39.当主交代
「ナイジェル殿下は、マドック帝国の第三皇子だ。お前がどうこうできる相手じゃない」
「うるさいうるさいうるさーーーいっ!」
「お待たせしました。どうぞ連れて行ってください」
エリオットの言葉に騎士が頷き、リビーを無理やり立たせる。
「嫌よ! 私は知らない! なんにも知らないの! どこへも行かない、ここにいる! お母様、お父様、助けて!!」
「リビー! あなた、リビーを助けて!」
「よせ! リビーは貴族令嬢なんだぞ! この子は何も知らないと言っている! 放せ!」
リビーを連行しようとする騎士の邪魔をする両親に、エリオットは冷たい声で制した。
「父上! 母上! あなた方がそんな風にリビーを甘やかすから、彼女はどうしようもない娘に育ったのですよ」
「なにをっ!」
「ひどいわ! なんてひどいことを言うの!」
エリオットに殴りかかろうとするその腕を躱し、逆に捻り上げる。
痛い痛いと喚く父親に、彼はもっとも痛手であろう言葉を突き付けた。
「父上、あなたはもう当主を引退なさってください。子爵領に住まいを用意しています。義母上とともに、これから残された人生を少しでも有意義に過ごしていただければ」
その途端、クルーズ子爵は激高する。
「何を言っているんだ、エリオット! 当主の座は渡さん! お前など、この家から追い出してくれるわ! 廃嫡、廃嫡してやる!」
「あなたに当主は務まらない。私が成人してから、領地経営は全て丸投げですよね? あなたは王都で贅沢三昧。何も生み出さない金食い虫です。それは、あなたも同じですよ、義母上」
「私はっ! 社交界で人脈をっ……」
「あなた方お二人の人脈など、家にとって害にしかなりません」
「エリオット!」
エリオットがこれ以上ないほど冷たい、氷雪のような視線で二人を見つめた。
それに気圧されたように、彼らは黙り込んでしまう。
「クルーズ子爵家から私が出て行って、この家を潰してもよかったのですが……。ここは、私だけの家ではありません。エディスの家でもあります。彼女が帰ってこられる場所をなくすのは惜しかった」
「なにを……」
「だから、あなた方に出て行ってもらうことにしたのです」
「当主の座は渡さんと言っているだろう!」
そこで、エリオットは懐から文書を取り出す。
それは、当主を移譲するというものだった。そこには、きっちりとクルーズ子爵のサインが入っている。
「こんなっ……こんなものにサインした覚えはっ……」
「書類の内容をよく確認してからサインしてください、といつも申し上げていましたよね?」
「エリオット……!」
仕事を完全に丸投げするようになってから、クルーズ子爵は書類の内容など一切確認しなくなった。当主のサインが必要なものだけを寄越してくるので、自分はただサインをするだけ。それで仕事は上手く回っていたのだ。
エリオットは、それを利用した。
「ああ、これは写しです。本物はすでに国に提出済みですので」
クルーズ子爵は、膝から崩れ落ちた。ヨランダもだ。
話を聞いていたリビーは、訳がわからない。
「ねぇ……これって、どういうことなの? お父様が当主じゃなくなるってこと?」
それに答えたのは、彼女を捕らえていた騎士だった。
「そうだ。クルーズ子爵家は、エリオット様が継がれる。そして、両親は領地に住まいを移すことになった」
「そんなっ……お父様とお母様が王都からいなくなっちゃうの? 私、王都に住んでいたいわ! お兄様、私はここにいていいんでしょう?」
「リビー! あなただけ王都に住むなんて許さないわよ!」
「嫌よ! 嫌っ!」
彼女らは、今の状況がわかっているのだろうか。
騎士たちとエリオットは呆れるばかりである。
「リビー、お前はこれから罪に問われることになる。罪が確定すれば、貴族令嬢としての人生は終わる。王都にいても意味はない」
「罪? 私が何の罪を犯したっていうのよ!」
「それは、これからじっくりと教えてもらうんだな。今から行く先で」
「いやあああああああ!」
大声で喚き散らすリビーは騎士たちに連れて行かれ、残された子爵夫妻は膝をついたまま。
(こんな姿を見ても、なんの感情も湧き上がってこない。……エディス、お前はどうなのだろうな)
エリオットはこの場を辞し、静かに扉を閉じた。