23.仮初の婚約者
夜会が終わった後、再びマクニール侯爵家に戻ってきたエディスは、とりあえず軽装になってヒューを突撃する。
(これはもう、絶対にちゃんと説明してもらわないと!)
ヒューの部屋に通されたエディスは、いの一番に婚約の件を切り出した。
「いったいどういうことか、説明していただきましょうか!」
エディスの剣幕に圧され、ヒューは目を丸くした後、苦笑いになる。そして、少し言いづらそうにしながらも、こう説明した。
「まず最初に、うちの両親が勝手に誤解した。俺としてはそんなつもりはなかったんだが、わざわざ反論しなくてもいいだろうと放っておいた。で、夜会だ。思った以上に貴族たちに囲まれて、やれうちの娘がどーだの、会ってくれだのとうるさくてな……。全部を断るには、婚約者がいるとわからせるしかなかった」
「だからって!」
「エディスに断りなくあの場でああ言ったのは悪かったが、おかげで丸く収まって助かったよ。ありがとう」
「おおーいっ!」
思わずつっこんでしまった。
まず、マクニール侯爵夫妻が誤解したというのがおかしい。息子の相手が必要というのはわかるが、それが平民のエディスでいいわけがない。それに、いくら他の貴族たちがうるさいからといっても、相手がエディスでは納得しないだろう。
「そんなんで、皆が納得するはずないでしょう? 私、平民ですよ? へ・い・み・ん! わかってますか?」
「わかっている。だが、お前は魔石番だ。帝国ではそれで充分。むしろ、そこらの貴族より敬われる」
「……魔石番の地位って、そんなに高いんですか?」
「ああ。文官の上位と言われただろう?」
「言われましたが……。文官には不人気ですし、爵位とは関係ないですし」
「国から丁重に扱われる存在だぞ? 重要な資源を守るんだからな」
「そうなんですけど」
なら、もっと人気があってよさそうなものだが。魔石番になれば、家を隆盛させることもできるだろうに。
それでも、帝都と離れて暮らさなければならない本人にとっては、ありがたくないのだろう。エディスみたいな人間の方が珍しいのだ。
「なら、あの場にいた貴族たちは、私がヒューの婚約者ってことで皆納得したんでしょうか」
「ああ。相手が魔石番なら仕方ないってな。それに、あの場のエディスは、高位の貴族令嬢にしか見えなかった。ドレスだけでなく、姿勢や所作も、疑われる要素はなに一つなかったからな。両親や兄、妹も感心していた」
「それなら……よかったです」
令嬢教育はあくまで最低限だったので、通用してよかった。最低限とはいえ、マレット伯爵家に嫁ぐ予定だったせいで、高位貴族用の教育を受けていたのだ。きっとそれが功を奏したのだろう。
(にしては、リビーの所作は令嬢っぽくなかったけれど)
学園の勉強だけでなく、リビーは令嬢教育にも消極的だった。子爵令嬢なので高位ほど厳しくはないが、それでも首を傾げるほどだ。見た目ばかりにこだわり、令嬢として大切にすべき点には無頓着なのである。
これまではそれでもよかったかもしれないが、今はロニーの婚約者である。伯爵家に嫁ぐのに必要な作法は、しっかり習得すべきだろうが……。
(ま、私にはもう関係ないし、どうでもいいわ)
奪われた側として、奪った側の心配をしてやる義理もない。それに、奪ってもらってこれ幸い。エディスにとってはもう終わったことだ。
「俺と婚約するのは嫌か?」
「え?」
いきなりそんなことを聞かれ、エディスは激しく動揺する。
(そ、そ、そんなこと言われてもっ! 嫌かって、今聞く? もう公表してしまったも同然なのに!)
違う。本当は、そんなことを気にしているのではない。
ヒューの真剣な眼差しに、エディスの鼓動はスピードを上げた。
「もし、どうしても嫌なら……」
「ヒューこそ! ヒューこそ……他にもっといい人がいるのでは? 私となんて……」
(いずれ、ヒューに相応しい人が現れるわ。その時、私の心が痛みを伴うようになっていたら、どうしたらいいの……?)
ロニーとの婚約破棄は、何も感じなかった。最初から印象は最悪だったし、婚約してからも一切歩み寄れなかった。だが、相手がヒューとなると──
「俺は、エディスならいいと思っている」
「え……」
「両親もエディスを気に入っているし、何の問題もない」
「……」
だが、そこに気持ちはない。他よりマシだから、それだけである。
貴族の婚約だから、そこに気持ちがあるかどうかなど些末なことだ。これは、一種の契約なのだから。
(でも、せっかく平民になったんだから、今度はお互いに想いあって婚約したかったな……)
しかし、夜会でのヒューの様子に気の毒さを感じたというのも正直なところだ。
ヒューは頼りになる上司。それに、毎日魔力を譲渡してもらっている恩がある。
「エディス?」
「あ……はい。私に相手はいませんし、ヒューがいいなら構いません。いつか……ヒューが本当に好きな人ができるまでの間、仮の婚約者になります」
「……助かる。だが、エディスも好きな奴ができたら言ってくれ。その時は撤回する」
「はい」
なんとなくもやっとしたが、気づかない振りをする。そんな気持ちを振り払うかのように、エディスは無理やり笑顔を作った。
「よろしくお願いします、婚約者様」
ヒューの表情が和らぐ。彼はエディスに近づくと、その腕を取り、引き寄せた。そして、エディスの額にそっと口づける。
「こちらこそよろしく。……今夜はゆっくり休んでくれ。おやすみ」
「……おやすみなさい」
そのまま、ヒューに部屋まで送られる。
その後、エディスはヨロヨロとベッドに座り、突っ伏した。
(だからってあれは……いくらなんでも甘すぎるでしょう!)
エディスは両手で額を抑え、小さな声で唸りながら悶えたのだった。
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