19.夜会の準備はこれでOK?
ロランド王国使節団を歓迎する夜会当日、エディスは帝都の一等地にあるマクニール侯爵邸にいた。
ヒューに朝一番に連れてこられ、彼女は待ち構えていた侍女たちに引き渡される。
「エディス様! まずは湯あみへ参りましょう」
「は、はい」
「それじゃ皆、よろしく頼むな」
「はい! かしこまりました、ヒュー様!」
侍女たちが一斉にヒューに頭を下げる。ヒューは彼女たちに軽く手を振り、その場を去った。
取り残されたエディスは、若干心細くなりつつも、そんな不安はあっという間に吹き飛ばされる。
湯あみでは、数人がかりであちこちを磨き上げられ、おまけにマッサージも施される。あまりの気持ちよさに、意識がなくなった。気づいた時にはすでに昼になっており、軽く昼食を取った後にドレスに着替える。
「わぁ……こんな立派なドレス、畏れ多いんですけど……」
「何をおっしゃいますやら。とてもよくお似合いですわ。さすがヒュー様」
「え?」
「こちらのドレスは、ヒュー様がエディス様のためにお選びになったのですよ。もちろん、靴やアクセサリーも。一部、奥様からチェックは入りましたけれど、それ以外は完璧で、奥様もご満足されておりました」
「一部? チェック?」
「ふふ。本当に素晴らしいドレスです! 胸元の薄いブルーから裾の濃いブルーまでのグラデーションの素晴らしいこと! 首飾りと耳飾りは揃いのデザインで、一級品のサファイアですわ。高貴な色彩は、どなたかの瞳を思わせますわね!」
侍女たちは、嬉々としてエディスを飾り立てている。
ヒューからの指示とはいえ、どこの馬の骨ともわからない娘の世話をすることに躊躇いはないのだろうか。
だが、彼女たちは皆、エディスに敬意を払いつつも親しげに接してくれる。これがエディスにはとても嬉しかった。
クルーズ子爵家では、義母やリビーの息のかかった者たちばかりで、ろくに世話もされなかったし、エディスが使用人として扱われていても放置だった。食事でさえ用意されなかったこともある。
(高位の家に仕える使用人は、やっぱり質が違うわね。洗練されているし、おしゃべりしていても手を止めない。それに、早くて丁寧。素晴らしいわ)
マクニール侯爵家の侍女たちに感心しながら、エディスは鏡に映る自分の姿を見て、うっとりと吐息を漏らした。
「まるで、私じゃないみたい……」
「まぁ。髪型もお化粧も、気に入っていただけて光栄ですわ」
エディスは手を動かす侍女たちに視線を向け、くしゃりと表情を崩す。
「私、こんな風に素敵に着飾ってもらえたのは初めてよ。本当に……嬉しい。ありがとう」
「まぁ……エディス様!」
「それほどまでに喜んでいただけるなんて……!」
「エディス様、最後の仕上げですわ。首飾りと耳飾りをつけさせていただいても?」
「ええ、よろしくお願いします」
侍女の手によって、サファイアの飾りが首と耳につけられる。大粒ながら、それを取り囲む繊細なデザインが品を感じさせる。
また、サファイアの色も見事なものだった。これほど美しいものは見たことがない。それに──
(さっき誰かが言っていたわね……誰かの瞳を思わせるって。確かにそうだわ。……これって、本当に大丈夫なのかしら? それに、このドレスの色だって……)
グラデーションになっているが、濃い青は宝石の色と同じである。
(パートナーの色を身に着けるのはおかしなことじゃないけど、それはパートナーが婚約者である場合よね? そうでない場合、おかしいんじゃ……? え? ほんとに大丈夫!?)
それを指摘しようにも、侍女たちはさも当然のように誰も何も言わない。だから、むしろそれを指摘しようとするエディスの方が間違っているのかと思ってしまう。
しばし考え込むが、これ以上なく美しく飾り立てられた己の姿、そして楽しげな侍女たちに、エディスはとりあえず今はいいかと思考を放棄した。
すると、部屋の扉がノックされる。中に入ってきた人物を見て、エディスは言葉を失った。
「用意ができたようだな、エディス」
「……」
「エディス?」
「あ、は、はいっ」
エディスが呆然とするのも無理はない。目の前に立っているのは、どこぞの貴公子か。
いつもは乱雑な黒髪も綺麗に整えられ、艶を放っている。シックな黒の夜会服は、光沢のある栗色の刺繍が施され、落ち着いた中にも華やかさがあった。黒はどちらかというと小柄に見せてしまうが、彼の身長ならそのようなこともない。胸のタイピンは、彼の瞳を思わせる美しいサファイアがはめ込まれていた。
(え? え? これ、ほんとにいいの? 刺繍とはいえ、ヒューも私の髪色を身に纏ってるんですけど? おまけに夜会服が黒? 若者は特に白とか赤とか青とか、明るい色が多いわよね? 帝国は違うのかしら)
エディスが軽く混乱していると、ヒューが近づいてきて、手を差し出してくる。
「さぁ、行くぞ。俺たちにとっては厄介な戦場に」
「ぷっ」
ヒューの言いように、思わずふきだしてしまう。
「戦場って」
「似たようなものだろう? 俺は夜会が大の苦手だ。それにお前は、家族と再び顔を合わせることになる。使節団の中にクルーズ子爵がいるんだ。エディスにとって子爵家は……敵のようなものだろう?」
エディスの目が大きく見開いた。
(この人は、私の事情を全て知ってるんだ……)
文官に採用される際、身元調査、身辺調査はしっかりとなされる。としても、祖国の家族がエディスをどう扱っていたのかまで調べられているとは思わなかった。
「そのドレス、よく似合っている。綺麗だ」
「ヒュー……」
「誰よりも美しく着飾ったお前は無敵だ。嫌な敵は、全員蹴散らしてやれ」
そう言って口角を上げるヒューに、エディスは奮い立ち、満面の笑みを向ける。
「もちろんです! かかってきやがれ、です!」
「その意気だ」
ヒューが相好を崩し、声をあげて笑った。