10.魔力譲渡
エディスが這う這うの体で獣舎に辿り着くと、メイの方が早く着いていた。
「メイ、サムさんに了承ってどういうことなの?」
獣舎ならいつも来ている。なのに、どうしてヒューは今回はサムに許可を取ってくるように言ったのか。
メイは、クスクス笑いながら事情を明かした。
「別に許可なんて必要ないって、ヒューさんには言っているんだけどね。あのね、エディス、ヒューさんは、今から私たちに魔力を譲渡してくれるつもりなの」
「魔力を譲渡?」
「そう。ヒューさんの持つ魔力の一部を、一時的に私たちに譲渡するの。そうしたら、このブローチが活躍してくれるってこと」
「!」
エディスは、襟元につけたブローチを握り締める。
「もしかして、魔石獣たちと意思疎通が?」
「そう、できるのよ!」
魔力を譲渡など、そんなことができるとは思わなかった。おそらくというか、絶対にエリオットは知らない。これが秘匿されていなければ、ぜひとも兄に教えてあげたいとエディスは思った。と同時に、心が浮き立つ。
魔石獣たちの世話をしている時にいつも思っていた「会話をしたい」という願いが、ついに叶えられるのだ。
「ん? でもどうして、それがサムさんの許可?」
「あぁ、それはね……」
「相手に触れる必要があるからだ」
エディスの疑問に答えたのは、ヒューだった。
ヒューは、白蛇を使っていなかったエリアに放ち、こちらに向かってくる。
「相手に触れる……んですか?」
「そう。親密に触れる……有り体に言えば、密着するほど持続時間は長くなるが、一時的なら両手を握り合うくらいでいい」
「あー……なるほど」
エディスはともかく、メイには夫がいるのだ。サムが知らずにその現場を目撃したら、大ショックだろう。なにせ、サムはメイを一途に愛しているのだから。
「サムには話しているし、いちいち許可を取らなくてもいいって言っているんだけどね」
「いや、だめだ。万が一、夫婦の信頼関係が崩れたら、俺はエミリーに顔向けできない」
「確かに」
エミリーは、両親が大好きだ。エディスやヒューにも、今日はお父さんが、さっきお母さんがと、ひっきりなしに話してくるほど。そんなエミリーを悲しませるようなことは、万が一にもあってはならない。
(なんだかんだ言って、ヒューもエミリーをすごく可愛がっているものね)
平民の中で、唯一の貴族であるヒュー。しかも、令息ではなく爵位を継承している。にもかかわらず、ちっとも貴族らしくない。
会った初日は、新人文官たちとの顔合わせということで貴族らしい恰好をしていたが、普段はなんとつなぎである。
魔石獣たちの世話をするのに綺麗な格好はしていられないのだが、貴族がつなぎ……最初に見た時、エディスは呆気に取られたものだ。かくいう、エディスたちもつなぎだ。他の文官たちなら我慢できないだろう。
「それじゃ、先にメイから」
「はい。お願いします、ヒューさん」
エディスは敬称なしで呼ぶように言われたので「ヒュー」だが、メイは敬称をつけている。そこで、エディスもメイのように「ヒューさん」と呼んだところ、すごく嫌そうに睨まれたので、やめざるをえなかった。
メイの時も「ヒューと呼べ」と言ったそうだが、メイは頑なに固辞したそうだ。生粋の平民が貴族を呼び捨てになど絶対にできない、と。
エディスもそう言えばよかったが、元は貴族である。つい流されてしまった。
「触れるぞ」
そう言って、ヒューはメイの両手を握る。すると、淡い光が二人を包み、やがてフッと消えた。
メイは満面の笑みになり、側にいたランディに話しかける。
「ランディ、エディスが大好きなのはわかるけど、あまり困らせちゃだめよ?」
「がう! がうがうっ」
「でもね、毎日探しに行くエディスは大変なのよ? それに、他の皆も真似しちゃったら、私もエディスも皆と遊ぶ時間がなくなっちゃう」
「ぐるうぅぅぅ」
しゅんとするランディを見て、エディスは目を輝かせた。
「メイ! ランディの言葉がわかるのね?」
「えぇ、わかるわ。ランディは、エディスを独占したいから魔石を隠しちゃうんだって」
「……もう、ランディったら」
「ぐるぅ」
ランディが上目遣いでエディスを見つめる。すると、他の魔石獣たちが騒ぎ始めた。
「うぉう! わふわふ、ぐおんっ!」
「チューーーッツ、チュチュチュッ、チュッ、チュウ!」
「ホウ、ホーホホホ、ホウー」
「わかった、わかったから皆落ち着け。ランディ、お前もあざといぞ。それをやればエディスが可愛がってくれるからといって、乱発しすぎだ。そのうち相手にされなくなるぞ」
「がうっ!?」
メイが声を出して笑っている。今の彼女は、彼らの言葉がわかるのだ。
(ずるい! ずるいわ! 私も早く皆と話したい!)
「ヒュー! 私も早くお願いします! 私だけわからないなんて、辛すぎますっ」
「あー、わかったわかった。お前も落ち着け。……だったら、お前はもう少し持続するようにするか」
「ぜひ!」
ヒューがエディスの目の前に立つ。エディスがワクワクした顔で両手を差し出すと、彼はその手を取った。しかし──
(ちょっと、待ったあああああ!)
ヒューは、エディスの手を握らず、強く引き寄せたのだ。すると、どうなるか。
(なんで抱きしめられてるのーーーーっ!)
「あらあら、ヒューさん、大サービスですね」
「考えてみたら、エディスは初めてだからな」
「そういえば、そうでしたね」
二人はそんな呑気な会話を交わしている。その間も、エディスはヒューの腕の中である。
(いやいやいや、これってどうなの? いいの? ありなの? いや、私には婚約者なんていないけど!)
魔石獣の世話をしているからか、ヒューの身体はしっかりと筋肉がついており、逞しかった。そんな彼に抱きしめられていると、そこはかとなく安心感を覚える。と同時に、胸の高鳴りが抑えられない。
「あ、あのっ! そろそろいいんじゃ!?」
悲鳴のようにそう言うと、ヒューがエディスの顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「……顔、真っ赤」
「ほ、ほっといてくださいっ!」
前世も今世も、男にはとんと縁がなかったのだ。抱きしめられて真っ赤になっても、仕方がないではないか。
まだ腕を解こうとしないヒューを睨んでいると、彼が囁くように言った。
「可愛いな」
「!」
エディスの身体から、力が抜けた。
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