03.文官初日
帝都で買い物、そして兄エリオットとの通信に心満たされたエディスは、文官としての初出勤日を迎えた。
今日は、業務上関わりのある部署への挨拶回りと文官棟などの案内がメインだ。あとは、帝都の外れに位置する森へ行くという案件がある。文官棟から森までかなりの距離があるが、転移門を使ってすぐに行けるという話だった。
(転移門なんて、やっぱりマドック帝国は進んでいるわね)
場所の転移は、魔法を駆使した技術である。
魔導士の数が多く、魔法の研究が進んでいる帝国ならではであろう。ロランド王国では考えられない。
あちらこちらと連れまわされ、皆の顔に疲れの色が見え始めた頃だった。文官長補佐は、ここで一人の男を紹介する。
「彼は、魔石獣を管理する魔石番の責任者、ヒュー=ヘインズ子爵です」
新米文官たちの前に一歩進み出たその人物は、艶のある黒髪を乱暴にかき上げ、皆を見渡す。
せっかく整えたであろう髪はぐちゃぐちゃになっているが、気にする様子はない。吸い込まれそうな美しい碧眼を鋭くし、一人残らず観察しようとこちらを見ている。
(この人、本当に文官なの? 文官というより、騎士じゃない?)
エディスがこう思うのも無理はない。
ヒュー=ヘインズは、文官にしては体格がしっかりしているのだ。護衛ほどガッチリしているわけではないが、普通の貴族男性にしては鍛え上げられた体躯をしている。
そんな彼にねめつけられるように見られたら、恐怖や不安を感じずにいられない。実際、エディスの周りの新人たちは、視線を彷徨わせたり、落ち着きをなくしていた。
「ヒュー=ヘインズだ。魔石番については、文官試験を突破したなら今更説明の必要はないな。これから、魔石獣のいる神域へ案内する。神域はその名のとおり神聖な場所だ。俺の指示には必ず従え。勝手な行動はするな。以上だ」
もちろん声には出さないが、ヒィッと悲鳴を上げそうになっている者も多い。
貴族にしては粗雑な物言いだ。見た目は端正なのに、口を開くとこれとは。かなりのギャップである。
皆が怯えている中、エディスは平然としていた。
(だてに、冒険者やってませんからね!)
冒険者の中には、ならず者とそう変わらない輩もいた。そんな者たちとも渡り合ってきたエディスにとっては、これくらいは何ともない。
「魔石獣って、魔石を生み出すんだよな? 神獣とも言われるけど、文官にもなって動物の世話はな……」
「神域の森近くに住み込みだろ? せっかく帝都に出てきたのにそれはないよな」
「魔石獣が許した者だけなんだろう? なら大丈夫だ。魔石獣は滅多に人に懐かないらしいからな。文官のトップ部署とはいえ、獣の世話係なんてやりたい奴はいないよな」
あちこちでこんな声が聞こえてくる。ヘインズ子爵に聞かれたらどうするんだとヒヤヒヤしながらも、エディスはぼんやりと考えていた。
(魔石番は、魔石獣のお世話係ってことよね。どうして文官なのかしら? 動物のお世話なんて、文官じゃ務まらない気がするんだけど)
魔石獣とは、魔石を生み出す獣のことだ。普通の動物ではないが、人を害する魔獣とも違う。
魔石は、道具を動かす動力源にもなるのだが、彼らはそれを生み出すことができる。
魔石を充填して動く道具を「魔道具」というのだが、例えば掃除機、洗濯機、冷蔵庫にコンロやランプなど様々なものがある。生活を便利にする道具たちは、ほとんどが魔道具だ。
魔石がこの世からなくなってしまうと、人間の生活は何百年も昔に逆戻りしてしまう。魔石は、いまや人にとって欠かせない代物である。それを生み出すのだから、どれほど希少で価値があるか。
そんな魔石獣は、誰より何より大切にされるべき存在だ。ある意味、皇帝よりも。
マドック帝国は大きな国だが、魔石の採掘量は少ない。本来ならば輸入に頼らなければいけないところ、そうせずにいられるのは、魔石獣のおかげなのだ。
魔石鉱山はいつか枯渇する。が、魔石獣は生きている間はずっと魔石を生み出してくれる。彼らの寿命は人よりも遥かに長いこともあって、鉱山よりも貴重なのである。
そんな彼らに、これから会いに行く──。
(この中で魔石獣が気に入る者がいれば、その人が魔石番になるってことよね)
いわば、魔石獣と文官とのお見合いというわけである。
(皆、魔石番にはなりたくなさそう。……まぁ、帝都からかなり離れた場所に住み込みになるし、動物のお世話をするために文官になったわけじゃないものね)
魔石番は人気がない。しかし、国の資源を守る重要な仕事だ。だから、文官の中でもっとも高い地位にある。もちろん、給金も普通の文官よりも高い。
(私は、気持ちよく働ければそれでいいわ。でも……そうそう選ばれないわよね。魔石獣はかなり気難しいっていうし)
ヘインズ子爵に案内され、転移門に到着する。
この門は、今後は魔石番にならない限り使用することはない。魔石番だけに許された門なのだ。
(今日で最初で最後かもしれない。一瞬だろうけど、ちょっと楽しみ!)
エディスは、ワクワクしながらその門をくぐった。