28.平穏は突如崩れる
何もかもが順調である。
マドック帝国での日々もあと僅か。しかし、リビーの顔は緩みっぱなしだ。
(ここ数日、ナイジェル殿下は私のために時間を作ってくださっているわ。それに、私がロニー様との結婚に後ろ向きだと知って、これまで以上に熱心に話を聞いてくださる……。ふふふふ、これはもう落とせたんじゃないかしら? 帰国した後もお手紙での交流を約束したし、ロランドへ戻ったらすぐに婚約を破棄しなくちゃ! お姉様への嫌がらせで取ったはいいけど、付き合ってみればたいしたことない男だったしね!)
そして、ロニーの方もご機嫌だった。
(天は僕に味方した! これで、マレット伯爵家は以前の隆盛を取り戻せる! いや、超える。マレット家は、侯爵家となるんだ!)
不可能が可能となり、気持ちが昂っていた。
自分は今、最高にツイている。できないことなど何一つない。
ロニーは卑しい笑みを浮かべながら、今後について考えを巡らせる。
(こうなれば、リビーとはさっさと手を切らなければな。問題は、どうやって納得させるかだが……円満に解消もいいが、リビー有責の破棄に持っていきたいところだ)
二人の心は、すでに離れていた。いや、元々寄り添ってもいなかったのだろう。私欲だけで繋がった関係だ。
だが、二人は似た者同士だった。互いに、考えていることは同じだったのである。
──婚約破棄。
同じ目的に向かって、二人は突き進んでいくのだった。
*
しばらくの間、神域の森では平穏な日々が続いていた。
ヒューは多少忙しくはしていたが、エディスたちの日常はいつもどおりに戻っている。
「ロランド王国の使節団は、明日の朝、発つのよね?」
「はい、そうみたいです」
「ご両親や妹さんとは……」
「会いたいとは思いませんし、それは向こうも同じでしょう。夜会では絡まれましたが、それ以外は何もなくてよかったです!」
清々しいほどのエディスの笑顔に、メイは苦笑した。
エディスの過去については、すでに聞いている。だから、彼女に家族への思い入れなどないことはわかっているのだが、それでもつい聞いてしまったのだ。別れの挨拶をしなくていいのか、と。
しかしよくよく考えると、エディスは出奔したのだ。一度目は不可抗力でも、再び顔を合わせたいわけがない。
「そうよね。ごめんなさい」
「いえいえ。……メイには大切な家族がいるからそう思うのも無理ないです。もしも兄が来ていたら、私だって会いたいと思いますよ?」
「いいお兄さんなのね」
「はい。あの家で生きてこられたのは……兄のおかげですから」
(それと、前世を思い出したことよね。自分の境遇が明らかにおかしい、理不尽だって憤れたから、あの二人の仕打ちにも耐えられた。令嬢のままだったら、とっくに精神がやられてたわ)
また顔を合わせることになるとは思わなかったが、本当にこれで最後だ。父や義母、異母妹と顔を合わせることは、今後二度とないだろう。
「エディス、そろそろ皆を獣舎に戻しましょう」
「はい!」
エディスとメイは、魔石獣たちに獣舎へ戻るよう呼びかける。
『ただいま。今戻った』
「おかえりなさい、ウォルフ。綺麗な石は見つかった?」
『今日は気に入ったものがなかった。またエディスにあげたかったのに』
「ふふ、ありがとう」
最初に戻ってきたのはウォルフだった。大抵、彼が一番先に戻ってくる。聞き分けがいいのだ。
『メイ~、ここ、見てくれない?』
「ん? ああ、これね。羽が取れそうになっているわ。取ってもいい?」
『お願い。それ、メイにあげるわ』
「いいのね? じゃあ取るわよ」
「メイ、ドロシーがその羽、あげるって」
「あら、くれるの? ありがとう、ドロシー」
『どういたしまして~』
「ドロシー、ランディを見なかった?」
『そぉね……蝶を追いかけていたのを見たわ。お花畑の辺りかしら?』
「そう。ありがとう、ドロシー。メイ、私、ランディを迎えに行ってくるわ」
「ええ、お願いね」
ドロシーの取れかけていた羽を抜いた後、メイは彼女を肩に乗せて獣舎に運ぶ。
エディスは踵を返し、森の中にある見晴らしのいい花畑へと向かった。ラータもそこにいることが多いので、一緒に戻ってこられるだろう。