43.緑手の力
振り落とされないようしっかりしなくては。
そう思っていたエディスだが、それどころではなかった。
(待て待て待てぇーーーーーっ! こんなん、想像してないわよ! できないわよ! 振り落とされるどころか、吹き飛ばされるわよぉぉぉ!)
景色など全く見えない。ヒューに抱えられていなければ、あっという間に遥か彼方に飛ばされているだろう。
ランディが本気で駆けるスピードが、まさかこれほどのものとは思わなかった。
しかも、それはランディだけではない。ウォルフはぴったり隣についているし、おそらくドロシーも同じような速度で空を飛んでいるのだろう。そして、エディスの腕に巻き付いているイライジャは、平然としている。ヒューの様子も見たいが、とても無理だ。
(かろうじて呼吸できるのは、ヒューが魔法で保護してくれているからよね……。まぁ、声は出せないけど)
前世のジェットコースターを思い出す。あれは、きゃあきゃあと叫べたけれど、これはそんなものではない。息もできないほどのスピードに、声など出せるわけがなかった。
『皆~、そろそろ地図の場所よぉ~』
気の抜けた声が上から聞こえる。
ドロシーにとっても、やはりこのスピードはなんてことはないらしい。
『ラータの姿は?』
『もう少し高度を落とさなきゃ~。あれ?』
『どうした?』
『なんか~、でーーーっかい蜘蛛がいるわ~』
『え? それ、大変じゃない? ラータがもしそこにいたら……』
『ドロシー、先行しろ!』
『はぁ~い』
のんびりした口調ではあるが、ドロシーはショートカットでその場所へ向かう。こういう時、空を飛べるのは便利だ。
『ランディ、先に行くぞ』
『わかった! オレサマはヒューとエディスを安全に運ばなきゃいけないからな!』
『待って、ウォルフ! アタシも行くわ!』
イライジャはエディスの腕から離れ、ウォルフに飛び移った。どこに掴まるのかと思いきや、彼女は器用にウォルフの毛に埋もれる。
『飛ばされるなよ、イライジャ!』
『いざとなれば、尻尾に巻き付いてやるわっ』
そして、ウォルフは瞬く間に視界から消えた。
(なんてこと……。今までのは、まだ本気のスピードじゃなかったのね……!)
エディスが驚愕していると、頭上からヒューの声が聞こえた。
「皆に任せておけば大丈夫だ」
力強くも優しい声に、心から安堵する。
エディスが不安にならないよう、声をかけてくれたのだろう。
声を出せないので、ヒューにわかるように大きく頷く。すると、フッと笑った気配を感じた。
(なんだろう……。なんか、すっごく恥ずかしいというか、くすぐったいというか……うぐぅぅぅ!)
そんな場合ではないのに、勝手に心臓がドキドキと高鳴ってしまう。
すぐ側にイライジャがいなくてよかったと、エディスは心底思った。
(あのままイライジャが腕にいたら、絶対揶揄ってきたわよね。腕にいてもドキドキは伝わっちゃうだろうし、顔は赤いだろうし!)
エディスはぎゅっと目を瞑る。心を落ち着かせ、そして祈った。
(今はとにかく! どうか、どうかラータが無事でありますように……!)
*
そうこうしているうちに、皆と合流した。だが、目前の光景に愕然とする。
(ラータ! 皆!)
ラータはいた。他の皆に囲まれている。そして、そこには見慣れぬ獣も一匹混じっている。
先頭にいるのはウォルフ。目の前の敵を威嚇していた。
「ランディ、静かにしていろ」
『……わかった』
「ヒュー、あれは……」
「キングスパイダーだ。この辺りを縄張りにしているんだろう」
となると、縄張りを荒らしたのはこちらということになる。だが、おとなしくやられるわけにはいかない。
キングスパイダーは、その名のとおり大きくて強い。強力な顎で、固い岩なども粉々に砕いてしまう。また、雑食で、人も獣も食べる。危険度ランクはAに区分されており、統制の取れたBランク冒険者パーティーがなんとか倒せるレベルの魔物だ。
「少々厄介だが、何とかする。エディスはランディとここにいろ。ランディ、エディスを守れ」
『任せろ!』
「ヒュー、気をつけて」
「ああ」
ヒューが、気配を消してキングスパイダーに近づいていく。少しずつ少しずつ距離を詰めるごとに、エディスの心臓が縮み上がる。
ギリギリまで近づいたところで、ヒューが攻撃魔法を繰り出した。それは見事にヒットする。
『グギャアアアアッ!』
キングスパイダーの体が倒れる。が、まだ息がある。
「チッ、生きてるのか!」
再び同じ魔法をぶつけようとするが、キングスパイダーがヨロヨロと起き上がり、こちらに照準を合わせた。
『ヒュー!』
ヒューを庇おうと、ウォルフが咄嗟に彼の前に出た。
キングスパイダーの口から、毒々しい色をした糸が飛び出してくる。このままだと、ウォルフにその糸が当たってしまう。
(ウォルフ! ヒュー!)
あれには毒がある。それが本能的にわかった。
エディスはたまらず、大声で叫ぶ。
「避けてーーーーっ!」