27.悪魔の囁き
その後も、使節団はマドック帝国の様々な施設を視察したり、説明を受けたりと、忙しい日々を送っていた。
その中で、リビーたち同行者は好き勝手に遊び歩いている。
ロニーは、次期当主としてマレット伯爵と行動を共にしていたが、時折外れることもあった。その際は、使節団唯一の魔導士ミック=シートン男爵を伴っている。
リビーは、頻繁にナイジェルを訪ねていた。
といえど、彼も皇族としての仕事があり、決して暇ではない。会えるのは数回に一度程度だったが、無碍に追い返されたりしないことに、彼女は気を良くしていた。
(ナイジェル殿下を落とせるまで、あと少しといったところかしら? 私の魅力にかかれば、帝国の皇族といえど、普通の男と変わりないわね。皇宮でしか会えないのが残念だけど、忙しいんだから仕方ないわ。会ってくれるだけ良しとしましょう。殿下はいつも私の話を熱心に聞いてくれるし、優しく微笑んでくれる……これはもう、落としたも同然かしら? ふふ、そろそろ二人の将来について話し合った方がいいかもね!)
二人の将来とは、リビーとナイジェルが結ばれる未来のことだ。そうなるためには、互いの婚約を破棄なり、解消する必要がある。
(私の方は簡単だけど、殿下の方は手こずるかもしれないわね。なにせ、婚約者はマディソン王国の王女だし……。でも、帝国の方が立場は上だもの! なんとかしてくださるはずよ!)
自分に都合よく考えるリビーは、得てして楽観的である。
そして彼女は、今日もいそいそと皇宮へ足を運ぶのだった。
一方ロニーはというと──
「魔石獣というのは、知れば知るほど興味深い。早く見つけてうちの領で飼育したいものだ」
「ですが、見つけるのは難しいという話です。それに、魔石番も該当する者がなかなか現れないそうですし」
「それなら問題ないよ。エディスは私の婚約者だからね。彼女を呼び戻すつもりなんだ」
「え? ですが、ロニー様の婚約者は妹様の方では……」
「いいんだよ。リビーとは解消して、またエディスと婚約するから。エディスは僕のために一旦身を引いてくれたんだが、また戻ってきてくれるから」
「はぁ……」
魔導士ミックは、魔石番の視察以降、魔石獣の魅力に取りつかれていた。そして、同じく興味を持ったロニーと親しくなったのだ。二人は魔石獣について語り合うようになり、この短期間で随分と仲良くなった。
彼らは常に「我が国でも早く魔石獣を飼育したい、自分も関わりたい」という話をし、どうすればそれが叶うかを議論している。
これだけなら、何の問題もない。しかし、少しずつそれが傾き始めていた。楽な方……悪い方へと。
「実はここだけの話、魔石獣を借りることができそうなんだ」
「え!? そうなんですか?」
「ああ。だが、使節団や帝国の関係者には、絶対に秘密にすることが条件なんだよ。エディスは魔石番として大きな裁量を持っていてね、こっそり融通してくれたんだ」
「なんと! それは素晴らしいことです!」
「あの森にもう一度行って、魔石獣を借りる。彼らは旅には耐えられないそうだから、その場で国に転送するのがベストなんだ。君にできるかい?」
魔導士は、正しい座標があれば、自身だけ転移することができる。小さな物であれば一緒でも可能だが、誰かと共にというのは無理だ。筆頭くらいになれば可能かもしれないが、少なくともミックには不可能だった。
移動にはもう一つ、転送という手段がある。これは、自分が移動するのではなく、物を移動させる。例えば、急ぎの手紙を相手に届けるなどがそれにあたる。転送は、座標を必要としない。送り先を強く、明確にイメージするだけでいい。
「もしかして、鼠か蛇の魔石獣を……?」
「さすがに獅子や狼は難しいだろう? 鼠なら、袋に入れて簡単に運べる。それをうちの邸に転送してもらいたいんだ。そうすれば、皆には内緒にできる。……エディスとの約束なんだよ。いいだろう?」
王都のマレット伯爵邸といえば、少々古びてはいるが立派な建物だ。大抵の者が知っている。ミックも知っているし、そこに転送することは可能だろう。
だが、本当に許可を得ているのだろうか。
「確認なのですが、そんなことをして、後で問題になったりしませんか?」
「大丈夫だよ。それに……君も、魔石獣と直接関わりたいんだろう? 筆頭から通訳の魔道具を取り寄せたことは知っているよ。帝国では制限があるだろうけど、うちの邸では設けない。思う存分会話させてあげよう」
ミックはギクリと肩を震わせる。筆頭魔導士から通訳の魔道具を転送してもらったことを、まさか知られているとは思わなかったのだ。
ミックは、どうしても魔石獣と会話をしてみたかった。魔石番のブローチは貸してもらえなかったので、その代わりとなるものを送ってもらった。そして、再び神域の森を訪れるつもりだったのである。
「ミック、君ももう一度あの森へ行くつもりだったんだろう? 目的は少々異なるが、僕の頼みを聞いてくれないだろうか? そうすれば、君の願いも叶えよう。……いい条件だろう?」
悪魔の囁きだった。
ミックは、ここでなんとしても断るべきだったのだが、人間とは欲に弱いもの。
彼はほんの少し逡巡するが、結局強い欲心には抗えず、ロニーの言葉に首肯したのだった。