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31.焦燥

 エリオットに助けを求めてから、一週間ほどが過ぎた。

 まだ一週間、されど一週間。焦燥感は募る。

 マドック帝国内では引き続きラータの捜索が続けられているが、見つかる可能性は低いだろう。帝国内にいるなら、もう見つかっていてもおかしくない。


 一日の仕事を終え、メイは夫と娘の待つ寮へ帰っていく。エディスも自分の寮へ戻ろうとするが、事務所を出る際に、つい溜息を零してしまった。


「エディス」

「え? あ……えっと、お疲れ様でした、ヒュー」


 すでに挨拶はしたと思っていたが、そうではなかったのか。そんなことさえ、気もそぞろで覚えていない。

 ふと気づくと、ヒューが目の前に立っていた。


「ちゃんと眠れているのか?」

「……はい。寝てますよ」

「……嘘つけ。その目の下のクマはなんだ」

「うっ」


 化粧で誤魔化していたが、近くに寄られるとわかってしまう。

 見られるのが恥ずかしくて、エディスは下を向いた。が、顎に指を添えられ、クイと上げられる。


「ヒュー! あの、恥ずかしいので見ないでくだ……」

「気持ちはわかるが、これじゃお前の身体が持たない」

「……」


 エディスだってわかっているのだ。でも、寝ようとすればするほど眠れなくなる。

 目を閉じても、ラータの姿が思い浮かび、助けてという声が聞こえる。気のせいだと頭では理解している。だが、心はちっとも休まらない。日中は仕事があり、身体を動かしているから気も紛れる。しかし、一人の夜は厳しかった。


「エディス、触れるぞ」

「え……?」


 次の瞬間には、ヒューの腕の中にいた。

 毎朝、魔力譲渡される際にも軽く抱きしめられている。もう慣れた行為だ。だが、今は違う。


「一人で抱え込むな」

「……」

「自分の気持ちを抑えるな。ちゃんと吐き出すんだ」

「でも……」

「俺が聞くから」

「……っ」


 顔を上げると、ヒューが優しく微笑んでいた。

 落ち着かせるように、エディスの背を軽くトントンと叩き、おまけにコツンと額を合わせてくる。


「!」

「大丈夫。大丈夫だ、エディス」

「ヒュー……」


 普段どおりに仕事すること。これが、今できる全てだ。しかし、焦る気持ちはどんどん高まり、エディスを追い詰めていく。

 思いを吐き出したいと思えど、皆がこういった気持ちを抱えている中、それはできなかった。我慢して、溢れ出そうになるのを抑え込む。そんな抑圧が、エディスの眠りを妨げていた。


「ヒュー……!」

「大丈夫だ。俺がいる」

「私……」

「エディスはよくやっている」

「でも」

「お前の兄さんも、ロランドで奔走してくれているんだ。すぐに解決する」

「ラータは無事だって、信じているんです。でも……それでも、すごく不安で……」

「当然だ。不安に決まっている」

「……ヒューもですか?」


 ヒューが大きく頷く。そして、エディスを強く抱きしめた。


「心配で心配でたまらない。無事を信じているが、それとこれとは話が別だ。俺だって、不安を感じている」


 その言葉に、エディスは目を見開く。

 ヒューは、エセルバートと連携しながらラータ捜索に関わっているが、いつもどおりに見えていたからだ。

 不安など一切感じさせない表情、懸命に日々の業務をこなしているヒューを、自分も見習わねばとエディスは気負っていた。


(でも、ヒューだって不安だった……)


 そう思うと、少し気持ちが和らいだ。

 不安に思わない人間などいないとわかっていても、こうして口に出してもらえるだけで、これほど楽になるとは思わなかった。

 そんな時、不意に問われる。


「眠れないなら、うちに来るか?」

「え?」

「なんなら、同じベッドで寝てもいいぞ。抱き合って眠れば、落ちることはないしな」

「うぇっ!?」


 おかしな声が出た。


(いやいやいやいや、同衾って! 一応婚約者だから、だめじゃないといえば……って! だめだから!)


 あたふたと大慌てするエディスを見て、ヒューが声をあげて笑う。

 どうやら、揶揄われたらしい。


「ヒュー!」

「別に揶揄ったわけじゃないぞ? 俺たちは婚約者同士だからな」


 悪戯っぽい表情ながら、その瞳は甘やかさを孕んでいた。

 「で、どうする?」などと耳元で囁かれれば、エディスの顔は夕日のように真っ赤に染まる。


(ここでもし……はいって答えたら、どうなるんだろう?)


 エディスの胸は、ドキドキと高鳴っていた。

 こんな気持ちになるのはいつぶりだろう? 少なくとも、今世では初めてだ。


(ロニーには、こんな感情を抱いたことはなかったわ)


 慕っていた実母が決めた婚約者。

 だから、この婚約を大切にしたかったし、ロニーとはいい関係を築きたかった。

 だが、ロニーは最初からエディスが気に入らず、冷たかった。ぞんざいな対応をされる度に母に訴えたのだが、彼女はエディスの言葉を聞き入れようとはしなかった。

 その頃にはきっと、己に残された時間は少ないと、すでに悟っていたのだろう。自分亡き後、エディスにも後ろ盾をと彼女は必死だったのだ、と今ならわかる。


(それでも……あんな男はなしだったと思うわ、お母様)


「返事がないな。それなら、このまま連れていくぞ」

「え!? いえ、あの、えっと……!」


 ヒューは戸惑うエディスを解放するが、クスクスと笑い続けている。エディスがむぅと顔を顰めるが、お構いなしだ。


「一緒に寝るのはなしにしても、気持ちを吐き出すか?」


 笑いながらも、そんな風に問いかけてくるヒューに、トクンと心臓が跳ねる。


(今なら……まだ引き返せる?)


 彼は、ヘインズ子爵家の当主であり、緑手りょくしゅの持ち主である。そして、実家はマドック帝国の侯爵家。

 その相手が、エディスのような平民でいいはずがない。

 婚約関係を結んでいるのは、利害が一致しているからだ。主には、ヒュー側にだが。

 ヒューに請われたから、受けた。しかし、この関係は長く続かないとわかっている。


 エディスは、ヒューに微笑みかけた。


「ヒューのおかげで、気持ちが楽になりました。もう大丈夫です。今夜はきっと眠れると思います。……ありがとうございました」

「エディス……」


 エディスはヒューから離れ、ペコリと頭を下げる。


「それでは失礼しますね。お疲れ様でした。おやすみなさい、ヒュー」


 そう言って、事務所を出ようとしたその時だった。

 突然手を引かれ、引き寄せられる。そして──頬に触れる熱。


「!」

「おやすみ、エディス」


 ヒューは踵を返し、自分の席に戻る。

 エディスは両手で頬を抑え、真っ赤になりながらも再度頭を下げ、バタバタと出て行った。


「……何をやってるんだ、俺は」


 誰もいなくなった事務所内に、弱々しい独り言が響く。

 ヒューは、一人頭を抱え、突っ伏していた。

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