる。


「ザ・グローリー・オブ・マンカインド!」


一瞬の後、他の者より少し前に立っていた首席卒業生が進み出て、宣言した。


「ひとつの意志に従え」


集会の全員が続き、最後の一節を高らかに響かせた。


「未来は我らのものだ」


儀式の声が消え、学生たちはまるで溶けるように広場から散っていった。


ヴェレナは皿とフォークを持ったまま、ジャンの隣に立つ。

一緒に、無言で窓の向こうを眺めた。


「……私たちの頃とは違うわね。もう帽子も投げないし、家族も式典に呼ばない。」


ジャンはヴェレナを見た。

正確には、彼女の皿に残ったケーキを見た。


「……ああ。このケーキ、美味いな。後で仕入れ先を聞いとけ。」


短い沈黙。


ヴェレナは、無言のままジャンを一瞥する。


ヴェレナはため息交じりに、皿をジャンに押し付けた。

代わりに、彼の手からチョコボウルを受け取る。


ジャンはさっそくフォークを持ち直し、残りのケーキを静かに平らげた。


その時、室内のインターホンが鳴った。


『ミス・デュヴァン、準備が整いました。』


「五分後にこちらへ通して。」


『了解しました。』


ヴェレナは空いた手でティーカップを掴み、ジャンに渡した。


「急いで飲んで。もうすぐよ。」


ジャンは外を見たまま、カップを受け取る。


目線はずっと、窓の外――

整然と並べられた椅子の列が、無人の広場に取り残されているのを見つめていた。


◇◆◇


足音が、廊下に鋭く反響する。


列の先頭を歩くのは、中将ホフバウアー。

安定した自信に満ちた足取りだった。


その右隣には、腕を軽く垂らしたまま、少将オーバーン。


二歩下がった位置には、ぴたりと間隔を保って、二等中尉レナール・カサマツ。

表情は冷静そのもの、ほとんど無感情にすら見えた。


数名の護衛兵が、象徴的な距離を置いて彼らを取り囲む。

その存在は、あくまで儀礼的なものだった。


「緊張していないのか、カサマツ中尉?」

ホフバウアーが振り向かずに尋ねた。


レナールは淡々と答える。

「するべきでしょうか?」


オーバーンが小さく笑った。

「肝が据わってるな、認めよう。」


ホフバウアーは一瞥を送る。

その目は鋭く、だが感情は読めなかった。


「用心しろ。奴らは何もかも曖昧なままだ。目的も、手段も……」

声を落とす。

「……忠誠すらもな。」


オーバーンが軽く咳払いをした。

「ホフバウアー将軍、今は不用意な発言は控えるべきです。」


彼はレナールにも視線を向ける。

「君もだ、カサマツ中尉。忘れるな──彼らは最高評議会直属だ。

最高指導者の意志を実行する存在だ。」


レナールは、拳を胸にあてる古式の敬礼をきびきびと行った。


「ひとつの意志のため──未来のために。」


ホフバウアーは小さく息を吐き、それ以上は何も言わなかった。


彼らはやがて、厳重に警護された扉の前に辿り着く。

両脇には、武装兵が二名立っていた。


衛兵たちは敬礼を交わす。

ホフバウアーが短く応じると、扉が静かに開かれた。


三人は中へと歩を進める。


空気が変わった。

冷たく、重く。


部屋の中央に立つのは、鋭い印象を持つ女。

隙のない姿勢に、正確に整えられた眼鏡。

黒い制服は、まるで刃のように精緻だった。


レナールの視線は、彼女を一瞥したのち、さらに奥へと流れる。


窓際、無造作に凭れかかる男の姿があった。

暗いコートを羽織り、小さなボウルから無造作に何かを口に運んでいる。

こちらには一切視線を向けず、ただ窓の外──士官学校の敷地を見下ろしていた。


「中将ホフバウアー、少将オーバーン、二等中尉カサマツ。」


女は簡潔に名乗った。


「私はヴェレナ・デュヴァイン。戦略統合局《Office of Strategic Integration》リエゾン担当官です。」


ヴェレナは一人ひとりにうなずきを送る。


レナールの視線が彼女の襟元に走る──

そこには、黒く輝くOSI徽章があった。


「お座りください。」


ヴェレナが静かに促す。


三人は無言で着席した。

ホフバウアーすらも、従った。


ヴェレナはスリムな電子パッドを手に取り、流れるように告げた。


「『緊急戦略資源法第十一条』に基づき、戦略統合局は国家安定に関わる事案において、通常の人事手続きを超越する権限を有します。」


ホフバウアーの口元が、苦笑とも歪んだ笑みともつかない形に動く。


ヴェレナはわずかに前傾し、声を引き締めた。


「是正者《Corrector》88の直接要請により──

二等中尉レナール・カサマツは、『是正任務88号』として仮配属されます。」


ホフバウアーの顎がわずかに動いた。


背筋を伸ばし、慎重に言葉を選びながら話す。


「失礼ながら、デュヴァイン氏──


カサマツ中尉は、単なる卒業生ではありません。

彼はアカデミー首席──卓越した戦術家──全校無敗の演習王です。」


オーバーンがわずかに袖を払った。

その仕草は、控えめな警告だった。


だがホフバウアーは、誇りを滲ませた声でなおも続けた。


「彼のような人材を育て上げるのに、我々はいかに年月を費やしたか。

カサマツ中尉は、単なる才能ではない──

アカデミーがいまだ国家の未来を築く力を有しているという『証』なのです。」


ヴェレナは沈黙したままだった。

その表情は、何も映さない。


ホフバウアーの声はさらに固くなった。


「彼を実戦に晒す前に、机上の配属だけで終わらせるとは……

ましてや、彼の成績は『覚醒部隊《Ascendant Program》』の候補生すら上回っているのです。」


オーバーンが再び咳払いをして、滑らかに割って入った。


「ホフバウアー将軍は、ただ懸念を表明しているだけです。

──どれほど優れた士官でも、実戦経験なくして真の指導者にはなれません。」


部屋に沈黙が満ちた。


窓際の男が、動いた。


ジャンの声は怠惰だったが──

一言一言が、石を打つような重みを持って響いた。


「……“傷”を持てば、人は価値を得るとでも?」


ジャン・ヴェルヴォー。

その白い瞳は、読み取れない感情を湛えていた。


「……それとも、ただ手塩にかけた人形がパレードから引き抜かれるのが気に食わないだけか。」


ホフバウアーは、声を上げることもできなかった。


ただ、硬直した。


──


ジャンは窓の前に立ったまま、またチョコレートを口に放り込んだ。


振り向きもせず、だらりとした声で言った。


「教えてくれ、将軍。」


一拍。


「お前は、自ら進んで“エージェント”になりたいか?」


その言葉は、空気に沈み込んだ。


ホフバウアーは直立し、即座に答える。


「国家の意志に従い、いかなる任務にも服します。」


ジャンの返答は、即座だった。

平坦で、容赦がなかった。


「違うな。」


空気が、わずかに緊張した。


ジャンは、裁きの槌のように一語一語を打った。


「聞いてるのは……『お前個人』だ。

お前自身の意志で、OSIエージェントになりたいかと。」


石を落としたかのような静寂。


ホフバウアーは、ほんの刹那だけ、凍りついた。


──彼は理解していた。


それが転属ではないことを。

栄転でもない。


──消去イレイジャー


戦略統合局《OSI》に仕えるとは、

階級も、名誉も、記憶すらも捨てることを意味した。


ようやく絞り出すように答えたホフバウアーの声は、かすかに震えていた。


「……いいえ、是正者《Corrector》。

私はここで、次代を育てる方が役に立てると信じています。」


「いいだろう。」


ジャンはそれだけ告げた。


その声は、冷たく、終わりを告げる鐘のようだった。


──


レナールは、静かにジャンを見つめた。


そこにあったのは、想像していた官僚の冷たさではない。

もっと違う、もっと危うい何かだった。


ジャンは、再び無言で窓の外へ視線を戻した。


会話は、そこで打ち切られた。


ヴェレナが、なめらかに場を引き取った。


「カサマツ二等中尉。」


その声は、ジャンとは異なり、公式そのものだった。


「起立してください。」


レナールは即座に立ち上がった。


ヴェレナが小さな黒いケースを差し出す。


その中には──

黒いOSI徽章が静かに収まっていた。


「カサマツ二等中尉──

今後、統一宇宙地上軍《Unified Space Ground Army》人事局上では在籍記録を保持しますが、

作戦上の指揮権は直ちに戦略統合局へ移管され、

是正者88号《Correction Number 88》の下に置かれます。」


レナールは、ケースを受け取った。


そして、規範通りに敬礼を行う。


ヴェレナは一歩前に出て、はっきりと声を響かせた。


「一つワンの国家・ネイション」


将軍たちも席を立ち、レナールと共に、声を揃えた。


「人類グローリーの・オブ栄光・マンカインド!」


ヴェレナが続ける。


「ひとつの意志に従え。」


即座に答えが返る。


「未来は我らのものだ。」


レナールの視線はふと、窓際へ流れた。


──そこで彼は見た。


ジャンが、誰にも聞こえぬ声で、

同じ言葉を──

口だけで、静かに紡いでいるのを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ