11.上司の上司
「失礼いたします」
皇宮の執務室に通されたヒューは、一礼して部屋に入る。彼の出で立ちは、いつものつなぎではなく、礼服である。
ヒューを見て、部屋の主は面白そうに口角を上げた。
「お前のそんな姿は、久しぶりに見るな」
「そうですか? こちらにお伺いする際は、いつもこのような恰好ですが」
「嘘つけ。この間は、堂々とつなぎで来たくせに」
「あれは……急ぎとのことでしたので」
クツクツと喉を鳴らすのは、マドック帝国皇太子、エセルバート=マドックである。
彼は執務の手を休めると、応接セットのソファに腰掛け、ヒューにも席を勧める。ヒューがそれに応じると、待ちきれないというように身を乗り出した。
「新人はどんな様子だ?」
「……気になりますか?」
「気になるに決まっているだろう! なにせ、久方ぶりの魔石番だ。毎年期待はするが、魔石獣に認められる者は出てこなかった。だが、ようやく、ようやくだ。しかも、ランディが随分気に入っているようじゃないか。どんな人物なのか、気になる」
エセルバートは、王族で唯一魔石獣に認められた人物である。それ故、魔石獣管理の総責任者となっている。つまり、ヒューの上司だ。
業務報告書は毎日提出させているが、ひと月に一度、こうして顔を合わせての報告もさせている。これは、放っておくと一切こちらに顔を見せない彼を引っ張り出すためだった。
「エディス=クルーズ……いえ、エディスは、一見なんということはない普通の娘です。隣国ロランド王国の子爵令嬢という肩書を持っていますが、こちらで戸籍を取得した際にその姓は捨てた、と」
「ほう。わざわざ貴族籍を捨てるとは」
「……すでに事情はご存知なのでしょう?」
エセルバートは、ニヤリと笑って首肯する。
「まぁな。部下の身元調査は上司の役目だ。だが、お前自身どこまで調べたのか確かめたい」
「はぁ……承知いたしました」
彼がこうして部下を試すのは常である。ヒューはやれやれといったように吐息し、調査した内容を話し始めた。
「ロランド王国、クルーズ子爵家長女であり、家族構成は父、義母、兄、異母妹。彼女の実母はすでに他界しています。そして、貴族令嬢であるにもかかわらず、冒険者としても活動しています。ランクはE。主に薬草採取がメインで、討伐などの依頼は引き受けていなかったようです」
「冒険者? 令嬢が?」
「はい。そして、婚約者がいたようですが破談となり、家を出ました」
「待て待て待て、サラッと流すな! 冒険者だって?」
目を丸くして驚くエセルバートに、ヒューは僅かに眉を上げ、補足する。
エセルバートの反応を見るに、婚約の件は把握していたが、冒険者をやっていたことまでは知らなかったようだ。身分証明は冒険者ギルドが発行した身分証だったのだが、彼は貴族家のものを提示したと思っていたのだろう。
「実母が亡くなった後、父親が再婚し、義母と異母妹が家に迎えられました。まぁよくある話ですが、先妻の子どもは邪魔だとばかりに冷遇されていたようです。そこで、いつか家を出るために、自分で動かせる金を必要とした。冒険者になったのはそのためかと。そして、まだ実母が生きていた頃に結ばれたのが、ロニー=マレット伯爵令息との婚約です。マレット伯爵家は魔石鉱山を所有していたのですが、枯渇し、いろいろ立ち行かなくなっています。一方、クルーズ子爵家は魔石鉱山をいくつか抱える裕福な家。援助をあてに、婚約が打診されたようです」
「あぁ、それは私も調べた。破談になったそうだが、当人同士の相性がよくなかったのだろうな」
「というか、異母妹に略奪されたんですけどね」
「……相手が妹に変更されたということで、そうなのだろうとは思ったが。まったく……気の毒な話だ」
エセルバートはそう言うが、ヒューは同意しない。
「それは、本人にしかわからないことです。家を出るつもりだったなら、その婚約は邪魔だった可能性もありますよ」
「だが、結婚すれば家を出られるじゃないか。マレット伯爵令息は、嫡男なのだし」
「はい。ですが、家を出たいと思うほど冷遇されていたなら、家のための結婚などまっぴらだったのでは?」
「……つまり、そういう女性なのだな? エディス=クルーズ……いや、エディスは」
貴族籍を捨てたという話を思い出して言い直すエセルバートに、ヒューは笑みを浮かべながら言った。
「そうですね。もちろん当時は傷ついたでしょうが……少なくとも、今はきれいさっぱりと吹っ切れているように思います」
「強い女性なのだな」
「そうですね。なにせ、実兄以外の家族や使用人から冷遇されても一切めげず、家を出るために冒険者になるなど、普通の令嬢では考えられません」
「実兄は、それほど冷遇されていなかったようだな。一応嫡男だと認められているという話だが」
「そのようですね。さすがに嫡男を押しのけて、異母妹の婿に爵位を譲るようなことは考えていないようです」
「ったく、義母も異母妹もとんでもないな。いや、実父が一番だめか」
「ですね」
互いに肩を竦め、溜息をつく。が、エセルバートはすぐに笑顔になった。
「だが、そのおかげで魔石番が増えたのだから、こちらとしてはありがたい話だ」
「そうですね。それに、エディスは文官試験も上位で合格しています。事務処理も早くて正確だし、有能ですよ」
「そうか。お前の苦手分野を担ってくれて、よかったな」
「大助かりですね。それなのに、魔石獣たちの世話も嫌がらずにやっています。冒険者をやっていただけあって体力もありますし、いい人材がきてくれました」
「惜しむらくは、魔力がないことだな。魔石獣たちと意思疎通ができるのは、私を除いて相変わらずお前一人だけか」
貴族の血を引きながら、魔力がない。これは希少なことだ。男尊女卑がいまだ蔓延り、魔力至上主義の隣国では、さぞ生きづらかったことだろう。ロランド王国ほどではないが、マドック帝国でも魔力なしの貴族は奇異の目で見られがちだ。
ヒューは、ふとエディスに魔力譲渡した時のことを思い出した。